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 断捨離の日々 3 エアソフトガン

 今でも時々エアガンやモデルガン(以下トイガン)の手入れをする。ずっしりと重い拳銃やライフル(実銃に近い重量のあるものばかりを購入してきた)のほこりや汚れを取り除き、オイル(シリコンスプレー)を引き、可動部の動作を確認する。はたから見れば馬鹿みたいに見えるかもしれないが、これが楽しい。

 以前はブルーイングを施したりもした。ブルーイングとは本来、スチール製の実銃の表面に専用のブルーイング液を塗布して化学反応を起こし、防錆処理をする仕上げの方法で、現在売られているトイガンの材料である、金属粉を含んだ樹脂にも効果がある。ただしブルーイング液を塗布する前に表面をきれいに磨いておく必要があり、これが結構手間だ。だがうまくいけば実銃同様に青光りする金属まがいの光沢が得られる。

 うちにはかなりの量のトイガンがあるが、よくある話で、気に入って引っ張り出す数は限られている。それ以外は所有欲を満たすために購入したようなものだ。今回、そういった遊びの対象になっていないものの大部分と、故障や破損個所のあるものを処分することにした。

 例によってネットで下調べをしながら業者を選び、長物(ライフルや小銃)が多いので出張査定を依頼。当日やってきた若者はさすがに専門ショップのスタッフだけあって、共通の話題で話が弾み、楽しいひと時を過ごすことができた。特にサバゲー派の彼が知らない時代のトイガンや、メーカーによる再現度の違い、前記したブルーイングの話題などは興味深かったようで、身を乗り出すようにして僕の話を聞いていた。

 そんななかで「六研エラン」という、昨年業務終了した高級モデルガンメーカーの古いカタログと、当時僕がオーダーメイドした現物を出して見せると、「このころ僕、まだ生まれていないかも…奇麗な仕上げですねえ」と感嘆していた。確かに、当時の表面処理は昨今の製品よりも美しい仕上がりだったように思う。

 このコルト1911A1はナショナルマッチ(1935)というモデルで、当時すでに100丁の限定販売が終了していたのだが、たまたま何か問い合わせたいことがあって六研エラン本社に電話したときに、話が盛り上がるなかで「難しいことでもないので、良かったら1丁仕上げて送ってあげましょうか?」と言ってくれた。このメーカーはモデルガンを旋盤加工で手作りするので、ベースが同じであれば刻印やパーツの変更だけでそれが可能らしい。

 僕は先ほど「オーダーメイド」と書いたが、要するにこれは六研エランのご厚意による非公式な受注生産品で、そんな曰くのあるモデルガンだから、もちろんこれは買取の対象にはなっていない。

 さて、今回の査定は品物を持ち帰って後日査定額を通知するというかたちだったが、査定も彼が担当し、結果を所見込みで紙データでも送付してくれたので安心感があった。なかでも数丁出したブルーイング済みのトイガンを「奇麗です」と評価してあったのがうれしかった。多分気を使ってくれたんだろうなあ。

 さらに驚いたのがその合計評価額で、僕の予想をはるかに上回っていた。ブツはまだ半数が残っているので、時が来たらまたこの業者を利用させてもらおう。その時にまだ彼がそこで働いているようなら、また会いたいものだ。

 六研エランのカタログ。かなりのバリエーションだが、2025年の業務終了までにさらに多くの製品をラインナップした。
 これが非公式に発注した「コルトナショナルマッチ(1935)」。武器に「美しい」もないものだが、マニアには見目麗しく見えるのだ。シンプルな2列の刻印がきれいで、そこが気に入っている。
 奇麗でしょ?旋盤仕上げなので完全にフラットで、エッジも立っている。この青黒い色味はブルーイングではなく、特殊なコーテイングによるもの。グリップは木製のあと付け。20年以上前に買った高価なオモチャだ。
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 断捨離の日々 2 オーディオ

 9月、前回書いた断捨離の第一弾として、長年とっておいた古いオーディオ機器を処分した。その中には高校時代から使っていたテクニクスのカセットデッキや、ヤマハのレコードプレイヤーも含まれていた。その他に中古で手に入れたヤマハのA級プリメインアンプや、テクニクスの1970年代のハイエンドカセットデッキ、イギリスの老舗、KEFのスピーカー等もあったが、いわゆる高級オーディオとは言えないものばかりだ。

