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 イングリッシュ・ブレックファスト。

 日本におけるアイビー・ファッション界の重鎮にして服飾評論家のくろす・としゆき氏が、その昔、男性ファッション誌「メンズ・クラブ」の企画本「クロス・アイ」に、実際に経験したイギリスでのエピソードを書いていた。タイトルは「恐怖のイングリッシュ・ブレックファスト」。要約すると・・・

 イギリスを旅行して1日目の朝、ホテルの部屋に朝食が運ばれてきた。その量がものすごい。「ははあ、ツインの隣室に泊まっている連れの分もこちらに運んできたんだな」そう思った彼は、ベッドを出ると隣室に続くドアを開けた。「おい、こっちに朝食が届いてるぞ。早く来いよ・・・」思わず絶句した彼の目に飛び込んできたのは、同じく大量の朝食が乗ったトレイを前に、ベッドの上で唖然としている連れの姿だった・・・。

 このエピソードには写真も添えられていたのだが、現在馴染みの洋品店に貸し出しているので、ネットで見つけた画像を参考に、記憶にあるその内容を紹介しよう(記憶違いがあったらごめんなさい)。まずはトーストが2枚。カリカリに焼いた大きなベーコンが2枚。目玉焼きが二つ。オートミール1皿。ベークドトマト。ポット・サービスの珈琲と紅茶。オレンジジュースにミルク(牛乳)。ホットウォーター。そしてトーストを食べるためのバター、ジャム、マーマレード。ネットの情報によれば、場合によっては、さらに豆料理、ソーセージ、サラダ、プディングなどが付くこともあるという。勿論1人前だ。これがくろす・としゆき氏曰く、「恐怖のイングリッシュ・ブレックファスト」。

 イギリスでご馳走を食べるならホテルの朝食を食え、という言い方がある。作家のサマセット・モームは、イギリスで三度三度美味いもんが食いたいなら、朝食を朝昼晩と3度食え、と言い残している。それほどイギリスの朝食は内容(質ではない)・量ともに充実している。何でもこの豪華な朝食の習慣は、その昔、産業革命期に昼食をろくに摂れなかった労働者階級から始まったんだそうだ。そこに当時の「家族の絆を大事にしよう」という風潮が追い風となり、中産階級や上流階級の間でも、家族が一番揃いやすい朝食を大事に考えるようになっていったらしい。今ではサマセット・モームの言葉を意識してか、1日中朝食メニューを出しているレストランやパブも存在するとか。

 朝食と言えば、新婚旅行でウィーンに行ったときのホテルの朝食が忘れられない。パンもハムもソーセージも、そして大好物のチーズも、数種類をバイキング方式で食べることができる。しかも、どれをとっても本場物と謳っている日本のものよりも遥かに美味しかった。恥も外聞もなく、カミさんと二人して、朝から何度もおかわりをしてしまった。その土地の名物は、やはりその土地に行って食べるに限る、ということなのだろう。でも、だからといって、イギリスまで出向いて、あのイングリッシュ・ブレックファストを食べたいかというと、それはちょっと勘弁だな。

 さて、僕たちはその後パリへ行ったのだが、ここでの朝食は至ってシンプルだった。クロワッサンとフレンチ焙煎の珈琲(注文すれば紅茶やカフェオレも)、バターにマーマレード。これはイングリッシュ・ブレックファストに対してコンチネンタル(大陸式)・ブレックファストといわれるスタイルだ。最近ではハムやサラダ、ゆで卵などが付くこともあるようだが、朝が忙しい日本人にはこちらの方が合っているかも知れない。

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 映画の中の食事(3)

 さて、このコーナーも3回目。今日はまず最初に、古典的名画「太陽がいっぱい(1960)」から。主人公の貧しい青年(アラン・ドロン)が富豪の友人と食事するシーン。魚料理(だったような気が・・・)を食べるのにフォークを使わずナイフだけで食べて、友人に「ちゃんとフォークを使え」と注意される。このナイフだけを使う食べ方は下層階級の象徴らしく、他の映画でも見かけることがある。何の苦もなく、美味しそうに食べてるんだけど、そもそもなんでナイフなんだ?フォークを優先させると思うぞ、普通。

