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 続「ロッホ・ローモンド」

 さて、「ロッホ・ローモンド」。この勇壮かつ哀愁漂うスコットランド民謡は歌詞が複数ある。その辺りの事情は識者の方がブログで詳しく説明されているようなので、ここでは日本の歌曲「五番街のマリーへ」の原型ではないかと言われている、ということだけを紹介しておく。

 前回書いたように、イギリスは四つの国からなる連合王国だが、それが成立するまでには多くの争いがあった。1600年代末~1700年代のジャコバイトの反乱もその一つで、調べてみると近隣諸国を巻き込む複雑な構図が見えてくる。そのすべてをここには書けないが、簡単に言うと、当時のイングランド王室に反感を持つ「ジャコバイト」と呼ばれる勢力が政変をもくろみ、最大の支持基盤だったスコットランドの人々を中心に、数回にわたって反乱を起こすも大敗。1746年のカロデン・ムア(ムア=湿原)における最後の戦いでは、イギリス政府軍の司令官カンバーランド公によって、ジャコバイトの捕虜や傷ついて動けない兵士たちが、戦闘終了後に皆殺しにされるという事件が起こった。このカロデン・ムアでの虐殺事件は、今もスコットランド人の心に暗い影を落としているという。なぜこんなことを書いたかというと、「ロッホ・ローモンド」の歌詞に、ジャコバイトの反乱で政府軍に捕らえられた二人のスコットランド兵が描かれているからだ。

 歌詞の中に「君は高みの道を行け 僕は下る道を行く 目指すは同じスコットランド いつかまた語り合おう 懐かしのローモンド湖」というくだりがある。これは「釈放された君は生者が通る上の道を、処刑される僕は死者の魂が通る下の道を通ってスコットランドに帰る」という意味で、「遠隔地で亡くなったスコットランド人は、故郷に帰るために魂の通る近道を見出すことができる」というケルトの言い伝えに基づいている。

 こうした歴史があることで、スコットランド人とイングランド人は今でも互いに敵愾心を持っていて、そのことを如実に表すこんなジョークがある。

 スコットランド人とイングランド人が辞書の編纂をしていた。オートミールの原料である「オート麦」の項目で、イングランド人が皮肉たっぷりに「麦の一種。スコットランドでは人が食べるが、イングランドでは馬の餌にする。」と書き込んだ。するとスコットランド人は涼しい顔でこう書き加えた。「ゆえにイングランドでは馬が優秀で、スコットランドでは人が優秀である。」

 確かにオートミールはお世辞にもおいしいとは言えないが、ロンドンの名物料理だった「ウナギのゼリー寄せ」の悪評を考えれば、イングランド人だって相当な味覚音痴だろう。それこそ、「どの口が言ってんの?」という感じで…おっといけない、これでは前回の二の舞だ。

 そんなわけで、スコットランド民謡のなかにはその土地の血塗られた悲しい歴史を歌ったものがいくつかある。それらはスコットランドの伝統と誇りを今に伝えていて、政治の世界では今も「独立推進派」が存在する。2014年には独立するか否かを問う住民投票が行われ、僅差で反対派が勝利したことは記憶に新しいところだ。でもそう考えてみると、日本人はなんておおらかなんだろう。例えば「平将門の乱」にしても、祟りばかりが有名で、関東人があの一件を今も根に持ち、京都人に敵愾心を抱いている、などという話はあまり聞かない。食い物が美味いせいかな。

おまけ 前回画像を出し惜しみした「スター・ゲイジー・パイ」。訳して「星を見上げるパイ」のイラストを公開。

「いや、これはちょっと…」という感じ。どうです、なんだか切ないでしょう?

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 「ロッホ・ローモンド」…のはずが…。

 ロッホ・ローモンドとはイギリスのスコットランドにある湖、「ローモンド湖」のことだ。そこそこ有名な観光地の一つだが、スコッチ・ウイスキーやスコットランド民謡にも同じ名前のものがあるので少々ややこしい。ちなみに「ロッホ」というのはスコットランドの方言で湖を意味する言葉で、例えばあの有名なネス湖なら「ロッホ・ネス」となる。

 イギリスは不思議な国だ。正式には四つの国(イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド)からなる連合王国(ユナイテッド・キングダム=UK)で、妖精や幽霊がいるのは当たり前。怪獣が住む湖があり、味わい深いウィスキーを産し、古代の巨石があちこちに屹立する。きわめて保守的な国民性かと思えば、いきなり前衛的な文化が芽生え、そして何よりも、王国であり、貴族層が存在するにもかかわらず、固有の美味しい料理が全くと言っていいほど存在しない。その証拠に、大きな書店の料理本コーナーで探してみても「イギリス料理」に関する書物はまず見つからない。

