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 現代珈琲事情

 ジャン・レノというフランスの映画俳優がいる。少し前に、とあるCMでリアルドラエモンを演じていた人、と言えばわかる人も多いだろう。彼は初のアメリカ版ゴジラ(1998年 ※1)に準主役として出演していた。その役柄はゴジラの被害を調査する保険会社の調査員。だが裏の顔はフランス特殊部隊のリーダーだ。どうもこの映画では、ゴジラは南太平洋におけるフランスの核実験によって、海イグアナが巨大化したもの、という設定のようだ。ゴジラがマンハッタン島に上陸した後、彼等は慌てふためくアメリカ軍を尻目に独自の調査活動を始める。

 そもそもこの映画は娯楽度が高く、コミカルなシーンが多い。なかでも印象的なのが、ジャン・レノ率いるフランス特殊部隊が特殊車両の中で朝食をとるシーン。部下がこれしかなかった、とドーナツとアメリカン・コーヒー(※2)を買ってくる。ジャン・レノは「クロワッサンはないのか」などと文句を言いながら珈琲をひと口啜り、うぇーっと顔をしかめる。「これが珈琲なのか!?」それに答えて部下の一人が言う。「アメリカではそうです。」

 場面が変わって、今度は本拠地にしているホテルか何かで、再び部下がいれた珈琲を啜るジャン・レノ。またも顔をしかめ、「これがフランス焙煎のコーヒーなのか!?」それに答えて部下の一人が、今度は買ってきたコーヒー豆の缶を見せる。その缶にはでかでかと「フレンチ・ロースト」の文字が。「うーん。クリームくれ。」

 一口に珈琲といっても、地域によって味は様々だ。トルコに行けばトルコ珈琲、イタリアに行けばエスプレッソがあるように、各地にそれぞれのスタイルの珈琲がある。現在、日本では国内に居ながらにして様々なタイプの珈琲を味わうことができるが、こうなると、普段飲んでいるヨーロピアンよりは焙煎が浅く、アメリカンよりは深煎りの、あの珈琲とはいったい何なのだろうか。

 ウイスキーの世界ではその産地や原料の違いによって色々な種類がある。有名なところではスコッチ、バーボン、アイリッシュウイスキー、カナディアンウイスキーなどがあげられるが、今ではそのカテゴリーのなかに「ジャパニーズウイスキー」というのもある。日本のウイスキーが国際的に認められるようになった証しだ。それにならえば、ジャパニーズ珈琲というのがあってもまあ、おかしくはない。多分、そういうことになるのであろう。何しろカレーでもラーメンでも、あっという間にジャパナイズしてしまう日本人のやることだから。でもアメリカの映画にフランス人が納得しない「フレンチ・ロースト」珈琲が出てきたりするのを見ると、度合いの差こそあれ、アメリカでも事情はあまり変わらないのかもしれない。言うなれば、アメリカン・フレンチ・ローストだ。訳すと「アメリカ風フランス式焙煎」。なんだそれ。

※1 厳密に言うと、初期の「ゴジラ」は「海外版」が制作されている。語り部としてアメリカ人俳優の出演シーンを付け足したもの。アメリカ版、と言えなくもない。 

※2 「アメリカン・コーヒー」は日本だけの呼称のようだ。浅めに焙煎した豆を使い、多めの水を使って抽出するアメリカタイプの珈琲のことだ。「アメリカーノ」とは別物で、こちらはエスプレッソを湯で希釈する。

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 喫茶店哀歌 

 僕は珈琲が好きだ。一般的な意味で、マニアではないけれど。今でも豆にこだわって、たまに豆の種類で注文できる店で珈琲を飲む。ブルマンとかキリマンとかの略語を理解できる人は多分同世代。「ラテ」と聞いてイライラするならもう間違いなし。

 さて、そんな僕がスタバとかドトールとかに行くことはほとんど無い。理由は主に二つ。まずメニューに妙なバリエーションが多く、煩雑すぎること。そもそもこれらは「珈琲飲料」であって、「珈琲」ではないというのが僕の解釈だ。今は亡き志村けんが初老のサラリーマンを演じ、こういった店で注文に四苦八苦するコントがあったが、現実味がありすぎて笑えなかった。彼は一杯の珈琲を飲みたいだけなのだ。仕舞いには哀愁さえ漂っていた。

