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 夏と言えば怪談(その3)

 教師時代の修学旅行などにまつわる怪異譚を思い出したので紹介する。

一人多い

 ある修学旅行で、1日目、京都に向かう新幹線の中で発熱した女子生徒がいた。彼女は養護教諭とともに宿に直行、その足で病院に連れて行った。夜になって一行が宿に入ったところで合流。夕食を済ませ、熱も下がったので、グループとともに客室で就寝させた。

 翌朝、その生徒がぼくのところに来て言うことには、1日目のほとんどを宿で休んでいたために、寝付けなくて夜中に何度も目が覚めたそうだ。ふと気付いて、寝ているグループのメンバーを数えてみると8人いた。だが、彼女のグループは7人だ。もう1度数えてみたが、やっぱり8人。その生徒は部屋の入り口に一番近いところに寝ていて、室内は窓から入る街灯の光で照らされ、寝ている友人たちはシルエットになってよく見えたそうだ。怖いので入り口に向き直り、いつの間にか眠ってしまった。夜が明けてもう一度数えたときには、7人に戻っていたとのこと。

赤い橋

 3年生が修学旅行から帰ってきた。違う学年の担当だったぼくに、ある女子生徒が話してくれた土産話。

 2日目の班別タクシー行動で、あるグループがよせば良いのに、タクシーの運転手に心霊スポットに連れて行ってほしい、と頼んだらしい。運転手もその気になって、その筋では有名なトンネルに連れて行ってくれたそうだ。トンネルの手前には赤い橋があって、自殺の名所になっている、といえばわかる人にはわかる場所だ。メンバーがタクシーを降りてその橋を渡り始めると、1人が立ち止まって泣きだした。どうしたの?と聞いても、泣きじゃくるだけで何も言わない。そのうちその場にしゃがみ込んで放心状態に。これはまずいと、みんなでその生徒を抱え、タクシーまで戻った。赤い橋から離れてすぐ、その生徒は落ち着いたという。本人曰く、なぜ泣いたのか自分でもわからないそうだ。タクシーの運転手も凄く心配していたとのこと。そりゃそうだろうなあ。

裸足の脚

 「うちの家族はみんな霊感が強いんです」という男子生徒。修学旅行で宿泊するホテルに着くなり、茶化し半分に、「このホテル、どんな感じだ?」と聞いたら「結構ヤバイっすよ」という。

 翌朝、朝食の時に「昨日は何かあったか?」とたずねると、手招きでぼくを朝食会場の外へ連れ出し、「○○(男子生徒と同室の生徒)には言わないでください」と前置きして、「夜の11時頃、厭な感じで目が覚めたと思ったら、窓側から脚が歩いてきたんですよ。膝から下だけで、多分女。裸足でした。」「なんだって。窓から入ってきたのか?」「いや、窓の下の壁から湧いて出た感じッすね。それで、となりに寝ていた○○のベッドのそばまで行って消えました。残り2日間、やつが気にすると困るから、内緒って事でお願いします。」「お、おう、わかった。もし○○に何か変わったことがあったらすぐに言えよ。」「了解です。」幸い、その後は何も起こらなかった。

盛り塩

 ちょっと毛色をかえて宿泊スキー研修でのお話。2日目のスキー研修で、立て続けにケガ人が3人出た。そのうち2人は大事をとって救急車を要請。1日のうちに救急車を2度も呼ぶなんて初めてのことだった。幸い大事には至らなかったが、宿に戻ってびっくり。ケガをした3人は全員同じ部屋だったのだ。さあ大変。同室の生徒たちが「この部屋何かあるのかも!」とパニックに。仕方が無いので、宿の厨房にお願いしてそれなりの量の塩をもらい、ホテルの担当者にも断った上で部屋にまいた。残った塩は入り口と窓の両側に盛り塩に。気休めだが、とりあえず生徒たちは落ち着いた。翌日は何事もなく、無事研修を終えることができた。

おまけ コックリさんの呪い

 これはだいぶ前のこと。ある日の放課後、柔道部の部長が先生(僕のこと)に相談がある、と職員室にやってきた。柔道マンガに出てきそうな見てくれの大男だ。「なんだ?話してみ?」「ここじゃちょっと・・・。部室に来てほしいんですけど。」「なんだ、穏やかじゃねえな。」歩きながら彼が言うには、部室でコックリさんをやっていたら、どういう加減か最後に「全員呪う」と出てしまった。どうして良いかわからなくて、そのままにして相談に来た。そういうことらしい。まったく、お前らjkか?

