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 駅弁あれこれ 

 この正月に帰省(といっても一般道で1時間あまり)した時に、あるショッピングモールで駅弁大会をやっていた。僕は駅弁が好きで、こうした催しがあると必ず数種類買い込む。今回は富山の「ますのすし」と鳥取の「かに寿し」、それと名前は忘れたが牛飯などを購入。実を言うと「かに寿し」は今回初めて購入した。「あんな有名なものを初めて?」と、ディープなマニアには驚かれそうだが、売り切れていたり、ラインナップになかったりで、なかなか巡り会えなかったのだ。でも、森の「イカめし」とか横川の「峠の釜めし」とかは散々食している。「峠の釜めし」など、たまった容器をわざわざ横川の店舗まで返しに行ったこともある。

 実を言うと最近の駅弁には少々疑問がある。例えば、ひもを引っ張るとあっという間に加熱されるものなど、何を考えているんだ、と言いたい。もちろん反論されるのは覚悟の上だが、昔の駅弁は、冷めても美味しい食材や調理法など、色々と工夫がなされていた。そういった努力をたった1本のヒモで台無しにするというのは、言語道断ではないか!(落ち着け落ち着け!)さらにもう一つ言うならば、最近駅弁というカテゴリーにしては豪華すぎるものが増えてきた。牛飯なんて、コマ肉とそぼろで十分。そこへ大きな牛肉の薄切りが並んでいたりすると、なんか違うぞ、という気がする。で、多くの場合味わいもたかが知れている。わかってる、わかってるって。そういうのを求める人が多いことも十分承知している。だがこれを言っているのは僕だけではない。駅弁はあくまでも駅弁だ。行楽弁当でも、折り詰めでもない。贅沢である必要は無いし、温めて食べるべきものは弁当にしなくていい。要するに、下手に駅弁の範疇を超えようとすると、無理が祟るということだ。

 とうの昔に鬼籍に入った僕の爺ちゃんは、本の虫であり、収集家でもあった。そんな爺ちゃんの書庫で、子どもの頃見つけた一冊の本。それは「駅弁パノラマ旅行」という本だった。発行は昭和39年、見るからに人工着色的なカラーページを含む、当時としては凝った作りの書物だ。ソフトカバー228ページ、前半は有名な駅弁についての記事を写真入りで掲載し、後半は詩人から評論家、作家からグラフィックデザイナーまで、各界のトップクラスによる評論が。さらに簡単な観光ガイド、宿泊ガイド、当時としては珍しいカロリー表まで記載されている。「ますのすし」「イカめし」「峠の釜めし」「かに寿し」等はすでに有名な駅弁として掲載されていて、「いかめし」は三つ(今は二つ)入って70円。「ますのすし」は130円。「峠の釜めし」は150円と紹介されている。件(くだん)の「かに寿し」はパッケージが大小あって、それぞれ150円と100円。今売られているのは100円のサイズの方だ。嗚呼、何おか言わんや。100円って、10円玉10枚ですぜ。想像してみてくださいよ、「かに寿し」と引き替えに、売り子さんに10円玉10枚を渡す自分を。

 この本のコラムに、駅弁の作法として「経木(ごく薄い木の板)の蓋にくっついた飯粒をはがして食べるところから始める」と書かれていて、思わずウンウン、わかるよ、と頷いてしまった。原体験というか、僕も覚えがある。昔の駅弁は経木の箱が当たり前だった。経木がごはんの余分な水分を吸ってじっとりと湿り気を帯び、反対にごはんには木の香が移って、それも味わいの一部になっていた。つまりそんな次元のものが僕にとっての駅弁なのであった。

 あの時代からほとんど変化することなく販売され続けている、素朴なスタイルの駅弁も無いわけではないが、そういう観点からすると、最近の駅弁はどうもよろしくない。そんななかで「これは」と思ったのが、仙台の「鮭はらこめし」。最近と言っても販売開始からかなり経つが、これは美味いよお。

「かに寿し」を紹介している山陰・山陽のページ。右のペーには古書特有の「焼け」が・・・。