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 断捨離の日々 7 レーザーディスク等

 以前買取を断られたレーザーディスク(以下LD)を買い取るという総合買取業者が見つかったので、来てもらうことにした。やってきたのはTシャツ姿の気の良いオニイサンと言った感じの人で、最初から気を使わずに会話することができた。

 彼は見かけの割にはやることが丁寧で、ディスクを1枚ずつ確認していくのでそれなりに時間がかかった。こちらはこちらでもしかしたら、と思うレアものを4枚用意して作業が終わるのを待っていたのだが、査定しても大した金額にはならなかったので、これらは売らないことにした(ちなみにうちにはかろうじて動くLDプレイヤーがある)。

 今回の業者は他とは多少毛色が違っていて、アクセサリー、と言ってもメッキ物や安物でもいいからないかという。「あるいは動かなくなった腕時計や古いジッポ(ライター)でもいいんですけど」「ああ、そんなので良ければ結構あるよ」そう言ってカミさんにいらなくなったアクセサリーを持ってきてもらい、僕は何となくしまってあった、今は動かない腕時計数本と、故あって増えていったジッポ・コレクションのうち、特に思い入れのないモデルをいくつか出した。「こんなのでいいのかな」と聞くと、全然オッケーです」と言ってLDの査定額に数千円が上乗せされた。いったいどんなシステムなんだろう?溶かして金属として売るのかな。まあ、何でもいいや。

 LDはLPレコードよりも重いので積み込みを手伝うと、彼は「この辺の人はみんな優しいですね」と言う。僕が「基本的に田舎だからねえ」と言うと、「僕は千葉県在住なんで地元はここら辺とあまり変わらない雰囲気ですが、それでもこの辺の人のほうが優しいです」そんなもんなのかねえ。茨城だってピンキリだと思うけどなあ。

 最後にふと思いついて、ニコンのF2を見せた。「2台あってもしょうがないから、1台持って行くかい?」と聞いたら、「あ、ありがたいです。良ければ持って行きます」と言うので査定してもらったところ、某カメラショップの査定額より少し高めだったので、これも手放した。よし、これでちょっとした小遣い稼ぎにはなったな。またカミさんと山分けだ。

 さて、先ほど売らないことにした、と書いた4枚のLDを少し紹介しておく。

 まず「ヤマト わが心の不滅の艦」、これは「宇宙戦艦ヤマト復活編」および未完のシリーズ「YAMATO 2520」のメイキング。特筆すべきは後者に登場する「18代ヤマト」のデザインを、インダストリアルデザイナーでイラストレーターのシド・ミードが担当したことで、そのデザインの変遷やカラーテストの様子を見ることができる。彼は映画「ブレード・ランナー」で近未来のロサンジェルスや小道具をデザインしたことで有名だ。僕の知る限り、メディアはVHSとLDのみ。

 次に「ザ・キープ」。これは1983年に公開されたホラー映画で、もともとは3時間の長編が配給時に90分にカットされ、これに腹を立てた監督のマイケル・マンがごねたために、ソフト化が進まなかった。現在は海外版のBDが手に入るが、日本語字幕があるのはこのLDだけのはずだ。今ではマニアの間でカルトムービーとなっている。

 「ビッグ・ウォーズ 神撃つ朱き荒野に」は1993年のOVA。原作は「紺碧の艦隊」シリーズの荒巻義雄。メディアはVHSとLDのみ。

 「リヴァイアサン」は1989年公開の海洋SF(クリーチャー)映画。評価は賛否両論だが、これもちょっとしたカルトムービーになっているらしい。BDは海外版だけだと思う。LDには日本語字幕が入っている。だがよく調べたら、DVD(レンタル落ちもしくは中古のみ)なら字幕版もあるようだ。

 左 「大和」と「ヤマト」。で、右上に直立しているのが「18代ヤマト」。フォルムは似せているがイメージはかなり違う。右 「ザ・キープ」。僕たちはこういうのをカッコいい、と言う。
 左 「神撃つ朱き荒野に」陸上戦艦が火星の砂漠で異星人と交戦中の図。右 「リヴァイアサン」「エイリアン」を海底でやっているようなストーリー。クリーチャーの出来は割といい。CGのない時代に善戦している。

