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 フィルムカメラの復権なるか?

 以前レコードの復権について書いたことがあるが、今度はフィルム。TVで聞いた話によると、最近の若者が昔のレンズの描写に憧れて往年のフィルムカメラ、しかもそれほど性能の良くないコンパクトカメラを購入することが増えてきたという。描写の安っぽさが良いんだって。勿論その手のカメラは中古でしか手に入らないのだが、なかでも人気なのがオリンパスのμ(ミュー)シリーズなんだとか。これが僕にはちょっと解せない。だって、オリンパスμシリーズといえば、その筋では有名な名機のひとつだからね。

 実を言うと、オリンパスμは僕の手元にも1台ある。レンズが描写力に優れていて、使い勝手も良く、デザインもカッコいいので、処分できずにいる。当時はこのカメラだけで撮ることにこだわるプロの写真家がいたぐらいで、かなり評判が良かった。ただ、当然プロ仕様ではないので機械としての耐久性に欠け、その写真家は個展を開くたびにμシリーズを何台もダメにしたそうだ。

 このカメラはレンズの描写は悪くないが、確かに素人が使うとその性能を十分に発揮できない可能性はある。例えばボディが小さいのでホールド感が悪く、露出もオートのみだから、撮る側の人間が状況を判断して対処しなければ、露出で失敗したり手ブレしまくったりしただろうからね。つまり今の若い人が言う「昔風の描写」は、決してレンズが古いせいばかりではなくて、むしろユーザー側の知識や技能の欠如の結果と考えた方がいい、ということだ。何しろ今のカメラ(スマホ含む)は状況を自分で判断できる上に、センサーの感度はISOに関しては化け物だし、レンズのコーティング技術も格段に進歩している。おまけに手ぶれ防止機能まで備わっていて、素人にも扱いやすい。だから誰が撮っても同じように無難な写真が撮れる。逆に言えば個性の無い写真しか撮れない。そのつまらなさに若い人たちが気付き始めた、ということだろう。まあ、それはそれで良いことだ。

 考えてみると、古いレンズの描写を楽しむだけなら、今でも歴代の交換レンズが使えるニコンFマウントカメラやライカMシリーズなどの方が適していると言える。大昔のレンズが現行のデジカメでも使えるんだからね。ただしべらぼうに金がかかるから、お勧めはしないけど。

 一方、古いレンズに加えてフィルムという記憶媒体の描写を手軽に楽しもうというのなら、今の若い人がやっていることも、まあ間違いではないだろう。というかカメラごとの個性というのもあるから、いろいろな機種を試してみるとかえって面白いかもしれない。何しろ、中古のコンパクトフィルムカメラを10台買ったとしても、ニコンのFマウントやライカのデジカメを買うより遙かに安い。

 さて、若者が念願叶ってフィルムカメラで写真を撮ったとする。その後どうするかというと、写真店で現像してもらったネガをデータにして保存、ネガそのものは「捨ててください」というパターンが多いそうだ。笑えたのはフィルムが入ったままのカメラをお店に持ち込んで、店員さんの前で取り出そうとして、巻き戻しもせずに裏蓋を開けるパターン。撮影済みのフィルムを現像前に過度に感光させたら全てがおじゃんになる(カメラ側に巻き取られたフィルムの内側の方は助かる場合もある)。だから必ずフィルムをパトローネ(フィルムの容器の部分)に巻き取ったことを確認してから裏蓋を開ける。これは基本中の基本だ。フィルムカメラを使ったことが無いなら、事前に詳しい人に聞くなり、ネットで調べるなりしておけば良いのに。

 もう一つ、ネガはとっておいた方が良いと思う。例えばデータをディスクにした場合、ディスクの寿命は通説で10~20年と言われている。僕が昔撮った写真のネガは(保存状態にもよるけど)40年以上たっても何の問題も無い状態だ。もっと言うなら、父や祖父の撮ったネガもまだ使える状態で残っていたりする。

 まあ、写真に対する思い入れの違いもあるだろうけど、僕の経験からすれば、写真(ネガ)は半永久的に残すべきものだ。背景に何十年も前の状況がわかるものが写っていたりすれば、それは一種の歴史的資料になり得るからね。

追記 コンパクトデジカメまで続いたオリンパスのμシリーズには、初代μの改良型で1997年に発売されたμⅡ(ミュウツー?)と言うモデルがある。なんかどっかで聞いたような・・・。逆襲されたらどうしよう?