 有名な西部劇「シェーン(1953)」では、最期にシェーンと撃ち合う雇われガンマンが、バーの片隅でいつも珈琲を飲んでいる。手元が狂うから酒は飲まない、ということらしい。さすがは殺しのプロ。食事とは言えないが、印象的だったので紹介しておく。

 西部劇といえば、「続・夕日のガンマン(1966」の食事シーンはその筋では有名だ。リー・バン・クリーフ扮する凄腕のガンマンが、テーブルで対峙した相手を睨みつけながら(そして時に不穏な笑みを浮かべながら)豆料理とパンを口に運ぶ。銃なんか使わなくても、相手は消化不良を起こして死にそうだ。このシーンはYoutubeで見ることができる。「続・夕日のガンマン 食事シーン」で検索。コメントも面白いよ。「給食の時にマネして叱られた」とか。

 戦争映画では、よくこのブログで話題にする「眼下の敵」に、駆逐艦に狙われて動きの取れない潜行中のUボート(ドイツの潜水艦)の艦内で、料理兵が皆にスープを配るシーンがある。このスープが美味しそう。白いカップに垂れた跡や、飲みながら咀嚼している様子から察するに、かなり濃厚で、緊急時の食事がわりになるように実だくさんなのだろう。同じくこのブログでは常連の「頭上の敵機」では、士官たちが古くなったケーキを皆でつつくシーンがある。これも妙に美味そうだ。ただし、あまりにもボロボロで、もとがどんなケーキだったかは不明。戦闘シーンに本物の記録フィルムを使ったため、整合性を考え、あえてモノクロで撮られた映画なので、色から判断することもできない。スポンジ・ケーキである事は間違いないと思うのだが・・・。

 映画ではないが、有名なTVドラマシリーズ「バンド・オブ・ブラザース(2001)」では、ノルマンディ上陸直後のアメリカ兵たちが「いったい何が入ってるんだ?」なんて文句を言いながら、トラックの荷台で食事をするシーンがある。その得体の知れない煮込み料理を運ぶために、食缶がわりに使っているのは、何と機関銃弾のスチール製のケース。そこへ様子を見に来た上官が匂いに気付き、「何だ、何か腐ってるのか?」なんて追い打ちをかける。すかさず兵士の1人が「マラーキーのケツ」。マラーキーとは同じ部隊の兵士の名前だ。これは食べたくないと思うのが人情だろう。

 最期は「オリエント急行殺人事件(1974)」。1日目のランチ(※)にポアロが摂ったのは何と生牡蠣5個。それに櫛形レモンが添えてある(ランチだよ?あっちじゃ普通なんだろうか。それとも、「上流階級」とはこういうものなのか)。友人のビアンキ(ブーク)のオーダーはスモークサーモンのようだ。テーブル上にはドイツパンらしきものも確認できる。別のテーブルでは乗客のイタリア人がパスタを食べている最中だ。相席のイギリス人執事もパスタだが、よく見ると、何と彼はナイフとフォークでパスタを食べようとしている。つまりナイフでパスタを切って、という意味だ。あれって、かえって食べにくいんじゃないか?でも切るシーンだけで、残念ながら実際に食べるシーンはなかった。どうやって食べるのか見たかったなあ。ところでポアロは前の晩もこのランチでも、食後に緑色のリキュールを飲んでいる。あれはペパーミント・リキュールだろうか。リキュールのストレートって、よほどの通じゃなきゃ飲まないよな。

 ちなみに新作の「オリエント急行殺人事件(2017)」に関しては、「まったく同じサイズの2個のゆで卵」しか印象に残っていない。そもそも作品自体あまり好きじゃない。新解釈かなんか知らんけど、ポアロにアクションなんかさせちゃいけませんよ。

※ 1日目、初の食事シーンなので朝食と思ってしまいがちだが、普段から遅く起きる習慣のラチェットをはじめ、ほぼ全員が食堂車に揃っていて、ウェイターがドラゴミロフ公爵夫人に夕食の注文を聞いている。また、殺人のあった翌朝、食堂車のテーブルにはコーヒーポットやティーポット、バター、ジャム、マーマレードらしきもの、クロワッサンのようなパンなどしか置かれていないことから、オリエント急行での朝食はコンチネンタル・ブレックファスト(パンと飲み物だけの簡単な朝食)と考えられる。というわけで、これはランチの場面。

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 西部劇っていつ頃の話?