 往時の喫茶店では、むしろ飲み方のバリエーションを自分で楽しむのが通のやり方だった。例えば今日は砂糖を使おうかな、とか、ミルクを入れようかな、とか、砂糖とミルクを沈めておいて味変を楽しんだり、ミルクを浮かして先にまろやかさを楽しんだり。ミルクの注ぎ方一つでミルクを沈めたり浮かせたりすることができて、これが上手だとほんの少し尊敬されたりもした。要するに、運ばれてきた珈琲を自分でアレンジする楽しさがあった。そしてもう一つのこだわりが、珈琲カップ。

 凝った体裁の喫茶店では、豆ごとにカップの柄が決まっていたり、一目でブランド品とわかるカップを使用していたりしたものだ。だから使いたいカップを考えて豆を選ぶ、なんていう楽しみ方もあった。そして何よりも大事なのが飲み口、つまりカップの縁の厚み。モノの本には理想的な厚みが記載されていたりするが、これは個人の好みに負うところが大きいと思っている。ちなみに僕は飲み口の薄いものを好む。

 こうしたこだわりのある人が、チェーン店やコンビニでスチロールのカップに入った珈琲を注文するなんてことはまずあり得ない。厚みの問題以前に、その質感が許せない。紙コップもダメだ。仮に珈琲が美味しく入れられていたとしても、紙の匂いがして美味しいと感じられないからだ。一番腹が立つのは、あの蓋だ。小さな飲み口がついていて、そこから啜るようにできている。こぼさずに持ち歩くための工夫なのだろうが、あんなの珈琲の飲み方じゃない。プジョーのディーラーで1度、これで珈琲を出されたことがある。新形コロナ対策とかで、陶器のカップから切り替えたんだそうだ。面白がって試してみたが、やはりダメだ。何を呑んでいるのかよくわからない。仕方なく蓋を外して呑んだが、あの蓋はカップの縁の形状をキープする役割も果たしているらしく、スチロールのカップがフニャフニャ歪んで何とも心許なかった。

 スタバやドトールでは陶器のカップも使っていると聞いたことがあるが、もちろん店内用。だからといって長居するのに居心地が良いとも思えない。客席の距離感が密すぎる。この距離感の問題を3番目の理由としても良いぐらいだ。

 お気に入りの店で今日の気分に合わせた豆で注文し、今日の気分に合わせてアレンジしながらお気に入りのカップで珈琲を飲む。そしてそれを気兼ねなくできる適度な距離感。それが本来の喫茶店。悲しいことに、僕の住む地方都市では絶滅危惧種に等しい。だが店舗数が減ってきたことが幸いしてか、ノウハウに長けた店は現在も栄華を極めている。こうした現状を喜ぶべきか、悲しむべきか。難しいところだ。

 今では市販の豆も質が向上し、それなりの味を家庭で楽しむことができる。しかしながら、あの喫茶店という「場所」の持つ雰囲気はやはり独特のものだ。家でくつろぎながら飲む珈琲も良いが、実のところ家で珈琲を飲むためだけに時間をつぶすことは逆に難しい。家は日常を過ごす場所だからだ。たまにはその「日常」を離れて特別な場所に赴き、人任せの時間を楽しむのも宜しかろう。

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 406クーペのブロガーたち

 僕がプジョーの406クーペを手に入れてからもう6年になる。その間、トラブルが無かったわけではないが、今はとりあえず元気に走ってくれている。この車は知られざる名車で、以前からたくさんのオーナーがブログを立ち上げていた。だが今ではそのほとんどの更新がストップしているようだ。 

 僕がずっとチェックしていたブロガーがいる。「カーくる」というポータルコミュニティに所属している「きーさん」という人なのだが、その文章がとても上手で面白い。それに話の内容が多岐にわたり、この手のブログにありがちな鼻持ちならないこだわりといったものがあまり感じられない。もちろん故障や修理についての情報はあって、重宝したこともしばしばだった。一読して気に入ってしまい、アーカイブを2010年までさかのぼって全ての文章を読破した。それが2015年のこと。ところが彼の406クーペ、「猫パンチ2号車」は2018年3月、ZF社製ATミッションの重大なトラブルで走行不能に陥り、泣く泣く手放すことに・・・。それ以降もしばらくはブログの更新が続いたが、次第に途切れがちになり、2019年の7月を最後に更新がストップしてしまった。ページはまだあるので、今でも時々チェックしてはいるのだが・・・。