 出張してもらったのはTVやネットでCMを流しているよく知られた業者だったが、レビューを見ると「期待した金額ではなかった」という意見も多いようだ。実際キャッチコピーを見ると、「高級オーディオを高く買い取る」ということだから、高級オーディオではないうちのブツは買いたたかれる公算が大だ。

 うちに来た担当者は、こう言っては何だが全然面白みのない若者で、通電確認もしないまま30分足らずで査定を終え、0査定がいくつかあります、それらは買い取れません、という。このクラスのオーディオは相手にしていません、と言われた気分だ。査定額がついたものも思った通りの低価格で、ほーら、やっぱり、という感じ。でも予想していたことだし、しゃあないか。

 「処分が目的なんで、0査定のものも持って行ってくれないかなあ」と頼むと「数も少ないし…わかりました、いいですよ」と言って彼は機材を車に積み込み始めた。最後までビジネスライクで、文句を言われる前に仕事を終わらせたい、と言わんばかりの態度だ。まあ彼の立場だといろいろあるんだろうなあ。それはそれで察するに余りある。

 彼が帰った後、置いて言った現金の半分をカミさんにわたし、「思った以上に安く買いたたかれたよ」と声に出して言ったあと、急になんだか複雑な気持ちになった。別に安く買いたたかれることは覚悟していた。じゃあなぜこんな気持ちになるんだ?しばらく考えているうちにその理由が分かった。

 前記したテクニクスのカセットデッキとヤマハのレコードプレイヤーは、今は無き親父と高校生の僕がさんざんカタログを調べ、予算内で最善と思われるコンポーネントを組んだ、その一部だ。カセットデッキはしばらくしてCDに取って代わられ、出番を失くしたが、レコードプレイヤーは2000年に入ってからも使っていた。いわば人生を共に生きてきたようなものだ。でもそれはあくまでもこちらの事情で、当然査定にはかかわらない。要するに、自分の思い入れには何の価値もない、と言われたような気がして、僕は静かに憤慨していたんだ、多分。

 僕がいわゆる買い取り業者を利用するのは今回が初めてだ。今まではカメラの下取りしか利用したことがなかったが、その時は専門的な知識のあるスタッフと楽しくやり取りしながら、納得のいく売買を進めることができた。今回のオーディオについても、もしこちらが納得できるやり取りをした上で話がまとまれば、結果が同じでもこんな気持ちにはならなかったかもしれない。今回やってきた若者は、おそらく会社の作った買取マニュアル通りに動いていただけだろう。そこには無駄なやり取りが一切なかった。人間力の欠如とは、つまりそういうことだ。

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 断捨離の日々 1

 久しぶりにキーボードをたたいている。1か月以上間が空いたので、「このブログが1か月止まったら俺に何かあったのかも…」なんてうそぶいていた手前、何人かの知り合いには心配されたかもしれないが、そんな理由ではないのでご安心を。

 今年の夏は8月中旬からやけに涼しくて、大好きな夏空を見る機会が少なく、おまけに8月後半の台風の影響で、夏の終わりを告げるツクツクボウシの声もろくに聞けなかったので、なんだか拍子抜けしてしまった。

 そんななかで僕にはちょっとした心境の変化があった。とは言うものの、それは「今日から俺は!」であるとか「○○部活やめるってよ」というほど仰々しいものでもなかったんだけれども。  

 それは具体的に言うと、「人生欲しいものがすべて手に入るわけじゃない」という当たり前のことを再認識することから始まった。そこから紆余曲折の末、「自分の人生に本当に必要なもの」を、過去を振り返りつつ整理してみようと思い立つに至り、最終的には断捨離という形になった。で、そもそものきっかけは何かって?だから8月に夏空や蝉の声を満喫できなかったこと。待っていれば当たり前のように手に入るはずだったものが、今年はそうならなかった。それがショックだったんだ。うん。ほんの些細なことから始まったんだよ。馬鹿みたいな話だよね。