 オリンパスμパノラマ。offの状態。大きさは縦・横が約60㎜×115㎜。ボディの厚みが45㎜ぐらいか。何せフィルムを入れなきゃならんから、このサイズが限界だろう。

 カバーを開けてon。リチウムバッテリーが入っていれば、レンズがもう少しせり出してくる。オートフォーカス、レンズは35㎜F3.5。

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 コンビニエンス・ストア

 コンビニエンス・ストア。直訳すると「便利なお店」。何が便利かというと、朝早くから夜遅くまで開いていること、品揃えが広範囲であることなどが挙げられる。

 スイス・アーミーナイフ。知ってます?1本のハンドルに、ナイフのみならずドライバー、はさみ、ヤスリなどが収納されている。1本あるととても便利。本当だろうか。

 スイス・アーミーナイフは使ったことがあるけれど、こんな使いにくい道具ってあるだろうか、と思った。何をするにも、使い勝手の良さは、例えばドライバーならドライバー、ヤスリならヤスリにはかなわない。まあ、当たり前と言えば当たり前。

 昼食にコンビニでカレーライスを買ったことが何度かあるが、その味に満足したことは一度も無い。「美味しくない」を通り越して「不味い」と思ったこともある。ここで「そんなの当たり前。コンビニなんだから。文句を言う方がおかしい!」と思った人。おっしゃる通り。それが当たり前です。だが今回僕が言おうとしているのはまさにそのことだ。それを当たり前にして良いのだろうか?

 僕はスイス・アーミーナイフを持っていない。あんな使いにくいものを持つぐらいなら、多少かさばっても工具セットを買う。同じように美味しいカレーが食べたければ、コンビニでは買わずに専門店に行くか自分で作る。たが当座しのぎにコンビニを利用することは、正直言ってよくある。要するに、どちらも「とりあえずの間に合わせ」なのだ。僕が恐れているのは安くて便利な「間に合わせ」のものが「当たり前」になっていくことだ。そういった生き方に慣れてしまうと、手軽さを重んずるあまり、時間と手間をかける方法論に価値観が見いだせなくなって、「本物」が廃れ、伝統的な技術は失われ、文化や人の生き様そのものまで「間に合わせ」になってしまうかもしれない。現にIT時代のスイス・アーミーナイフ、スマートフォンのおかげで、本来対面して会話すべき人間関係が文字だけの「間に合わせ」になっているじゃないですか。しかもすでに「当たり前」になりつつある。それによって生じる不愉快な状況は人の心を傷つけ、場合によっては死をもたらすこともある。何、大げさだって?でもこうしたことは現実に起こっているし、時々誰かが騒いでおかないと、人間はゆっくり進行する変化をなかなか認識しないじゃないですか。長い時間をかければ筍だってアスファルトを突き破ることを忘れちゃいけない。さらにもう一つ、心配なことがある。「便利」は人を「馬鹿」にするかもしれない。

 昔のSFに登場する未来人や、科学技術の進んだ宇宙人は、みんな体が小さくて頭が大きかった。機械化が進み、働かなくていいから体が退化し、頭脳が発達するから頭は大きくなる、というわけだ。しかし現実には、考えることをコンピューターに任せ、自動車を運転するための判断すら機械任せの時代もすぐそこまで来ている。パソコン(ワープロ機能)が普及したために漢字を書けなくなったという話は僕の周りでもよく聞くが、この分じゃ次は、せっかく覚えた運転を忘れるかもしれない。そんなことで、いざという時に危機回避のための判断や行動ができるんだろうか。これでは頭脳まで退化してしまいそうだ。

 昨今の事件や事故のニュースを見て、「人間、少しお馬鹿になってきたかな?」と感じるのは僕だけではないだろう。何しろ肉体労働はともかく、頭まで使わなくてすむ時代の到来を誰も予想しなかったから。そもそも体が退化し、頭脳も退化するとしたら、その先に待っているのは滅亡しかないだろう。もし一般大衆が考えるのを止めたら、今流行りの陰謀論者が言うように、頭のいい一握りの人間がスマホを通して大衆をコントロールするなんて簡単だろうなあ。実際にそれに近い事例も増えつつあるし。

 便利な社会は僕も大歓迎だ。コンビニにしたって、いまだにカレーライスを買って自分の愚かさを呪うことがあるぐらいだ。だから頭から否定するつもりはない。ただ、「便利な社会」が内包する危険性を常に意識して、賢く利用することを心がける必要はあるだろう。