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 断捨離の日々 6 プラモデル その2

 (前回の続き)15分ほどして先方から返信の電話がかかってきた。「どうも先ほどは。それで出張買取の件なんですが、担当者が行くって言ってます」「えっ!それはありがたい。でもまた、どうして…」すると電話口の彼は笑いながら「いやあ、こういう商売をしていると、スタッフも趣味人が多くて…彼は釣りが好きなんですが、お宅がひたちなか市だと聞いて、ついでに海辺を回って釣り場の情報収集をしてこようかな、と…まあ、そういうわけで」この令和の時代に…なんかいい話だなあ。おかげでこちらも一安心だ。

 出張買取当日、やってきたのはオールバックにした髪を後ろで縛り、ジーンズにレザー風のベストを着た、いかにも趣味人といった体(てい)の男性だった。年齢は40歳前後だろうか。彼が到着したとき、乗ってきた車の音が聞こえたのだが、明らかにマフラーは変えてあった。釣りに車…いや、ホント、趣味人だわ。

 僕からキットの状態を説明した後、彼は「持って帰って検品が済み次第、査定額を電話連絡しますんで」と、今後の段取りを説明し、いそいそとプラモデルを車に積み込み始めた。件(くだん)のドーラ(前回参照)は僕も手伝って、2人がかりで積み込んだ。

 作業が終わった後、僕は彼の車をよく見ようと一緒に外へ出た。彼は「車が好きで、この車体も足回りを組んでマフラーを交換したんですよ。エンジンはいじってないんですけどね」「うん、いい音だな、と思っていました。自分の部屋にいると外を走る車の音が聞こえるんでね」すると彼が「変わった車をお持ちですよね」と言う。「プジョーがお好きなんですね。この後ろに停めてあるのは…」「406のクーペです。一時期有名だった、ピニンファリーナ製のやつ」

 彼は我が家の場所をストリートビューで確認したときに、すでにこの車が気になっていたという。「見たこと無い車が停まってるな、と思ってたんですよ。406クーペは知ってますが、実車を見たのは初めてです。手前のセダンも、これって3ナンバーが2桁なんですね」「今年で27年目かな。プラ製部品はボロボロだけど、まだまだ元気ですよ」「いいですよね、このころのデザインって」そう言いながら彼は車の周囲を回り、いろんな方向から眺めていた。これは車好きの習性だ。

 そんなこんなでしばらく予想外の車談義に花が咲いた。うん、趣味の合う人との会話は、掛け値なしに楽しい。

 話がひと段落したところで、彼は「じゃ、そろそろ行きます」と言って頭を下げた。時刻は正午を回ったところだった。僕が「この後は釣り場探訪ですか」と聞くと、「いや、まあ久しぶりに海でも見ていこうかな、と思って」と答え、彼は照れ臭そうに笑った。「天気が良くてよかった。じゃ、気をつけて」僕はそう言って彼を見送った。

 数日後、ショップから査定額についての連絡があった。ドーラは僕が購入した当時の定価ではなく、最新の販売価格をもとにして査定してくれたようで、多少便宜をはかってもらえたかたちだ。総額も妥当な金額だったので、僕は快く買取に同意した。

 うちにはいまだに100近いキットがある。もちろん純粋なコレクションや作りかけもあるので、しばらく売る機会はないと思うが、これで終わりにしてしまうのはもったいない気がした。でもドーラはもう無いから、次は宅配便で送るパターンだろうなあ。やっぱり一度、お店に顔を出そうかな…。ドーラ様、楽しいひと時をありがとう。

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 断捨離の日々 5 プラモデル その1

  僕はプラモデルを趣味の一つとしている。だがここ10年ほどは作って楽しむよりも古いキットを蒐集することのほうが多くなった。それ以前に買ったキットもほとんどが箱積みになっている。その1/3はドラゴン等の中国製キットだ。

 中国のキットはディティールは悪くないのだが、作り手の手間を考えずにパーツ割がされていたりして、作りにくいことこの上ない。「まったく…タミヤを見習えよ」と言いたい。

 そんなわけで、今回こうした中国製キットを中心に、断捨離を決行することにした。なかでも1/35列車砲「ドーラ」(これは香港製?)はどうしても処分したい代物だ。大分前に若気の至りで購入したはいいが、今になってこれを制作するのは年寄りの冷や水というものだ。何しろでかいので、総パーツ数は3000を下らない。今の僕では気力も体力も続かないだろう。

