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 映画の中の食事(4)

 4回目にして重要な映画を忘れていたことに気付いた。このコーナーを作ったからには、「ティファニーで朝食を(1961)」を取り上げねばなるまい。何しろタイトルに朝食、と謳っているんだからね。

 オープニング・シーン、朝まだきのニューヨーク、フィフス・アヴェニュー。「ティファニー」の前でタクシーを降りた、夜を徹してのパーティー帰りとおぼしき主人公ホリー(オードリー・ヘップバーン)が、紙袋からテイクアウトのデニッシュ(と珈琲、多分)を取り出して囓る。その囓った跡がとっても可愛い!・・・まあ、それはどうでもいいんだけどね。そんなことより、1961年に簡易カップ(蓋付き)のテイクアウト用珈琲があったことに驚く。そういう商品を扱う店がすでにあったってことだもんね。やっぱりアメリカってすごいわ。

 戦争映画の名作「レマゲン鉄橋(1969)」では冒頭、小競り合いの末に敵の拠点を占拠した米軍の中尉が、ドイツ兵の食べ残したチキンを囓るシーンがある。あれは多分手羽元だな。ここでなぜか僕の脳内では、KFCの味が再生される。KFCの一般的なセットは手羽元は1本だけ。全部手羽元だったら狂喜乱舞するところなんだけどなあ。それはともかく、このシーンでは誰とも知れない他人の食べていたものをよく食えるな、といつも思う。でも戦争ってそんなものなんだよな。

 戦争映画にしてホラーという変わり種、「ビロウ(2002)」では、敵艦から逃れるために無音潜行中の米潜水艦内で、士官の一人がオイル・サーディンの缶詰を頬ばるシーンがある。以前に紹介した「眼下の敵」とは真逆の状況だ。さすがは米軍というか、勝手に物を食っていても上官がとがめる気配もない。缶から手づかみで食うのだけれど、これが美味そう。現在そのへんで売っているオイル・サーディンは身が小さくて大して美味しくもないが、ここにでてくるものは鰯が丸々と太っていて、ちょっと食べてみたくなる。なにしろたった1尾で「頬ばれる」大きさだ。

 さて、以前にも取り上げたことのある「2001年宇宙の旅(1968)」では、月面を移動するムーン・バス内で、正体不明のモノリスを調査するためのチームが腹ごしらえにサンドイッチを食べる。その時の会話が楽しい。「これはチキンサンドかな。」「味はそうですよ。もと(原料)がどうであれ、ね(笑)。」さりげなく未来を示唆するシーンだったが、2001年はもはや過去。現実にはそこまでいかなかったなあ。宇宙食とは言っても、いまだに合成食品までは開発されていない。もしかして、原料は大豆ミートだったりして。ついでに言うと、月までの旅客便(客は1人だけの特別便だけど)の中でも食事するシーンがあるが、ストローで吸うタイプの宇宙食が、ストローから口を離すとストンと落ちる。無重力という設定なのに、だ。さすがのキューブリック監督も見落としたか、とマニアの間で話題になった。しかし、調査チームが月面でサンドイッチを食べているのに、月ー地球間の航路を運行する旅客便(キャビン・アテンダントが乗っている)が流動食というのはどうも解せない。無重力ゆえの制限があるのだろうか。確かにパンくずとかが客室を舞っていたりするのは嫌だけど。

 最後はノーベル賞作家、スタインベックの原作を映画化した「怒りの葡萄(1940)」。1930年代のアメリカ。土地を追われた小作農一家がカリフォルニアへの移住を決意するが、それを拒むちょっとボケの入った爺様(主人公の祖父)を車に乗せるために、好物のスペアリブで誘って鎮静剤入りの珈琲を飲ませ、家から連れ出すシーンがある。ここでは実際に食べはしないが、前日の食卓には確かにそれらしいものがあった。スペアリブといえば味はいいが、所詮は余り物のような部位だ。だが、当時の小作農にとってはご馳走だったに違いない。「(まともな)豚肉が食えるのはクリスマスだけ」というセリフがあるぐらいだ。この爺様、旅の疲れからか次のシーンでは卒中で亡くなってしまう。天国で、スペアリブはたらふく食えただろうか。