 昔から西部劇が好きだった。両親の影響で、子どもの頃、TVの洋画劇場で何本も見た。そんな僕はある日ふと思った。これっていったいいつ頃の話なんだろう?南北戦争や第七騎兵隊の全滅、OK牧場の決闘など、映画で紹介された史実はいろいろと知っているのだが、日本だといつ頃に当たるのかがピンとこない。銃や鉄道や電信がある時代なのはわかっているけど、銃器はこの時期にものすごく進化している(※1)し、騎兵隊にしても時代によって二通りの解釈がある。つまり「南北戦争」の時の北軍と、それより後の「インディアン戦争」の時の騎兵隊。一般的に騎兵隊と言えば後者を指すことが多いが、両者を混同している人もいるはずだ。まあどちらも「合衆国陸軍」であることに違いはないんだけどね。でも南北戦争を描いた映画「騎兵隊(1959)」の北軍は帽子が黒(濃紺?)で、インディアン戦争時の「黄色いリボン(1949)」の騎兵隊はベージュの帽子というように、時代によってコスチュームや装備している武器などの備品に違いがある。勿論映画の時代考証が正しいとしての話だけど。

 あるとき、祖父が残した古い映画雑誌で良い資料を見つけた。少し前に紹介した「映画の友臨時増刊 西部劇読本」の中にそれはあった。「西部発展史年表」というページだ。ありがたいことに、日本の出来事を対応させてある。

 さて、それによるとアメリカの独立は1789年(寛政元年、徳川家治)。この頃に松平定信が老中になったり、「打ち壊し」が起こったりしている。「南北戦争」はこれより大分後のことで、リンカーンが大統領だった1861年から1865年半ばまで続いた。これはペリーが来航した1853年よりも8年も後のことだ。日本ではこの間(文久元年~慶応元年)に生麦事件、長州征伐等が起こっている。明治元年(1868年)をはさみ、1876年にはインディアン戦争のさなかに第七騎兵隊の全滅という事件が起こる。これが日本では明治9年、廃刀令が出された年だ。1881年にはワイアット・アープおよびその兄弟とクラントン一味がトゥームストーンのOK牧場(実際には牛を置く囲い)で決闘。日本では明治14年に当たり、板垣退助が自由党を設立している。1886年には伝説的なアパッチ族の大酋長ジェロニモが合衆国政府に投降。この年(明治19年)、日本では「少年よ 大志を抱け」で有名なクラーク博士が死去。1889年(明治22年)には合衆国政府がフロンティア・ライン(西部開拓の最前線)の消失を発表し、西部開拓時代はその終焉を迎える(※2)。その後大分経って、1929年(昭和4年)にワイアット・アープが80歳で死去。これはガン・ファイターとしては驚異的な長寿で、晩年には有名な映画監督ジョン・フォードとも親交があったらしい。

 こうしてみると、西部劇の時代とは、日本で言う江戸末期から明治にかけての期間と言えそうだ。思っていたより最近の話なので驚く。何よりもワイアット・アープと僕の祖父が時代を共有していたことがあるという事実は、何とも感慨深い。

※1 ガンマンがよく使っている拳銃「コルトSAA(ピースメーカー)」と、有名なライフル「ウインチェスターM73」は、ともに1873年以降のものだから、それ以前のエピソードに出てくるのは間違いだ。ただしウインチェスターにはほぼ同型のM66(1866年モデル、弾薬が古いタイプ)等があり、見分けがつきにくい。

※2 要するに、入植者が勝手に開拓していい土地はもうありませんよ、ということだろう。

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 レコードの復権

 レコードが再び注目されている。数日前、夕方のニュース番組で特集していた。往年のレコードマニアは勿論、若い人にもファンが増えているという。そういえばレコードショップやレコード売り場が以前より目につくようになってきたような気がする。

 番組では、インタビューを受けた若者が「パソコンを通してではなく、目の前にある『もの』から音が出ているので、アーティストとの距離が縮まったような気がする」と言っていた。ウンウン、意味はわからんけど気持ちはわかるよ。「レコードの方が音が良いような気がする」という意見もあった。これは理論的に正しい。また、ある女性などは、「DJを趣味とする父親の影響で、長年レコードに親しんできた」という。この人、「音が出るまでの手続き(操作)が好き」とも言っていた。これは僕もよくわかる。あれは音楽を聴くための、一種の儀式みたいなものだから。

