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 二人乗り

 自転車の二人乗りは違法である。そうそう、最近道交法が改正されて・・・いいや、違う。自転車の定員はもともと1人だから、道交法が始まって以来、ずーっと違法。何ですと!要するに、きっちり取り締まるようになったのが最近なんです。20年ぐらい前、変な二人乗りが流行ったでしょう?荷台を外し、後輪のギヤをガードするシャフトを左右に延長して足を載せ、立ち乗りするスタイルの二人乗りが。覚えてます?今思えば、あの頃から取り締まりがきびしくなっていったようだ。

 高校生の頃、荷台つきのサイクリング車で通学していた僕は、よく学校帰りにバス通学の彼女を後ろに乗せて走った。二人ともできるだけ長く一緒にいたかったから、彼女がバスに乗る駅前まで遠回りをし、時にはそのまま彼女が帰るバスの路線に沿って走った。そうすれば、時間を見て最寄りのバス停からバスに乗ることもできたからだ。その道は大分先で長い坂道になる。僕たちは双方の親から公認されていたから、バスで彼女の家まで行ったことは何度かあったが、彼女は二人乗りでその坂を登ることは望まなかったし、むしろ止められていた。その坂の手前まで行ったことはあった。それはそれでかなりの長丁場だったが、全然苦にはならなかった。青春まっただ中だから当たり前。そんなことをやってたんだよ、あの頃は。良い時代だったなあ。

 今ではマンガの世界でさえ、二人乗りの場面は編集からストップが掛かることがあるそうだ。違法だからダメだって。それもこれも、あの変な二人乗りが流行った時代のせいだ。業者も業者で、シャフト延長用のパーツまで販売され、さらにマナーそのものも時代とともに悪化。そりゃあ、警察だって黙っちゃいない。こうしてまた一つ、青春のアイテムが姿を消したのだった。

 話は戻るが、当時、彼女を後ろに乗せて走っていると、世界が二人だけになってしまったような気がしたもんだ。ある程度スピードがあるので人の目もあまり気にならず、始めは制服の裾を掴むぐらいしかできなかった彼女が、仕舞いには僕のからだに腕を回してしがみつくようになった。いえいえ、何かあると危ないですからね。安全面から考えても、これは大事なことなんですよ・・・?この、大義名分のもとにくっつけるところが、二人乗りの良いところでもあった(大義名分も何も、始めから違法なんだってば)。抱きつかせるためにわざと乱暴な運転をするなんてことは・・・1度か2度しかやってませんよ、そんなこと。

 今後誰かを後ろに乗せて自転車を走らせる、なんてことは2度と無いだろう。だが、彼女との二人乗りは、僕の人生のなかで、忘れることのできない大事な記憶の一つになっていった。いったいなぜ、それほどの価値観を持つようになったのか。それは言葉で説明できるものではないけれど、あえて言うなら、運転している僕を信頼してその身を預けてくれている彼女の存在であるとか、その信頼を裏切ってはいけないという責任感であるとか・・・違うなあ。それも確かにあるけど、そんな端的なことじゃなくて、もっとこう、太田裕美のデビューアルバムのような(???)、ペダルを踏む僕を疲れないかと思いやる何気ない彼女の言葉とか、当時の女の子はみんな横座りだったから、はみ出た膝がぶつからないように進路を選ぶ気遣いとか。こうした心情は二人乗りでしか味わえないもので・・・あの、要するにですね、そこには若い二人が思い描く、人生の縮図みたいなものが詰まっていたのですよ。ついでに言うと、たとえそれがどんなに未熟であろうと、どんなに美化されていようと、そんなことはどうでも良かった。大げさだって?いいや、僕はそうは思わない。単純に二人乗りがどうのこうの、というだけのことではなくて、人生にはそういうかけがえのない瞬間というものがあるのだ。それを僕らにもたらしてくれたのが「二人乗り」だった。今の若い世代があの感覚を知らずに大人になることを考えると、なんとも気の毒な気がする。