 ちょっと説明すると、これはWWⅡでドイツが2両だけ完成させた超兵器で、ドーラはその2両目。口径80㎝、最大射程48㎞。砲身を含めた全長は約50mで、高さが約11m。現在に至るも世界最大の火砲だ。それを特設した複々線の線路上で組み立て、防空要因を含めて約5400人(!)が寄ってたかって運用する。大きいものが大好きなヒトラーが大喜びで作らせた代物だが、大きすぎて活躍の場はほとんどなかった。

 このキットは前記したように1/35。パッケージの長さは1mを超える。一人で運ぶことは困難だ。台車の車輪は数えるのも嫌になるくらいあるし、その砲身はまるで掃除機のパイプのようだ。完成すると2mのベースに1.6mの本体が載る。考えたら、お盆に帰省した長女が床の上で昼寝しているようなものだ。どこに置くんだ、そんなもん。

 そんなわけで、僕がよく通販を利用している都内の中古プラモ店に電話してみた。ここは確か買取もしていたはずだ。サイトを確認すると「100個以上なら出張買取可」とある。今回は50キットに加えてあの「ドーラ」だ。頼めば何とかなるかもしれない。ところがいざ聞いてみると、先方は「やはり100キットでないとちょっと…」と言う。

 そのかわりに、こちらから送る場合、市販の段ボール箱でドーラの送付に使えそうな規格のものがあるか調べてくれた。どうやら手元でパソコンを開いているらしい。「一番大きいやつだったら入るかな…いや、厳しいか…ギリギリ入らないかも」そんなことをぶつぶつとつぶやいた後、「…とりあえず出張の件は担当者に聞いてはみますが、どうかなあ。ちょっとお時間をください」と言ってくれた。

 そのあと僕が「一度お店にも行ってみたいと思ってたんですよ」と言うと、「どの辺の商品をお探しですか?」と聞くので、「主に昭和のタミヤとかレベル、エアフィックスとかかな」と答えると、「あー、その辺のキットは動きがひと段落してしまって、なかなか入ってこないんですよ。変な言い方ですが、マニアが亡くなって大量にキットが処分されるとかじゃないと難しいかも…」そんなこんなで、中古市場の動向やお店の在庫状況、苦労話などを詳しく話してくれた。先の見えない話題ではあったけれど、好きな分野に特化した会話はそれなりに楽しく、気づけば30分近くたっていた。

 話がひと段落したところで、僕が「ところで、出張買取の件は…」と水を向けると、「あ、そうでしたね。担当者に問い合わせて、こちらからあらためてお電話します」とのこと。「どのくらいかかりますか?」と聞くと「30分以内には」と言うので、「わかりました。お待ちしています」そう言って僕は、いったん電話を切った。(つづく)

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 断捨離の日々 4 レコード、ネクタイ、ビジネスバッグ 

 今回来てもらったのは、TVでもCMが流れている某総合買い取り業者。電話で確認のうえ、レコードとレーザーディスク(以下LD)、ネクタイ、ビジネスバッグを処分するつもりで出張買取を依頼した。

 やってきたのはまたしても若者で、いきなり「やり取りを録音させていただきます」という。続けて申し訳なさそうな顔でこう言った。「最初にお伝えしておきますが、うちで高額買取できるレコードは…」なんでもごく限られたものだけらしい。CMでのうたい文句とはだいぶ話が違う。しかもLDは買い取れないという。だが電話で対応した女性はそんなことは言っていなかった。

 電話の窓口担当がきちんと教育されていないということは、これは会社の信用の問題だ。こんなことだから末端のスタッフが矢面に立たされる。なんだか僕よりもこの若者のほうが気の毒だ。思ったことをそのまま彼に伝えると「すみません」と言いながら、なぜか少しほっとしたような顔になった。

 査定が終わると、レコードは各々が最低限の査定額、ネクタイは一山での査定だった。

 最後に僕の持っている唯一のメジャーブランド、ヴァレクストラのビジネスバッグを見せた。デザインが気に入って30年近く前に購入し、ブランドについてはその後で知った。ヴァレクストラは当時日本ではあまり知られていなくて、正直僕も初めて聞くブランドだった。今の僕にはもう使う機会がなく、ここ10年ほどクローゼットの奥にしまい込んであったものだ。状態が良かったので、このバッグだけはそこそこの値がついた。なるほど、君の会社はこういうのに食いつくわけね。