 以前からカメラは少しずつ処分し始めていて、例えば古いレンジファインダーカメラやフィルムカメラが最新のミラーレス一眼に化けたりしていたわけだけど、ここに来てレコードやレーザーディスク、エアソフトガン、箱積み状態のプラモデル等のコレクションも見直し、ある程度処分することにした。そのための準備(最小限の手入れや清掃、パーツ・付属品の確認)と選別作業に追われ、それが(ブログの)長い空白の理由の一つでもあった。

 もちろん完璧に無駄をなくしてしまっては人生が味気ないものになってしまうし、思い出深いアイテムもあるので、そのへんを考慮に入れて選別し、買い取り業者に引き取ってもらった。その結果、使っていない往年のオーディオ機器が無くなり、小規模なテロなら2回ぐらいはできそうだったエアソフトガンは半分に(ということは、1回ぐらいはまだいけるか?)、レーザーディスクのほとんどとレコードの2/3も消えた。プラモデルもほぼ半減した。ところが一通り作業を終えてはみたものの、日常生活に変化があったかというとそんな実感はまるでなくて、いかに普段必要のないアイテムがそこかしこに眠っていたかを実感した。これって当初の目的だった「過去を整理する」ことの実現になっているんだろうか。

 さて、この「整理」を実行するにあたり、何か所かの買い取り業者に連絡を取った。もとより金銭目的でもないので、数社の査定を比較するような手間はかけなかったが、予想通りいいように買いたたかれることはあった。だが出張買取の担当者と趣味の話で盛り上がる場面もあって、そんな時はそれなりに楽しませてもらった。そんななかでのエピソードを今後少し紹介していこうと思う。(つづく)

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 キュウリのサンドイッチについて

 以前スコットランド民謡「ロッホ・ローモンド」について書いたときに、思わず脱線してイギリス料理について言及したことがあった。その中で、僕の持っているイギリス料理の本に紹介されていたキュウリのサンドイッチについて触れたが、その時僕は、なぜこんな単純な料理のレシピを、わざわざ項目を分けて載せているのかと疑問に思った。事のついでに紹介すれば十分だろうに。

 この料理はまごうこと無き「キュウリのサンドイッチ」であって、バターを塗った食パンで軽く塩をしたキュウリの薄切りをはさんだだけのものだ。今やって見せたように、そのレシピは1行で書ける。しかもイギリスの習慣であるアフタヌーン・ティーのためのメニューで、決して食事のためのメニューではない。

 確かにキュウリは、サンドイッチを作るときに、その食感や香りがいいアクセントになったりするが、主役を張るにはどう考えても力不足だろう。僕はその時、少し馬鹿にしたような記事を書いたと思う。

 それから数か月たって、ふとこのサンドイッチのことを思い出した。僕は料理を趣味にしているが、長いこと料理にいそしんでいると、初めて作る料理であっても、材料から味をある程度想像できるようになる。その感覚であらためて「キュウリのサンドイッチ」を評価したとき、「あれ、これもしかして美味しいのかも」という考えが頭に浮かんだ。そういえば、僕は第一印象だけで判断して、実際に作ったことは一度もなかった。

 そこで僕は検証のために、サンドイッチ用の食パンとキュウリを求めてスーパーに出向いたのだが、新鮮なキュウリは手に入ったものの、サンドイッチ用の薄くスライスされた食パンが見つからない。仕方がないので8枚切りの食パンを使い、キュウリの量を増やしてバランスをとることにした。

 普段具沢山のサンドイッチを作るときは、パンの耳はそのままにするのだが、今回はよく言えば繊細な、悪く言えば味の主張のないキュウリが相手なので、耳はきれいに切り落とした。そのほうが口の中でキュウリの香りや食感が活きるような気がしたからだ。

 さて、実際に食べてみると、これが予想以上に美味しかった。具体的に言うと、「前回小馬鹿にしたような記事を書いたことについて謝罪したくなる美味しさ」だった。だが前記したように、ランチなどには向かない※。栄養面から見ても、これを腹がいっぱいになるまで食べるというのは現実的ではない。そういった意味では、イギリスで行われているように、少量をアフタヌーン・ティーのための軽食として出すというのは理にかなっている気がする。キュウリのさわやかさが、スコーンに添えられたジャムやクロテッド・クリームの甘さを洗い流してくれそうだ。なるほど、よく考えられている。