 僕と愛車(自転車)のつきあいは大学を卒業した後まで10年以上続き、さすがにガタが来て廃車となった。彼女とは明解に別れた記憶が無い。二人の人間関係は形を変えながら、友人としてその後も続き、大学卒業後、喜ばしいことに彼女は僕のとても信頼していた友人と結婚した。もちろん心から祝福した。だがどんなに状況が変わろうと、あの「二人乗り」は、永遠に僕たち二人だけのものなのだ。

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 夏といえば怪談 2022 金縛り考 

 金縛り。長い人生のなかで2回だけ経験がある。1回目は何ということもなかったが、2回目に経験したそれはご多聞に漏れず、何とも薄気味の悪いものだった。

 金縛りについては研究(?)が進んでいて、入眠時に起こるとか、脳が目覚めていて体が眠っている状態だとか、疲れている時になりやすいとか諸説あるが、あの2回目の気味の悪い感覚は、それだけで説明できるものではないような気がする。

 当時中学校教員をしていた僕は、その日、スキー実習を伴う宿泊学習から帰ってきたところで、確かにかなり疲れていた。早々に布団に入った(当時はアパート住まいで、布団で寝ていた)が、しばらくしてふと目が覚めた。照明を点けたまま寝てしまったのか、部屋の中は明るく、見える範囲にはいつも通りの室内が見えている。しかし、体が動かない。「金縛りだ。珍しいな。」そんなことを考えながら、ある事に気付いた。僕は左側の体側を下にして横向きに寝ていたのだが、上を向いている右の体側、その腰と脇腹に手が乗っている感触がある。「えっ!?」次の瞬間、その2本の手(多分誰かの両手)に力が入り、僕を仰向けにしようとし始めた。当時僕は一人暮らしだったから、部屋には僕以外誰もいない。僕は左を向いて寝ている。2本の手は背中側から僕を引っ張っている。もし仰向けにされたら、あるいは右側を向かされたら、いったい僕は何を見ることになるのだろう。そう思った瞬間、どっと恐怖心がわいてきた。体は動かせなかったが力を入れることはできたので、僕は右側を向かされないように、必死で力(りき)んで抵抗し続けた。その後のことは覚えていない。気がつくと朝になっていた。それ以後何かが起こったということもない。あれは夢だったのか?それともやはり金縛り?僕は基本心霊現象など信じない質(たち)だが、あれは怖かった。今でも、あの手の感触は忘れられない。

 次は大学時代に友人から聞いた話。ある晩、深夜に目覚めると金縛りになっていた。両手を頭の上の方に投げ出し、バンザイの姿勢で仰向けになっていたらしい。気がつくと、その投げ出した両手に何かを握っている感触がある。顔を向けることができないので確認できないのだが、意識はそれが何かを理解していた。それは猫の足だったのだ。両手にそれぞれ前足と後ろ足。アパート住まいの彼は、もちろん猫など飼っていない。それでも彼は冷静だった。「窓を閉め忘れたかな。」それで猫が入ってきたのではないか、そう思ったという。状況の異常さは、その時は意識に登らなかったらしい。翌朝目覚めると、彼は真っ先に戸締まりを確認した。猫が入ってくるような隙間はどこにもなかった。彼はその時になって初めて恐怖を感じたそうだ。

 金縛りは人間の体の仕組みにその原因があるというのは僕も理解している。だがよく言われるような恐ろしげな感覚がつきまとうのはなぜなのだろう。僕が感じた2本の手も、友人が掴んだ猫の足も、過去の記憶には無いものだ。ということは、これらは自分の心の奥底に潜む普遍的な恐怖心が、無意識のうちに作り出したものだろうか。それとも、もしかして・・・。

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 春・夏・秋・冬

 前回紹介した中島みゆきの「傷ついた翼」と因幡晃の「思いで・・・」はネットで検索すると、いろいろとそれなりにヒットする。別に意地になっているわけではないが、今日はなかなか検索に掛からない「春・夏・秋・冬」という曲について。

