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 続 鉄道150年

 あのあとちょっと探してみたら、いやあ、出てきましたよ、当時の写真が。せっかくだから少しUPしてみたい。

1972年、羽越本線のD51。煙突から砂箱への独特な形状から、「ナメクジ」と呼ばれる。写真の保護フィルムに傷が…。
同上。重連が必要な路線でもないので、1両は多分回送?
同上。ただし1971年の1回目の時かな?
同上(ナメクジではない。これも多分1971年)。
1973年、中央西線のD51。重連ですね。
同上。
同上。
同上。
1972年、水郡線の8620型。
2014年、水郡線のC61。これだけがデジタル写真。

 せっかくだからついでに…。

羽越本線のD51101号機。1972年。これも保護フィルムが傷だらけ。
でもってその1年後、中央西線で再会した時のD51101号機。えらく立派になっちゃって…。

 1971年のころは確かコニカのレンジファインダーカメラだった。1972年以降はオリンパスM-1(のちのOM-1)を購入、親父のカメラ(アサヒペンタックスSV)にモノクロフィルムを詰めて併用したりもしたっけな。どちらのカメラもまだあるよ。

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 鉄道150年

 このところやけに鉄道がらみのTV番組が多いと思ったら、今年は鉄道150年に当たるんだそうだ。そうか、あれからもう50年経つのか・・・。何を隠そう僕は、昔鉄道ファンだったのだ。今で言う「撮り鉄」というやつだ。なぜ「昔は」なのかというと、僕の興味がSLに特化していたからだ。

 今でもSLが牽引する特別列車はあるが、綺麗に磨いてあったり、お化粧してあったりでどうも食指が動かない。あの頃はちょうど鉄道100年を迎えようとしていた時代で、地方にはまだ貨物列車などをSLが牽引している路線が残っていた。僕が小学生だった頃のことだ。

 あるとき、知り合いのおじさんが羽越本線のSLを撮りに行くというので、一緒に連れて行ってもらうことにした。当時のことだから、上越線の寝台急行で新潟県の新津まで行き、明け方羽越本線へと乗り入れる。まだ架線用の電柱も立っていない区間が多く、客車はディーゼル等の、いわゆる気動車がメインで、貨物列車をSLとディーゼル機関車が担っていた。SLが引く旅客列車もわずかに運行していて、運が良ければ乗車することができた。

 僕たちは新津からほど近い「坂町」駅周辺で朝から数時間撮影し、その後北上して「桑川」~「今川」間を線路沿いに歩きながら、通り過ぎる列車を狙った。この道は鼠ヶ関街道といって、岩山が海岸まで迫り、北上する場合右手にトンネルだらけの線路、左手には美しい日本海が拡がっていて、「笹川流れ」「眼鏡岩」といった景勝地が点在する、歩いていて飽きないルートだった。海の色は、周囲の岩山が砕けてできた黄色みがかった砂に起因するエメラルドグリーンで、太平洋側に住む僕にとっては初めて見る海の色だった。

 最終的に山形県の坂田まで足を伸ばし、そこで1泊。翌日は往路を逆にたどり、1日かけて帰ってくるという、ある意味強行軍だった。それでも僕は、まるで生き物のような息づかいを感じさせるSLにすっかり魅了されてしまった。1年後に再び羽越本線を訪れたのを皮切りに、中央西線、小海線、陸羽東線、水郡線(特別運行)、青梅線(特別運行)と矢継ぎ早に足を運んだ。その間に父親を抱き込み、写真集も買い集めた。中でも気に入っているのが、鉄道写真家である広田尚敬(ひろたなおたか)氏の「四季のSL」という写真集。これはあくまで個人的な意見だが、「四季のSL」は単なる鉄道写真というより、「SLが映り込んだ風景写真」であったり、「地域の住人とSL」といった体(てい)の作品が多く、巻末の情感溢れる解説文と相まって、完成度の高い1冊。1971年に朝日新聞社から出版された。広田尚敬氏は今も現役で、TVでもたまに見かける。昔はやせ形の長身(当時としては)で、芸能人のような容貌だったが、今は優しい笑顔が印象的な好々爺、といった感じ。まあ、ご高齢(86歳?)だから無理もないけど。

