カテゴリー
未分類

 ボジョレー・ヌーボーの謎

 今年も11月の第3木曜日にボジョレー・ヌーボーが解禁された。結論から言うと、今年は僕好みの味じゃなかったかな。ただしこれは美味しくない、ということではなくて、単にヌーボーらしくなかったという意味で、実はここ10年ほど、毎年うっすらと感じていることだ。

 温暖化が現実の問題となってから、ボジョレー・ヌーボーはほとんどハズレの年がない。ワインの原料となる葡萄の出来はその年の夏の気温と雨量に左右され、夏が高温で、雨量が少ないほうがワイン造りに適した葡萄ができるので、温暖化によって夏の気温が毎年のように高い昨今の状況は、高品質のワインを作るのには好都合というわけだ。何とも皮肉な話だ。

 ボジョレー・ヌーボーはその年にとれた葡萄で造られた新酒で、一般のワインとは醸造法も少し違うらしい。その醸造法と、ボジョレーの原料である「ガメイ」という葡萄の特性が相まって、あの渋みの少ないフルーティーな味わいが生まれる。ところが最近のヌーボーは葡萄の出来が良すぎて渋みが多く、重い感じで、もう2~3年寝かせたくなるような味わいだ。要するに、ヌーボー本来の若々しさが感じられない。冒頭で「僕好みじゃない」と書いたのはそういう意味だ。

 ヌーボーの解禁日が近づいてくると、日本でもそれに向けてまことしやかなキャッチコピーが流布し始めるが、これが傑作というかなんというか、過去の例を挙げると、「50年に一度の出来」「100年に一度の出来」「ここ10年で最高の年」「今世紀最高の年」等々。5年ほどの間に2回「この10年で最高の出来」と評されたこともある。まあ前回を超えた、ということなんだろうけど、これでは何がなんだかわからんではないか。

 実はこのキャッチコピー、どうやら日本独自のものらしい。本家フランスの食品振興会やボジョレーワイン委員会でも評価は発表するが、「○○年に一度の…」なんてことは言わない。ネットでもよく見受けられる例なんだけど、2003年の出来に関するフランスでの公式見解は「並外れて素晴らしい年」。それが日本では「100年ぶりの当たり年」となる。このキャッチコピー、いったい誰が書いているんだろう?そもそも「100年ぶり」の根拠って何?あれもこれも、謎だらけ。けど何となく楽しいっちゃ楽しい。

 そんなこんなで数十年にわたり、ボジョレー・ヌーボーをいろいろな意味で楽しんできたわけだが、僕の感覚では最もよくできたヌーボーはおそらく2009年のもの。いちいち記録なんかしていないから保証の限りではないが、2009年は「50年に一度の出来」と評価され、その翌年、翌々年はそれぞれ前年と「同等」「匹敵」とはいうものの、「そこまでじゃねえな」と思った覚えがある。このパターンが当てはまるのは2009年しかないから、多分間違いないだろう。以来これを超えるヌーボーには出会っていない。

 そうこうするうちに温暖化が進み、ヌーボーの味わいはだいぶ変わってしまった感がある。僕のお気に入りはルイ・ジャドとジョルジュ・デュブッフという作り手のボジョレー・ヴィラージュ(※)・ヌーボーだったのだが、ここ数年は味わいが重くなり過ぎたルイ・ジャドの代わりに普通のボジョレー・ヌーボー(ジョルジュ・デュブッフ)を購入している。こっちのほうがよりフルーティーで、質も向上しているからだ。

 さて、そんなボジョレー・ヌーボーの、気になる今年の出来はというと、夏前に雨が多く降ってしまい、生産者にとっては厳しい年になったようだ。でも厳しい年だったからこそ、以前のように軽やかな味わいになるだろう、という逆説的な評価をどこかで読んだ気がする。それほど最近のヌーボーは「出来過ぎ」だったということだ。実際には、今年のヌーボーは軽やかな味わいなのに渋みが強く、バランスが悪かったように思う。もっともこれはジョルジュ・デュブッフに限ってのことなので、他の作り手についてはわからない。

 日本でのヌーボー文化はすっかり定着した感があるが、温暖化の影響も無視出来ないレベルになってきた。近年ヌーボー文化に手を染めた世代は、おそらく本来のボジョレー・ヌーボーの味を知ることはもうないだろう。何とも気の毒な話だ。

※ ボジョレー地区の中でも特に良質の葡萄が育つ地域の葡萄だけで造られたワイン。一般的なボジョレーよりも格上で、味わいも濃厚。

カテゴリー
未分類

 誰か、ミスター・ボージャングルスを知らないか?