 ヴァレクストラの査定が終わると、彼は、他にブランド品はないか、という。「無いよ、俺はブランド品好きじゃないから」「え、どうしてですか」「仮に女性がシャネルのドレスを着てたからって、ドレスばかり目立ってたら、それはファッションとしては失敗だろ?それなら初めから自分を活かすアイテムを選んだほうがいい。ブランドにこだわる必要はない」彼は唖然とした顔をした。僕は続けた。「ノンブランドのものを上手に着こなして、相手に『似合ってますね。どこのブランドですか?』なんて言わせることができたら、それが本物じゃないかな。お洒落って、要は着こなしとか使いこなし、もっと言うなら生き様の問題だろ?カルチェのライターに3年で飽きる人間と、安物のジッポライターを修理しながら40年大事に使い続ける人間と、どっちに魅力を感じる?」

 おそらく今どきの若者は、お洒落だの粋だのという言葉の本当の意味を知らないんだろう。その後も彼がいろいろと聞きたがるので、僕は記録用の録音を止めさせ、さらにいくつか、人生の本質(と、僕が勝手に思っている)めいたことを話した。ほんのひと時、教師に返り咲いた気分だった。

 会話の中でわかったことだが、彼はまだ22歳という若さで、しかも本物の知識に飢えていた。地は良さそうだ。あとは彼が何を吸収し、今後どう使いこなすかだ。

 出張買取とは何の関係もない長い会話のあと、最後に僕はこう言った。「今日聞いた話は頭ン中の引き出しにしまっておいて、使うべき時にだけ引っ張り出すといい。じゃないと今の人にはただの嫌味にしか聞こえないだろうから」「わかりました。引き出しですね」外はもう陽が落ちて、暗くなり始めていた。

 「もう遅いから終わりにしよう。今日はお世話になったね」僕がそう切り出すと、やっと彼は体を動かし、「いえ、かえってありがとうございました」と言って玄関のドアを開けた。そして振り向きざまにこう言った。「またいつかお会いしたいです」それを聞いて、僕のなかでわだかまっていた彼の会社への不快感は吹き飛んでしまったようだ。

 「また何か売れるものがないか、探しておくよ。次は君に直接連絡するから。帰り道、気をつけてな」そう言って僕は彼を見送った。うん、いい若者だったじゃないか。Z世代も捨てたもんじゃないな。

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 断捨離の日々 3 エアソフトガン

 今でも時々エアガンやモデルガン(以下トイガン)の手入れをする。ずっしりと重い拳銃やライフル(実銃に近い重量のあるものばかりを購入してきた)のほこりや汚れを取り除き、オイル(シリコンスプレー)を引き、可動部の動作を確認する。はたから見れば馬鹿みたいに見えるかもしれないが、これが楽しい。

 以前はブルーイングを施したりもした。ブルーイングとは本来、スチール製の実銃の表面に専用のブルーイング液を塗布して化学反応を起こし、防錆処理をする仕上げの方法で、現在売られているトイガンの材料である、金属粉を含んだ樹脂にも効果がある。ただしブルーイング液を塗布する前に表面をきれいに磨いておく必要があり、これが結構手間だ。だがうまくいけば実銃同様に青光りする金属まがいの光沢が得られる。

 うちにはかなりの量のトイガンがあるが、よくある話で、気に入って引っ張り出す数は限られている。それ以外は所有欲を満たすために購入したようなものだ。今回、そういった遊びの対象になっていないものの大部分と、故障や破損個所のあるものを処分することにした。

 例によってネットで下調べをしながら業者を選び、長物(ライフルや小銃)が多いので出張査定を依頼。当日やってきた若者はさすがに専門ショップのスタッフだけあって、共通の話題で話が弾み、楽しいひと時を過ごすことができた。特にサバゲー派の彼が知らない時代のトイガンや、メーカーによる再現度の違い、前記したブルーイングの話題などは興味深かったようで、身を乗り出すようにして僕の話を聞いていた。

 そんななかで「六研エラン」という、昨年業務終了した高級モデルガンメーカーの古いカタログと、当時僕がオーダーメイドした現物を出して見せると、「このころ僕、まだ生まれていないかも…奇麗な仕上げですねえ」と感嘆していた。確かに、当時の表面処理は昨今の製品よりも美しい仕上がりだったように思う。

 このコルト1911A1はナショナルマッチ(1935)というモデルで、当時すでに100丁の限定販売が終了していたのだが、たまたま何か問い合わせたいことがあって六研エラン本社に電話したときに、話が盛り上がるなかで「難しいことでもないので、良かったら1丁仕上げて送ってあげましょうか?」と言ってくれた。このメーカーはモデルガンを旋盤加工で手作りするので、ベースが同じであれば刻印やパーツの変更だけでそれが可能らしい。