 この曲を初めて聞いたのは何十年も前のこと。その頃僕は、やっと買ってもらったラジカセ、ソニーCF1050・通称「DJ」(とても気に入っていた)で毎日ラジオ放送をエアチェックするのが日課だった。でも悲しいかな、このラジカセはモノラルで、FM放送のステレオ録音はできなかった。そんな頃に僕が住んでいた地方のラジオ局で、ほんの1、2回だけリクエストされた曲、それがこの「春・夏・秋・冬(はる・なつ・あき・ふゆ と読むらしい)」という曲だった。普通に検索すると、出てくるのは泉谷しげるの「春夏秋冬」という曲ばかり。そもそも「春・夏・秋・冬」のほうは歌手が誰なのかもわからなかった。声は井上順に似ているが違うらしい。フォークソングのようにも聞こえるが、思い当たる歌手がいない。曲名だけをたよりに何度もネット検索を試みたが何もヒットしない。あきらめかけた時に、突然ある情報が飛び込んできた。「知恵袋」かなにかのページにそれはあった。僕の他にもこの曲について知りたがっている人がいたわけだ。

 「後藤明が歌った曲ですね。TBSの「おはよう」というドラマのなかで歌われていました。『水曜劇場の時間ですよ』というタイトルのCDに収録されていますよ。」

そんな内容のアンサーを見つけたのだ。いったいこの人誰?なんでそんなこと知ってるの?早速ネットで探してみると・・・あった。アマゾンで見つかった。即カートに入れた。

 届いたCDの解説を読んでいろいろと納得。作詞はなかにし礼、作曲は三木たかしという、昭和歌謡のゴールデンコンビであった。編曲もすごいよ、深町純という人。ストリングスがえらく盛り上げてくれる。なるほど、フォークソングではなかったのね。スタッフや曲の雰囲気から考えると、もっと流行ってもいい曲なんだけどなあ。でも「後藤明」を検索すると、文化人類学者とかが出てきちゃうから、歌手の後藤明はメジャーにはなれなかったんだろうねえ。

 歌詞は「まだ見ぬ恋人をさがしに行こう、いつか君に逢える」というぐらいの意味だが、探し方が四季折々で良い。1番の歌詞はこうだ。

夏になったら 朝の汽車に乗って

海辺づたいに 旅をして

君をさがしに行こう 陽に焼けた君を 

春 夏 秋 冬 いつの日にか

春 夏 秋 冬 君に逢える   (歌詞カードより)

夏から始まって春に終わるのも良い。春は古い背広を脱いでさがしに行くんだよ。さわやかな君を、ね。

 この曲を聴いた当時、僕も夜空を見上げながら、まだ見ぬ人のことを思い、「もうこの空の下のどこかで生きているんだよな・・・」なんて考えていたことを思い出す。当時の若者は夢多く、純粋な生き物だったんだよ、諸君。ネットもスマートフォンもなかったから、本を読み、音楽を聴き、いろいろなことを考える時間がたっぷりあったからね。

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 意外な名曲

 以前中島みゆきの「ファイト!」がCMで使われていたことについて触れた。今日は同じく中島みゆきの「傷ついた翼」。2枚目のシングル、「時代」のB面に収録されていて、ヤマハが主催のコンテストで入賞した、デビュー前に作った曲らしい。これがねえ、明るい前向きの曲なんですよ。まあ、「時代」も前向きッちゃ前向きなんだけれどね。「あの頃はあなたの愛に気付かずに傷つけてしまった でも今気付いたの 待っていてね 私 今すぐあなたのもとへ行くわ」という感じ。これだけでは、「何虫の良いこと言ってんだ」と思うだろうけど、ちゃんと聞くと良い歌なんだ、これが。「遅すぎなければ 飛んでいてね あなたの空で」良いなあ。うん、大丈夫。今だって飛び続けているから。嘘でもそう言いたくなっちゃうじゃありませんか。これは「今でも好きでいて」じゃなくて、「あの時と同じ生き方をしていて」ととりたい。「飛んでいてね あなたの空で」とは、そういう意味だろう。