 いろいろと言われているイギリス料理だが、なかにはおいしい料理や理にかなった料理ももちろんある。これまた以前に紹介した「スター・ゲイジー・パイ」も、見てくれはともかく、味はいいらしい。これは余談だが、最近その独特な世界観で高評価を得ているアニメ「葬送のフリーレン」の、第2期第9話「ヒンメルの自伝」で、フリーレン一行がこの料理を食し、納得したような表情を見せるシーンがある。もっともアニメのなかでのことなので、演出にどんな意図があるかはわからず、保障の限りではないけれど。

※ ミネストローネのような具沢山のこってりしたスープと合わせれば、その限りでもない。

 スター・ゲイジー・パイ(星を見上げるパイ)とはこのような料理です。(再掲)
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 久々の「夏と言えば…」。

 夏になったので、例によって怪談めいた話を少々。

 今年の4月に京都に行った話をしたと思うが、その時のことで今でも気になっていることがある。

 この旅行では経費節約のためにビジネスホテルを利用した。京都駅の八条口から徒歩5分足らずという立地で、真新しく、ビュッフェスタイルの朝食がつくという理想的なホテルだったのだが、到着時、僕はこのホテルの玄関ドアにたくさんの手形がついていることに気づいた。それは常識では考えられないほどの数で、強い違和感があった。玄関ロビーと言えばホテルの顔みたいなものだ。もちろんビジネスホテルだから華美な装飾は期待しないが、清潔感に関しては気を配るのが普通だろう。

 その手形は自動ドアの大きなガラスの、特に上のほうに集中していて、視線とガラスの反射角の関係か、上に行くほどはっきりと浮かび上がって見えた。しかもそれは、誰かが隙間なく意図的につけたかのように見えた。

 これほどたくさんの手形を、ホテルのスタッフが見落とすはずがない。それとも普段通用口を使うスタッフは玄関ドアを通る機会がないのだろうか。いやいや、それにしたって玄関ドアの汚れぐらい日常的にチェックするはずだ。ということは、やはりこれはスタッフの怠慢としか思えない。その時僕はそんなことを思いながら少々憤慨していた。だがそんな心配をよそに、そのホテルはほかに憂慮すべき点は特に無く、僕たちは快適な3日間を過ごした。それでも僕らが滞在している間、手形は何の変化もなくそこにあり続けた。

 あれから4か月が過ぎたが、あまりにも印象が強く、妙な違和感があったためか、今でもあの手形のことを思い出す。そしてそのたびに新たな疑問がわいてくる。例えば、なぜあの密度で均一に、しかもガラスの幅いっぱいに手形がついていたのか。仮に掃除をしたスタッフが不用意に手をついてしまったのであれば、あれほど多くの手形が均一に残るはずがない。

 もう一つ、もし宿泊客や通行人がいたずらに手形をつけたとしても、あれだけの数の手形をつけるには時間がかかる。誰にも見とがめられずに、そんなことが可能だろうか。それに、手形はガラスの一番高いところにもついていた。よほど背が高くなければ脚立が必要だろう。

 そして何よりも、皮脂だか汗だかは知らないが、あんなにたくさんの、しかも鮮明な手形を残すことが人間にできるのだろうか。

 今に思えば写真を撮っておくべきだった。そうすればもっと手掛かりになるものが後々見つかったかもしれない。だがあの時の僕は、ホテルスタッフの怠慢として普通に解釈してしまっていた。

 僕は根っからの心霊現象肯定派ではない。心霊現象にまつわる話を聞いたり読んだりするのが好きなだけだ。今回のエピソードにしても、別に手形が浮き出す瞬間を見たわけではなく、家族も同じように見ているのだから、きっと何か理由があるはずだ。そうなれば、これはホラーではなくミステリーだ。だが判断がつきかねる今は、とりあえず「不思議な話」にしておきたい。そのほうが僕にとって、世の中がほんの少し楽しくなるからだ。