 さて、僕はといえば、最後の撮影は2014年で、水郡線での全通80周年記念の特別運行。比較的大型のC61が来るというので勇んで出かけたが、予想どおり人が多くて、とりあえず撮りました、という感じ。前回(50年前)、鉄道100年記念の特別運行を撮影したときは8620型という大正時代製の軽量なSLだったのだが、これは当時の水郡線が2級幹線であったため、大型のSLが入れなかったからだと聞いた覚えがある。いつの間にC61ほどの重量級SLが運行できるようになったのだろう。もしかすると、例の東日本大震災のあと、復興のさいに改修されたのかもしれない。水郡線(茨城県水戸駅~福島県郡山駅、非電化)は僕にとって近場なので、C61のような大型機が入れるのであれば、今後がちょっと楽しみだ。ただ、最近の一部の撮り鉄たちの暴挙を見ると、腰が引けてしまうのも事実なのだが・・・。

 尚、当日走ったC61の20号機(C6120)は、JR東日本高崎車両センター高崎支所の所属で、当時群馬県を中心に、旅客列車の牽引機として活躍するとともに、多くの出張運用も行っていて、水郡線に来たのもその一環だった。

追記 初めて行った羽越本線の坂町駅で出会ったSLのなかに、D51の101号機(D51101)がいた。2回目の時もいた。その数年後、中央西線の中津川~南木曽で再会したのには驚いた。いつの間に回されてきたんだろう。ここでは一時、「鉄道101年」に因んで、青いナンバープレートをつけて旅客列車「快速木曽路」号を牽引していた。

 今この記事を書きながらふと思いついて検索してみたら、彼女の記事は予想外に多く、昔「オオタキ」が出していたD51のプラモデルが101号機だったり、さらに今では静岡県島田市の中央小公園に静態保存されていることもわかった。画像を見ると、最近保存会ができたこともあって、状態もまあまあのようだ。懐かしいなあ。是非とも一度、会いに行きたい。

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 ちょっと悲しい

 あれから40年にもなろうかという昔、当時の仲間と奈良の斑鳩の里をレンタサイクルで回ったことがある。あの頃の斑鳩は本当に田舎然としていて、いかにも「里」という呼び名が似つかわしい佇まいだった。

 お地蔵様がいらっしゃる以外何の変哲もない道ばたに自転車を止め、一休みしたとき、その傍らに小さな物干し竿のようなものがあるのに気付いた。よく見ると干し柿を括った紐が2、3本ぶら下がっている。干し柿の大きさも、縛ってある間隔も不揃いだが、どの紐にも同じ数の干し柿が結びつけられていた。なんだろうと思ってさらによく見ると、値段を油性ペンで書いた四角い缶が石の上に置いてある。持ち上げて振ってみると、硬貨が何枚か入っているようだった。要するに、いわゆる無人販売所の類いなのだろう。しかし、いかにお地蔵様が見ているとはいえ、そこまで人を信じて良いものかと正直驚いた。僕の地元にはそのような販売形態はなかったし、当時の僕はそういった販売形態の存在すら知らなかったから。

 今では地方へ行くと野菜や果物の無人販売所をよく見かけるし、町中でも、例えば冷凍餃子の無人販売所などが増えているという。その存在が外国人には日本人の美徳と映る、という話も良く聞く。だが、最近そういった日本人の美徳が危うくなってきた。支払いをせずに品物を持ち去ることを何とも思わない輩が増え、果ては神社仏閣の賽銭まで盗み出す不届き者もいる。なぜだろう?コロナ禍による経済の停滞や、追い打ちをかけるように家計を襲った値上げラッシュにより、お金に困っている人が増えるのはわかる。だがニュースを見る限り、それだけで説明できるほど、事は単純ではない気がする。無人販売所の問題は単なる一例に過ぎず、ネットやスマホを利用した「汚い金儲け」の話は後を絶たないし、一時は外国人が中心だった悪質な「転バイヤー」も、最近では日本人の例も多い。彼らは決してお金に困っているわけではない。ただただ貪欲なだけだ。他人のことなど気にもしない。これはもう、品位とか良心とかの問題だろう。