 部室に着くとすぐ、僕はコックリさんの盤面(紙)を掴んで破り捨てて見せた。すると1人がそれを見てパニックに。「あっ!ダメだよ先生、コックリさんまだ帰ってないのに!先生も呪われるよ!」こりゃ重症だ。「そんな心配はない。嘘だと思うんならもう1度やって見ろ。オレが呪われたか聞いてみろ。」まさかホントにやるとは思わなかった。そして出た答えは、「先生は呪わない」。それを見た部員一同、「先生、すげー!チョー強ええ!」違う、そうじゃない。やれやれ、僕の株が上がっただけかい。

 結局彼等はその日の深夜に、どこで手に入れたのか、赤い鼻緒の下駄を近所の川に流しに行った(呪いを解く方法のひとつらしい)とのこと。後日よく言い諭して、2度とコックリさんはやらないと約束させた。

 どれも実際に聞いたり体験したりした話。考察は貴方にお任せします。

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 アルファベットの学習か(今日はもう書いちゃうぞ!)

 今回のオリンピックは凄いねえ。まずS氏のシンボルマーク盗作疑惑(採用は撤回)から始まって、組織委員会トップのM氏が女性蔑視問題で辞任。続いて開閉会式の演出統括、S’氏が女性侮蔑問題で辞任。同じく開閉会式の音楽担当者、O氏が過去の障害者等へのいじめ・虐待問題で辞任。さらに関連行事に参加予定の絵本作家、N氏が出演を謎の辞退。とどめは開会式前日の演出担当トップ、K氏の解任。こちらはお笑い芸人時代にナチのホロコースト(ユダヤ人虐殺)をお笑いのネタにしたことがあったからで、波紋は世界中に広がった。よくもまあ、これだけポンコツを集めたもんだと驚嘆してしまう。

 過去に馬鹿をやったことは僕も、おそらく貴方もあるだろう。僕はただの小市民だから、今更誰も問題にはしないだろうけど、それなりの地位や役職にある人物だと、話はそう簡単にはいかない。まさに「ノブレス・オブリージュ(位高ければ徳高きを要す)」。だとすると、任命する側にもそれ相当の責任が生じるだろう。もちろん本人たちも、特にO氏などは「ぼくはこういう過去があるのでふさわしくありません」という対応もできたはずなんだけど、そんな過去のことは忘れてしまっていたのかも知れない。あるいは軽く考えていたのか。それはそれで問題だけど。

 自分の置かれた立場で言っていいことと悪いことの区別がつかない、こういうのを認識不足というのだろう、多分。だが例えばK氏の場合、確かに言動には問題があったかもしれないが、本人が人種差別主義者というわけではなく、過去のことでもあり、誤解を恐れずに言うなら、もとは一般人の「失言」というレベルのものだろう。問題を大きくしているのは、もしかすると告発する側の人間かも知れない。さらにこういう「ふさわしくないかもしれない」人たちを話題性や忖度でそういった地位に就けてしまう、これもまた認識不足。問題だと思う。おまけに一度外されたM氏なんて、今になって組織委員会の名誉職に就けようなんて話もあって、各方面から総スカンを食らった。まったく想像力に欠けるというか、こんなのが今の日本なのだろうか。そう思うとがっかりだが、一番がっかりしているのは多分あのSさんだろう。嫌いなタイプではあるが、同情を禁じ得ない。さらに気になったのが、あるアスリートのコメント。「相手の心を折りにいくつもりで」ってなに?細かいことかも知れないけど、これはスポーツマンのコメントじゃないと思うんだけど。さらにネットでは結果を出せなかった選手に対する中傷が後を絶たないとか。みんなして、そんなに他人の心を折りたいのか?まさかこの雰囲気、最近のジャパニーズ・スタンダードじゃあるまいな。もしそうだとしたら、今後がとっても心配。

 IOCのB氏の言動も大分話題になったが、ごく最近では№2のC氏が開会式の欠席を表明していた2032年(だったかな)の開催地である、クイーンズランドのトップ(女性)に「東京大会の開会式に行け」と圧力をかけたとかで、IOC自体の問題も浮き彫りに。いったい何様なんだ。さらにK氏のホロコースト問題を米ユダヤ系団体に言いつけたのは日本の防衛副大臣、N’氏。もー、訳わからん。「副大臣」が政府を飛び越え、国際的な舞台でスタンドプレーって、いったい何なんだ。ついでに言うなら、開会式も「世界のワンマンショー」みたいでひどい出来。ビートTが怒るのも無理ないよ。だって彼は映画監督だもん。下手な演出には我慢できないでしょう。一つ一つの演目には見るべきものがあったわけだから、これはやはり統括する側の責任だよ。おまけに日本選手団の入場時のスマホ禁止って、気の利かない高校の校則か?ほかにもっと、やることあるでしょうが。開会式以来、関係者のコロナ感染は増加の一途だし、プレイブックも形骸化。ルールを守らない人続出。そしてそれを規制できない関係者。そうこうするうちに首都東京の感染者は3,000人を越え、すでに呪文も効果無し。呪文って、ほら、あの「安全~安心~」てやつだよ。唱える回数がまだ足りてないんだ、きっと。さらにさらに、コロナウイルスが原因で食事すらままならない国民がたくさんいるのに、まだ食べられる弁当を4,000食分捨てたとか、もー、あげ始めたらきりが無い。いくら何でも、不手際多すぎ。高校の文化祭のほうがまだマシかも。これじゃ頑張っているアスリートたちがあまりにも気の毒だ。前出のSさんも、世界に向かって胸を張るのはもうムリなんじゃない?