 「ミスター・ボージャングルス」とは、アメリカのカントリーシンガー、ジェリー・ジェフ・ウォーカーが1968年にリリースした曲のタイトルだ。

 飲み過ぎてぶち込まれた留置所で、年老いた旅回りの芸人に出会ったんだ。彼はボー・ジャングルスと名乗った。白髪混じりでよれよれのシャツ、くたびれた靴を履いていた。

 彼は優しい目で自分の人生について語り、膝を叩いて笑った。「昔はショーのステージや郡のフェスティバルに出たこともあったんだぜ。南部は一通り回ったな」

 そのあと彼は、15年一緒に旅した犬のことを、目に涙を浮かべながら語った。その犬が死んでもう20年もたつのに、彼は今でも悲しんでいた。

 場が暗くなったのを察してか、誰かが彼にダンスをせがんだ。すると彼は見事なソフトシュー・ダンス(※1)を披露してくれた。高く、高くジャンプしてはふわりと着地するんだ。

 「チャンスさえあればいつだって踊るよ、でも日銭を稼いではほんのちょっと飲み過ぎて、酒場を追い出されちまうんだ。今じゃ留置所にいる時間のほうが長いくらいさ」そう言って彼は、やれやれと首を振った。すると、誰かがこう言う声が聞こえたんだ。

 ミスター・ボージャングルス、踊ってくれよ、もう一度…。

 この曲はJ・J・ウォーカーが体験した実話がもとになっているそうだ。上の文章は歌詞と実話を織り交ぜているので、本来の歌詞とは少し違うが、だいたいこんなところだ。

 「ボージャングルス」とは留置所にいた旅芸人が実名を隠すために名乗った偽名で、実は全く別の人物のニックネームでもあった。その人物とは1920年代に活躍したアフリカ系アメリカ人のダンサーでタップダンスの名手、ビル・ロビンソンという人。おそらくその旅芸人はビル・ロビンソンに憧れていたのだろう。あるいは、俺にだってあれぐらいのことはできるのに…という自負があったのかもしれない。

 「ミスター・ボージャングルス」は1970年にニッティ・グリッティ・ダート・バンドがカヴァーしたバージョンが大ヒット。71年にはビルボードの9位まで上り詰め、日本のラジオでもよく流れていた。僕が初めて聞いたのもこのバージョンだ。

 アメリカの有名なエンターティナー、サミー・デイヴィスJr.もこの曲をステージに取り入れ、思い入れたっぷりに歌い、踊った。先に紹介したビル・(ボージャングル・)ロビンソン、すなわちミスター・ボージャングル(※2)がタップの大先輩だったことも理由の一つだろうが、人種差別が当たり前だった当時のアメリカで、アフリカ系とユダヤ人のハーフである自分が、一旗揚げるために並々ならぬ苦労を強いられたことや、いつか自分の時代も終わる時が来て、落ちぶれていくのかもしれないという不安、そんな思いをあの年老いた旅芸人の姿に重ね合わせていたと証言する人もいる。確かに、晩年のコメントの端々にはそんな心情が読み取れる。

 いずれにせよ、もうこのような歌が作られることは無いだろう。もとになった出来事も、それを歌にしたソングライターの感性も、あの時代ならではのものだ。だが不思議なことに、この歌は21世紀を迎えた今も、日本人を含む数多くのミュージシャンが取り上げている。これまでにこの曲をカヴァーした主なアーティストを挙げると、ボブ・ディラン、ジョン・デンバー、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、ホイットニー・ヒューストン、ニーナ・シモン、キャット・スティーヴンス、ポール・ウィンターなど。ウィキペディアに記載された最新のものは、クリスチャン・マクブライドが2017年にリリースしたアルバムに収録されている。

 50年以上の長きにわたって愛されてきた名曲、「ミスター・ボージャングルス」。これからもあと20年や30年は間違いなく歌い継がれていくだろう。

※1 柔らかな靴で音を立てずに、しなやかに踊るダンスのこと。

※2 曲名には末尾にsが付くが、ビル・ロビンソンのニックネームにはそれがない。