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 アニメ「葬送のフリーレン」 褒める、ということ

 (前回からの続き)そういえばこの物語には褒めるシーンが度々出てくる。「偉いぞ」といって褒めたり、頭を撫でたりするのだが、それがなんとも言えない肯定的な雰囲気を醸し出す。年老いた僧侶ハイターをねぎらって頭を撫でるフリーレン。彼女は見かけは世間知らずの少女だが、年齢は千歳を超えている。ハイターは微笑みながら、悪くないですね、と呟く。だがフリーレン自身は頭を撫でられるのが嫌いらしい。本編でも「頭撫でんなよ」と声に出して拒絶するシーンがある。子供扱いされたくないというよりは、褒められ慣れていないので戸惑っているように見える。確かに魔法の技を褒められて得意げになるシーンはいくつかあるが、人格自体を褒められても無感動に聞き流すことが多い。僕としては、物語の最後でより人間的になったフリーレンが、撫でてほしくて頭を自ら差し出すようなシーンを期待しているのだが、果たしてこの読みは当たるだろうか。それとも深読みしすぎかな。

 このアニメのメインとなるストーリーは、魔王討伐の旅から80年後の話だ。何も知らないまま逝かせたことを後悔しているのなら、もう一度会ってヒンメルと話すべきだ、という戦士アイゼンの勧めもあって、フリーレンは新しい仲間(魔法使いフェルン、戦士シュタルク)とともに「魂の眠る地」オレオールを目指す。かつて大魔法使いフランメが「死者と対話した」と記述したその場所は、大陸の北の果て、フリーレン一行が80年前に魔王を倒したエンデにあるという。前回とほぼ同じルートを辿る旅は、そのままかつての仲間たちとの記憶を辿る旅でもあった。フリーレンは新たな出会いを重ねながら、少しずつ人間を理解できるようになっていく。

 TVアニメは28話で終了(中断?)している。マンガは今も連載中なので、この先どうなるかはわからないが、その真意は劇中で言うところの「取り返しのつかない年月」を生きた者にしか理解できないだろう。だがこうした優れた作品がアニメという形態をとれば、馴染みのない「いい大人」は敬遠するに違いない。だとしたらなんとももったいない話だ。大人が見るべきアニメは数多く存在しているというのに。

 そういえば最近読んだ、いかにも「いい大人」が読みそうな本には、面白いものが一つもなかった。とかく理屈をこねくり回し、論点を必要以上に難しくとらえているように思える。だがよくできたマンガやアニメを見ていると、物事の本質はもっと単純なものだ、という気がしてくる。もし「人生はそんなに単純じゃない」と言う人がいたら、「複雑にしているのは、あなた自身かもしれないよ?」と言ってあげたい。

付 録   感動したアニメ

  「葬送のフリーレン」

  「夏目友人帳」

  「バーテンダー」(旧作)

おまけ   最近気に入っているマンガ 

  「スーパーの裏でヤニ吸うふたり」   ビッグガンガンコミックス(続刊)

  「シェパードハウスホテル」      ヤングジャンプコミックス・ウルトラ(続刊)

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 アニメ「葬送のフリーレン」 独特な死生観

 最近話題になったアニメに「葬送のフリーレン」というのがある。これがなかなか良かった。アニメとしても勿論面白いが、それに加えて妙に人生を考えさせられてしまう、異世界もののアニメだ。原作はマンガで、いくつかの賞を受賞している。

 そもそも僕は異世界アニメがあまり好きじゃない。異世界アニメはゲームから発展した過去があり、設定がワンパターンながら、小技は何でもありという(僕に言わせれば)安易なストーリーが多い。今回もPVで主人公のとがったエルフ耳を見て、「どうせいつものパターンだろう」と、ハードディスクに録画することさえしなかった。それが今回、娘が言った「『夏目友人帳』みたいなところがある」という言葉を聞いてちょっと興味がわいてきた。「夏目友人帳」は何の変哲もない(ように見える)日常のなかでの人間と妖怪の交流を描いたアニメで、大の大人を感動させるようなエピソードが多い。2008年に放送が開始されてから、現在までに第6期までがオンエアされ、今秋には第7期が放送予定という、希に見る長寿アニメだ。それだけ多くの人に愛され続けている証と言って良いだろう。

 さて、本題の「葬送のフリーレン」だが、そんなわけで僕は見もせず、録りもせずにいたのだが、カミさんがリビングのTVでディスクに録りためていたので、休日に見てみることにした。まず気付いたのは、設定が独特だということ。何しろ物語は、主人公たちのパーティー(グループ)が、普通ならメインのストーリーになるであろう魔王討伐の旅を終えた直後から始まるのだ。本編がないのに後日譚が始まるようなものだ。しかも第2話の前半までで80年が過ぎ、主人公たちのうち二人がこの世を去っている。でもこの二人、その後もことあるごとに回想シーンに登場し、物語を動かしていく。こんなアニメ、今まで見たことがない。さらにキャラクター設定や台詞回しが絶妙で、十分大人の鑑賞に堪える出来だ。むしろ子供には少々難しいかもしれない。