 僕はこの10年ほどの間にやっと2冊見つけたが、そのうちの1冊は「ロンドン おいしいものを探す旅」、つまり旅行者向けの食べ歩きガイドのようなものだ。もう1冊は「ホントはおいしいイギリス料理(※1)」。こちらはレシピも載せた正真正銘の料理本。ただねえ、帯の文言が…。「あの(あの、だよ?)イギリス料理をおいしく食べる」って、もう認めたようなもんじゃんか。しかも日本人の著者が「はじめに」として「日本人の口に合うように考えたレシピ」と言っている以上、もとは日本人の口に合わなかった、ということだろう。

 驚くことに、この本ではマッシュポテトやキュウリのサンドイッチまでもがいち料理としてそのレシピを紹介されていて、キュウリのサンドイッチなんて、塩をしたキュウリの薄切りをバターを塗ったパンで挟むだけ。たった1行でレシピが書ける。アフタヌーン・ティーの定番なんだそうだが、何も知らずにこれを出されたら嫌われたと思うぞ。

 料理の名前も独特だ。「穴の中のヒキガエル」だとか「馬に乗った悪魔」だとか。ちなみに前者は小麦粉の生地にソーセージを入れてオーブンで焼いたもの、後者はプルーンにアップルチャツネを塗ったベーコンを巻き、オーブンで焼いたもの。それがどうしてこんな名前になるのか、全く理解できない。名前をつけたヤツのセンスもどうかと思うが、それが定着して今も残っているあたりがすごい。「めんどくさいからいいよ、もうこれで」なんて声が聞こえてきそうだ。

 断っておくが、僕はこの本自体をけなすつもりはない。むしろこうしたイギリス料理を紹介しようとする著者の姿勢は大歓迎だ。だがイギリスの食文化や食のセンスに関しては、日本人には理解しがたいものがあることもまた事実だ。

 そんな英国食料品界隈で、唯一素晴らしいと思う業績(※2)がある。それは汎用カレー粉を発明したことだ。インドがイギリスの植民地だった時代に、カレーを本国で手軽に食べるために開発したらしいが、これは我が家のキッチンでも大いに役立っている。でもこういうことができるのなら、まずてめえっちの料理を何とかしろよ、と言いたい。

 なんだか話がとんでもない方向に進んでしまった。本当は「ロッホ・ローモンド」というスコットランド民謡とジャコバイトの反乱について書こうと思っていたのに、いつの間にかカレー粉の話をしている。これはきっとカレーの妖精が(いないいない)僕を惑わせたに違いない。やはりイギリスは侮りがたい不思議の国なのだ。仕方がないから「ロッホ・ローモンド」については続編として書くことにして、最後に僕が最も驚いたイギリス料理を紹介する。

 その料理とは、「スター・ゲイジー・パイ」、直訳すると「星を見上げるパイ」。でも「星を見上げる…」というロマンティックな語感からは想像もつかない見てくれだ。初めて見たとき、これは何の冗談だ?と思ったもんな。あえて画像は載せずにおくので、ぜひとも自分で検索してみてほしい。きっとあなたも「あ、ホントだ、見上げてる…」と思うだろう。そしてほんの少し、切なくなるに違いない。

※1 一般的な家庭料理に主眼を置き、ハギスやウナギのゼリー寄せといったトンデモ料理は除外されている。

※2 ウスターソースという逸品もあるが、伝承によればあれは偶然の産物だから、ここでは「業績」とはしない。

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 匂いにまつわるあれこれ

 この冬、あるCMを見てちょっとあきれてしまった。同じ感想を持った人もいるかもしれない。

 それは洗濯洗剤(か何か)のCMだったんだけど、冬場に暖かい衣服を着ているがゆえに満員電車等で汗をかいても大丈夫、その汗臭さを解消しますよ、という内容だった。なんだかなあ。「夏場の汗臭さに対処する」というのはわからんでもないが、そもそも冬は寒いのが当たり前。通常なら大汗をかく機会などそうそうないが、現代人は寒さ対策として貼るカイロや、「〇-ト△ック」などの防寒衣料を利用することが多い。すると今度はそのせいで汗をかくからその匂いを何とかしたい、と。これ、際限ない感じだな。世論として実際にあるのかな。

