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 おじさんパーカー問題から見えてくること、あるいは見えてこないこと

 少し前にネット上で話題になったおじさんパーカー問題というのがあって、要するにおじさんが仕事中にパーカーを着るのはどうなんだ、という話だ。この顛末が面白い。投稿した女性についておじさん蔑視がどうの、ものの言い方がこうのと大炎上し、例によってネット上で議論が戦わされたのだが、結構な有名人もこの議論に参加していたっけな。でもねえ、どうでもいいんだ、そんなことは。そんなことより、たった一人の意見で騒然とする社会のほうがよっぽど問題だ。いや、社会は騒然としていないか。騒いでいるのはごく一握りの人たちだもんな。多分その他大勢はどうでもいい、あるいは論ずるに値しないと思っている。そしてそうこうしているうちに、今度は「赤いきつね」のCM問題だ。

 これはCMに使われたアニメーションが「性的で気持ち悪い」と苦情が来た、という話なのだが、今回は識者がちゃんと分析し、エア炎上だっけ?そんな言葉を使って解説していた。要するに大炎上しているように見えるが、実際にはそれほど問題視されていない、ということらしい。企業側は対処する必要なし、というコメントが、ちょっと痛快だった。だけど本当のことを言えば、これだってどうでもいい。そもそもノイジー・マイノリティが騒ぐ問題なんて、そのほとんどが多くの人にとってどうでもいいことばかりだ。

 この世にはもっと大事なことがたくさんある。例えば独りよがりの意見そのものよりも(だって基本的に個人がどんな意見を持とうと自由だし)、それがあたかも大勢の意見であるかのように演出されてしまう状況や、わけのわからない価値観を持つ人が増えてきた時代背景とかのほうが、僕にとっては大問題だ。

 こうした記事を読むにつけ、思い出すことがある。昔教員だった時に、たった一人のモンスター・ペアレントの苦情に学校全体が動く、ということがよくあった。そんな時、事なかれ主義の教育機関は、色よい無難な返事を用意してその場を収めるのが常だった。こうした「言ったもん勝ち」の構図を図らずも容認するような状況が、のちのハラスメント気質を増長する一つの要因であったことは間違いないだろう。

 現代社会は情報で溢れかえっている。その中でどの情報が自分にとって重要であるか、どの情報を信じるかは、その人の成育歴や教養の度合いによって違ってくるはずだ。だが一般的な常識や良識を持っていれば、間違った判断をすることはほとんどないだろう。もう一度言うが、こうした良識ある人たちにとって、はじめに提示したような問題は真剣に論ずるに値しないどうでもいいことだ。そして間違いなくこうした人たちが大多数でありながら、どうでもいいが故にその意見はネット上には上がってこない。つまりネット社会では、むしろ大多数の意見のほうが見えてこないものなのだ。

作成者: 835776t4

こんにちは。好事家の中年(?)男性です。「文化人」と言われるようになりたいなあ。

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