 ところでそのあと、その女性が自宅でレコードを聴く様子がVTRで紹介されたのだが・・・えっ!?レコードプレイヤーに手を掛けて聞いている?しかも指でリズムを取っている?ダメだよそれは。絶対振動を拾ってるって。僕の知り合いの一人など、家の構造物から独立させて、ターンテーブル(レコードプレイヤー)を置くための土台をコンクリートで別に作ったぐらいだ。昔の超級マニアにはそういう人が多かった。これは通常の生活で生じる建物の振動をレコード針が拾わないようにするためだ。レコード針を含む「カートリッジ」というパーツはとてもデリケートな構造で、状況によっては2階を歩く振動を拾い、雑音として再生することだってあるんだよ。しかも過大な振動は針やレコード盤を痛めてしまうこともある。何しろレコード盤と針の物理的接触で音を出しているわけだから無理もない。

 それから、意外と無視されているのが、オーディオ機器の電源コードのプラスとマイナス。コンセントにプラスとマイナスがあるのを知っている人は増えてきたと思うけど(差し込み穴の長い方がマイナス)、コードの方はまだまだ意識していない人が多い。普通、電化製品、特にオーディオ機器の電源コードにはマイナス側に必ず何か目印が付いている。多くの場合、プラグそのものにアース記号が打ってあるとか(そうなんです、アースの働きもしてるんです)、マイナス側のコードに沿ってラインや文字がプリントされているとか(いろいろと複雑なので、詳しくはネットで検索のこと)。それを確認し、プラグを正しくコンセントに差し込むことで初めて、安全に本来の音質が再生できるわけだ。ただし、ここまで書いておいて何だけど、その音質の違いを聞き分けられる人はほとんどいないだろうとのこと。ごめんよぉ。でもノイズが減ったり、音の立体感が増したりするのは事実らしいし、安全面や気持ちの問題を考えても、大事なことだと思いません?

 というわけで、レコードを聴くなら、ハードウエアについてもしっかり学んでおいて欲しい。扱いを間違えると、本来の性能を生かせないばかりか、貴重なレコード盤やレコード針も痛めてしまうからね。

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 映画の中の食事(2)

 前回に引き続き、映画のなかで妙に美味そうだった場面や、これはちょっと・・・という食べ物を集めてみた。

 まずはヒューマン映画「グリーンブック(2018)」。時は1962年、演奏旅行中の黒人ピアニスト、ドン・シャーリーが、人種差別の色濃く残るケンタッキー州に入るやいなや、フライドチキンで歓待されるシーン。「ケンタッキーに来たらこれを食べないとね」というセリフからすると、本当に名物だったんだね。しかし、果たしてこの好意は真意なのか?それにしてもあんなに山盛りにされたら、美味しいものも美味しく見えないよなあ。

 バディものの「48時間(1982)」では司法取引のご褒美としてご馳走を期待したチンピラのエディ・マーフィーに、刑事役のニック・ノルティーが「ほら、今日のディナーだ」と自販機のスニッカーズ(だと思う)を投げてよこすシーンがある。思えばあれがスニッカーズを知るきっかけだったかもしれない。ついでに言うと、この映画には「ラップ愛好家」なるセリフが出てくるが、日本ではまだ音楽としてのラップが広まってなくて、「(食べ物を包む)ラップを、どうやって愛好するんだろう?」なんて思った記憶がある。

 サスペンス映画の傑作「夜の大捜査線(1967)」では、これまた人種差別の残るミシシッピ州の小さな町で、拘留中の囚人から情報を得るために、シドニー・ポワチェ扮する黒人刑事がハンバーガーの差し入れを約束する。現物は出てこないのだが、刑事が「タマネギも入れるんだろ?」と聞き、囚人が「わかってるじゃねえか」と嬉しそうに笑うシーンがある。会話が美味しそう。同じく現物は出てこないが、SFの金字塔「2001年宇宙の旅」の続編「2010年(1984)」では、木星の軌道上で宇宙船のクルーが、ヤンキースタジアムのホットドッグを懐かしんで語り合うシーンがある。「カラシは茶色か?それとも黄色?」「茶色」「そう来なくっちゃ」この会話も妙に美味そうだ。要するに辛い方が通好み、ということですね。確かに、そのへんで売ってる黄色いマスタードって、全然辛くないもんな。

