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 女は強いぞー。

 マサヨばあちゃん ムツばあさん 両方とも知ってる人!

 マサヨばあちゃん・NHKのドキュメンタリー「マサヨばあちゃんの天地(1991)」の主人公。

 ムツばあさん・同じくNHKのドキュメンタリー映画「花のあとさき ムツばあさんの歩いた道(2020)」の主人公。

 この人たちはご主人が先に逝ってしまった後も、自分たちの土地(農地)を守りながら生きていく。その姿がけなげでもあり、力強くもある。NHKは時々こういう番組作るよね。何か約束事でもあるのだろうか。

 生物学的に言っても始めにメスありきで、オスは交配によってより良い子孫を作るための道具として自然界が発明した、という話を聞いたことがある。要するに「オプション」だ。だから自然界には用済みになるとポイされたり食べられちゃったりするオスもいる。寿命を比べても女性のほうが長生きだ。ところが人間には文化というものがあるから、男どもはその中で男尊女卑のしきたりを作り、押さえつけてきた。おっかなかったんだろうねえ、いろいろと。実際、日本の古い禁忌などをひもとくと、とにかく女性を卑下するものが多い。女人禁制の神域とか、生理中や妊娠中の女性を生活圏から遠ざけるとか。柳田国男がそういった禁忌を全国から集めた本があるから、一度読んでごらんよ。今ではあり得ないことだらけだから。極端な例では嫁が生理中(妊娠中だったかな)の旦那まで遠ざける習慣もある。一種の「ケガレ」ととらえられていたんだね。それでいて天照大神や卑弥呼を神と崇めたり、女王として敬ったりしてきたのが日本人なんだよな。もっとも、日本開びゃくの、つまり国産みの時のイザナギとイザナミの逸話には、契りを交わすに当たって女神から声をかけたら上手くいかなくて、あらためて男神から声をかけたら上手くいったとあるから、ある意味徹底しているとも言える。でも結局何が言いたいのかは実のところよくわからん。

 今回のオリンピックの前後に、この女性蔑視の問題が大きくクローズアップされた。時を同じくして、韓国ではフェミニズム運動が巻き起こった。ただしこちらはちと脱線のきらいがある。が、この際難しいことは置いておこう。結局は女のほうが根っこは強い。多分それが真実であろう。認めたまえ。かのジョン・レノンにも「WOMAN」という名曲があるではないか。

 マサヨばあちゃんはご主人亡き後も仏壇に手を合わせ、時にはご主人との思い出に涙ぐみながらも、二人で切り拓いた土地に死ぬまでただ一人住み続けた。急斜面の荒れた土地を耕し、自前の味噌を仕込みながら。子どもたちがいくら引き取ろうとしても家を離れなかった。多分、男には理解できない理由があったのだろう。

 ムツばあさんは、年老いて畑が耕せなくなったら、せめて花いっぱいにして山にお返ししようと、仲間とともに花木の苗を植え始める。この仕事はご主人が亡くなった後も続き、やがて誰もいなくなった庭先には鹿や野ウサギが帰ってくる。なんだか自然の一部としての人間の、正しい生き方を教わったような気がする。

 余談だが、スタインベック原作の映画「怒りの葡萄(1940)」に出てくる主人公トムの家族は、1930年代のアメリカで、砂嵐による干ばつをきっかけに資本主義に押し流され、土地を追われる貧困農家。故郷オクラホマを捨て、新天地カリフォルニアを目指して旅立ったは良いが、行く先々で逆境にさいなまれ続ける。娘婿は逃げだし、祖父母は病死。トムも人を殺(あや)めて姿をくらましてしまう。それでもトムの母親はくじけることなく前を向く。そして映画のラスト、「ワシはもうダメだ、疲れちまったよ」と弱音を吐く旦那に、「男は何かあるとすぐ立ち止まる。女は川みたいなもんでね、渦巻こうが滝があろうが流れ続けるのさ。それが女の生き方なんだ」と微笑みながら語りかける。女性の強さとは、男性には計り知れない自然との一体感から来るものなのかも知れない。

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 大人の考え、子どもの感性

 そろそろ12月。クリスマスもすぐそこまで来ている。毎年この時期になると思い出すことがある。

 もう20年以上前の、長女が小学校に上がる前のこと。誕生日のプレゼントを買うために、僕らは家族総出でトイ○○スを訪れていた。長女は半年前のクリスマスに「101匹わんちゃん」のぬいぐるみを手に入れていたので、今回はその「わんちゃん」たちのためにほ乳瓶を手に入れようとしている。長女が目をつけたのは10センチあまりの、ミルクとオレンジジュースの入ったほ乳瓶のセットだった。価格は確か1,000円に満たなかったと思う。他にももっと高価な、凝った作りのものもあったのだが、長女は「わんちゃん」たちには大きすぎるという。子どもながらにいろいろと考えているらしい。僕が「まあ良いんじゃないか。本人が気に入っているんだから」と言うと、祖母が反対した。せっかくだからもっと良いもの、高価なものを買ってやれと言うのだ。僕が長女に他に欲しいものが無いか聞いてみても、ほ乳瓶は前々から考えていたものらしく、「これが良い」と言う。「本人が一番欲しいものを買ってやるんだから、これで良いだろう」と主張する僕に、祖母は不服そうだった。最終的にはほ乳瓶の他にあと二つの品物を購入して丸く収まったのだが、こういったことは、実はよくあるらしい。