 この曲は、中島みゆきの曲にしてはあまりにも普通のラブソングで、その昔、誰に聞かせても中島みゆきと気付かなかった。そりゃそうだ。「途(みち)に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか(誰かが「そんなヤツはいないよ」と言っていた。わかれうた より)とか、「化粧なんてどうでもいいと思ってきたけれど 今夜死んでもいいからきれいになりたい(化粧)」なんて歌ばかり聴かされた後じゃ、誰もこんなさわやかなラブソングを彼女が歌っていたなんて思わないだろう。もっともこの10~20年は応援ソング的な歌が多いけど。「傷ついた翼」、とにかくまだ聞いていない人はぜひ1度聞いてみて欲しい。

 もうひとり、因幡晃(いなばあきら 知ってますかね、「わかってください」とか?)にも明るい歌がある。この人は何というか、女性の一人称で悲しい歌ばかり歌っている人だった。「短い煙草は体に良くないわ 苦い珈琲はあまり飲まないで(泣かせて今夜は)」大きなお世話だ。こんな調子じゃ絶対破綻する。後に明るい都会的な歌も歌うようになったが、その後すぐ名前を聞かなくなっちゃった。今はどうしているのやら。その因幡晃に「思いで・・・」という曲がある。これが結構良い感じの曲で、昔の因幡晃を知っている人はイントロ聞いただけで「うっそだア!」となっちゃう。ただし、内容は昔の彼を思い出す歌だからちょっと悲しいと言えば悲しい・・・のかな?何しろ「死ぬまで君のことを離さない」と言った彼の、今でも夢に見る「思いで・・・」ということだから。でも主人公のなかではもうすっかり「思い出」になっているようで、安心して(?)聞いていられる。普通、因幡晃の曲を聴いていると「男ですみません」という感じだから。

 ところで、有名な歌手の初期のナンバーやデビューアルバムには思いがけない発見があるものだ。それから、アルバムのB面の3曲目あたり(根拠無し。ただの比喩です。今はCDだからA面とかB面とかはありません)が良い曲だったり。シングルで言うと、A面の曲が好きなばっかりに、長い間A面しか聞いていなかった人が、ふと思い立ってB面を聞いてみたらこれがまたえらく良い曲で、そっちのほうが好きになっちゃった、なんてことが当時はよくあった。「時代」のB面の「傷ついた翼」は、まさにその典型であった。他にもこのような出会いを経て好きになった曲がある。例えばポールモーリアの「恋は水色(古っ!)」のB面、「愛の恐れ」はえらくかっこいい曲で気に入っていた。「あんた、全然恐れてないでしょ」的な、明るいアップテンポの曲。

 デビューアルバムについては、古くは「キャッツアイ」とか「悲しみが止まらない」とかを歌った杏里(知ってますかね?)のデビューアルバムがエキゾチックで魅力的だったなあ。有名になってからのレコードと聞き比べると、まるで別人のようだ。最近の例では、アメリカの歌姫、テイラー・スウィフトのデビューアルバムが、アコースティックギター主体でほとんどカントリー&ウエスタンだったりする。でもこれがまた、素朴で良いんですよ。こういう発見は結構楽しい。誰か聞いたことある人!

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 文語の語感

 そういえば昨年、少々マニアックなものを購入した。僕の年齢でこれを購入しようとする人は少ないだろう。「美しき日本の歌」というDVD8巻のセット。購入している人は80代以上がほとんどらしい。購入を決めた理由は「故郷の廃家」「故郷を離るる歌」「植生の宿」「夏は来ぬ」の4曲が含まれていたからだ。

