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 知ることの意味

 「まったく、近頃の若いもんは」という言い回しがある。最近ではあまり使われなくなってきたようだが、一昔前までは若者の所行にあきれた大人や老人の決まり文句だった。

 このあいだ娘と話していて気付いた。僕は昭和の生まれなので、今までに昭和・平成・令和の時代を生きてきたことになる。だが娘は昭和をまったく体験していない。僕は昭和とそれ以降の時代を比較し、その善し悪しについて論じることもできるが、娘はそれができない。できなくて当たり前だ。「近頃の若いもん」は比べるべき昭和の時代を知らないのだから。価値観の相違に業を煮やすのもわかるが、それは理不尽というものだ。だが、彼等が何らかの方法で昭和について知ることができれば、話は変わってくるはずだ。

 人は物事を判断するとき、「知っていること」をもとに判断する。行き詰まれば、自分が知らないことを知っていそうな他人に意見を求める。歴史、書物やネット、時には一本の映画から新しい知識を得ることもある。「知る機会」は生活の中にいくらでも転がっている。問題はそれに気づき、生かそうとする意思があるかどうかだ。

 2021年、アメリカの大統領選挙に絡んで保守派の暴徒が議事堂に乱入する事件があった。この時いち早く反応したのが、元カリフォルニア州知事で俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーだった。彼はネット上で、この事件をナチス・ドイツ(ナチス政権下のドイツ)のユダヤ人に対する暴挙、「水晶の夜(※)」になぞらえて非難した。彼は(第二次世界大戦の)戦後世代だが、動画の中で「水晶の夜のことは父から聞かされていたので、よく知っている」と語った。

 ご存じのように、彼はオーストリア出身だ。オーストリアといえば、第二次世界大戦直前、ナチス・ドイツに一方的に併合された国だ。この時のことはミュージカルの名作「サウンド・オブ・ミュージック」でも描かれていて、ラストではヒトラーに迎合するのを嫌ったオーストリア海軍のトラップ大佐が、家族とともに祖国オーストリアを脱出する。(トラップファミリー合唱団のエピソードも含めて実話に基づいている。)こうした状況下でシュワルツェネッガーの父親は警察署長を務めていた。後にナチに入党し、「突撃隊(ナチの私設警護隊)」隊員となる。そんな父親とシュワルツェネッガーの関係は芳しくなかったが、当時の話をよく聞かされていたことは想像に難くない。「水晶の夜」は併合後のオーストリア領内でも起こっており、彼にとってこの事件の話題は許しがたい不愉快なものだったに違いない(後年シュワルツェネッガーは当時の父親の動向について、その筋に詳しいある機関に調査を依頼している)。こうしてシュワルツェネッガーは、良くも悪くもあの時代を生きた父親から学び、知識を受け継いでいた。だからこそ、あの説得力のあるメッセージが生まれたのだろう。

 ところであの事件に関わり、「やってることはナチと同じだ」と指摘されたアメリカ人達はどう思っただろう。真っ向から否定しただろうか。あるいは確信犯として民主政治の象徴とも言える議事堂を襲ったのか。その可能性も否定はできない。アメリカには白人至上主義を掲げる過激な極右団体が多数存在している。ちなみにナチは極右政党だ。彼等はナチが何をし、最終的にどうなったかを知らなかったのだろうか。

 今回、民主主義のリーダーとも言えるアメリカの、明らかな思想的矛盾が広く露呈した。が、驚くまでもない。人の世とは、そもそもそういったものだ。僕らが思うよりも遥かに複雑で、時々刻々と変化する。しかも「歴史は繰り返す」から厄介だ。教訓はいつの間にか忘れ去られる。だからこそ、正しく学び、知ることが大切なのだ。

※ ヒトラー政権下のドイツ各地で、1938年11月9日夜から10日未明にかけて起きた反ユダヤ暴動。ユダヤ人住居、商店、宗教施設などが襲われ、破壊・放火され、その際、100人近いユダヤ人が殺害された。主導したのは「突撃隊」で、一般国民の中には身の危険を冒してユダヤ人を助けたものもいたが、警察・消防は見て見ぬふりだった。ただし事件後には、3万人もの被害者であるはずのユダヤ人が逮捕され、強制収容所に送られた。実際にはナチス政権が主導していたという疑いが濃く、特に宣伝相ゲッペルスの関与は確実視されている。そこら中に散乱したガラスの破片が月光に照らされて、まるで水晶のようだったという。