 花粉症が当たり前になった今、花粉の飛散が多い季節に洗濯物を部屋干しする、これはわかる。もちろん防犯上の意味もあるだろう。だから部屋干しに適した抗菌成分の多い洗剤が開発されるのも頷ける。でも汗臭さに関しては、普通に洗濯していれば問題ないんじゃないのか?逆に汗臭さの消えない洗剤なんて今どき有り得ないだろう。

 最近、「男の体臭は勘弁してほしい」なんてセクハラまがいの意見がネットに書き込まれ、大炎上したことがあった。しかしその一方で時間が惜しい、疲れる、といった理由で風呂に入らない若者が、男女を問わず増えているという。シャワーで済ませるという意味かと思ったら、シャワーも浴びないというから驚きだ。ネット上では「風呂キャンセル界隈(※)」という「見出し」がつくほど有名な話だが、体臭がどうのと言う以前に不衛生だろう。

 そういえば数年前、柔軟剤などの香料が強すぎると問題になったことがあった。それと前後して、若い人がつけるオーデコロンの量が多すぎて不快、なんて話もあった。こうしてみると、匂いの問題は体臭に限ったことじゃなさそうだ。ことに芳香剤の類が「良い香り」を追求するあまり、度が過ぎて不快感の原因になるなんて、まさに本末転倒だ。

 CMの話題に戻ろう。要するに僕が言いたかったのは、洗剤なんて、汎用性の高いものが一つあればそれでいいんじゃね?ということだ。確かに体臭は自分では気づきにくいデリケートな問題ではある。だがそこにつけ込んだコマーシャリズムに乗せられ、不快な体臭がない人まで暗示にかかって神経質になったり、何かにつけてそれ専用の洗剤を買いそろえたりするのはどうなんだろう。そこには消費者の切実な要望があるのか、はたまた企業側の「大きなお世話」なのか。みなさん、どう思います?

※ うつ病などが原因で、そういった日常的なルーティンに苦痛を感じるために入浴できない人もいるので、言及には注意が必要。

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 People Get Ready

 「ピープル・ゲット・レディ」という曲があって、これがなかなかいい。しばらく忘れていたが、1週間ほど前、どうしても聞きたくなって古いCDを引っ張り出した。

 僕が初めてこの曲を聞いたのは、1993年にリリースされたロッド・スチュアートのアルバム、「アンプラグド(※)」に収録されたカヴァーバージョンだった。宗教がかった内容のゴスペル調の曲で、初出は1965年。インプレッションズというR&Bグループのオリジナル・ナンバーだ。当時アメリカで盛んだった公民権運動を意識して作られたという。

 さあ、準備して 列車がやってくる 

 切符はいらない 信じる心があれば

 だから さあ、準備するんだ 

 ヨルダン行きの列車に乗るために

 海岸線を列車は走る 新たな旅人を乗せながら

 けれど 私利私欲に囚われた 罪深き者の席はない

 彼らを憐れもう 王座の前では  

 隠れる場所など ありはしないのだから

 ここで言う「ヨルダン」とは単なる地名ではなく、旧約聖書の「出エジプト記」でイスラエルの民が目指した「約束の地」のことだ。

 僕は宗教的な人間ではないが、母がクリスチャンだったこともあり、一番親しんだ宗教といえばキリスト教。そのせいかどうかはわからないが、好きなジャンルにはゴスペル調の曲も多い。ついでに言うと、R&Bやカントリー&ウエスタン寄りのロックも好きで、例えばかの有名なザ・バンドやキム・カーンなんかもよく聞いた。実際、この数週間は「ザ・ウェイト(ザ・バンドの曲)」を聞いていた。この曲にも聖書の中の固有名詞がいくつも使われていて、その流れで久々に聞きたくなったのが「ピープル・ゲット・レディ」だったというわけだ。

 実を言うと、ロッド・スチュアートのバージョンばかりを聞いてきた僕が、オリジナルが1960年代の曲であることを知ったのは比較的最近のことだった。Youtubeでオリジナルを聞いてみると、アフリカ系アメリカ人のコーラスによるパフォーマンスは、そのままゴスペルといってもいい趣で、実にすんなりと心の中に入ってくる感じだった。

 そもそも宗教というのは、心穏やかに生きるための一種の哲学のようなものだと僕は思っている。世界には様々な宗教が存在するが、仮に神様が存在するとしたら、こんなちっぽけな地球を導くために二人も三人もいらないだろう。それにおそらく、長いこと宗教を後ろ盾に争ってきた人間を見てあきれ果てているに違いない。