 僕は文語の表現が好きで、これはおそらく祖父や父の影響だろう。特に祖父は児童向けの雑誌「赤い鳥」(1918~1936)を全巻揃えて大事に持っていたような人で、時代を見てもわかるように、この本は全て旧仮名遣いで書かれていて、僕は小さい頃、この雑誌に掲載されている童話をかなりの頻度で読んでもらっていた。正直、なかなか無い体験だと思う。そんなこんなで僕もいっぱしの本好き人間に育ったわけだが、いろいろ読んでいくうちに、昔の文学者が書いた文語の文に出会う機会があった。

 当時外国人の書いた詩などは日本の文学者が訳すことが多く、例えばイギリスの詩人ロバート・ブラウニングの「春の朝」を日本の詩人であり文学博士でもあった上田敏が訳したりするのだが、そんな場合、なぜか文語で訳すわけね。「全て世は事も無し」とか。これがまた何ともかっこいい。それで好きになっちゃった。

 それで「美しき日本の歌」なんだが、「此処に立ちてさらばと別れを告げん(故郷を離るる歌)」とか言っちゃうわけで。この語感、好きだなあ。でも時代が進むと、特に小学校唱歌などは不都合が生じてくる。「現代の小学生には意味がわからない」って。そこで歌詞が改編される、ということが起こる。良い例が「春の小川」。1番の「姿やさしく」という歌詞はもともとは「匂いめでたく」だし、「咲けよ咲けよとささやきながら」は最後の部分が「ささやくごとく」だった。オリジナルのまま今も歌われている曲もあるにはある。「故郷(ふるさと)」や「仰げば尊し」などがそうだ。「故郷」なんて、小さい頃は「兎が美味しかったんだ」なんて思ってた。なるほど、確かに問題だ。だけど、漢字で表記してちゃんと説明してくれたらわかると思うんだよ。だからそのための時間をとれば良いのであって。こうした+α的な情報は、子どもの好奇心を高める上でとても重要だ。ただし、僕も教員をしていたことがあるから、今の学校にはそんな優雅なことをやっている余裕なんか無いことはよーくわかっている。でも、これこそが教育だと思うんだけどなあ。確かに受験とか就職とかも大事なんだけど、人生というもの全般を考えたときに、本当に大事なことは何なのかを今の学校教育は見失っている気がする。それはつまり、教養というやつだ。だって、平均寿命を80歳、大学卒業を22歳として計算しても、学業や就職活動から解放された後の人生は単純計算で約60年あるんだよ。どう考えたって学力より教養にウエイトを置く方が利口だと思う。でも考えてみると、その60年を充実させることまで考えて勉強する余裕なんて、今の子どもにはなさそうだ。しかも「教養」という言葉自体、今では死語に近い。「総合的な学習の時間」に「唱歌『赤とんぼ』を読み解く!」なんて授業やったら、当時の時代背景や世俗文化がわかって面白いと思うんだけどなあ。

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 ビールへのこだわり

 ビールの美味しい季節になってきた。目に青葉、山ホトトギス、初鰹。これで冷えたビールがあれば言うこと無し。前に珈琲のこだわりについて書いたが、僕はビールについても小さなこだわりがある。それは「グラスに注いで飲む」ということだ。

 日本では、上手な注ぎ方をすることで味が変わる、と言われている。ビールを注ぐ達人というのがいて、こういう人がビールを注ぐと、泡の気泡が細かく、クリーミーな味わいになるという。日本人にとっては、ビールの泡も大事な味の要素なのだということだろう。ところが欧米では、泡の立つ注ぎ方は怒られるんだそうだ。要するに「泡に金を払うつもりは無い」ということだ。いやはや、そうなんですか。ところで、僕はそんなふうに泡そのものにこだわっているわけではない。 

 夏場など、バーベキューをしながら、クーラーボックスから出した缶ビールを飲んでいるのをよく見かける。僕はあれがダメなのだ。ダメ、と言っても「飲めない」というわけではない。ただ、味が少々尖った感じがするのだ。缶から直接ビールを飲むと、ほとんどの場合、泡は立たない。せいぜい「プシュッ!」という程度だ。しかし、グラスに注げば少なからず泡が立つ。つまり、含まれている炭酸が泡となって放出される。これによって味がまろやかになったように感じられるのだ。少なくとも僕はそう信じている。だから昔流行ったコロナビール(今流行っているコロナウイルスじゃなくて)の飲み方も、ライムの櫛形に切ったヤツをねじ込んで、そのまま瓶から飲むのが粋なんだ、なんて言われても、必ずグラスに注いで泡を立て、あきれられたりしていた。いや、そもそもコロナビールはあまり飲まなかったかな。