 僕は先ほど「オーダーメイド」と書いたが、要するにこれは六研エランのご厚意による非公式な受注生産品で、そんな曰くのあるモデルガンだから、もちろんこれは買取の対象にはなっていない。

 さて、今回の査定は品物を持ち帰って後日査定額を通知するというかたちだったが、査定も彼が担当し、結果を所見込みで紙データでも送付してくれたので安心感があった。なかでも数丁出したブルーイング済みのトイガンを「奇麗です」と評価してあったのがうれしかった。多分気を使ってくれたんだろうなあ。

 さらに驚いたのがその合計評価額で、僕の予想をはるかに上回っていた。ブツはまだ半数が残っているので、時が来たらまたこの業者を利用させてもらおう。その時にまだ彼がそこで働いているようなら、また会いたいものだ。

 六研エランのカタログ。かなりのバリエーションだが、2025年の業務終了までにさらに多くの製品をラインナップした。
 これが非公式に発注した「コルトナショナルマッチ(1935)」。武器に「美しい」もないものだが、マニアには見目麗しく見えるのだ。シンプルな2列の刻印がきれいで、そこが気に入っている。
 奇麗でしょ?旋盤仕上げなので完全にフラットで、エッジも立っている。この青黒い色味はブルーイングではなく、特殊なコーテイングによるもの。グリップは木製のあと付け。20年以上前に買った高価なオモチャだ。
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 断捨離の日々 2 オーディオ

 9月、前回書いた断捨離の第一弾として、長年とっておいた古いオーディオ機器を処分した。その中には高校時代から使っていたテクニクスのカセットデッキや、ヤマハのレコードプレイヤーも含まれていた。その他に中古で手に入れたヤマハのA級プリメインアンプや、テクニクスの1970年代のハイエンドカセットデッキ、イギリスの老舗、KEFのスピーカー等もあったが、いわゆる高級オーディオとは言えないものばかりだ。

 出張してもらったのはTVやネットでCMを流しているよく知られた業者だったが、レビューを見ると「期待した金額ではなかった」という意見も多いようだ。実際キャッチコピーを見ると、「高級オーディオを高く買い取る」ということだから、高級オーディオではないうちのブツは買いたたかれる公算が大だ。

 うちに来た担当者は、こう言っては何だが全然面白みのない若者で、通電確認もしないまま30分足らずで査定を終え、0査定がいくつかあります、それらは買い取れません、という。このクラスのオーディオは相手にしていません、と言われた気分だ。査定額がついたものも思った通りの低価格で、ほーら、やっぱり、という感じ。でも予想していたことだし、しゃあないか。

 「処分が目的なんで、0査定のものも持って行ってくれないかなあ」と頼むと「数も少ないし…わかりました、いいですよ」と言って彼は機材を車に積み込み始めた。最後までビジネスライクで、文句を言われる前に仕事を終わらせたい、と言わんばかりの態度だ。まあ彼の立場だといろいろあるんだろうなあ。それはそれで察するに余りある。

 彼が帰った後、置いて言った現金の半分をカミさんにわたし、「思った以上に安く買いたたかれたよ」と声に出して言ったあと、急になんだか複雑な気持ちになった。別に安く買いたたかれることは覚悟していた。じゃあなぜこんな気持ちになるんだ?しばらく考えているうちにその理由が分かった。

 前記したテクニクスのカセットデッキとヤマハのレコードプレイヤーは、今は無き親父と高校生の僕がさんざんカタログを調べ、予算内で最善と思われるコンポーネントを組んだ、その一部だ。カセットデッキはしばらくしてCDに取って代わられ、出番を失くしたが、レコードプレイヤーは2000年に入ってからも使っていた。いわば人生を共に生きてきたようなものだ。でもそれはあくまでもこちらの事情で、当然査定にはかかわらない。要するに、自分の思い入れには何の価値もない、と言われたような気がして、僕は静かに憤慨していたんだ、多分。

 僕がいわゆる買い取り業者を利用するのは今回が初めてだ。今まではカメラの下取りしか利用したことがなかったが、その時は専門的な知識のあるスタッフと楽しくやり取りしながら、納得のいく売買を進めることができた。今回のオーディオについても、もしこちらが納得できるやり取りをした上で話がまとまれば、結果が同じでもこんな気持ちにはならなかったかもしれない。今回やってきた若者は、おそらく会社の作った買取マニュアル通りに動いていただけだろう。そこには無駄なやり取りが一切なかった。人間力の欠如とは、つまりそういうことだ。