※「ノブレス・オブリージュ」フランスの格言のようなもの。文学者、開高 健が愛したことばでもある。

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 日本語の語感 

 今日、初めて蝉の声を聞いた。と言っても、ミンミンゼミやアブラゼミのような王道ではなく、明け方どこからともなく聞こえてくる単調なあれだ。

 七夕が過ぎたばかりで、関東はまだ梅雨も明けていないが、蝉の声を聞くと一気に夏を感じるのは僕だけではないだろう。この後梅雨が明ければ太平洋から白南風(しらはえ)が吹き込み、本格的な夏がやってくる。

 南風(はえ)というのは、夏に太平洋高気圧が南から運んでくる熱風のことだ。梅雨時期の湿った風を黒南風(くろはえ)、梅雨明け以降の乾燥した風を白南風(しらはえ)と言う。こうした日本独特の語感が何とも好きだ。だいたい、南風と書いて「はえ」と読ませるなんて、当用漢字ではあり得ない。そう言えば、「城ヶ島の雨」という歌曲の歌詞に「利休鼠の雨が降る」というのがある。別にネズミが雨のように降ってくるわけではなくて(それはほとんどホラーですね)、あの有名な茶人、利休が好みそうな渋い灰色の雨が降っている、という意味だ。この「利休鼠」という色を実際に利休が好んだという事実はなく、「好みそうな」と、勝手に判断しているところが面白い。色としては緑がかった灰色で、「りきゅうねず」と読むのが正しいそうだ。しかし、なぜ「ねず」で切ったんだろうねえ。

 昨年2月にプチ入院したエピソードでも触れたが、「東雲(しののめ)」とか「暁(あかつき)」などといった語感も好きだ。色の名前にも「浅黄(あさぎ)」とか「萌黄(もえぎ)」など、良い語感を持つものが多い。面白いのは、同じ「あさぎ」でも、「浅黄」だと黄緑系なのに、「浅葱」と書くと青系の色になる。そういえば、20年以上前にある通販サイトで「500色の色鉛筆」というのを買った。今もリビングに飾ってあるが、この色名も凄かった。「クレオパトラの朝食の蜂蜜」だの「ジュラ紀のアンモナイト」だのと、よくもまあ500通りもこじつけたものだと感心してしまう。別に茶化しているわけではない。実際そのセンスはなかなかオシャレだった。ただし、鉛筆自体は「この色とこの色、どこか違うか?」なんていうこともあってちょっと笑える。

 ところで、この曖昧とも言える日本語の語感の形成は、いったい何に起因しているのだろうか。僕が思うに、ひとつは四季の変化。狭い国土であるにも関わらず、その変化が比較的大きいこと。そうした変化の中で夏に憧れたり、春を待ちわびたりするうちに感性が磨かれ、「歳時記」や、俳句における「季語」などという季節感を大事にする文化が育まれていった。そして同時に「うるさいな。まるで5月のハエみたいだな。よし、五月蠅と書いて『うるさい』と読ませちまおう」などという訳のわからないセンスが育まれた・・・かどうかはわからないが、そんなレベルの思考の流れが多分あったのだろう。そしてもう一つがアニミズム。

 日本では八百万(やおよろず)の神がいるだけでは事足りず、なんにでも魂が宿ってしまう。使い古した道具を粗末にすると祟られる、なんていう話もあるぐらいだ。つまり何にでも容易に感情移入できる特質。こうした要素が相まって、初夏を麦秋(麦にとっての収穫期=秋)と読んだりする独特の感性や価値観が形成されていったのではなかろうか。他に考えられるとするならば、まあ適当なんだろうね、良い意味で。だって「南風=はえ」とか、当て字にもなってないもの。

 これから盛夏を迎え、8月下旬になるとミンミンゼミやアブラゼミの声が次第にツクツクボウシに変わっていく。空にはトンボが目立ちはじめ、水田は黄色く色づいていく。こうした微妙な変化を無意識のうちに感じながら生活してきたのが日本人なのだろう。

 僕の愛読書に「一度は使ってみたい 季節の言葉」というのがある。著者は長谷川櫂という現代の俳人。俳句の季語を、それにまつわるエピソードを紹介しながら解説している。お堅い本ではなく、気軽に読める体裁だ。水野克比古という写真家の写真が添えられていて、これもなかなかいい。後に続編も出版された。ちょっと気分を変えたいときなどに重宝している。残念ながら今は絶版だと思うが、どこかで見つけたら、ぜひ目を通してみて欲しい。こんなに多種多様な日本語があったのか、と驚くこと請け合いだ。

 2ページでひとつの言葉を解説している。それぞれに写真が1枚。このページでは「端居(はしい)」という言葉について触れている。「夏の夕暮れ、縁に腰かけて一抹の涼を探るのが端居である」とある。