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 昭和歌謡とマカロニウエスタン

 最近古い映画音楽をYoutubeで聴くことが多い。もちろんレコードやCDもあることにはあるが、それだけではカバーしきれないし、手軽に聞いたり、ふと思いついてその場で検索したりするには何といってもYoutubeが便利だ。もっとも僕の使っているノーパソの音の悪さには閉口するけどね。前に使っていたモデルはヤマハの音響システムを搭載していたので、それなりの音質で音楽が聴けたんだけどなあ。いっそのこと、常時TVに接続しておこうかな。

 そういった映画音楽のなかでも、最近検索することが多いのが「紅の翼(1954)」のテーマ曲。同名の映画が2本あるが、ここで僕が言っているのは洋画のほう(くれぐれも、石原裕次郎主演の邦画ではない)。ストーリーは嵐に見舞われた旅客機がたびたび危機に陥りながらも無事着陸するまでをオールスターキャスト(なのかな、あれは)で描く群像劇で、主人公のパイロットをジョン・ウェインとロバート・スタックが演じている。テーマ曲はディミトリ・ティオムキンが作曲し、アカデミー最優秀オリジナル音楽賞を受賞した。

 もう一つ、よく聞いているのが往年のマカロニ・ウエスタンのテーマ曲。かの有名なエンニオ・モリコーネが作曲した一連の作品で、なかでも気に入っているのが「豹/ジャガー(1968)」と「ウエスタン(1968)」。

 「豹/ジャガー」は寂し気な口笛から始まり、情感たっぷりのトランペットが続く。そして次第に盛り上がる主旋律の繰り返しに再びトランペットのソロプレイをフィーチャーしてクライマックスに至る。最後の決闘シーンにこの曲を流し、フルコーラスの演奏時間に合わせて場面構成しているのが見事(と言っても、ほとんどTV放送されてこなかったのでちゃんと鑑賞したことはないんだけどね)。

 「ウエスタン」は原題を「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト」といって、和訳すれば「昔々、西部のどこかで」といったニュアンスか。「銃に物を言わせた男たちやそれに絡む女たち、人知れず死んでいった人々…いろいろあったけど、今はもう昔の話さ」という、西部開拓時代の終焉を描いた作品だ。だからラストの決闘も、時代の流れのなかでは些細な出来事にすぎず、西へ西へと伸びる線路(近代化の象徴)とその工事に携わる人々、その世話をするヒロインを尻目に、ガンマンたちは次々にこの世を去り、生き残ったとしてももう居場所はない。実はこの映画、当時下火になりつつあった西部劇映画そのものの挽歌でもあったという。一見(聴?)してエンニオ・モリコーネとは思えない過ぎゆく時代への郷愁を誘うメロディーと、それを補完する女性コーラスが素晴らしい。

 ところでエンニオ・モリコーネの作曲する曲は、聞けば聞くほど日本人の感性に馴染むメロディーラインやコード(和音)が多用されている気がする。今思い出したが、「夕日のガンマン(1967)」のラストの決闘シーンに流れる曲もそうだった。こちらもトランペットが良い仕事をしていて、すんなりと心の奥にまで届く。イタリア人と日本人って、何か感性に共通点でもあるのだろうか。

 そんなこんなで、何回も聞いているうちにあることに気づいた。彼の作る音楽は、なんだか昭和歌謡に似ているぞ。そうか、だからしっくりくるのか。そう思ってカミさんに聞かせてみたところ、すごいことを言ってきた。「なんか、美空ひばりが歌いそうじゃない?」

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 お狐様 続報

 先月、近所に狐が住み着いたらしいという記事を書いた。今日はその続報。

 7月の5日だったか、夕方6時を過ぎたころに例の怪しげな声を聞いたような気がした。その日はカミさんが吹奏楽団の練習で家を留守にしていたので、僕は夕食の準備をするために1階のキッチンにいた。すると2階にいた娘が降りてきて、「狐が向かいの家の駐車場を横切った。しかも子狐を2匹連れたつがいのようだった。」という。確かにそれ以後、2~3日にわたって明け方や夕方に狐と思われる声が聞こえていた。