 夏の夕暮れ時など、庭に出て空を眺めながらビールを飲むことがあるのだが、そんな時でも僕は必ずビアグラスを持って外に出る。無論珈琲同様、ここでも紙コップなどは愚の骨頂だ。ご近所からは「変なヤツ」あるいは「気取ったヤツ」と思われているかも知れないが、せっかくのビールを美味しいと感じながら飲もうとする以上、ここはやっぱり譲れない。ついでに言うと、暑い盛りにはドライタイプのビールをキンキンに冷やして飲むのが好きだ。ビールにはタイプごとに適温があって、特にイギリス人がよく飲んでいる「エール」というタイプなんぞは、ぬるいぐらいが一番美味しいという。試してみると確かにそうなのだが、そこはやはりイギリスの気候ならではの話で、日本の夏にはまったくマッチしない。正直に言いましょう。もうね、味なんかどうでも良いの。こんな状況では。冷たいのど越し、この一言に尽きる。

 どのビールが好きか、これは大事なところだが、加えてどんな状況で飲むのか、さらにどう飲むか。ここら辺はもっとこだわっても良い気がする。それによって飲みたいビールのタイプが変わることだってある。それで良いではないか。さきに述べたエールだって、冬場に暖炉の前で(暖炉無いけど)飲めばこれはこれで美味しいだろう。いつものことで恐縮だが、要はそういう楽しみ方をできるだけの、心のゆとりを持つことが大事ということだ。 

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 怪獣?それとも怪物?

 日本が世界に誇る、怪獣王ゴジラ。初めて出現したのは1954年。「世紀の大怪獣」として東京を蹂躙した。以後何度も日本に現れては、首都東京を中心に破壊を繰り返す。最近では趣旨替えしたのか、世界を股にかけ、主にアメリカを襲うことを好む(笑)。

 さて、ゴジラはよく「怪獣」と表現される。が、僕の考えでは「怪獣」はあくまでも生物。そうなると、ゴジラはむしろ「怪物」であろう。というのも、ゴジラは生物の粋から外れた要素が多いからだ。まず第一にそのエネルギー源が釈然としない。よく聞くのは、体内に原子炉のような器官を持ち、核反応によるエネルギーで活動しているという説。この時点ですでに並みの生物の域を超えている。実際、ゴジラが何かを食べていたのは多分1度だけ。1998年のアメリカ版で、マグロだか鰹だかを食べるシーンがある(※1)。だが、この時の怪獣はゴジラと呼称されはしたものの、専門家(いわゆるマニア、ですね)によれば別の生物であった可能性が高い(後述)。

 これに先駆ける1984年には茨城県東海村の原発を襲い、これを破壊。通常であれば周囲は致命的な放射能汚染に見舞われるはずだが、ゴジラが炉心を抱え上げるやいなや、一旦上昇した線量が急激に低下するという現象が観測された。近年ではある特務機関が弱ったゴジラの至近距離で核爆発を起こし、カンフル剤と同等の効果を得ている。こうしたことから、ゴジラが通常の生物とはまったく異なるエネルギー代謝のシステムを持っていることは明らかだ。

 次に、ゴジラの持つ最も強力な武器であるところの、口腔から発する放射能熱線だが、これも通常の生物では考えられない能力だ。普通の生物だったら口内炎どころでは済まないだろう。特に2016年に日本に上陸した際には、口腔のみならず、背中(背びれ?)や尻尾の先端からも収束ビームとして放射する能力が備わっていた。これは体内に蓄積された核エネルギーが放出されて起こる現象と考えられ、極限まで放出した場合、ゴジラそのものは活動停止の状態となる。