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 CMという名の名画劇場

 今でも覚えている印象深いCMがある。例えばサントリーのショーン・コネリーが出てたやつとか、ダーバンのアラン・ドロンが出てたやつとか。まるで短編映画のような趣があり、画面作りもめちゃくちゃ凝っていて、宣伝する商品よりもCMそのもののほうが印象に残る。BGMも、もしかするとその為に作曲されたんじゃないかと思うほど(本当のところはわからない)マッチしていた。そして何よりも、商品とはまったく関係ないようにすら思える重厚な語り。ウイスキーのCMのなかで「時は流れない それは積み重なる」なんて言ってみたり、スーツのCMのなかで「彼は幸せか これだけがたったひとつの友達への問いかけ」なんて言ってみたりするのである。しかも、映像の中の人物がカメラ目線になることはなく、このへんも映画っぽい。おそらく「こんな人生を送る人がこのウイスキーを飲むのだ」とか、「このスーツを着るのだ」という回りくどい言い回しなのだが、それが妙に説得力があった。僕もあんな人生を送ってみたい、こんな場面に出くわしたい、と思わせる何かがあって、だまされてるなあ、なんて思いながらも納得してしまうのだ。ウイスキーなんて、宣伝されている銘柄を美味しいと思ったことがなかったとしても、なんだかその銘柄を飲みたくなる。そうすればあんな人生を送れるかもしれないという、大いなる大誤解。ああ、クリエイターの感性、恐るべし。しかも嬉しいことに、これらはCMであるから、何度でも無料で見ることができた。

 ほかにも「果てしない創造への旅立ちが、今、始まる」(ニコンF2フォトミック)とか、「UFOの出そうな荒野で 羊飼いの青年に会った。(中略)僕らは本当に豊かなのかな」(サントリーオールド 羊飼い編)などという語りもあって、これがまた、BGMと相まってかっこよかった。僕なんぞは、サントリーとダーバンのCMについては新作(商品ではなくCMの)が待ち遠しくて、それがたいしたことなかったりすると本気でがっかりしたものだ。

 今ではそれほどお金のかかった(ように見える)CMはほとんどない。ビールなんか、グビッと飲んでいきなり「うまいっ!」なんて言う。演出も何もあったもんじゃない。押しつけのように感じてしまう。「いや、オレも飲んでみたけど好みの味じゃなかったよ」と返したくなる。うまいかどうかの前に、味がない。(うまい!自画自賛。)

 イメージが近いCMがないわけではない。焼酎二階堂のCM。あれはよくできている。ただ、とても日本的で、マイナー調なのが残念。・・・待った。ひとつ思い出した。缶コーヒーのボス。アメリカの名優、トミー・リー・ジョーンズ、どんだけ日本好きなんだ、とか思ってしまう。往年のものと比べるとかなり安っぽいが、平成最後の総集編など、胸が熱くなる。・・・あ、そうか!ボスの会社はサントリーだった。こうして細々と続いているわけね。

 これらのCMは今でもYouTubeで見ることができる。同じように感じている人がいるらしく、ダーバンなんて、きちんと編集したりしているところを見ると、相当好きなんだろうなあ。サントリーも上記したものの他に「スタインベック編」とか、「ヘミングウエイ編」などと銘打ってUPされているものもある。そのうちブルーレイとかで販売してくれるかも。そうしたら真っ先に購入するんだけど。

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 春の匂い

 春の匂い というのがある。

 よく娘たちと散歩をする。娘と近くの小さな神社まで往復する。娘たちは神社で賽銭をあげ、何かしら願掛けをしているようだ。このような日常を送っていると、普段気付かないいろいろなことが見えてくる。例えば、季節ごとに空気の匂いが違うこととかだ。

 僕の住んでいる地域では、春になると何とも言えない芳香が漂ってくる。秋の匂いであるキンモクセイの香りは家族の誰もが知っている。キンモクセイはうちの庭にも植えてあるからだ。だが春先のこの匂いは、もっとつかみ所がない。娘が外から帰ってくるなり、                        「パパ、今日春の匂いがした!」              などと叫び、いそいそと外へ出るようなこともあった。僕が車を洗っているときに、風向きが変わるなり匂ってきたこともあった。しかし、いつもその出所はわからずじまいだった。娘たちと議論したこともあったが特定に至ることはなく、次の春までの宿題となるのが常だった。だから、うちではとりあえず「春の匂い」ということになっていた。                               

 こうして何年かが過ぎ、僕はあることに気付いた。うちの庭には小さな梅の木があって、最近立派な実をつけるようになったので、ここ数年自家製の梅干しを作っている。その梅の花の香りが、どうもあの匂いに似ているのだ。少なくともその一部であることは間違いなさそうだ。そう言えばうちの近所には梅畑がある。少し離れているので、風向きによって匂うことがあるのも頷ける。ある年、春先にその梅畑に行ってみた。なるほど、この匂いに間違いないようだ。僕は家に帰って娘にそのことを告げた。

 こうして一つの話題に結論が出た。しかしその後すぐ、それは同時に、僕らが一つの話題を失ったことを意味することに気付いた。なるほど、こんなふうにして僕らは大人になっていくんだな、と思った。べつに「春の匂い」のままでも良かったのかもしれない。今ではそんなふうに思うもう一人の自分がいるのである。

「春の匂い」のもとになっていた梅林