 その昔、江戸時代末期に日本を訪れていた外国人が、江戸市中での庶民の生活を見て、「江戸の街にも貧乏人はいるが、貧困というものは存在しない」と賞賛したそうだ。長屋住まいをするような下層の人々は、自然発生的な共同体を築いて助け合っていたらしい。実際昭和の時代でも、うっかり切らした醤油や味噌の、隣同士の貸し借りはよくあった。お礼にその日のお総菜を返したり、茶菓子を届けたりしたものだ。それが今では、隣に住んでいる人の顔も知らない、といった状況が当たり前になっている。コミュニケーションの機会がなければ、助け合うことなど不可能だ。そんな中で、無人販売所の存在は良心のバロメーターでもあったはずだ。だが今では、そうした信頼関係が易々と裏切られていく。いったい日本人はどこへ行こうとしているのか。

 外国人に言わせると、こうした無人販売所は海外では成立しないそうだ。品物があっという間に盗まれるというのだ。ある意味、日本も国際社会に準ずるようになってきたということなのだろうか。でも、こんな「グローバル化」は嫌だなあ。

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 言い方

 ずっと気になっていたことがある。いや、気になっていたというよりは、むしろ不快に思っていたと言った方がいい。それはネットへの書き込みにおける「言葉の使い方」の問題だ。例えばある投稿者がいたとする。それに対してアンチ(反対論者)が何か批判的なことを言ったとして、投稿者がさらに反論するような場合、ちゃんとした議論になっていれば読む側も興味を持ったりするのだが、時に単なる個人攻撃になっていくことがある。そんな場合、使われる言葉も子供じみた乱暴なものであることが多い。これは読んでいてとても不快だ。

 この手の問答は結果的に言い争いになっていく。相手と考え方が違う場合、その論点をはっきりさせて、説得力のある言葉で自分の主張をするのならまだ良いのだが、なぜか「頭悪いんじゃないの?」などと、書いた人物を攻撃する。こうなるともはや議論ではなく、単なるなじり合いだから、文章もわざと挑発的に書き込んでくる。しかも語彙が少ないのか、稚拙で品がない。これではどちらが頭が悪いのかわからんではないか。仮に互角に張り合っているんだったら、結果的に言ってレベルは同程度って事だろうし、いちいち取りざたしない方が賢明な場合だってある。「なるほど、そういう考え方もあるんですね。憶えておきます。」それで良いじゃないか。なんでこうも勝ち負けにこだわるかねえ。そう言うと、今度は僕が「これは勝ち負けの問題じゃない!なんでわからないんだ!頭悪いんじゃないの?」なんて噛みつかれるかもしれないが、傍目には「相手」を言い負かそうとしているようにしか見えないんだから仕方がない。

 そもそも人間がたくさんいるんだから、考え方だって千差万別だ。そんな中で「自分こそが正しい!」と主張すること自体無理がある。そういう認識からスタートすれば、いちいち目くじらを立てることもない。投稿するのはかまわないが、万人の目に触れるネット空間だからこそ、もう少し品位をもってコミュニケーションして欲しいものだ。

 会話や文章には人間性が表れる。時にはその人が歩んできた人生さえ垣間見えることがある。言いたくはないが、これは事実だ。なじり合いや個人攻撃の応酬では、良識のある閲覧者は誰もその論拠を理解しようとはしないだろう。え?理解されなくてもいい?書き込めばそれだけで満足?なるほど、そういう考え方もあるんですね。憶えておきます。