 ところで初めて日本に現れた時のゴジラは体高50メートル、体重は推定2万トン。識者によれば、この設定では陸上での活動は不可能だ。立ち上がることもできず、自重で圧死するらしい。しかし、近年アメリカを襲った時のゴジラは体高100メートル超、体重は9万トンとグレードアップ。2016年に日本を襲った際はさらにそれを上回っている。形態学の常識を無視して陸上を二足歩行し、肉離れになることもなく他の怪獣と争ったりしているところを見ても、普通の生物として考えるには無理がある。参考までに言うと、1998年にニューヨークを襲った「ゴジラ」と呼称される生物は体重500トンと、より現実的な数値。魚を食べる以外にも放射能熱線の機能を持たなかったり、通常兵器で駆除されたりと、より生物的な設定で、マニアからは「あんなのゴジラじゃなーい!」と不評を買った。

 「怪獣」と「怪物」という言葉の意味を比べると、巨大で、正体不明である、という共通項がある一方、怪物には「超常的な存在」という一文が加わる。どんな生物でも、巨大化すれば怪獣にはなり得る。だがそれだけで放射能熱線を吐いたりはしない。通常あり得ない能力が加わって初めて、「怪物」となる。そういった意味で、やはりゴジラは「怪物」なのだ。だからこそ、超常的な存在であるゴジラを倒すには、超常的な兵器「オキシジェン・デストロイヤー」が必要だったわけだ。

 1954年に初めて制作された「ゴジラ」は、度重なる水爆実験を受け、核兵器の恐怖を具現化したものだった。ゴジラ自身も被害者で、劇中、「水爆実験によって安住の地を追われたために出現した」と説明されていた。初期の設定資料では、ゴジラの頭部はより人間的で、正面から見るとキノコ雲の形をしており(※2)、「体表はケロイド状の襞で覆われている」との記載がある。当時、水爆の被害者でもあるゴジラが新たな超兵器によって葬られる筋書きに、「なぜゴジラを死なせたのか」「ゴジラがかわいそうだ」といった意見が多数寄せられたという。

 時代が進み、2016年の「シン・ゴジラ」では、核兵器への恐怖が原発事故への恐怖に置き換えられ、核をエネルギー源とするゴジラの活動によって引き起こされる、都心の放射能汚染の描写がリアルに描き加えられた。これほどまでに自らの活動領域を汚染して見せたのは、「シン・ゴジラ」が初めてだろう。

 このように、時代が変わってもゴジラは常に核の恐怖を引きずっている。なぜこのような怪物が生まれてきたのか。人類による核実験や放射能汚染の影響(突然変異?)が一番の原因である事は間違いなさそうだが、諸説ありすぎてそれ以上は不明だ(※3)。時代や作品によって少しずつ解釈が違っていて、その構造や生態についてもいまだに推測や仮説の域を出ない。多分今後も解明されることはないだろう。謎は深まる一方だ。それも怪物たる所以と言うべきか。

※1 1954年の作品では、ゴジラ出現の前触れとして周囲の海域に魚がいなくなるという現象が報告されているが、これはゴジラを避けて回避行動をとったとするのが妥当であろう。

※2 後にシン・ゴジラのデザインに取り入れられた。

※3 太平洋戦争における死者の怨念の集合体、という説まである。だから南方より出現し、東京を目指すのだという。また、最近のアメリカ版では、その「モンスター・ヴァース」の世界観において、登場するほとんどのカイジュウ(「カイジュウ」はすでに英語化している)は太古から存在する地球の固有種ということになっている。ただし、キング・ギドラに関しては、劇中、宇宙からの外来種であることを示唆するセリフがある。