 前回僕らが見たのは1匹の大人の個体だった。それが今回、家族で行動しているのが確認できたということは、やはり近くに巣穴があるのだろう。しかも繁殖が始まっているとなると、今後、狐を見る機会が増えるかもしれない。

 僕は狐が好きで、しょっちゅうYoutubeの動画を検索したりしているので、ある意味これは喜ばしいことなのだが、現実的に考えると手放しで喜んでいるわけにもいかない。なぜなら本州以南に生息しているのは「ホンドギツネ」という種で、食性は肉食傾向の強い雑食性。つまり狐が繁殖すれば、この地域の生態系が変わる恐れがある。

 僕の住んでいる地域は市街地が近いにもかかわらず、大河川の広い河川敷があることもあって、今までにタヌキ、イタチ、野兎、野ネズミ、ウズラなどを目撃してきた。そのすべてが野生種かどうかはわからないが、そこに狐が加わればただでは済まないだろう。仮に餌が獲れなければ地域の畑や菜園の作物を食い荒らしたり、ゴミ集積所の生ごみを食い散らかしたりする可能性もある。

 もう一つ、狐が持っている寄生虫の問題がある。エキノコックス。これは乾燥して飛散した狐の糞便や虫卵に汚染された山菜、果物、生水を体内に取り入れることで感染する。人間にも感染し、その潜伏期間は10年を超える。その間に肝臓や肺を侵し、最悪の場合死に至らしめる…とまあ、おどろおどろしく書いてはみたものの、これは主に北海道のキタキツネについての話だ。ただし本州以南での症例も散見されるので、知っていて損はないだろう。ちなみにホンドギツネについては「持っている可能性はかなり低いが、ゼロではない」ということで、本州以南ではむしろ他の生物(犬、豚、馬など)の感染例が報告されている。

 狐は最近東京都内でも増えつつある。どうやら大きな河川沿いに下って来るようだ。民家の縁の下や床下に定着する例も見られるようになり、古い家屋や土台の換気口に金網や格子のない家は要注意だという。万が一狐が定着してしまうと、尿や糞便による土壌汚染のほかに、腐敗した食べ残しからハエが発生するなど、衛生面での害があり、現状回復には専門家による作業が必要らしい。当然相応の費用が掛かる。

 ネットには野生の狐が人になつく動画も紹介されているが、餌付けなどは考えないほうがいい。こうした野生動物は、ある程度距離を置いて遠巻きに眺めるのが無難だろう。

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 お狐様

 以前我が家の周辺に狐が住み着いたようだ、という記事を書いた。当時、その根拠は明け方の不気味な鳴き声と娘の目撃談だけだったが、先月、とうとう僕自身が実物を視認するに至った。

 去る5月31日の早朝、僕は耳慣れない鳴き声で目を覚ました。それは文字に起こすなら「ギャア、ギャア」という感じで、知っている野鳥や盛りのついた猫などとは違う声だ。

 枕もとの時計を見ると明け方の4時を回ったところだった。ベッドから抜け出して2階のベランダのガラス戸越しに見ると、外はすでに明るくなっていて、50mほど先の休耕田で、この辺のボスと思しき黒猫が茶トラを追いとばしている。一旦は「なんだ、猫のケンカか」とも思ったが…いや待て。猫は威嚇するときに「ギャア」なんて声は出さない。かの萩原朔太郎曰く、「おわあ」という声だ。

 そんなことを考えているうちに逃げた茶トラが視界に戻ってきた。先ほどは目の隅に捕らえた程度だったのでよくわからなかったが、今見るとトラ柄ではなく明るい茶色一色で、普通の猫より優に二回りは大きい。え、犬か…?いや、犬だって「ギャア」とは鳴かない。それに犬にしては耳が大きい。その時、その生き物が体を真横に向けた。鼻先が長く、尖っている。尻尾はかなり太い。今までに見たどんな犬とも違う。僕は確信した。狐だ。どこかに移っていったと思っていた狐が、今もこの地域に住んでいたわけだ。

 娘とカミさんを起こし、3人で成り行きを見守っていると、しばらくして狐は黒猫とのにらみ合いに飽きたのか、軽い足取りでその場を離れ、そこからさらに100mほど離れた林のほうへと消えていった。その間黒猫は一歩も引かず、その後自分の根城があると思しき方向へゆっくりと去っていった。まさにボス猫の貫禄。あいつは確か半年ほど前、我が家の庭に侵入し、犬走りで日向ぼっこをしていた飼い猫にけがを負わせたやつだ。いわば仇のようなものだが、まあそれはそれとして…しまった!写真を撮るのを忘れた!