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 偽善

 時々、「オレはとんでもない偽善者だな」と思うことがある。それはどんな時かというと、TVなどで食肉に関する番組を見ている時だ。

 歳をとったせいか、最近食肉用の家畜を出荷するシーンを見ていられない。業者の人は「愛情を込めて育てた」と言うが、家畜たちは最後には食肉になる運命だ。勿論それは立派な職業だし、社会の仕組みの一部でもあって、今更どうこう言う問題ではない。理屈ではちゃんと理解しているつもりだ。それでも目をそらしたり、早送りしたりしてしまうのだ。それでいて、食肉になってしまえば、何も考えずに「この肉は柔らかくて美味そうだ」なんてことを平気で言う。矛盾している。

 大分前のことだが、「豚のいる教室」という映画があった。ある小学校で子供に豚を育てさせ、最後にはその豚を食肉センターに送る。勿論、子供たちはその豚がどうなるか理解している。子供たちはその豚をPちゃんと名付け、とても大事に育てた。豚は賢い動物だから、子供たちによく懐いた。1年後、そのPちゃんを子供たちは泣きながら見送った。この映画は実話をもとに、ほぼ実話通りに制作された。実際に行われた授業については賛否両論あったそうだが、僕個人としては「なんて授業だ!」と腹が立ったのを憶えている。だが僕が豚肉を食べるのをやめたかといえば、そういう事はなかった。

 こうした問題は一種のタブーであって、誰もが知っているにもかかわらず目をつぶり、口に出して言わないことで社会が上手く回る。それをあえて、しかも教育現場でここまでする必要があったのだろうか。これは授業の一環だったから、当然参加を拒否することなどできない。多くの子供たちがトラウマを抱えたであろう事は想像に難くない。

 亡くなった父の兄弟には、鶏肉を食べられない人がいたそうだ。幼い頃に、飼っていた鶏を潰すところを見てしまったからだ。僕は昔から、旅先などで出される活き作りの刺身がダメで、骨だけになった魚が(あれ、飾る必要があるのか?)口をパクパクしたりするだけで食欲が失せる。だが食べるのをやめたかといえば、これもそんなことはなかった。

 僕が一番見ていられないのが牛の出荷シーン。あの柔らかそうな睫毛に覆われた優しい目を見ていると、何ともやるせない気持ちになる。幸いなことに、子羊(ラム)の出荷シーンというのは見たことがない。さすがに子羊については、例のタブーの原則が働いているのだろうか。

 ご存じのように、僕は料理を趣味にしている。特に肉料理が得意だ。そんな僕が、出荷される牛から目をそらさずにいられない。やっぱりこれって、偽善的だと思う。だから普段は気付かないふりをしながら生きている。

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 雪国

 「雪国」といっても、小説の話じゃない。僕が若い頃からなぜか抱き続けている憧れのことだ。

 雪国へ旅行したい。しかも厳寒の冬のさなかに。結婚してすぐ、京都で年越しをしたことはある。でもその年は暖冬で、雪は残っていたものの、どこへ行ってもぬかるみだらけだった。学生の頃、冬の軽井沢で足止めを食らったこともある。その日、碓氷峠は一夜のうちに降り積もった積雪で、朝から通行止めになっていた。だが勿論僕の言う「雪国」とはこんなレベルのものじゃない。

 忘れられない光景がある。それは今にも軒(のき)まで届こうかという積雪に、屋根から垂れ下がったつららが一体化した、雪国の古びた一軒家の佇まいだ。雪はとうに止んでいて、顔を出した太陽の光がつららに反射していた。小学生だった頃、TVで見た光景だ。番組の内容は憶えていないけれど、なぜかその光景だけが今も脳裏に焼きついている。

 僕の住んでいる地域では雪が降ったとしても年に1~2回、積雪ともなれば年に一度有るか無いかだ。積雪量も最近では10センチを超えることはほとんど無い。庭には毎年のようにふきのとうが顔を出すけれど、一度でいいから、雪をかき分けるようにして顔を出すふきのとうが見てみたい。何だろう、この脈絡のない欲求は。

