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 時間差と情報量の問題

 どこぞのコラムニストが、ネット上でJリーガーの容姿を中傷したとかで炎上したそうだ。やれやれ、またかいな。いつも言っていることだが、ネットでの発信には相当な注意が必要だ。特にレス(ポンス)に時間差があることは十分配慮すべき問題だ。これが普通の会話だったら、発信者のコメントを遮って「その言い方は誤解されるぞ」などと意見することも可能だろう。もしかしたら、発信者自身もそれを聞いてコメントをあらためるかもしれない。それがリアルタイムのコミュニケーションというものだ。だから会話しているなかで、主張がより適切なものになっていく可能性がある。だがネット上ではほとんどの場合、主張は全て書かれるか撮影されるかしてからUPされる。この場合途中で他人の意見が反映される機会はないから、レスが返ってくるまでそれを見た人たちがどう受け止めたかわからない。修正の機会がない以上、全ては発信者の良識にゆだねられることになる。そしてご存じのように、最近のネットユーザーにはその「良識」が欠如している人も少なくない。

 ネット上では、長い文章はあまり歓迎されないそうだ。最近のネットユーザーは長い文章を読むのも書くのも苦手だからだ。だからほとんどのネットユーザーはツイッターに代表される短文のアプリを使う。だが他人に何かを伝えようとする時に、特に誤解を避けようとすればなおさら、十分な説明のためにそれなりの長さの文章が必要だ。これは言葉によるコミュニケーションでも同じ事だが、対面なら表情や身振り、言葉の調子などで補うことができる。だが文章だけのやりとりではそれもできない。ましてや短文では主張を正しく言い尽くせるとは思えない。もともと真意が伝わりにくい短文でのやりとりを良識的な配慮もなしに行ったとしたら、結果はそれこそ火を見るよりも明らかだろう。

 以前にも書いたが、ツイートとはつぶやくことだ。人がつぶやく理由は、その他大勢、特にその対象者に聞かれたくないからだ。それを不特定多数の人々が閲覧可能なネット上に書き込むこと自体、大きな矛盾だと思う。僕はこのブログをエッセイのつもりで書いているが、原稿をUPするまでには最低でも5回、多いときは10回以上の推敲を行っている。しかしそれでも不安は残る。本を出版するのとは違い、ネットには「編集者」という、他人の目を介してのチェック機能がないからだ。おかげで何度推敲しても納得がいかず、UPするタイミングを失したり、内容がふさわしくないと判断したことで、ネットへの掲載を諦めたものもいくつかある。そもそも本にして出版することとネットにUPすることでは、まったく次元が異なる。同じように、気心の知れた友人間の会話程度の意識で、ネット上に自分の意見を書き込むべきではないと思う。読む側はあなたをまったく知らない人たちなのだから。

 ツイッターやインスタグラムを使うユーザーは、その場で感じたことをリアルタイムで書き込むことが多いようだから、勿論十分な推敲などしていないだろう。年齢が若いと、周囲に友人などがいても同じテンションで火に油を注いでしまう可能性が高い。それを何気なくUPする。もちろん、差しさわりのない内容ならそれでもいいだろう。しかし、時にその内容は、今回取り上げた例のように何気なくUPして良いようなものではないかもしれない。そしてそれは発信者の知らない間に、その意図にかかわらず拡散する。そうなったら状況はもうもとには戻らない。ハンプティ・ダンプティだ(※)。前述したように、レスは時間差でやってくる。そこで初めて、発信者は何が起こっているのかに気付くのだ。

※ ヨーロッパの古い童謡集「マザーグース」に登場するキャラクターの一人。挿絵では擬人化されたタマゴの姿で描かれる。ずんぐりした体型や、危うい状況を意味する。

「ハンプティ・ダンプティ、塀の上に座った ハンプティ・ダンプティ、すってんころり 王様のお馬や兵隊がいくら繰り出しても、ハンプティ・ダンプティをもとに戻せなかった」

作成者: 835776t4

こんにちは。好事家の中年(?)男性です。「文化人」と言われるようになりたいなあ。

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