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 またしても老医師にしてやられた話。

 先日、人間ドックで引っ掛かった肝臓の再検査に行ってきた。人間ドックを受診した昨年10月以降、アルコールの摂取量は3割ほど落としてきたつもりだ。その結果がどう出るかが今回のキモだ。

 そもそも僕はかかりつけの病院というものがないので、大腸ポリープの時にお世話になった総合病院を4年ぶりに訪れた。例によって紹介状があるので、今回の受診もサクサクと進む。診察室1、担当医は・・・関西の大都市のような名前の先生だ。入室すると、見事な白髪の、僕より二十は年上であろう老医師が椅子に座っていた。何だろう、この感じ。前にもこんな経験をした覚えがあるぞ。

 簡単な問診のあと、血液検査に回された。予想どおりの展開だ。結果が出るまで45分ほど待ち、再び診察室へ。椅子に座ると、老医師はおもむろに語り始めた(言っておくが、僕は今、意図的に「語り始めた」と表現したんだよ)。「今日の結果には異常は無いね。でも去年の10月の頃は問診票に書いてあるよりも飲んでたよね?」「はあ、1.5倍ぐらい・・・」「でしょ?そうじゃないかと思ったんだ。しかもビールだけじゃないでしょ。」「まあ、ジンとかテキーラとか・・・」「うん、そうだろうねえ。でも、生活習慣の改善でここまで数値が戻ってるから、今の飲み方を続けるといいね。肝臓そのものには異常は無いようだから。それでね、この、血圧なんだけど、いつもこんなに高いの?」「そうですね。でも、ドックで再検査とか言われたことは一度も無くて・・・」「うん、医者もいろいろだからねえ。」「・・・いろいろ、なんですか。」「うん、そう。それで、仕事のほうは?」「今は在宅ですかね。」「在宅かあ。いいなあ。家に居て、特にストレスとかは溜まってたりしない?暇をつぶす趣味とか持ってるの?」「ストレスは別に感じてないですね。趣味はむしろ多い方で、たとえば料理とかプラモデルとか。」実は僕がこう答えたことでその後の会話の流れが変わってしまったんだなあ。老医師の目が急に輝きだして、「料理するんだ。僕もやるんだよ、料理。どんな料理作るの。」「結構時間のかかる、凝った料理もやりますね。」「いいねえ。でも本見て作るばかりじゃダメだよ。家にある材料で、いかに美味しいものを作るか、とか。そうするとね、頭使うから脳が活性化して、ボケがこない。」「あ、僕もそれ、よくやりますよ・・・先生、もしかしてハイカロリーバーナーとか持ってます?」この問いかけは火に油を注いでしまったようだ。「勿論あるよ。1万キロカロリーの(聞き違いでなければ、彼は確かにそう言った)やつが。中華料理には必需品だから。」彼はそう言うとおもむろに自分のスマホを取り出し、画像データをスクロールし始めた。何だか嫌な予感がする。

 何回も何回も指を動かした末に、「これ」と差し出したスマホの画面には、確かにごついハイカロリーバーナーが映っていた。さかんにスクロールしていたのは作った料理の画像だろうか。ここでスライドショーとかは勘弁して欲しい。ふと気付くと、後ろに立っている女性看護士が、「また始めやがったよ、こんにゃろめが。患者も患者だ、アホなネタ振りやがって」という顔をしている。これはヤバイ。このままでは敵の術中にはまる。何とかしないと。「と、ところで、血圧の方なんですけど・・・」「ん?ああ、血圧か。血圧ね。これ、ちやんと受診して降圧剤もらった方がいいよ。降圧剤飲むと、寿命が5年延びるからね。あー、煙草も吸うんだね。そろそろやめたら?やめてもいい歳だよ。煙草やめると寿命がさらに1年延びる。」どうやら軌道修正は成功したようだ。老医師は話し足りないような顔をしていたが、こうして僕は、這々の体で診察室をあとにしたのだった。