 西部劇「リオ・グランデの砦(1950)」では、偵察か何かで疲れ切った騎兵隊員に、待っていた仲間が「これしかないんだ」と豆の缶詰を渡すシーンがある。あんなんで戦えるのかと心配になってしまう。もらった方も「豆かよ」なんてぼやいていた。何よりも舞台となる1800年代後半に缶詰があったことにびっくり。調べてみたら発明されたのは1810年(日本だと文化7年。江戸時代ですね)。日本でも1877年(明治10年)には量産が始まったそうだ。わりと早い時期からあったんだね。ちなみに缶切りが発明されたのは1858年。それまでは映画にもあるようにナイフを使うか、専用のノミや斧、時には銃で撃ったりもしてたんだってさ。一方「ワイアット・アープ(1994)」ではステーキを食べるシーンがやたらと美味そうだ。やっぱ金持ってるヤツは違うな、なんて思ってしまう。現実のワイアット・アープは結構汚く稼いでいて、1929年(昭和4年)まで生きていた。

 さて、アニメ映画では、まず「レミーの美味しいレストラン(2007)」に出てくる「ラタトゥイユ」をあげておこう。あの冷酷な評論家、イーゴの心を氷解させた思い出の味。何より盛りつけが素晴らしい。うちでも時々作るけど、見かけはまったく別の料理になっちゃう。そういえば映画の始めの方で、レミーが屋根の上で調理するキノコも妙に美味しそうだったなあ。どちらもちょっと食べてみたい。一方「ラマになった王様(2000)」では、レストランの「本日のスペシャル」として長さ50㎝はあろうかというダンゴムシが提供されていた。古代の中南米にあんなのがいたとも思えないが、その食べ方がまたすさまじい。どろどろの内臓だか身だかをストローで啜った後、残った殻をバリバリとかみ砕く。こっちは絶対食べたくない。

 次はホラー・サスペンス、「ハンニバル(2001)」。終盤で宿敵(?)に自分の脳を食べさせるシーンは置いておいて、ここでは映画のラストに注目だ。旅客機で逃亡中のレクター博士がディーン&デルーカ(※)のディナーボックスを開けた時、近くにいた子どもがじっと見ているので「どれが食べたい?」と聞くシーンがある。子どもが「これ」と指さしたのは、何かの脳みそ料理。レクター博士は「新しい味に挑戦するのは大事なことだね」なんて言いながら、口に入れてやる。直前に人間の脳を食べるシーンがあるので、勘弁してって感じ。

 最後は黒澤映画の傑作「七人の侍(1954)」に出てくる握り飯。ただの白い握り飯(時代背景から言っても、まだ海苔は出回っていない)なのだが、炊きたての白米の匂いまでしてきそうだ。この感覚がわかるのは日本人だけだろうねえ。

※ 米国の有名な高級食材店(現在は閉店)。映像で確認したところ、ボックスの中身はフォアグラ1切れ、ベルーガ(大粒)キャビアの小瓶、小さなタッパーウエアに入った何かの脳が3切れ、他にクラッカー3枚、ベークドポテトに見えるものが半個、各種フルーツ、チョコレートとおぼしきもの。ワインはシャトー・フェラン・セギュール(フランス・サンテステフの銘醸赤ワイン)の1996年(ハーフボトル)。ご丁寧なことに、これらの情報を克明に読み取れるカットがある。

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 「マザアグウス」子どもの唄

 前回最後に少しだけ触れた童謡集「マザーグース」。家にちょっと面白いものがあるので紹介したい。

 そもそも僕がなぜこんな古い書物を知っているのか。確かに有名な書物だし、初出は1780年ながら、現在でもいろいろな出版社から発行されてはいる。だが僕が初めてこの本を知ったのは幼少時、たまたまうちにあった古書を目にしたからだった。今その現物が手元にあるが、タイトルは「マザアグウス 子どもの唄」となっている。表記が何とも古くさい。ページを開いてみると、文章は全て旧仮名遣いだ。それもそのはず、奥付によれば発行は大正(!)14年12月15日。こういう本が何気なく存在するから、本好きの家系は恐ろしい。