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 断捨離の日々 1

 久しぶりにキーボードをたたいている。1か月以上間が空いたので、「このブログが1か月止まったら俺に何かあったのかも…」なんてうそぶいていた手前、何人かの知り合いには心配されたかもしれないが、そんな理由ではないのでご安心を。

 今年の夏は8月中旬からやけに涼しくて、大好きな夏空を見る機会が少なく、おまけに8月後半の台風の影響で、夏の終わりを告げるツクツクボウシの声もろくに聞けなかったので、なんだか拍子抜けしてしまった。

 そんななかで僕にはちょっとした心境の変化があった。とは言うものの、それは「今日から俺は!」であるとか「○○部活やめるってよ」というほど仰々しいものでもなかったんだけれども。  

 それは具体的に言うと、「人生欲しいものがすべて手に入るわけじゃない」という当たり前のことを再認識することから始まった。そこから紆余曲折の末、「自分の人生に本当に必要なもの」を、過去を振り返りつつ整理してみようと思い立つに至り、最終的には断捨離という形になった。で、そもそものきっかけは何かって?だから8月に夏空や蝉の声を満喫できなかったこと。待っていれば当たり前のように手に入るはずだったものが、今年はそうならなかった。それがショックだったんだ。うん。ほんの些細なことから始まったんだよ。馬鹿みたいな話だよね。

 以前からカメラは少しずつ処分し始めていて、例えば古いレンジファインダーカメラやフィルムカメラが最新のミラーレス一眼に化けたりしていたわけだけど、ここに来てレコードやレーザーディスク、エアソフトガン、箱積み状態のプラモデル等のコレクションも見直し、ある程度処分することにした。そのための準備(最小限の手入れや清掃、パーツ・付属品の確認)と選別作業に追われ、それが(ブログの)長い空白の理由の一つでもあった。

 もちろん完璧に無駄をなくしてしまっては人生が味気ないものになってしまうし、思い出深いアイテムもあるので、そのへんを考慮に入れて選別し、買い取り業者に引き取ってもらった。その結果、使っていない往年のオーディオ機器が無くなり、小規模なテロなら2回ぐらいはできそうだったエアソフトガンは半分に(ということは、1回ぐらいはまだいけるか?)、レーザーディスクのほとんどとレコードの2/3も消えた。プラモデルもほぼ半減した。ところが一通り作業を終えてはみたものの、日常生活に変化があったかというとそんな実感はまるでなくて、いかに普段必要のないアイテムがそこかしこに眠っていたかを実感した。これって当初の目的だった「過去を整理する」ことの実現になっているんだろうか。

 さて、この「整理」を実行するにあたり、何か所かの買い取り業者に連絡を取った。もとより金銭目的でもないので、数社の査定を比較するような手間はかけなかったが、予想通りいいように買いたたかれることはあった。だが出張買取の担当者と趣味の話で盛り上がる場面もあって、そんな時はそれなりに楽しませてもらった。そんななかでのエピソードを今後少し紹介していこうと思う。(つづく)

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 キュウリのサンドイッチについて

 以前スコットランド民謡「ロッホ・ローモンド」について書いたときに、思わず脱線してイギリス料理について言及したことがあった。その中で、僕の持っているイギリス料理の本に紹介されていたキュウリのサンドイッチについて触れたが、その時僕は、なぜこんな単純な料理のレシピを、わざわざ項目を分けて載せているのかと疑問に思った。事のついでに紹介すれば十分だろうに。

 この料理はまごうこと無き「キュウリのサンドイッチ」であって、バターを塗った食パンで軽く塩をしたキュウリの薄切りをはさんだだけのものだ。今やって見せたように、そのレシピは1行で書ける。しかもイギリスの習慣であるアフタヌーン・ティーのためのメニューで、決して食事のためのメニューではない。

 確かにキュウリは、サンドイッチを作るときに、その食感や香りがいいアクセントになったりするが、主役を張るにはどう考えても力不足だろう。僕はその時、少し馬鹿にしたような記事を書いたと思う。

 それから数か月たって、ふとこのサンドイッチのことを思い出した。僕は料理を趣味にしているが、長いこと料理にいそしんでいると、初めて作る料理であっても、材料から味をある程度想像できるようになる。その感覚であらためて「キュウリのサンドイッチ」を評価したとき、「あれ、これもしかして美味しいのかも」という考えが頭に浮かんだ。そういえば、僕は第一印象だけで判断して、実際に作ったことは一度もなかった。