 この記事は会話の部分をかなり端折っていて、実際には料理に関するご高説を他にもたくさん拝聴した。肝臓の話をどのくらいしたかは憶えていないが、それ以外の話題の3割にも満たなかったと思う。またこれかよ。僕はこうした状況を引き寄せる何かをもっているんだろうか?

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 SFにおける宇宙船のデザインについて(2)

 (前回より続く)ところでずっと気になってたんだけど、「宇宙戦艦ヤマト」のロケットノズルは本当に必要なのだろうか。映像では波動エンジンと連動しているようにも見えるが、設置されている理由がよくわからない。そういえばスター・ウォーズの「スター・デストロイヤー」もロケットノズルがあったっけ。ところで皆さん、知ってます?実はスター・トレックの「エンタープライズ」もノズルをもっているんだよ。通常航行用インパルス・ドライブのためのもので、ちょっと見ノズルには見えないデザイン。噴射するのはプラズマ変換された重水素だそうだ。エネルギーはワープ・ドライブの推進器と共通。合理的。でも後に主機が不調でも緊急航行できるように独立したシステムとなる。

 合理的といえば、映画と言わず小説と言わず、SF作品を作る側は、その世界観に合理性を持たせるために数多くの発明をしてきた。たとえば「機動戦士ガンダム」の世界には「ミノフスキー粒子」なるものが存在する。レーダー等の探知装置を無効化するので、目視による接近戦が必至となる。だからモビルスーツのような白兵戦兵器が重用され、感覚の鋭い「ニュータイプ」が兵士として必要になったわけだ。ここでちょっと突っ込みを入れると、視覚重視、しかも暗い宇宙で戦うのにガンダムやホワイトベースのようなカラーリング(白が基調)って、普通に考えてまずあり得ないよな。

 「レンズマン」シリーズや「スカイラーク」シリーズで有名なSF作家、E.E.スミスも「バーゲンホルム機関」なるものを発明している。これは慣性をゼロにする装置で、これを作動させればどんなに急激に加速、あるいは減速しても、宇宙船の中には何の影響も生じない。つまり、Gを感じない。だから人体の限界を考慮することなく、推進装置の性能いっぱいの加速・減速ができる。逆にこの装置がないと、超高速から何らかの理由で緊急停止した際に、搭乗クルーは前方の壁に叩きつけられて全員死亡!もっと言うなら、船体に固定されていないもの全てが速度を維持したまま船首を突き抜けて飛んでいく、なんてことが起こりかねない。これに近い状況を「シドニアの騎士(※1)」でやってたっけ。

 ところで前出の「エンタープライズ」には、航路上に無数に存在するスペースデブリ(微少なチリ)を除去するための「デフレクター」なる装置がある。いかに微少なチリとはいえ、光速に近い速度で船体に衝突するととんでもない損害を与えるからだ(※2)。さらに面白い話として、ワープ航法では相対性理論の影響を受けない設定だが、通常航行用のインパルス・ドライブではいわゆる「ウラシマ効果(後述)」が発生するため、使用は光速の25%のスピードまで、と制限されているそうだ(システム上は80%まで可能)。「スタートレック」ではこうしたマニュアルが早い時期から細かく設定されていた。それを解説した文献もあるぐらいで、初出は1966年ながら、実にマニアライクなシリーズだったのである。