 そんな僕が、真冬の白川郷に行きたいと言うと、家族は「なんでそんな寒いところへ。一人で行けば」とつれない。普段は仲の良い家族なのに、なぜかこの件に関してはなかなかに手強い。仕方がないので、TVの雪国に関する番組を見て気持ちを紛らわす。そんな中でふと気付いた。どうも僕の頭の中にある「雪国」は、東北から北陸にかけての地域に限定されているようだ。北海道は「雪国」というよりは「北国」で、妙にお洒落なイメージがある。お土産はまんじゅうじゃなくて洋菓子、そんな感じだ。僕が抱く「雪国」のイメージは何というか、もっとベタな生活感を伴うものだ。僕もいい歳なので、雪国に住む人々の苦労は理解している。だから軽い気持ちで言っているわけじゃない。だがそんな雪国の景色が日本の原風景の一つであることは間違いない。それをこの目で見てみたい。

 東北出身の父は生前、「雪国の生活を知らなければ本当の日本を知っているとは言えない」と言っていた。それならば、古びた民宿などに長期滞在して、春の訪れを待つのも良いかもしれない。そうすることによって、囲炉裏の火の温もりや、春を待ちわびる期待感を少しは実感できるに違いない。だが現実的には、そんな旅は不可能だろう。

 こうして考えてみると、僕が雪国への旅に求めているものは、おそらく五感で得られる感覚的なものだけではなく、心理的な経験でもあるのだろう。それは単に観光客として「訪れる」だけでは得られないものかもしれない。それでも心のどこかで雪国探訪を諦めきれない自分がいる。

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 風の音

 最近風の音が気になる。気になると言っても、それは必ずしも不快という意味ではなくて、むしろ心地よいことの方が多い。

 遙か昔、まだ僕が受験生だった頃、勉強に疲れると窓から抜け出して、人通りの途絶えた深夜の通りを散歩した。僕の家は郊外にあったので、あたりを照らす明かりといえば僅かな街灯か、家々の消し忘れた玄関灯ぐらいのものだったけれど、当時の世の中は今よりもずっと治安が良かったから、なんということもなかった。

 周囲に背の高い建物はほとんどなく、広い空き地が隣接していたので、通りからは空を広く見渡すことができた。今でも憶えているのは、星空の下を月明かりに照らし出されたちぎれ雲がかなりの速さで移動していく様だ。そんな夜には、地上に風が吹いていなくても、空の高みからごぉっという風の音が聞こえてきたものだ。その音を聞くと、なぜか心が安らぐ気がした。

 おそらく仕事に就いてからだろうか。長い間風の音など気にもしなかったが、コロナ禍以降、在宅となってからは自分の部屋で一人パソコンに向かうことが増えたので、特に冬場など、風の音を再び認識するようになった。風の音が気になる、と書いたのは、そういう意味だ。

 僕の仕事部屋は2階にある北向きの三畳間で、窓からは順光に照らされた田園風景が見渡せる。近くには小さな神社の森と竹林があり、風が吹けば視覚的にもそれとわかるのだが、部屋には喫煙のための換気扇が設置されているので、パソコンに向かってキーボードを叩いている時などは、むしろ換気扇の開口部を通して聞こえてくる音で、風が吹いているのを知ることが多い。家の周囲には水田が多く、吹きさらしの地域なので、時には換気扇を逆転させるほどの強風に驚かされることもある。そんなとき、ふと「人間も、理解できない物音に怯える野生動物と大差ないな」なんて思う。

 今でも実家に帰ると、家の周りを散歩することがある。かつての空き地には12階建ての大きなマンションが建ち、空を見渡すことはできなくなった。さすがに深夜出歩くことはないが、多分治安も昔ほどよくはないだろう。そうした環境の変化も相まって、今の若い人たちは空を眺めたり風の音を聞いたりするよりも、ネット動画などに費やす時間の方が多いに違いない。だがそれは仕事を終え、自宅に戻った後も社会とのつながりを断ち切れずにいるということでもある。あの夜、僕が風の音を聞いて安らぎを感じたわけは、僕の意識がほんのひととき、文明や社会のしがらみから切り離されて、本来在るべき場所に戻っていたからではないか。そんな気がしてならない。

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 オージービーフの実力

 以前にも書いたことだが、牛肉は赤身が好きだ。霜降り肉の魅力もわかるのだが、初めのうちは良くても、だんだんと脂が鼻につくようになってくる。結果的にたらふく食べることができない。なんだか騙された気分になる。だがほとんどの和牛は、典型的な赤身の部位であるはずのフィレ肉にまで、しっかりサシが入っている。僕に言わせれば、これではフィレを食べる意味がない。和牛の純粋な赤身!この要求を伝えると、行きつけの精肉店のスタッフも困った顔をする。実際サシの少ない和牛を探すのは至難の業だ。考えた末に、そのスタッフはランプ肉を勧めてきた。これは僕の要求を八割方満たしてくれた。しかもお買い得感がある。と言っても和牛は和牛。まあ、安くはない。