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 喫茶店哀歌(2) ブレンドの魅力

 以前豆にこだわって珈琲を飲む話を書いたが、今回はその番外編。

 通常喫茶店のメニューは一番上に「ブレンド」が記載してある。ほとんどの場合、価格が一番安い。(昔は次が「アメリカン」だったけど、今では絶滅してしまったようだ)そしてこの後に各種のストレート珈琲が続く。もちろん逆の場合もある。通を気取るスノッブな人たちのなかには、ブレンド珈琲には目もくれない、なんて人もいるようだが、ちょっと待て。ブレンドにはブレンドの魅力というものがある。

 ブレンド珈琲には二通りあって、一つはその店に豆を卸している業者があらかじめブレンドして納入しているもの。つまり同じ業者が入っている店はみんな同じ味。これはまあ、それでよしとしましょう。侮れないのはもう一つのほうで、これはこだわりを持つマスターが自分で豆をブレンドして作り出した、その店オリジナルのものだ。その店の顔と言ってもいい。しかも可能性は無限大。だから、店によってはブレンド珈琲を試してみるのは大いに意味のあることなのだ。そう考えてみると、「ブレンド探しの旅」あるいは「ブレンド行脚」などという楽しみ方もできそうだ。これって、すでに実践している人がいそうだな。僕はやらないけど。

 うちの近場にある店などは、マスターが豆の産地までわざわざ出かけていくほどの凝り性で、マスターがそんなふうだからブレンドも数種類あって、それぞれに特有の味わいがあり、固有の商品名までついている。価格もそれ相応で、こうなるともう「作品」。行く度に違うブレンドを味わってみたくなる。

 話は変わるけど、京都には昔、独自のブレンドを注文できる店があった。例えば「コロンビアとモカとブルーマウンテンを5:3:2で。」などと注文すると、そのブレンドを作ってくれた。今もやっているかどうかはわからないけど、なかなかに楽しい趣向だった。当時はインスタント珈琲にも同じようなシステムの商品があって、ストレート珈琲から作られたインスタント珈琲の小瓶を3本セットにして販売していた。これがあれば家でブレンドが楽しめるというわけだ。まだ結婚したての頃で、カミさんと面白がって購入したのはいいが、所詮はインスタント珈琲、残念ながら味は釈然としなかった。余談だが、このブレンド用インスタント珈琲の空き瓶の1本(グァテマラの瓶でした)は今、「出しの素(顆粒)」の入れ物になっている。

 使っている豆自体を売ってくれる店や豆を売るだけの専門店は以前からあったし、市販の豆や器具もかなり充実してきているので、今では自宅でオリジナルのブレンドを本格的に楽しむことも可能だろう。ただし、のめり込むと地獄を見るかも知れない。それほど奥が深いのが「ブレンド」の世界。ブレンデッド・ウイスキーに詳しい人は、よくおわかりのはず。

 さて、僕ぐらいの歳になれば、ほとんどの産地(コーヒー豆の)はすでに試している。焙煎方法や店の個性によってバリエーションは無限だから、味わい尽くしたなどとは言わないけど、最近では「もう凝らなくても良いかな」という気持ちが働くこともよくある。そんな時は何も考えずにその店のブレンドを注文することにしている。あるいは、ごくたまに脱線して、一緒に注文したバニラアイスをフロートにして飲んだりすることもある(要するに、やることがなくなってきたんだね)。アイスクリームが溶けるに従って味わいがマイルドになっていくその変化や、熱さと冷たさのコントラストが楽しい。浮かべたアイスクリームが漂ってきて唇に触れる感触は・・・おお、まさに氷の口づけ!(いい年して馬鹿言ってんじゃないよ)まるで「エンジェル・キッス(※)のようだ。家庭でも簡単に作れるので、ぜひ1度お試しあれ。

※ カクテルの名称。欧米では「エンジェル・チップ」。クレーム・ド・カカオとフレッシュクリームで作る、女性向きのカクテル。仕上げにカクテル・ピンに刺したマラスキーノ・チェリーをグラスの縁に渡す。グラスを傾けるとピンを軸にしてチェリーが転がり、唇に触れるので、日本では「エンジェル・キッス」と呼ばれている。