 パーティーの一員であるエルフのフリーレン(魔法使い)は、人間に比べると遙かに長寿で、それが人間との意思疎通の妨げになっている。10年にわたる魔王討伐の旅から50年を経て、二人の人間の仲間(勇者ヒンメル、僧侶ハイター)は次々とこの世を去るが、勇者ヒンメルの死に遭遇した時、この人のことをなぜもっと知ろうとしなかったのか、と後悔の涙を流す。もう一人の仲間はドワーフ(戦士アイゼン)で、エルフほどではないにしても人間よりは長寿で、フリーレンは今も年老いた彼のもとを訪ねることがある。この生きる時間の差が、独特の価値観や死生観を生み出している。

 勇者ヒンメルは生前、あちこちに自分の銅像を建てさせた。その理由を聞かれると、自分たちの成し遂げたことを忘れてほしくないんだ、と答える。そしてもう一つ、自分たちがこの世を去ったあと、フリーレンがひとりぼっちにならないように。うーん。なんか優しいぞ、ヒンメル。

 フリーレンはフリーレンで「みんなの記憶は私が未来まで連れていってあげるからね」なんてことを言う。みんなのことは忘れない、必ず語り継ぐ。だから私が生きているあいだは、みんなが生きた証が消えてしまうことはない、という意味だろう。劇中で何度か出てくる台詞だが、とても印象深い。

 もう一人のメンバー、僧侶ハイターは、天国にいる女神様の存在を信じているという。生きているあいだ頑張ったことを天国で褒めてくれる、そんな存在を信じることで安心できる、というのがその理由だ。80年後、新たな旅で出会ったエルフの僧侶も同じようなことを言っていた。懸命に生きた人生が死によって無に帰するなんておかしい、死んだ後も「お前の人生は素晴らしいものだった」と褒めてくれる女神様が必要なんだ、と。まるで宗教哲学の講義を聴いているようだ。その後の彼とフリーレンの会話も印象的だ。自分を褒めてくれた友人を大切にしろ、という僧侶に対して、フリーレンはその人はもう天国にいる、と答える。「そうか、ならいずれ会えるな」「そうだね」          (つづく)

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 いろいろと、天国に一番近い場所

 ゴールデンウィーク明けに茨城県常陸太田市にある竜神峡に行ってきた。日本最大級(全長375メートル)の吊り橋が売りで、5月にはそれに並行して貼られたワイヤーにたくさんの鯉のぼりが掲げられる。カミさんがそれを見たいというので、ドライブがてらに行ってみた。

 この吊り橋は龍神大吊橋といって、龍神川がせき止められてできたダム湖の上に架かっている。歩行者専用で、水面からは約100メートルの高さがあり、バンジージャンプの名所でもある。僕はここで生まれて初めての感覚を体験した。僕はもしかしたら、高所恐怖症なのかもしれない。

 橋を渡り始めてすぐ、なぜか僕は言いようのない不安に襲われた。頭上には五月晴れの空が広がり、爽やかな風が吹いている。橋は道幅もあり、ほとんど板材で覆われた手すりが両側をがっちり固めている。にもかかわらず、足がむずむずする。恐怖と言うよりは不安と言った方が当たっている。景色を眺める余裕がない。なんだこれ。僕は飛行機にも乗るし、東京タワーなども問題なく楽しむことができる。だが考えてみると、それらは密閉された空間だ。周囲が解放されていると、こんなにも不安を感じるものなのだろうか。見ればカミさんも同じような感覚にさいなまれている様子。早く終われ、と念じながら早足で歩き、ようやく対岸にたどり着いた。だが安心してはいられない。この吊り橋は観光用で、こちら側には道路がつながっていないから、駐車場に戻るにはもう一度橋を渡る以外に方法はない。どーすんだこれ。

 行きで多少慣れたのか、僕らの懸念をよそに帰りは思ったほどのことはなく、改めて周囲を見渡すと山々は新緑に覆われ、航路の下に当たるのか、飛行機雲もがいつもより間近に幾筋も見えていた。仰々しいハーネスをつけたグループはバンジージャンプの客だろう。思ったよりも多い。ビックリだ。駐車場に戻り、売店で聞いたところによると、橋の中央部の端から橋桁にあるプラットフォームに降りるそうで、その光景を想像するとまたもや足がむずむずした。今回自分の身に何が起こったのかはよくわからない。こんなことは今まで一度もなかったんだけどなあ。

 帰り道の途中で、来る時に看板を見た東金砂神社にも寄ってみた。一見ひなびた神社だが、実は対をなす西金砂神社とともに、創建806年という由緒正しい神社だ。坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折に立ち寄り、多宝塔を建立したとか、ここって一体どういう地域?さらに72年に一度、東西の金砂神社をあわせて10日にわたる大祭礼(500人を超える行列が、神輿を中心として日立市水木浜までの道のりを往復する)が行われるという。西金砂神社から始まり、東金砂神社が三日遅れて出発するこの神事は、最近では2003年に行われた。72年に1度というと、前回は昭和6年(1931年)、次回は2075年。何ともすごい話だ。ちなみに第1回は851年、2003年の催事は17回目だそうだ。