 要するに、本気で超高速航行を実現しようとすれば、それに付随して解決しなければならない問題が山のようにあって、単に推進器の開発だけでは終わらない、ということだ。たとえば、宇宙では「普通に止まる方法」も考えないといけない。宇宙空間はほぼ真空なので、自動車のようにブレーキをかける(何かとの摩擦によって止まる)ということができないからだ。勿論飛行機のエアブレーキも無効。原理的には船体を180度回転させ、出発したときと同じ加速度で同じ時間「逆」推進し続ければ止まることは止まる。けれど、この方法ではいつ、どこで止まるかをあらかじめ決め、かかる時間を逆算して停止するためのプロセスを開始する必要がある。これではストーリーが成立しにくい。だから最近のSF作品ではこのあたりは良心的(?)にスルーしていて、難しい理論や技術は「解決済みの既成事実」として扱われることが多い。しかも光速を越えて移動しても時間の遅れなんて生じない。相対性理論から何から、全部無視。実際そうでもしないと、たとえば超高速で逃げ出したルーク・スカイウォーカーが、戻ってきてみたらダースベーダーは老衰でとっくに亡くなっていました、なんてことになる(これがいわゆるウラシマ効果)。話が進まないよね。いや、進み過ぎか。だったらもういいやって。一時期考証にこだわりすぎた時代があって、ぐるーっと一回りしちゃったんだろうねえ。

※1 日本のSF漫画作品。後にアニメ化(2014)。全長35㎞に及ぶ植民船「シドニア」が地球外生命体から攻撃を受けた際、緊急に急旋回・急加速等の回避行動を行ったために警報が間に合わず、身体を固定できなかった搭乗員が慣性によって内壁に叩きつけられ、多数が死亡するという場面がある。

※2 直径3ミリの小石が1立方メートルあたり100個浮かんでいるとして、それらが音速で人体に衝突したらどうなるかを想像してみてください。小石がもっと小さくても、衝突速度が大きくなれば同じ事。物体の持つエネルギーは、速度の二乗に比例するからだ。

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 SFにおける宇宙船のデザインについて(1)

 宇宙SF映画のブームが一段落して久しい。最近大がかりな宇宙もののSF映画を見た記憶がほとんど無い。「デューン」が再映画化されたぐらいか。マニアとしては少し寂しい。一時期、「スター・トレック」「スター・ウォーズ」「宇宙空母ギャラクティカ」といったシリーズが次々に制作され、スクリーンは斬新なデザインの宇宙船で埋め尽くされていた。ことに「スター・ウォーズ」では、戦闘艦や商業船・貨物船、果ては個人所有のものまで数多くの宇宙船が登場した。ただし、「遠い昔、遥か銀河の彼方で・・・」ということだから、ここには地球人の宇宙船は登場しない。一説によれば、ある宇宙船のコクピットのスイッチに「トラクター(牽引)・ビーム」と英語で表示してあったそうだが、これは単なるミスかジョークの類いだろう。

 その昔、地球人の乗る宇宙船のほとんどは紡錘型、いわゆる「ロケット」で、炎を噴射しながら宇宙を飛びまわった。一方異星人の乗り物は言わずと知れた「空飛ぶ円盤」。じゃあ、人類が円盤に乗ることは全くなかったかというとそうでもなくて、1956年の映画「禁断の惑星」では「C-57-D」という地球所属の円盤形宇宙船が登場する。これが初めて人類が「円盤」に乗った記念すべき瞬間らしい。その直後の「宇宙家族ロビンソン」というTVシリーズでも「ジュピター2号」なる円盤形宇宙船が使われていた。そしてこの時期にTV放送されていたもう一つの宇宙SFシリーズが「スター・トレック」だった。ここに登場した「エンタープライズ号」のデザインは今までに類を見ない斬新なもので、「遠い未来、宇宙船はこんなふうになっていくであろう」という説得力にあふれていた。一方SF小説の世界では、「宇宙船ビーグル号」や「スカイラーク号」など、完全な球形のものが登場している。これらはスター・ウォーズに登場した「デス・スター」の原型と言ってもいいだろう。ただし「デス・スター」はどちらかといえば「軌道要塞」で、長距離航行ができるかどうかはわからない。