 疲れているな、と感じるとき、僕はシンプルに音楽を聴きたくなる。意図的に向き合わずとも自然に耳に入ってくるからだ。それがこうした宗教がかった音楽ならなおのこと、僕のような特定の信仰をもたない者でも穏やかな気持ちになるから不思議だ。それに頼るかどうかは別として、人知を超えた大きな存在をそれとなく感じさせてくれるからだろう。

※「アンプラグド」ロック歌手などが電気を用いる楽器を使わずに歌唱・演奏したアメリカのMTVライブ(TV番組)と、それをCD化したシリーズ。タイトルは「電源プラグを抜いた」という意味。

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 野鳥観察

 以前書いたように、最近暇を見ては庭に出て、野鳥を眺めている。冬の間常連だったお嬢(ジョウビタキのメス)は、遠くからウグイスの声が聞こえ始めたころ、その姿を見なくなった。おそらく渡りの時期が来たんだろう。ちょっと寂しい気もするが、こればっかりは致し方のないことだ。

 ところでつい先だって、珍しい鳥が来ていた。キツツキのように嘴で盛んに樹皮をつついている。背中には波打つ縞模様があり、頭の羽毛が少し立っていた。以前にも見たことがあるが、ごくたまにしか見かけない鳥だ。おそらく年に1~2回程度だろう。もちろん気づかないうちに庭を訪れているということはあり得るけれど。

 カメラを持ち出して写真を撮り、調べてみたところ、これはキツツキの一種であるコゲラという鳥らしい。これまたうちの庭の常連であるシジュウカラと混群(異種で作る群れ)をなしていた。その群れのなかでコゲラは2羽だけ。おそらくつがいだろう。どちらかが死ぬまで添い遂げることが多いという。

 僕の家は森が点在する田園地帯にあり、そのせいか野生動物が多い。さすがに熊やイノシシはいないが、タヌキやイタチは良く見かける。野兎も一度見たことがある。最近では狐もいるらしく、昨年の末、今まで聞いたことのない恐ろし気な鳴き声で、明け方に起こされたことが何度かあった。娘は運転中に近くの農道で実物を目撃したそうで、それは「一見細身の犬のようだが尻尾が太く、普通の犬に比べて耳が大きく鼻先が尖っていた」という。この地域に野犬はいないから、ほぼ間違いないだろう。ただし地域猫がいるので、定住するには問題が多いかもしれない。

 そんな地域だから、庭に来る野鳥の種類も多い。ごくまれにだが、トンビやキジが庭に入ってくることもあるぐらいだ。これまではただ漠然と眺めているだけだったが、せっかくだから今年は少し「観察」してみようかな、なんてことを最近考え始めている。まあ僕のことだから、長続きはしないかもしれんけどね。

これ、コゲラだよな。
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 本屋に行きたい

 しばらく本屋に行っていない。それには三つの理由がある。一つは最近興味のある著者がいないこと、もう一つは雑誌やコミックスはアマゾンで買うことが多いことだ。じゃあなんで本屋に行きたいのか。答えは単純だ。僕は本屋のもつ独特な雰囲気が好きなのだ。

 本屋って、何となく知的な感じがしません?「知」を(いい意味で)切り売りしているというか、ハイレベルな書物の背表紙や帯の紹介文を読んでいるだけで、なんだか数ミリぐらい賢くなった気がしてくるというか(そんなわけあるかい)。今ではほとんど感じられなくなりつつあるが、紙そのものや印刷インクの匂いも好きだった。古本屋ならなおさらで、ちょっとカビ臭い匂いがそれに加わったりする。そうした匂いを感じることで、さらに数ミリ賢くなれるかもしれない(無い無い)。

 もう一つ、本屋に行くと、新たに面白そうな書物を「発見」するという楽しみがある。通販ではほしい本を検索するだけで、その他の書物はほとんど目に入る機会がない。アマゾンなどでは「あなたにお勧めの本」みたいな提示もあるのだが、たかが知れているし、「キミね、僕のことわかってないんじゃないの?」なんて感じることも多い。その点本屋はジャンル別にかなりの量の書物を己の欲求のままに、しかも手に取って見ることができる。これが楽しい。だが実は、僕にとってはこれが大きな問題でもある。