 ある時、昼食用に安い牛肉の赤身肉を買ってきて、ステーキにして食べた。米国産のサーロインで、独特の臭みがあった。しかも容易に噛み切れない。何しろステーキナイフで切り分けるのに苦労するぐらいだから無理もない。そして最後に繊維の塊が口に残った。くそ、二度と買わねーぞ。

 さて、オージービーフ。オージービーフとは、要するにオーストラリア産の牛肉だ。これがなかなか良い。臭みがなく、厚切り肉をステーキにしてもそこそこ柔らかい。おそらく飼料に工夫がされているのだろう。そこでスキヤキにも挑戦してみた。我が家のスキヤキは割り下を使わない関西風。おお!これ、ベストマッチかも。別にもらった牛脂(加工してないやつ)で焼けば、脂の香りがまとわりついて、それでも味わいはしっかり赤身肉。しかも薄切りだからなおのこと柔らかい。何しろ箸でほどけてしまうぐらいだ。これなら何枚でもいけるぞ。

 日本人の脂信仰は今に始まったことではないけれど、最近では盲信とでも呼ぶべき域に達している気がする。見事なサシの入った断面を見て「美しい!」と言う人がいる一方で、「うえぇ、見ただけで胃がもたれる」なんて言う人もいることを忘れちゃいけない。

 脂が美味しいから脂の多い肉牛を育てる。その発想はフランス人のフォアグラに対する考え方と似ている気がする。だが海外には、赤身をいかに美味しく食べるか、という問題を追及する業者も多い。実際アメリカにも、和牛ほどではないものの、柔らかな美味しい牛肉は存在していて、これは牧場主の努力によるところが大きい。しかもサシなど一切入らない赤身肉だ。勿論高価で、スーパーなどに並ぶことはない。フランスには牛肉を熟成させることによって、いかに味わい深い赤身を作るかということに心血を注ぐ精肉業者がいる。彼の手がけた赤身肉は小豆色で、えもいわれぬ熟成香があるという。これも高価で、どちらも限られた店でしか食べることができないそうだ。

 話が大きくなりすぎた。オージービーフの話だった。今回確信したのは、スキヤキや牛丼の具だったら、オージービーフで必要十分だということだ。ことに牛丼の具など長いこと煮込むので、和牛で作ったら(そんな酔狂な人いないと思うけど)、脂が溶け出して肉のかさが減り、ツユは浮き脂だらけになってしまうだろう。なお、スキヤキに関しては脂が少ない分、牛脂を適宜補うことをお勧めする。ステーキは和牛よりは多少堅いけど、まあ、そのために歯があるわけだからね。あるでしょ?歯。

 工夫次第で美味しい牛肉が食べられる、そんな可能性を秘めたオージービーフ。こいつはちょっと侮れない。しかも安い!そういえばあまり見かけないけど、オージービーフのフィレって一般には出回ってないのかな。でもアマゾンならフィレブロックが手に入りそうだから、今度試してみよう。

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 ヘンなものを買った。

 いや、別にヘンじゃないけど、今それ?っていうようなもの。それはラジカセです。CDプレイヤーがついていない、正真正銘のラジカセ。しかもモノラルでーす。

 WINTECHというメーカー(?)で、とてつもなくレトロなデザイン。実はここ数年、地元のケーズデンキに行くたびに目にとまり、気になっていた。知らないブランドだし、7,000円ちょっとのラジカセなんて、そのうちなくなっちゃうんだろうな、もうちょっと考えてみて、その時なくなっていたら諦めよう、などと考えつつ数年が過ぎ・・・おお、まだあるぞ。「これはね、神様がキミに『買いなさい』と言っているんだよ」そんな声がどこからともなく聞こえてくる。で、結局買った。店員さんが6,000円台まで値段を下げてくれた。アマゾンより安いぞ。良かった良かった。   

 昨年の春にカミさんが新しいノア(車です)を買ってから、運転中にラジオを聞く機会が増えたことは前に書いたと思う。何しろ手間いらずで、勝手に新しい情報がどんどん耳に入ってくる。それを家庭でも堪能したいと思って、とうの昔にオーディオラックから撤去してあったチューナーを改めて接続してみたんだけど、深窓の令嬢のごとく、一向にしゃべってくれない。仕方がないからラジオ買おうかな、でもどうせならラジカセかな、でもFM聞くとなるとステレオ再生タイプが良いよな、でもそれだとでかくて大変かな・・・。頭の中で「でも」を連発しながら、脳裏にチラチラ浮かぶのは、やっぱり今回買ったラジカセだった。