 そこで僕は検証のために、サンドイッチ用の食パンとキュウリを求めてスーパーに出向いたのだが、新鮮なキュウリは手に入ったものの、サンドイッチ用の薄くスライスされた食パンが見つからない。仕方がないので8枚切りの食パンを使い、キュウリの量を増やしてバランスをとることにした。

 普段具沢山のサンドイッチを作るときは、パンの耳はそのままにするのだが、今回はよく言えば繊細な、悪く言えば味の主張のないキュウリが相手なので、耳はきれいに切り落とした。そのほうが口の中でキュウリの香りや食感が活きるような気がしたからだ。

 さて、実際に食べてみると、これが予想以上に美味しかった。具体的に言うと、「前回小馬鹿にしたような記事を書いたことについて謝罪したくなる美味しさ」だった。だが前記したように、ランチなどには向かない※。栄養面から見ても、これを腹がいっぱいになるまで食べるというのは現実的ではない。そういった意味では、イギリスで行われているように、少量をアフタヌーン・ティーのための軽食として出すというのは理にかなっている気がする。キュウリのさわやかさが、スコーンに添えられたジャムやクロテッド・クリームの甘さを洗い流してくれそうだ。なるほど、よく考えられている。

 いろいろと言われているイギリス料理だが、なかにはおいしい料理や理にかなった料理ももちろんある。これまた以前に紹介した「スター・ゲイジー・パイ」も、見てくれはともかく、味はいいらしい。これは余談だが、最近その独特な世界観で高評価を得ているアニメ「葬送のフリーレン」の、第2期第9話「ヒンメルの自伝」で、フリーレン一行がこの料理を食し、納得したような表情を見せるシーンがある。もっともアニメのなかでのことなので、演出にどんな意図があるかはわからず、保障の限りではないけれど。

※ ミネストローネのような具沢山のこってりしたスープと合わせれば、その限りでもない。

 スター・ゲイジー・パイ(星を見上げるパイ)とはこのような料理です。(再掲)
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 久々の「夏と言えば…」。

 夏になったので、例によって怪談めいた話を少々。

 今年の4月に京都に行った話をしたと思うが、その時のことで今でも気になっていることがある。

 この旅行では経費節約のためにビジネスホテルを利用した。京都駅の八条口から徒歩5分足らずという立地で、真新しく、ビュッフェスタイルの朝食がつくという理想的なホテルだったのだが、到着時、僕はこのホテルの玄関ドアにたくさんの手形がついていることに気づいた。それは常識では考えられないほどの数で、強い違和感があった。玄関ロビーと言えばホテルの顔みたいなものだ。もちろんビジネスホテルだから華美な装飾は期待しないが、清潔感に関しては気を配るのが普通だろう。

 その手形は自動ドアの大きなガラスの、特に上のほうに集中していて、視線とガラスの反射角の関係か、上に行くほどはっきりと浮かび上がって見えた。しかもそれは、誰かが隙間なく意図的につけたかのように見えた。

 これほどたくさんの手形を、ホテルのスタッフが見落とすはずがない。それとも普段通用口を使うスタッフは玄関ドアを通る機会がないのだろうか。いやいや、それにしたって玄関ドアの汚れぐらい日常的にチェックするはずだ。ということは、やはりこれはスタッフの怠慢としか思えない。その時僕はそんなことを思いながら少々憤慨していた。だがそんな心配をよそに、そのホテルはほかに憂慮すべき点は特に無く、僕たちは快適な3日間を過ごした。それでも僕らが滞在している間、手形は何の変化もなくそこにあり続けた。

 あれから4か月が過ぎたが、あまりにも印象が強く、妙な違和感があったためか、今でもあの手形のことを思い出す。そしてそのたびに新たな疑問がわいてくる。例えば、なぜあの密度で均一に、しかもガラスの幅いっぱいに手形がついていたのか。仮に掃除をしたスタッフが不用意に手をついてしまったのであれば、あれほど多くの手形が均一に残るはずがない。

 もう一つ、もし宿泊客や通行人がいたずらに手形をつけたとしても、あれだけの数の手形をつけるには時間がかかる。誰にも見とがめられずに、そんなことが可能だろうか。それに、手形はガラスの一番高いところにもついていた。よほど背が高くなければ脚立が必要だろう。