 さらに不思議なことに、前後してきーさんの「カーとも」たちのブログも更新されなくなっていった。なかには車を乗り換えた人もいる。406シリーズの時代が終わってしまうようでちょっと寂しい。特にきーさんは、僕と同様クーペの前に406セダンに乗っていたこともあって(これが猫パンチ1号車)、親近感があった。彼のオーナー歴はセダンが1997年から12年間、2004年式のクーペは2010年から8年間ということだ。ちなみにセダンを降りた理由もATミッションのトラブルだそうだ。僕は今のところ2台持ちの状態で、セダンは1999年から23年目、2003年式のクーペは前述のとおり、2016年から数えて6年目。さらにさかのぼって、1999年以前に乗っていたプジョー505は、故障はなかったが12年目で車検を切った。3台ともZF社製のATミッションを搭載しているが、35年にわたるプジョー遍歴のなかでトラブルが発生したことは1度も無い。どれをとっても良い個体に当たったということだろう。

 商品管理の体制が改善してきたとはいえ、いまだに外国車には当たり外れの問題がある。さらにメーカーは、お客が知らないうちに細かな改良・改善を当たり前のように行っている。例えば406クーペは前期型と後期型があるが、実は中期型というのも少数存在し、それぞれに仕様変更による部品形状の違い等がある。つまり前期型・中期型・後期型の他にも細かなバリエーションが存在しているのだ。部品を発注する時に車台番号や初年度登録年が必要になるのも道理だ。このように、外国車に長く乗るには慣れと知識と覚悟が必要で、ネットからの情報はそれを支える大きな力となる。それが最近、更新されなくなってきたわけで、楽しみが無くなると同時に不安が募る。

 最近市街地を走っていて406シリーズを見ることはほとんど無い。我が家の2台は今のところ元気だが、ディーラーのトラブル検知ソフトのバージョンが進んだために、地元のディーラーではトラブルチェックに掛からなくなってしまった。僕としては、新車からのつきあいであるセダンについては、オーナー歴30年を目指したいと考えているのだが・・・。

 きーさんは今、どんな車に乗っているのだろうか。素敵な車に巡り会えていると良いのだけれど。 

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 ニュースを見ていて気付いたこと

 今ウクライナが大変なことになっているのは周知の通り。僕も毎日のようにニュースをチェックしている。少し前のことになるが、ちょっと気になることがあった。当時は首都キーウであったり、ハルキウであったりの惨状がよく映し出されていたのだが、ミサイルや弾頭が形状を維持したまま地面に刺さっていたり転がっていたりする。それも結構な数だ。これっていったいなぜなんだ?

 砲弾の弾頭とかミサイルとかは通常、弾着して炸裂するので、原形をとどめているはずがない。にもかかわらず、原型がわかる状態で墜ちているというのは、それが炸裂しなかったということだ。つまり不発弾だ。しかし、本当に?だって、あんなに不発弾が多いとすれば、兵器としては失格だ。連日の状況を鑑みれば、ロシア軍の武器が品質やその管理において問題が多いのは容易に予測できる。だが、原因がわからない。世界有数の軍事力を誇る(はずの)ロシアが、あんなに不発弾を出すものだろうか。それともそれ相応の弾数を使ったということなのか。

 別のニュースによると、ロシアの上層部では、軍部も含めて汚職や横領が盛んに行われているという。その関係で国が戦力の維持に十分な予算を計上しても、それが途中でピンハネされて、現場で使われるまでに目減りしてしまっているというのだ。国家予算を上層部がピンハネするというのは、日本では考えられない(そうでもないか?)ことだが、現在のロシアでは当たり前のことのようだ。現代の兵器は精密機械のようなものだから、有事に備えて定期的に古い部品を交換したり、行き届いた管理をしたりしないとへそを曲げる。もし予算不足を理由に現場がそれを怠っているとすれば、額面通りの軍事力を発揮するのは確かに難しいだろう。そもそもロシアの地上部隊の主力を担っているT-72戦車は、時代に合わせて改修されてはいるものの、基本設計は1970年代のもので戦後第2世代というカテゴリー。言うなれば時代遅れの代物だ。ちなみに西側陣営や日本では現在第3.5世代戦車の配備が進められている。ロシアでは少数の第3世代(と言っても相変わらずT-72の延長線上にある)がやっと配備されたところ。開発の遅延の原因は・・・あー、やっぱりお金の問題ですか。これって、現場が本当に戦争になるとは思っていなかったとしか思えない。