 僕らが訪れた時にはそんな大それた雰囲気は一切なく、人気のない、小砂利を敷いただけの小さな駐車場をスズメバチが飛び回っていた。境内に関係者の姿はなく、参拝者もほとんどいなかったので、山のなかの古寺といった感じ。古寺、と書いたのは誤記ではなくて、神仏習合の影響か、境内に梵鐘や仁王門があったからだ。そのほかに小さな神社には珍しい田楽堂などもある。それらを古びた急な石段が繋いでいて、参拝者は木漏れ日のなかを息を切らせながら登る。この神社が2市町村にまたがる大祭礼の源だなんて、にわかには信じがたい。だが来てみて良かった感は大いにある。お気に入りのポイントが、また一つ増えてしまったな。

 この神社がある常陸太田市は袋田の滝がある大子町のお隣なので、せっかくだから袋田にまわって前回訪れた蕎麦屋で昼食を摂り、例の和菓子屋でお土産を買って帰った。次は西金砂神社に行ってみようかな。龍神大吊橋はもういいや。

 広角で撮っているので実感がないが、脚柱の高さは35メートル、鯉のぼりは一つ一つがフルサイズの大きさ。中央下やや右寄りに写っているカラフルな点々は100メートル下の湖面に浮かぶボート。
 橋の上は舗装されていて何ら不安を感じない・・・はずなんだけどなあ。途中、何カ所か下をのぞける窓がある。
 東金砂神社。駐車場から見た入り口。鳥居をくぐってすぐ右に折れ、この黒々とした山を登る。
 仁王門。急な階段を上ったところにある。次の階段が見えている。写っているのはうちのカミさんです(以下同様)。
 仁王門から田楽堂へと続く階段。
 三つ目の階段を上ったところにある拝殿。この奥に本殿がある。一般人はここまでのようだ。
 本殿裏からの眺望。山の向こうはおそらく高萩市あたり。その向こうは太平洋。

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 まだ使える

 最近昭和が何かと話題になる。昭和という時代に憧れる若い世代の話もよく耳にする。なぜだろう。

 昭和はある意味、今よりも豊かな時代だった。優れた製品がどんどん開発され、「メイド・イン・ジャパン」は高品質の代名詞となった。こういった製品はそれなりに高価で、かといって手が届かないほどではなく、手に入れば大きな満足感があった。だから当然大事に扱う。頑丈で、たとえ壊れたとしても当たり前のように修理がきいたから、長く使うし、愛着もわく。愛着のあるものに囲まれて過ごす人生は心豊かである、というのは、これまで生きてきて実感するところだ。今はどうか。いや、今に限定しなくても、家電量販店の「修理するより買い換えた方が早い、安い」という常套句はいつの間にか当たり前になった。壊れたものはすぐ買い換える。修理の依頼は可能だが、割高で時間もかかるから、一般的ではなくなった。これでは愛着も何もあったもんじゃない。さらに今の製品が長期にわたって使える品質かどうか、という問題もある。要するに作る側の事情だ。

 ニコンといえば、日本を代表するカメラメーカーの一つであることは、誰もが知るところだろう。だが今や、その製品のほとんどは「メイド・イン・タイランド」。10年ほど前、現在の愛機であるニコンDfを購入した時に店員が言った「このカメラは国内生産ですから信頼できます」という台詞を今でも思い出す。タイや中国の技術力にケチをつけるわけではないが、自国、あるいは自社の名に恥じない製品を作ろうとする精神性においては、差が生じるのは必至だろう。つまり「メイド・イン・ジャパン」は、一般的な製品においてはもはや神話でしかない、ということだ。加えて最近当たり前になってきたプラスチック・ボディのカメラなんて、昭和生まれの僕には到底納得できない。実際にその手のカメラを壊したことがあるが、金属ボディだったらあり得ないような状況での破損だった。確かに生産性は良いようだが、強度や精度、耐熱性といった点ではまだまだ金属製ボディにはかなわない。熱や経年劣化による変形の問題もあって、カメラのような精密機械には向かない、という話も聞く。新製品の開発スピードと相まって、買い換えが前提であるとしか思えない。

 今になれば一つのものを長く使い続けることの楽しさがよくわかる。確かに修理に出している間は不便を余儀なくされるが、それと引き換えにちょっとした満足感や心の豊かさを手に入れることができるような気がする。30年使い続けている腕時計、中学生の時に買ってもらった一眼レフ、何度も修理に出した40年前のジッポ・ライター・・・。これらの品々は人生をともにする相棒であるとともに、記憶の蓄積でもある。修理やメンテナンスに対応してくれるメーカーの存在もありがたい。彼らなしにはこの充実感はあり得ない。だが修理に携わる人材も今では大分少なくなったと聞く。

 誰かがこう言ったとする。「令和に買い換えた方が早いし、便利ですよ。」だが僕は慣れ親しんだ昭和という時代を修理しながら、今後も可能な限り使い続けるだろう。そうすることによって、人の心はもっと豊かになるかもしれない、なんて最近よく思うのだ。