 それは店頭に居並ぶ丸っこくてずんぐりしたCDラジカセのなかで、ひときわ異彩を放つ存在だった。シュッとして、まるで昔の弁当箱を立てたようなたたずまい。幅は3.5センチしかない。昔の機種に比べると大分小さいけど、僕にとってはこのプロポーションこそがラジカセなんだよな。ワンボタンワンファンクションの操作感もシンプルで小気味良いし、しかもラジオは今時何やってんだ感満載のマニュアルチューニングだぜ。いやもう、説明してるだけでなんか楽しい。誰?この商品企画したの。

 さて、うちに帰って早速ラジオをつけて(つけて、だって!)みた。チューニングスケールが短いから、局を探すのが難しい。何しろ本体の横幅からして、20センチもないぐらいだからね。何とか周波数が合ったら、次はロッドアンテナを振り回して、電波が最もよく入る方角を探す。そうだ、昔はいつもこんなことやってたんだよなあ。今こうしてあの頃と同じ事をしていると、いろいろとこみ上げてくるものがある。「ラジオか・・・何もかもみな懐かしい・・・」そんな感じ。つまりラジオを聞くというより、ラジオを聞くための操作を懐かしんでいる感じ。

 そのあと山ほどあるカセットテープを引っ張りだして、いろいろと再生してみた。モノラル再生だし、コンポのカセットデッキの音とは比べようもないけれど、今の僕にはそんなことはどうでも良くて、こんな小さな機械から自分の好きな曲が流れていて、しかもそのまま家中どこへでも連れて行けるのが妙に嬉しい。ちょっと残念だったのは、メタルテープは使わないでね、という仕様だったことで、特に録音には向かないようだ。でも考えてみれば、確かにこの手の機械でメタルテープを使おうなんてヤツはいないだろう。

 問題は、ラジオを聞いていると知らない曲がどんどんかかるので、今の曲何?欲しい!となることだ。今は放送された曲名をネットで調べられるだけでなく、CDがネットですぐに見つかったりする。ちょっとこれ、ヤバいです。カミさんからは「ほどほどにね」なんて言われているのだが、その「ほどほど」とは、一体いかほどのことをさして言っているのか。僕にはまったこわからない。

今時らしく、マイクロSDカードやUSBにも対応している。使う気は全くないけど。

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 一つ明かす。それは土浦市です。

 これまで自身の個人情報は極力伏せてきたが、いろいろと不自由になってきたので一つ明かす。僕の実家は茨城県の土浦市にある。

 年賀状の返信に変えて、古い友人であるSから写真展と写真集の案内が届いた。彼は高校の同級生で、いつぞやどこかで触れた「生徒会会長で文芸部部長で軽音のメンバー」だった男だ。今も土浦市に住んでいて、映像ディレクターをしているそうだ。その彼が「平成土浦百景」という写真集を出したというので購入してみた。

 僕は二十歳を過ぎるまで暮らしていた土浦という街に強い思い入れがある。この街(あえて街と記す)は霞ヶ浦の湖畔にあり、桜川という1級河川の流域でもあって、水際から高台へと続く複雑な地形が独特な風景を作り出している。また、かつては城下町(土浦城、通称亀〔き〕城)だったこともあり、幸いなことに戦災も免れたので、入り組んだ町並みのあちこちに歴史的建築物が点在し、市街地を少し離れると、今でも昭和以前の時代を彷彿とさせる風景が残っている。

 一時は商都として栄えていたが、筑波研究学園都市の完成後、1985年の科学万博を機に直通の高架道路が建設されると、折からのモータリゼーションの普及と相まって、商業の中心がつくば市や郊外の大型店舗に移っていった。その結果、駐車場の少なかった市街地では、5軒あったデパートが相次いで撤退。駅から続く目抜き通りもシャッターが降りたままの店が目立つようになり、時を経た今では人影もまばらな寂れた通りになっている。一方郊外では、現在も広い駐車場をもつ大型店舗の進出が続いていて、市全体としては賑わいを取り戻しつつあるという。だが昔を知るものにとって、慣れ親しんだ商店街が廃れていく様を目の当たりにするのは、やはり寂しいものがあった。