 戦争、あるいは戦争に備えることには莫大な金が掛かる。例えば戦車が搭載している120㎜戦車砲の砲弾は、日本では1発がほぼ100万円と言われている。陸上自衛隊の90式戦車に搭載できる数は軍事機密として明かされていないが、世界の平均は40~50発。50発として5.000万円。90式の生産数は350両近いので、仮に350両として、フルに搭載すれば175億円。もちろん撃ち尽くせば補充するからこれだけでは済まない。そもそも90式戦車1両が10億円超、航空自衛隊のF-15戦闘機は約30億円で、配備数は約200機だそうだ。さらに、先に述べたように、戦うにはこれらが完璧に整備されていなければならない。第二次世界大戦中最強と言われたドイツのタイガー戦車は、まるで高級車のような最新技術(当時)の塊で、ミッションはセミオートマチック。おまけにパワーステアリングハンドルまで備えていた。構造が複雑かつデリケートなために故障も多く、タイガーがあそこまで活躍できたのは、それを稼働させるために優秀な整備兵が部隊について回り、全力でサポートしたからだと言われている。何しろ当時のドイツには、今で言うハイブリッド戦車まであったんだぜ(ちなみに開発したのはポルシェ社)。

 ところで日本の自衛隊は、装備は最先端だが砲弾・ミサイル等の備蓄は一週間戦える程度と言われている。世界情勢を見ていると、ロシアを笑える立場じゃないかも。

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 付喪(つくも)神の話

 昨年ガステーブルをリニューアルした。それまでのものは25年間使い続けた。料理好きの僕の酷使によく耐えてくれたと思う。業者も「よく持ちましたねぇ」と驚いていた。

 こういう買い換えなどの時に少し困ることがある。どうやらうちは付喪神がつきやすい家系らしく、なかなか先代がダメにならないのだ。だから、いざ買い換えてみると操作方法が違っていたり、新しい馴染みのない機能が備わっていたりして、扱いにくいことこの上ない。ものによっては2世代ぐらい違っていたりする。例えば炊飯器。買い換えるまでに30年以上使った。以前娘の友人が来た時に、ふと目をとめて「これ、何の機械?」と聞いているのを耳にしたことがある。それほどデザインが今の炊飯器とかけ離れている(単純な円筒形)。買い換えの理由は液晶表示がダメになったからで、炊飯機能自体はまだ生きていた。だから今も捨てずに床の間に飾ってある。娘たちも「炊飯器パイセン(先輩)」と呼んで崇めている。いったいなんの宗教だ。

 前にも書いたように、車もなかなか壊れない。今乗っているプジョーの406(セダンのほう)は23年のつきあいだ。その間故障はほとんど無し。他に電気ストーブ45年超、ジッポライター(一番古いもの)40年超、今使っている腕時計はかれこれ32年になる。扱いがそれなりに丁寧であること、ものによっては修理やオーバーホールをかけたことなども長持ちの理由だろう。しかし、一番の理由は「気に入っている」ということかもしれない。

 僕は間に合わせの買い物を滅多にしない。いつもしっかり吟味して、納得した上で気に入った品物を購入するようにしている。だから一つ一つに愛着がある。最近では後から買ったもののほうが早くダメになるということも多く、つくづく昔の製品はよくできていたと思う。つまり、こちらの愛情にしっかり答えてくれるということだ。しかも単純な構造で、機械いじりに慣れた人なら自分で修理できるものも多かった。余談だが、娘たちが初めて僕に尊敬の念を抱いたのは、動かなくなったオモチャを目の前で直してやった時だったそうだ。もちろん電子部品が多いオモチャはそう簡単にはいかなかったけれど、機械的な故障や配線の問題ならお手の物だった。

 そんなわけで、うちには付喪神がたくさんいる。安易に捨てると祟られるかも知れない。だから下の娘は今でも、ご飯を炊く時に「炊飯器パイセンの臓物(こともあろうに内釜をそう呼んでいる)」で米とぎをする。手に馴染んでとぎやすいのだそうだ。まさか、嫁に行く時に神様ごと持って行ったりはしないだろうな。

炊飯器パイセンさまであられまする。