 大正14年といえば今は亡き母が生まれた年だ。おそらく本好きだった母方の祖父が、娘に買い与えることを口実に半趣味で買ったのだろう。というのも、ハードカバーの、今でもきちんと開いて読めるほどしっかりした作りで、挿絵も海外の素晴らしいものが、そのページだけ紙質まで変えておごられている。定価が「貳圓五拾銭」というから、ある試算を基に計算すると、今なら7,000円ぐらい。子どもに買い与えるような価格ではない。むしろコレクター向けのものだったに違いない。だいたい子どもが512ページ(厚さ45㎜)もあるハードカバーの本を読む姿なんて誰が想像できるだろうか。

 背表紙のごく一部が破れてなくなっているのが残念だが、98年前の書物である事を考えれば、良く保っている方だろう。特に売却する気もないしね。ところで中身は純粋に西洋の童謡を和訳してあるだけで、前記したものの他にも、所どころに素晴らしい挿絵がちりばめられている。例の「ハンプティ・ダンプティ」はこんな訳だ。

 ハンプティ・ダンプティが塀の上、ハンプティ・ダンプティがすってんころりん。王様の兵隊とお馬を皆(みんな)くり出しても、ハンプティ・ダンプティをもとの通りにやできなかった。

せっかくだから、もう少し紹介しよう。まずは「ゴサムの三利口」。

 ゴサムの利口者三人が、丼鉢にのって、海へ行った。丼鉢が丈夫であったら、私のお話も長いんだが。

意味はおわかりですね。お次は「ジャックや、急用だ。」

 ジャックや、急用だ。ジャックや、かけろ。そこでジャックは蝋燭立てをとび越えた。

どうです、何とも言えない良い感じでしょう?長いからここには書かないけど、あの有名な「誰がクックロビンを殺したか」もこの童謡集で紹介されているんだよ。

 ちなみに「ゴサムの三利口」は、王様の道路建設用地に村の土地を取られるのを嫌ったゴサムの村の利口者3人が、視察に来た使いの者のまえでわざと愚かしい行動を見せつけて、王様をもっとましな土地を選ぶ気にさせた、という逸話がもとになっている。ところでゴサム(ゴッサムとも)とは本当にあったイギリスの地名で、後にアメリカの作家アービングが、ある記事でニューヨークを前述の逸話に照らしてゴッサム(衆愚の街)と記述したことがあった。このことから映画「バットマン」シリーズでは、本来ニューヨークであったバットマンの住む街を架空の都市ゴッサム・シティと設定したらしい。

 ついでにちょっといいですか?ついこのあいだ、WOWOWで「アラモ(1960)」という西部劇を見た。なにぶん古い映画なので、情報が欲しくて月刊「映画の友(廃刊)」臨時増刊「西部劇読本」を引っ張り出した。表紙には「1960年(昭和35年)10月号」とある。おまけに月刊「スクリーン」臨時増刊「西部劇特別号(昭和36年8月15日発行)」なんていうのもある(これも祖父のもの)。さらにちょっと悪ノリすると、「婦人生活(廃刊)6月号付録 今晩のおかず」では料理研究家の故土井勝氏が「茹でたスパゲティは冷水にさらして締めます」なんて平気で書いている。土井勝氏が悪いんじゃないよ、当時はこれが当たり前だったらしいから。何せ発行日は昭和36年6月1日(これは母のもの)。それから憶えているかなあ、以前に紹介した「駅弁パノラマ旅行」は昭和39年発行だった。僕の日常には、こういった書物が当たり前のように存在しているのですよ。ずっと昔から、ね。

春秋社刊 訳 松原至大 装丁 宍戸左行。この表紙絵は日本で描かれたものだろう。挿絵とは雰囲気がかけ離れている。
見よ、マザーグース婆さんの勇姿(口絵)! カラーはこの1枚だけ。
「ゴサムの三利口」のページ。実在する「ゴサム」の説明が・・・。
「ハンプティ・ダンプティ」。同様のモノクロ挿絵が全部で5枚ある。
このクオリティ。多分原画はどれも彩色。カラーで見たかったなあ。文字ページとの紙質の違いがわかるだろうか。(「マフェットお嬢さん」)
文字ページにも挿絵がたくさん入っている。これは「駒鳥のお葬式(誰がクックロビンを殺したか)」のページ。