 Sの写真集は手作り感のあるこぢんまりとした体裁のものだが、その内容は充実していて、よくぞこれだけの場所に足を運んだものだと感心させられる労作だった。さらに一般人なら見落としてしまいそうな撮影ポイントまで具(つぶさ)に取り上げられていて驚かされた。例えば桜川の支流に架かる小さな鉄橋など、実はその昔、僕も絵に描いたことがあるのでよく憶えているのだが、当時は幹線道路からは一切視認できない隔絶された場所で、周囲に人家はなく、数日にわたって絵筆を走らせている間、線路の保守要員以外の一般人に出会ったことは一度もなかった(※)。駅東口の開発によって人目に触れるようにはなったが、今も部分的に樹木に隠されていて、それとは気付きにくい場所だ。それから、Sが「巨木のある小径」と記述した薄暗い坂道。この坂には俗称があって、その名も「くらやみ坂」という。小山を切り通して作られたため、道の両側はむき出しの土の壁で、頭上には巨木の枝葉が生い茂り、日中も陽が差すことはほとんどない。だがそんな「くらやみ坂」にも、以前は道の途中に一カ所だけ、建物や木々の合間を縫うようにして西日が差し込む場所があり、夕日に染まる土の壁と木陰のコントラストが美しかった。今はどうなっているかわからないが、そんな光景も、彼の写真集に出会わなければ生涯思い出すことはなかっただろう。

 「平成土浦百景」を見返しているうちに、改めて今の土浦を撮り歩いてみようかな、という気持ちが頭を擡(もた)げてきた。長い月日が過ぎたあとなればこそ、未だに訪れたことのない名所や、昔と変わらない風景を探し歩くのも一興だろう。もう少し暖かくなったら、具体的に計画を立ててみようと思う。

※ ちょっと探したら出てきた。なんて物持ちがいいんだ、オレ。高校3年の頃の作品で、晩夏の午後の風景だったと思う。今見ると力づくで描いている感じだ。画面に上手く収まるように、橋桁を実際の鉄橋よりも若干短く描いている。現在は画面の手前(当時は空き地だった)と、奥に見える鉄橋の向こうにも家が建ち並んでいる。

付記 ふと思い立って、「くらやみ坂」をストリートビューで確認してみたところ、なんと木々が伐採されて格段に明るい道になっていた。驚くことにYoutubeにも動画があって、やはり木々はすでに伐採されていた。おそらく防犯上の問題だろう。

 この坂を登り切る直前で右に折れると、こちらは今でも恐ろしげな人気のない小径が続く。その先には高校野球で有名な土浦日大高校があり、コメントによれば、「くらやみ坂」は生徒たちにとって、土浦駅方面に向かう近道になるので、生徒指導のおりに「注意を要する道」「通ってはいけない道」としてよく話題に上るらしい。つまり日大高校出身者の間では有名な場所だったわけだ。

 ところでストリートビューの日付は2022年7月、Youtubeの動画は2020年1月。「平成土浦百景」は2017年発行だから、Sがこの場所を撮影したのはおそらくその数年前あたりか。その頃にはまだその名にふさわしい面影があったようだが、現在の様子からは「くらやみ」という文言は逆立ちしても出てこないだろう。「くらやみ坂」の名は、文字通り歴史の闇の中に消えていくのだろうか。それとも道の俗称として存続するのかな。

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 新年、明けはしたんだが・・・

 昨年最後の記事で「穏やかな良い年になりますように」とは書いたものの、明けてみれば元日から大地震に飛行機事故と、とんでもないニュースの連続。「おめでとう」という言葉を使うことが憚られる正月って、いったい何なんだろう?日本は大丈夫なんだろうか?

 さて、今年はいろいろと事情があって、3日に日帰りで帰省した。帰省と言っても、車で1時間ほどの距離だ。帰省する時に必ずすることがある。まず午前中のうちに家族で実家の近場にあるショッピングモールに寄り道し、アンティークショップを覗く。さらに駄菓子屋コーナーを経て食品売り場に行き、毎年恒例の駅弁大会を覗く。今年は娘の希望で、いつも混み合っている洋菓子店にも寄った。こうしていろいろと買い込んだあと、実家に赴(おもむ)くのがいつものパターンだ。