 1955年の「宇宙征服」は、当時としてはよくできた映画で、ここには火星探検用の有人宇宙船が登場する。地球の衛星軌道上で建造されるので、地球の重力場を脱出するための燃料を必要としない。球形の往路用燃料タンクは剥き出しで、火星到着前に破棄される。巨大な翼を持った本体は、当時火星の大気にある程度の気圧が期待されていたことから、火星着陸のための滑空に使われた。最後は本体の一部を垂直に立て、ロケットとして帰途につくという、当時の科学技術に裏付けられた、現実味のある構造をしていた。出発時に強大な加速Gによってクルーの顔が歪むシーンがあって、なかなかリアル。でもどうやって撮ったんだろう。後に日本のSF特撮映画「妖星ゴラス(1962)」がマネをしていたが、こちらは掌で引っ張っているのが見え見えだった。そして1968年、のちにSF映画の金字塔と言われる作品が登場する。「2001年宇宙の旅」だ。

 「2001年宇宙の旅」は、完璧主義者であるスタンリー・キューブリックと、英国惑星間協会の会長でもあったハードSF作家、アーサー・C・クラークのタッグによって生まれた。ここに登場する有人木星探査船「ディスカバリー号」は「宇宙征服」の火星探査船の延長上にあると言っていいだろう。同じように衛星軌道上で建造され、推進システムは原子力イオン・プラズマ方式。当時から実現可能とされていた遠距離航行用のシステムだ。原子炉はクルーの安全確保のため、エンジンブロックと一体化して居住区から最も遠い最後尾に置かれ、船首の球形居住区の赤道部は常に緩やかに回転していて、遠心力によって疑似重力を発生させている。居住区とエンジンブロックを繋ぐ細長い船体は物資の貯蔵タンクと地球との交信用アンテナで構成され、その外壁には各種装置や配管が剥き出しになっている。この発想は後の「スター・ウォーズ」などの宇宙船のデザインにも取り入れられ、これ以降、宇宙船の外壁が細かなディテールで埋め尽くされるようになった。こうしてモデラーの悪夢の時代が始まったのである(なんのこっちゃ)。

 勿論流麗なデザインの宇宙船も無いわけではない。日本のSF大河小説「銀河英雄伝説」がアニメ化された(1988年の劇場版)際の、帝国軍将官ラインハルトの搭乗艦である旗艦「ブリュンヒルト」(なぜSFにおける「帝国」は、どれもこれもドイツっぽいのだろうか?)のデザインなど、秀逸と言っていい。

 最近ホラーやSFの分野で頑張っているのがロシア映画。ドラマはイマイチながら、目を見張るようなCGがウリ。SFで特に印象に残っているのが「アトラクション 制圧(2017)」。ここに登場する異星人の宇宙船は、昔流行った「地球ゴマ(独楽)」のようなデザインでなかなか印象的だった。ロシアもやるじゃないか。戦争なんかしてないで、もっと映画作れよ。そういえば似たようなメカで、これは宇宙船ではないけれど、「コンタクト(1997)」に登場した「空間移送装置」も良いデザインだった。原理はよくわからないのに説得力だけは半端じゃなかった。ついでに言うと、主役を演じた30代のジョディ・フォスターが綺麗だったなあ。間近に見る銀河系中心部の景観に負けてなかった気がする。

 最期に、とても気に入っている宇宙船のデザインをひとつ紹介する。これを初めて見たとき、「人間にこんなものがデザインできるんだ」と、マジで思った。それが、今ではSFホラー映画として有名な「エイリアン(1979)」に登場する、異星人によって遺棄された宇宙船。スイスの幻想画家、H.R.ギーガーによるデザイン(ちなみにエイリアンそのものも彼がデザインした)。「ギーガーさん、あんた、本当は人間じゃないでしょう」と言いたくなるほど人間離れしたデザインだった。当時はどっちに飛ぶのかさえわからなかったもんね。