 というわけで、僕の住んでいる地域には狐がいる。

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 伏見稲荷のお山めぐり

 4月の末に家族で京都に行ってきた。おととしも行ったんだが今回はそのリベンジだ。それというのも、前回は伏見稲荷の「お山めぐり」を途中で断念、さらに外国人旅行者を避けて人の少ない見どころを選んだために、あちこち回った割には京都に来た、という実感がなく、物足りなかったので、今回はその辺を考慮して再挑戦しよう、というわけだ。

 伏見稲荷は前回、海外からの旅行者が多いのを承知で、あえて挑戦した数少ないポイントのひとつだったが、午後からの参拝だったために、山中に数件ある茶屋が夕方4時に閉まってしまうという憂き目にあった。これではトイレが心もとない。おまけに千本鳥居など、外国人に隠れて鳥居が見えない、というありさまで、歩きにくいことこの上ない。これでは何をしに来たのかさっぱりわからない。

 今回はかのC国が日本への旅行を控えているということもあってか、観光地はどこへ行っても前回より人が少なく、歩きやすかった。ただ、2泊3日の中日が雨の予報だったので、この日に京都国立博物館や三十三間堂といった屋内での見物を主に計画したため、件の伏見稲荷はまたしても1日目の午後に。だが今回はおととしより2時間早くお山めぐりを始め、人が少なかったので歩くペースを維持できたことも幸いして、全行程をもれなく踏破することができた。

 3日目は朝から嵐山方面へ赴き、化野(あだしの)念仏寺を見た後、周辺(重要伝統的建造物群保存地域)を散策。化野念仏寺は、これまでに20回近く京都を訪れたにもかかわらず、1度も行ったことがなかったので、今回ぜひとも行ってみたかった場所だ。

 朝イチで訪れたため、人はそれほど多くはなかったが、僕ら以外はみんな白人かラテン系の外国人。写真を撮るために立ち止まることはあっても、はしゃぐこともなく短時間で済ませるなど、マナーがしっかり身についた人たちで助かった。あるいは化野念仏寺の静かなたたずまいがそうさせたのかもしれない。

 化野念仏寺にある「西院の河原」の石仏群は見ごたえ十分で、奥まったところにある竹林の石段も、手入れが行き届いていて見事だった。驚いたのは、こじんまりした境内の一角に大きな仏舎利塔があったことで、これは僕の予備知識にはなかった。

 その後嵐山駅まで歩き、嵐電で洛中に戻るつもりだったが、時間に余裕があったし、せっかくここまで来たのだから、ということで、天龍寺にも寄ってみた。天龍寺はれっきとした世界遺産で、ついでに寄るような場所ではないが、成り行きだから仕方がない。たまたま法堂の天井画「雲竜図」の特別公開期間にあたっていたのでこれも拝観したが、「曹源池庭園」や「大方丈」に比べて堂内にはあまり人がおらず、ゆっくりと堪能することができた。

 ところで今回の伏見稲荷でふと気づいたことがある。それは西南アジア系の人々のマナーの良さだ。お山めぐりの山道ですれ違うと、そうしなくても通れるのに決まって脇によけ、道を譲ってくれる。まるで日本人にへりくだっているようにすら見える。平成の頃、海外旅行の手引書には「ホテルの廊下は公道扱いです。くれぐれもパジャマなんかであるかないように」なんて文章が載っていたものだが、おそらく彼らの国にもガイドブックのようなものがあって、「日本人はマナーに関する意識が高いので要注意」とか何とか書いてあるのだろう。これが白人になると、我々のことなど気にもせずにマイペースで行動しているイメージで、なんだか妙に偉そうだ。