 兄夫婦が「正月料理に飽きたから、うちの分も駅弁を買ってきてくれ」と言うので、昼食は実家で駅弁パーティーと相成った。午後からは兄と僕だけで、老舗の模型店に行く。この店はその昔、まだサンタクロースが我が家を訪問していた頃からの付き合いで、当時工作材料として一般的だったバルサ材や、ゴム動力で飛ぶ、角材や竹ひご、ニューム管(知らないでしょう。「アルミニューム管」の略です。「アルミ管」で良さそうなもんだが、何でニューム管?)などで作る模型飛行機のキットも扱っていた。東日本大震災を機に移転して、旧店舗がなくなってしまったのは残念だが、残っていた古いキットや中古プラモがいまだに並んでいてちょっと楽しい。2代目(多分)が一人で切り盛りしているのだが、高齢なので最近は客が来た時だけ、奥から出てくる。その筋では割と有名な店で、タミヤ模型の会長である田宮俊作氏も訪れたことがあるらしい。

 今年はレベル(プラモデルのメーカー)の1/174 B52戦略爆撃機のキットを見つけた。組み立て説明図によれば1977年のもののようだ。箱の角は擦れて白くなり、一部破れたところをセロハンテープで止めてある。同梱のアンケート葉書には「20円切手を貼ってください」とある。まさしく当時もの。しかも箱絵に見覚えがある。というわけで即買い。兄も何やら見つけて購入したようだ。これが兄と僕の、盆と正月における恒例行事なのだ。だが今年は例年と違って、ちょっと気になることがあった。

 店主は以前から足が悪かったのだが、今回は店に出てくるのにも苦労していた。接客のために立っているのが気の毒なぐらいだ。以前に比べて口数も少なくなり、それにならうように商品の数も少なくなった。そうか、仕入れもままならないのか・・・。

 帰り道、僕らは車の中でこんな会話をした。「あの店が無くなったら、俺たちはどこへ行ったらいいんだろうね。」「昔から、子供が遊びに行けるような楽しい店だったからな。あんな店、他にないよ。」「今のプラモデルは大人の趣味というか、子供が小遣い握りしめて買いに来るような代物じゃなくなっちゃったよなあ。」「だからほら、とうに潰れたA店もB店も、子供の姿なんてなかったじゃんか。大人志向でさ。あの頃から何かがおかしくなったような気がする。」

 勿論子供向けのプラモデルは今も存在する。ただしそれはゼンマイやモーターで動くおもちゃ的なものではなく、あくまでもディスプレイモデルで、大人でも満足できる完成度だ。しかもスナップキットという接着剤を使わないはめ込み式のものが多い。当時のプラモデルと現代のそれとでは、概念からして違うのだ。

 僕らにしてみても、今ではプラモデルは「作るために買う」というよりも、「所有して安心する」あるいは「思い出を蒐集する」といった、本来とは全く違う目的で買い求めることが多い。まあ、大人になっちゃったからね。でも、だからといって周りを見回してみても、僕たちが昔そうであったような子供はもういないような気がする。不謹慎を承知で紹介するが、今回の能登地震で被災した小学生が、始業式が遅れることについて「授業が遅れることが不安です」なんて言っていた。僕たちの頃はそんな心配は親任せだったけどなあ。だって、小学生だよ?当然、「やった!休みが増えた!」という反応だろう。

 いずれにしても、あの老舗模型店は僕らにとって最後の砦だ。今しばらくは存続してくれることを願ってやまない。

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 日本人として

 28日に餅をついた。と言っても、カミさんの実家での話だ。

 僕の生まれ育った家では餅をつく習慣はなかったのだが、結婚して、兼業農家であるカミさんの実家とのお付き合いが始まってからは、毎年のように餅つきに便乗させてもらっていて、兄の家族も車で1時間あまりの距離を厭わずに駆けつける。以前は任せっきりの部分が多かったが、今ではその作業の半分近くを僕の家の者がするようになった。ほぼ1日がかりの行事なので、昼はついたばかりの餅をいろいろな味付けで食べる。これが美味しい。

 当日は朝から雲が多く、寒さが心配だったが、昼前から青空が広がり始めた。そういえば餅つきの日が荒天だった記憶がない。僕は餅米を蒸す担当なので、年季の入ったかまどが設置してある、薄暗い小屋の中で火の番をする。そのせいか、小休止や昼食の時に見上げる空の青さは目にしみるようだ。遠くに見える葉をすっかり落としたケヤキの大木が、まるで空を掃除する竹箒のように枝を伸ばしている。いつもより、時間がゆっくりと過ぎていく。そんな空の風情を眺めながら、例年のように具だくさんの田舎雑煮をすすっていると、この国に暮らす者にとっては、こういう生活が本来なんだろうな・・・そんな気がした。

 何はともあれ、新しい年が穏やかな良い年になりますように。