 冒頭で「しばらく本屋に行っていない」と書いたが、実を言うと、本屋に行くことを家族ぐるみで少し控えている。なぜなら皆がみな、目につく本をやたら買い込む癖があるからだ。例えば僕など、当初は月間のプラモ雑誌を買うつもりで出向いたのに、「あ、このS&G関係の音楽評論面白そう」だの、「パイ皮料理の本だ!そういえば持ってなかったな」だの、「おお、このMOOK本、いつの間にやら続刊が出てるやんけ」などと言いつつ、結局大きな紙袋を下げて店を後にすることになる。この衝動買い癖こそが、まさに三つめの理由なのだ。

 娘は僕より少し賢くて、ほしい本を見つけるとすぐさまスマホを取り出して、アマゾンとどちらが安く買えるかを調べたりする。恐ろしい時代になったもんだ。でもやはりまだ初心者というか、マニアックで図版の多い書物などを見つけるたびに、その値段に目を剥いたりしている。その手の専門書は販売数が少ないから単価が高いことぐらいそろそろ気づけ、と言いたい。カミさんはもっと賢くて、小一時間滞在しても何も買わずに店を出る、という荒業ができる。僕には到底真似できない。まさに「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」といった体(てい)だ(※)。

 うちの家族はよく近場のホームセンターやそれに隣接するモールで日用品やペット用品などを購入するのだが、その駐車場の向かいに大規模書店「蔦屋」があって、帰り道に必ず目に入る。これが見えないふりをするのが苦しい。何年も通い続けているお気に入りの店で、ここができた当時、取り扱うジャンルの豊富さに狂喜したものだ。そこには「こんな本、いったい誰が買うんだよ…そうか、オレが買うのか」といった書物がたくさんあった。なかには「こんな本、いったい誰が買うんだよ…オレでも買わねえぞ」なんて書物もあった。だがここ数年で売り場面積に占める書店の割合が次第に縮小し、新たに衣料品店とゲームソフトのショップ、そしてあろうことかビューティーサロンまでお目見えし、その犠牲になったのが僕(と娘)が好むようなマニアックなジャンルのコーナーだった。まあいつものことだから、もう腹も立たんけど。

 そんなわけで最近、「そろそろ1度ぐらい、蔦屋に行ってもいいんじゃないか?でないと本屋のスペースが無くなっちまいそうだ」なんてことを家族間でよく話す。そういえば、最後に行ったのはいつのことだったろう。ああ、本屋に行きたい。

※ 「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」 1981年 椎名誠 著  内容は短編及びエッセイ。表題作は活字中毒の友人をその治療のために味噌蔵に閉じ込める話。

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 おじさんパーカー問題から見えてくること、あるいは見えてこないこと

 少し前にネット上で話題になったおじさんパーカー問題というのがあって、要するにおじさんが仕事中にパーカーを着るのはどうなんだ、という話だ。この顛末が面白い。投稿した女性についておじさん蔑視がどうの、ものの言い方がこうのと大炎上し、例によってネット上で議論が戦わされたのだが、結構な有名人もこの議論に参加していたっけな。でもねえ、どうでもいいんだ、そんなことは。そんなことより、たった一人の意見で騒然とする社会のほうがよっぽど問題だ。いや、社会は騒然としていないか。騒いでいるのはごく一握りの人たちだもんな。多分その他大勢はどうでもいい、あるいは論ずるに値しないと思っている。そしてそうこうしているうちに、今度は「赤いきつね」のCM問題だ。

 これはCMに使われたアニメーションが「性的で気持ち悪い」と苦情が来た、という話なのだが、今回は識者がちゃんと分析し、エア炎上だっけ?そんな言葉を使って解説していた。要するに大炎上しているように見えるが、実際にはそれほど問題視されていない、ということらしい。企業側は対処する必要なし、というコメントが、ちょっと痛快だった。だけど本当のことを言えば、これだってどうでもいい。そもそもノイジー・マイノリティが騒ぐ問題なんて、そのほとんどが多くの人にとってどうでもいいことばかりだ。

 この世にはもっと大事なことがたくさんある。例えば独りよがりの意見そのものよりも(だって基本的に個人がどんな意見を持とうと自由だし)、それがあたかも大勢の意見であるかのように演出されてしまう状況や、わけのわからない価値観を持つ人が増えてきた時代背景とかのほうが、僕にとっては大問題だ。