 そして何よりも、皮脂だか汗だかは知らないが、あんなにたくさんの、しかも鮮明な手形を残すことが人間にできるのだろうか。

 今に思えば写真を撮っておくべきだった。そうすればもっと手掛かりになるものが後々見つかったかもしれない。だがあの時の僕は、ホテルスタッフの怠慢として普通に解釈してしまっていた。

 僕は根っからの心霊現象肯定派ではない。心霊現象にまつわる話を聞いたり読んだりするのが好きなだけだ。今回のエピソードにしても、別に手形が浮き出す瞬間を見たわけではなく、家族も同じように見ているのだから、きっと何か理由があるはずだ。そうなれば、これはホラーではなくミステリーだ。だが判断がつきかねる今は、とりあえず「不思議な話」にしておきたい。そのほうが僕にとって、世の中がほんの少し楽しくなるからだ。

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 昭和歌謡とマカロニウエスタン

 最近古い映画音楽をYoutubeで聴くことが多い。もちろんレコードやCDもあることにはあるが、それだけではカバーしきれないし、手軽に聞いたり、ふと思いついてその場で検索したりするには何といってもYoutubeが便利だ。もっとも僕の使っているノーパソの音の悪さには閉口するけどね。前に使っていたモデルはヤマハの音響システムを搭載していたので、それなりの音質で音楽が聴けたんだけどなあ。いっそのこと、常時TVに接続しておこうかな。

 そういった映画音楽のなかでも、最近検索することが多いのが「紅の翼(1954)」のテーマ曲。同名の映画が2本あるが、ここで僕が言っているのは洋画のほう(くれぐれも、石原裕次郎主演の邦画ではない)。ストーリーは嵐に見舞われた旅客機がたびたび危機に陥りながらも無事着陸するまでをオールスターキャスト(なのかな、あれは)で描く群像劇で、主人公のパイロットをジョン・ウェインとロバート・スタックが演じている。テーマ曲はディミトリ・ティオムキンが作曲し、アカデミー最優秀オリジナル音楽賞を受賞した。

 もう一つ、よく聞いているのが往年のマカロニ・ウエスタンのテーマ曲。かの有名なエンニオ・モリコーネが作曲した一連の作品で、なかでも気に入っているのが「豹/ジャガー(1968)」と「ウエスタン(1968)」。

 「豹/ジャガー」は寂し気な口笛から始まり、情感たっぷりのトランペットが続く。そして次第に盛り上がる主旋律の繰り返しに再びトランペットのソロプレイをフィーチャーしてクライマックスに至る。最後の決闘シーンにこの曲を流し、フルコーラスの演奏時間に合わせて場面構成しているのが見事(と言っても、ほとんどTV放送されてこなかったのでちゃんと鑑賞したことはないんだけどね)。

 「ウエスタン」は原題を「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト」といって、和訳すれば「昔々、西部のどこかで」といったニュアンスか。「銃に物を言わせた男たちやそれに絡む女たち、人知れず死んでいった人々…いろいろあったけど、今はもう昔の話さ」という、西部開拓時代の終焉を描いた作品だ。だからラストの決闘も、時代の流れのなかでは些細な出来事にすぎず、西へ西へと伸びる線路(近代化の象徴)とその工事に携わる人々、その世話をするヒロインを尻目に、ガンマンたちは次々にこの世を去り、生き残ったとしてももう居場所はない。実はこの映画、当時下火になりつつあった西部劇映画そのものの挽歌でもあったという。一見(聴?)してエンニオ・モリコーネとは思えない過ぎゆく時代への郷愁を誘うメロディーと、それを補完する女性コーラスが素晴らしい。

 ところでエンニオ・モリコーネの作曲する曲は、聞けば聞くほど日本人の感性に馴染むメロディーラインやコード(和音)が多用されている気がする。今思い出したが、「夕日のガンマン(1967)」のラストの決闘シーンに流れる曲もそうだった。こちらもトランペットが良い仕事をしていて、すんなりと心の奥にまで届く。イタリア人と日本人って、何か感性に共通点でもあるのだろうか。

 そんなこんなで、何回も聞いているうちにあることに気づいた。彼の作る音楽は、なんだか昭和歌謡に似ているぞ。そうか、だからしっくりくるのか。そう思ってカミさんに聞かせてみたところ、すごいことを言ってきた。「なんか、美空ひばりが歌いそうじゃない?」