 同じくクリスマス間近のトイ○○スでこんな光景を見た。若い両親と祖父母。幼い子どもが二人。一人は父親の背中で眠ってしまっている。もう一人は母親の手を引っ張って「あっちがいい!」と大騒ぎしている。そんな子どもたちをよそに、大人たちは「これが良いんじゃないか」「いや、こっちの方が・・・」と、家族会議に没頭している。僕はそれを見て思った。「誰も子どもの意見を聞いてねーな。」子どもを喜ばせるための買い物だったはずが、いつの間にか大人の自己満足のためのそれに変わってしまっている。

 以前どこかで書いたバタークリームのケーキ。母は着色料を気にしてイチゴショートのクリスマスケーキを買う。だが僕は、色とりどりのクリームで飾られたバタークリームケーキが好きだった。イチゴショートは当時、高価でもあったから、母にしてみれば子どもを思ってのことなのだろう。だが子どもからすれば、欲しいものを買ってもらえない歯がゆさばかりが残るのだった。

 子どもはある程度の年齢になると、大人に気を遣うようになる。教員時代に、クリスマスや誕生日のプレゼントで、頼んだのと違うものが届いてがっかりした経験があるかどうかを生徒(中学生)に聞いてみたことがある。すると、過半数がそういう経験をしていることがわかった。そんな時どうしたか聞くと、さらにその半数ほどが「仕方が無いから喜んでいる振りをした」そうだ。親をがっかりさせたくなかったんだってさ。

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 肉のあれこれ

 世間ではいまだに牛肉が肉の頂点に君臨しているようだ。僕もA5ランクの肉を食べたことがあるが、確かに美味しい。それは認める。だが脂身の香りは豚肉の方が上だろう。脂身、というと顔をしかめる輩もいるだろうが、侮ってはいけない。だいたいハンバーグに合い挽き肉を使うのは、豚肉(の脂)のうま味や香りを加えるためであって、牛肉を節約しているわけではない。ハンバーグに関して、よく牛肉100%を謳う店を見かけるが、味わいの要素が一つ欠けていると言っても過言ではない。これから書くことを読んでいただければ納得がいくと思う。

 そのうち詳しく紹介しようと思うが、僕が料理に目覚めたのはまだ高校生ぐらいの頃。そのきっかけを作ったのが、当時放送されていた「世界の料理ショー」というTV番組だった。知っている人は多分、思わずにやりとしてしまう、そんなカルト料理番組だ。グラハム・カーという有名な料理研究家が、そのはちゃめちゃな話術を披露しながら一品仕上げる、という内容で、何を隠そうかの有名な料理番組「男子ごはん」のルーツでもある。そんな「世界の料理ショー」で使われていたある調理器具が、豚の脂身のおいしさ、香りの良さを如実に物語っている。それは直径1.5センチ弱、長さ40センチほどのステンレスパイプを縦に割ったような、雨樋のような形状の器具で、先が削(そ)いであって竹槍のようになっている。実はこれ、牛肉のブロックに豚の脂身を挿入するためのもの。そんな道具があるんだねえ。使い方は、細く切った豚の脂身を雨樋状の部分に挟み込んでパイプごと牛肉に差し込み、肉全体を押さえながら引き抜く。すると脂身だけが中に残る。これを何回か繰り返し、その牛肉をローストすると、火が通るに従って牛肉に豚の脂身の味と香りが染み渡る、という案配だ。この料理法やそのための器具が存在することが、肉料理における脂身の役割の大切さを物語っている。しかも、あえて豚の脂身(※)。

 もう一つ言いたいことがある。A5ランクの牛肉は確かに美味かった。しかし脂が多すぎて満足のいく量を食べられなかった。そもそもマグロの大トロには大トロの、赤身には赤身のおいしさがあるように、牛肉の赤身にも赤身ならではのおいしさがある。A5ランクの牛肉は、本来赤身であるはずのフィレにまでサシが入っていて、これは赤身のおいしさに対する冒涜と言うべきものだ(大げさだってば)。ところがサシの入っていない高級和牛のフィレとなると、それはそれでなかなか見つからない。目下のところ、これは我が家の食生活における最大のジレンマの一つとなっている。

※ この記事を読んで思い当たった人、いませんか?実はある料理マンガで、この方法を安い輸入牛の肉を美味しくソテーする方法として紹介している。ものがステーキなので、あの器具は使っていなかったようだけど。ついでに言うと、フィレの周囲にベーコンを巻いてソテーする料理もある。