 こうした記事を読むにつけ、思い出すことがある。昔教員だった時に、たった一人のモンスター・ペアレントの苦情に学校全体が動く、ということがよくあった。そんな時、事なかれ主義の教育機関は、色よい無難な返事を用意してその場を収めるのが常だった。こうした「言ったもん勝ち」の構図を図らずも容認するような状況が、のちのハラスメント気質を増長する一つの要因であったことは間違いないだろう。

 現代社会は情報で溢れかえっている。その中でどの情報が自分にとって重要であるか、どの情報を信じるかは、その人の成育歴や教養の度合いによって違ってくるはずだ。だが一般的な常識や良識を持っていれば、間違った判断をすることはほとんどないだろう。もう一度言うが、こうした良識ある人たちにとって、はじめに提示したような問題は真剣に論ずるに値しないどうでもいいことだ。そして間違いなくこうした人たちが大多数でありながら、どうでもいいが故にその意見はネット上には上がってこない。つまりネット社会では、むしろ大多数の意見のほうが見えてこないものなのだ。

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 庭仕事の相棒

 またしても投稿の間が空いてしまったが、実はこの1か月、庭仕事が結構大変だった。というのも、昨年の暮れに剪定した枝が庭の3か所に山のようになっていて、一時はその処分を業者に頼もうかとも思ったんだけど、物価高騰の折ということもあって、自力で出来るところまで、とりあえずやってみることにしたのですよ。

 剪定といっても、枝の半数は2メートル以上あり、なかには直径が5センチ以上のものもある。これらを電動レシプロソー(高枝用のこぎり)と剪定ばさみで長さ20センチほどに切り刻み、燃えるゴミの袋に入れて出すわけだが、その際に落ち葉や笹の葉も集めて一緒に出すので、ゴミ袋の数は…そうだなあ、40袋近くになったかな。それにあまり太い枝は燃えるゴミでは出せないので、選別しなければならないし…まあ大変っちゃ大変なんだけど、自分のペースで進められるので気は楽だ。それにこの時期は天気にも恵まれ、空を眺めることが好きな僕としては、後半の風が強い時期以外は(何しろ花粉の問題が、ね)そこそこ楽しみながら作業できた。しかも2月の中旬ごろからは、思いもよらないもう一つの楽しみができた。

 ある日、切り刻んだ小枝を袋詰めしていると、ふいに背後から聞きなれない奇妙な音が聞こえた。それはカカッという小さな打音で、聞きようによっては人が立てる舌鼓の音のようにも聞こえた。振り向いてみても何もいないようだが、音は続いている。耳を澄ましてその出所を探っていくと…いた!小さな野鳥がフェンスの上にとまっていた。色は淡い茶褐色か、あるいは鶯色?で目立たない。でも鶯にしては時期が早い。誰だこいつ。

 庭にやってくる野鳥はあらかた同定してあるが、こいつは新顔だなあ…そんなことを考えていると、その鳥は3メートルぐらいまで近づいてきて、地面の何かをついばみ始めた。近くで見ると翼に白い斑紋があり、尾羽には鮮やかなオレンジ色がさしていた。明らかに鶯とは違う。それにしてもこいつ、人に対して警戒心がないのか?

 後で調べてみたところ、それはジョウビタキのメスらしかった。オスは派手なのですぐにわかるのだが、もしかしたらこれまでにも庭に来ているのに、地味なので気づかなかったのかもしれない。以来毎日のようにやってきては、作業する僕の周りを飛び跳ねながら餌をついばんでいる。なるほど、ジョウビタキならあまり人を警戒しないのも道理だ。だがそれにしても近づきすぎだよな。何しろ一番近いときは50センチぐらいのところまでやってきていたから。僕のことは作業用のアルファMA-1(米空軍用ジャケット)の色で覚えているのか、暖かい日に黒のタートルで作業しているとあまり近寄ってこない。

 作業がひと段落した今でも、あの打音が耳に入ると庭に出てデッキに座る。時には運動不足解消のために一人で庭を行進したりもする。するとお嬢は(ジョウビタキのメスだからおジョウ)どこからともなく姿を現し、餌をついばんでは近づいてきて、しばらく僕を不思議そうに眺め、また餌をついばみに戻っていく。どうやら運動不足解消のために庭を歩き回る人間の都合が理解できないらしい(そりゃそうだろう)。

 ジョウビタキは渡り鳥だから、そのうち北へ帰ってしまうだろうけど、今しばらくは親交を深めることができそうだ。4~5年は生きるそうだから、来年もまた来いよ、なんて思ったりするのだが、果たしてこの庭を覚えているだろうか。

お嬢。この時の距離は2メートルぐらいかな。