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 夏といえば怪談 祟る神

 世に祟る話は数あれど、仏様の祟りというのはあまり聞いたことがない。ところが日本古来の宗教である神道においては、祟る神の話が目白押しだ。こうした神々のなかには、元が人間だったものも多い。

 その代表格で、北野天満宮として知られる菅原道真は、謀略によって太宰府に左遷されたことを恨み、死後に怨霊となって平安京を襲う。祀られて神になったのはその後のことだ。これには「御霊(ごりょう)信仰」という背景がある。平安時代に確立したもので、恨みを持つ「怨霊」を祀りごとによって「御霊」に昇華させ、さらに神社に奉って神格化することで、難を逃れ守護を得ようとする考え方だ。だが困ったことに、祟るのは怨霊や神々だけとは限らない。

 日本の宗教は古来、すべてのものに魂が宿るという考え方だから、特定の土地や巨石、巨木なども人を祟ることがある。特に神様の息のかかった「御神木」は、下手に伐採などしようものならとんでもない災いが降りかかったりする。

 日本の神格は本来祟るもので、祟ることで顕現するのが一般的だったらしい。当時の人々は疫病や飢饉、天災など、何かしら悪いことが起こると神の祟りだと恐れおののくのが常で、識者は占いによってどの神がなぜ怒ったのかを明らかにし、それを祀ることによって事を鎮めてきた。現在行われている神社の祭祀もこういった習わしがもとになっているという。

 考えてみると日本の宗教はキリスト教などとは違い、悪魔のような「絶対悪」が存在しない。そのかわりに、神々はそのおのおのが善と悪の両面を担っている。それがゆえに、時には人を救い、またある時は祟る。そして面白いことに、その両面を兼ね備えることで、やることが人間に似てくる。だから取るに足らないことでも怒る(※)し、時にはなぜ怒っているのかよくわからないこともあって、扱いにくいことこの上ない。それでいて力は神様のレベルだから、人は祈り、奉って機嫌を取るしかない。

 山梨県の中央本線甲斐大和駅のそばにある初鹿野諏訪神社には、御神木の朴ノ木がある。明治38年、付近にあった集落の住人が、端午の節句に柏の代わりにその朴ノ木の葉で餅を包んで食べたところ、時を待たずして住人のほとんどが病死し、さらにその2年後にはその地域で大水害が発生して、集落そのものが滅んだ。

 昭和28年には、神職による神事を行ったうえで鉄道の架線にかかる枝を払ったが、その作業に携わった5人が数年のうちに事故死または病死し、残る1人(2人という説も)も事故で重傷を負った。

 今では誰一人として枝払いを請け負う者はなく、伸び放題の枝葉から神社の本殿や、隣接する線路を守るための構造物を築くことでしのいでいる。近隣には、この神社に初詣に行くことを禁止している学校もあるというから驚きだ。まさに「触らぬ神に祟りなし」を地でいくような話で、新聞等のメディアでも何度も取り上げられている。

 それが本当に祟りなのか、それとも単なる偶然なのかは、評価する側の人生観・宗教観にもよるが、いずれにせよ、日本人がこうした超自然的な力を畏れ、祀ることで、その機嫌をとりつつ歴史を刻んできたことは間違いなさそうだ。

 21世紀に祟りを畏れるなんてナンセンスとも思えるが、科学的に否定も肯定もできない以上、「でも、もしかしたら…」と考えるのは人情というものだろう。日本人が諸外国の人々に比べてつつましく見えるのは、そうした畏敬の念を抱きつつ日常生活を送ることが、無意識のうちに習慣化しているからなのかもしれない。

※ 平安貴族の藤原実方は、道祖神の前を通りかかった際に落馬して死亡した。このことから、道祖神の前で下馬しなかったために神罰が下ったという伝説が生まれた。

作成者: 835776t4

こんにちは。好事家の中年(?)男性です。「文化人」と言われるようになりたいなあ。

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