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 時間差と情報量の問題

 どこぞのコラムニストが、ネット上でJリーガーの容姿を中傷したとかで炎上したそうだ。やれやれ、またかいな。いつも言っていることだが、ネットでの発信には相当な注意が必要だ。特にレス(ポンス)に時間差があることは十分配慮すべき問題だ。これが普通の会話だったら、発信者のコメントを遮って「その言い方は誤解されるぞ」などと意見することも可能だろう。もしかしたら、発信者自身もそれを聞いてコメントをあらためるかもしれない。それがリアルタイムのコミュニケーションというものだ。だから会話しているなかで、主張がより適切なものになっていく可能性がある。だがネット上ではほとんどの場合、主張は全て書かれるか撮影されるかしてからUPされる。この場合途中で他人の意見が反映される機会はないから、レスが返ってくるまでそれを見た人たちがどう受け止めたかわからない。修正の機会がない以上、全ては発信者の良識にゆだねられることになる。そしてご存じのように、最近のネットユーザーにはその「良識」が欠如している人も少なくない。

 ネット上では、長い文章はあまり歓迎されないそうだ。最近のネットユーザーは長い文章を読むのも書くのも苦手だからだ。だからほとんどのネットユーザーはツイッターに代表される短文のアプリを使う。だが他人に何かを伝えようとする時に、特に誤解を避けようとすればなおさら、十分な説明のためにそれなりの長さの文章が必要だ。これは言葉によるコミュニケーションでも同じ事だが、対面なら表情や身振り、言葉の調子などで補うことができる。だが文章だけのやりとりではそれもできない。ましてや短文では主張を正しく言い尽くせるとは思えない。もともと真意が伝わりにくい短文でのやりとりを良識的な配慮もなしに行ったとしたら、結果はそれこそ火を見るよりも明らかだろう。

 以前にも書いたが、ツイートとはつぶやくことだ。人がつぶやく理由は、その他大勢、特にその対象者に聞かれたくないからだ。それを不特定多数の人々が閲覧可能なネット上に書き込むこと自体、大きな矛盾だと思う。僕はこのブログをエッセイのつもりで書いているが、原稿をUPするまでには最低でも5回、多いときは10回以上の推敲を行っている。しかしそれでも不安は残る。本を出版するのとは違い、ネットには「編集者」という、他人の目を介してのチェック機能がないからだ。おかげで何度推敲しても納得がいかず、UPするタイミングを失したり、内容がふさわしくないと判断したことで、ネットへの掲載を諦めたものもいくつかある。そもそも本にして出版することとネットにUPすることでは、まったく次元が異なる。同じように、気心の知れた友人間の会話程度の意識で、ネット上に自分の意見を書き込むべきではないと思う。読む側はあなたをまったく知らない人たちなのだから。

 ツイッターやインスタグラムを使うユーザーは、その場で感じたことをリアルタイムで書き込むことが多いようだから、勿論十分な推敲などしていないだろう。年齢が若いと、周囲に友人などがいても同じテンションで火に油を注いでしまう可能性が高い。それを何気なくUPする。もちろん、差しさわりのない内容ならそれでもいいだろう。しかし、時にその内容は、今回取り上げた例のように何気なくUPして良いようなものではないかもしれない。そしてそれは発信者の知らない間に、その意図にかかわらず拡散する。そうなったら状況はもうもとには戻らない。ハンプティ・ダンプティだ(※)。前述したように、レスは時間差でやってくる。そこで初めて、発信者は何が起こっているのかに気付くのだ。

※ ヨーロッパの古い童謡集「マザーグース」に登場するキャラクターの一人。挿絵では擬人化されたタマゴの姿で描かれる。ずんぐりした体型や、危うい状況を意味する。

「ハンプティ・ダンプティ、塀の上に座った ハンプティ・ダンプティ、すってんころり 王様のお馬や兵隊がいくら繰り出しても、ハンプティ・ダンプティをもとに戻せなかった」