 もうひとつ、C国人が激減した今、うるさかったのは意外にも日本人で、特にパリピ風の若者たちは周囲を気にもせず大声で話し、盛り上がっていた。なんてこったい…!こういった人たちはほかの国に旅行したときに、もしかしたら日本人の評判を落とすかもしれないな、なんて思った。他人の振り見て我が振り直せ、とはよく言ったものだ。

 伏見お山めぐりの一角にある眼力社。周囲の青モミジがきれいだった。カミさんが目を患っているのでお参りした。
 化野念仏寺の西院の河原。化野(風葬地)に葬られた人々のための石仏が8,000体集められているという。「この中で写真を撮らないで…」という意味深な立て看板がある。
 化野念仏寺の竹林。石段と竹垣があり、手入れが行き届いている。
 竹林の石段を上り詰めたところには墓所があり、竹林と青モミジの林に囲まれていた。
 境内の一角にひっそりとたたずむ水子地蔵尊。提灯と青モミジの対比が目を引いたのでシャッターを押した。
 天龍寺 曹源池庭園。写真の左側が正面にあたるが、そこは観光客であふれていた。法堂の雲竜図は残念ながら撮影禁止。
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 白い色は恋人の色

 少し前のこと。夕方TVをつけっぱなしにして料理をしていたら、耳慣れた曲が流れてきた。それはベッツィ&クリスというアメリカ人のフォーク・デュオが1969年にリリースした「白い色は恋人の色」という曲だった。慌ててTV画面を見ると三井住友のCMが流れていた。ああ、なんて懐かしい!CM用の替え歌とはいえ、令和の時代にこの曲を使うって、いったい発案者誰?

 もちろん1969年当時の僕はこの手の曲を自ら選んで聞くような年齢じゃない。これは僕が子供の頃に、まだ40代だった親父が買ってきたレコードで初めて聞いた曲だ。その切ないサビのメロディーが、なぜか幼い僕の心に刺さったんだなあ。

 今に思えば親父は年のわりにハイカラな曲を聴く人だった。参考までに書くと、本田路(る)津子というフォークシンガーの「秋でもないのに」という曲を、これまたオヤジのレコードをひったくるようにして聞いていた覚えがある。これもどこか切ないメロディーの曲だった。なんかませた子供だったよなあ。

 さて、この「白い色は恋人の色」は、僕が思春期になるころにはむしろ僕の愛聴盤として、当時まだ枚数の少なかった「僕のレコード」になっていた。歌詞は昔故郷で好きだった人の思い出を歌っていて、2番と3番では青空の澄んだ色を初恋の色、夕焼けの赤い色を思い出の色に例えている。それにしても、なぜこうも刺さるのか。調べてみてわかった。なんと作詞・作曲が北山修と加藤和彦!今の若い人は知らないだろうが、名曲「あの素晴しい愛をもう一度」を作ったコンビだと言えばわかるかもしれない(最近合唱曲として中学生などに紹介されている)。いずれにせよ、この二人がフォークの一時代を築いた大御所であることは間違いない。

 そんなわけで、この曲を思わぬところで聞けたことがとてもうれしく、大きな驚きでもあった。20年ほど前、日本のドラマの挿入歌にミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」が使われた時以来の驚きだ…とか何とか言ってたら、今度はニルソンの「ウィズアウト・ユー」が聞こえてきたぞ!これも当時僕の大好きだった曲で…そうです、切ないんです、曲調が。それにしても、いったいなんのCMだ?何?ジムビームだって?そっかあ、あのサントリーか。じゃあしょうがねーな。え?言ってることがよくわからん?Youtubeでサントリーウィスキーの、昭和の頃のCMを検索すればわかるよ。

・「秋でもないのに」1970年、本田路津子のデビュー曲。

・「あの素晴しい愛をもう一度」1971年、北山修・加藤和彦のヒット曲。「あの素晴らしい…」と表記するのは間違いらしい。

・「シェリーに口づけ」1971年、ミッシェル・ポルナレフのヒット曲。

・「ウィズアウト・ユー」1971年、ニルソンのヒット曲(オリジナルはイギリスのロックバンド、バッド・フィンガーの曲)。