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 People Get Ready

 「ピープル・ゲット・レディ」という曲があって、これがなかなかいい。しばらく忘れていたが、1週間ほど前、どうしても聞きたくなって古いCDを引っ張り出した。

 僕が初めてこの曲を聞いたのは、1993年にリリースされたロッド・スチュアートのアルバム、「アンプラグド(※)」に収録されたカヴァーバージョンだった。宗教がかった内容のゴスペル調の曲で、初出は1965年。インプレッションズというR&Bグループのオリジナル・ナンバーだ。当時アメリカで盛んだった公民権運動を意識して作られたという。

 さあ、準備して 列車がやってくる 

 切符はいらない 信じる心があれば

 だから さあ、準備するんだ 

 ヨルダン行きの列車に乗るために

 海岸線を列車は走る 新たな旅人を乗せながら

 けれど 私利私欲に囚われた 罪深き者の席はない

 彼らを憐れもう 王座の前では  

 隠れる場所など ありはしないのだから

 ここで言う「ヨルダン」とは単なる地名ではなく、旧約聖書の「出エジプト記」でイスラエルの民が目指した「約束の地」のことだ。

 僕は宗教的な人間ではないが、母がクリスチャンだったこともあり、一番親しんだ宗教といえばキリスト教。そのせいかどうかはわからないが、好きなジャンルにはゴスペル調の曲も多い。ついでに言うと、R&Bやカントリー&ウエスタン寄りのロックも好きで、例えばかの有名なザ・バンドやキム・カーンなんかもよく聞いた。実際、この数週間は「ザ・ウェイト(ザ・バンドの曲)」を聞いていた。この曲にも聖書の中の固有名詞がいくつも使われていて、その流れで久々に聞きたくなったのが「ピープル・ゲット・レディ」だったというわけだ。

 実を言うと、ロッド・スチュアートのバージョンばかりを聞いてきた僕が、オリジナルが1960年代の曲であることを知ったのは比較的最近のことだった。Youtubeでオリジナルを聞いてみると、アフリカ系アメリカ人のコーラスによるパフォーマンスは、そのままゴスペルといってもいい趣で、実にすんなりと心の中に入ってくる感じだった。

 そもそも宗教というのは、心穏やかに生きるための一種の哲学のようなものだと僕は思っている。世界には様々な宗教が存在するが、仮に神様が存在するとしたら、こんなちっぽけな地球を導くために二人も三人もいらないだろう。それにおそらく、長いこと宗教を後ろ盾に争ってきた人間を見てあきれ果てているに違いない。

 疲れているな、と感じるとき、僕はシンプルに音楽を聴きたくなる。意図的に向き合わずとも自然に耳に入ってくるからだ。それがこうした宗教がかった音楽ならなおのこと、僕のような特定の信仰をもたない者でも穏やかな気持ちになるから不思議だ。それに頼るかどうかは別として、人知を超えた大きな存在をそれとなく感じさせてくれるからだろう。

※「アンプラグド」ロック歌手などが電気を用いる楽器を使わずに歌唱・演奏したアメリカのMTVライブ(TV番組)と、それをCD化したシリーズ。タイトルは「電源プラグを抜いた」という意味。

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 野鳥観察

 以前書いたように、最近暇を見ては庭に出て、野鳥を眺めている。冬の間常連だったお嬢(ジョウビタキのメス)は、遠くからウグイスの声が聞こえ始めたころ、その姿を見なくなった。おそらく渡りの時期が来たんだろう。ちょっと寂しい気もするが、こればっかりは致し方のないことだ。

 ところでつい先だって、珍しい鳥が来ていた。キツツキのように嘴で盛んに樹皮をつついている。背中には波打つ縞模様があり、頭の羽毛が少し立っていた。以前にも見たことがあるが、ごくたまにしか見かけない鳥だ。おそらく年に1~2回程度だろう。もちろん気づかないうちに庭を訪れているということはあり得るけれど。

 カメラを持ち出して写真を撮り、調べてみたところ、これはキツツキの一種であるコゲラという鳥らしい。これまたうちの庭の常連であるシジュウカラと混群(異種で作る群れ)をなしていた。その群れのなかでコゲラは2羽だけ。おそらくつがいだろう。どちらかが死ぬまで添い遂げることが多いという。

 僕の家は森が点在する田園地帯にあり、そのせいか野生動物が多い。さすがに熊やイノシシはいないが、タヌキやイタチは良く見かける。野兎も一度見たことがある。最近では狐もいるらしく、昨年の末、今まで聞いたことのない恐ろし気な鳴き声で、明け方に起こされたことが何度かあった。娘は運転中に近くの農道で実物を目撃したそうで、それは「一見細身の犬のようだが尻尾が太く、普通の犬に比べて耳が大きく鼻先が尖っていた」という。この地域に野犬はいないから、ほぼ間違いないだろう。ただし地域猫がいるので、定住するには問題が多いかもしれない。

 そんな地域だから、庭に来る野鳥の種類も多い。ごくまれにだが、トンビやキジが庭に入ってくることもあるぐらいだ。これまではただ漠然と眺めているだけだったが、せっかくだから今年は少し「観察」してみようかな、なんてことを最近考え始めている。まあ僕のことだから、長続きはしないかもしれんけどね。

これ、コゲラだよな。
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 本屋に行きたい

 しばらく本屋に行っていない。それには三つの理由がある。一つは最近興味のある著者がいないこと、もう一つは雑誌やコミックスはアマゾンで買うことが多いことだ。じゃあなんで本屋に行きたいのか。答えは単純だ。僕は本屋のもつ独特な雰囲気が好きなのだ。

 本屋って、何となく知的な感じがしません?「知」を(いい意味で)切り売りしているというか、ハイレベルな書物の背表紙や帯の紹介文を読んでいるだけで、なんだか数ミリぐらい賢くなった気がしてくるというか(そんなわけあるかい)。今ではほとんど感じられなくなりつつあるが、紙そのものや印刷インクの匂いも好きだった。古本屋ならなおさらで、ちょっとカビ臭い匂いがそれに加わったりする。そうした匂いを感じることで、さらに数ミリ賢くなれるかもしれない(無い無い)。

 もう一つ、本屋に行くと、新たに面白そうな書物を「発見」するという楽しみがある。通販ではほしい本を検索するだけで、その他の書物はほとんど目に入る機会がない。アマゾンなどでは「あなたにお勧めの本」みたいな提示もあるのだが、たかが知れているし、「キミね、僕のことわかってないんじゃないの?」なんて感じることも多い。その点本屋はジャンル別にかなりの量の書物を己の欲求のままに、しかも手に取って見ることができる。これが楽しい。だが実は、僕にとってはこれが大きな問題でもある。

 冒頭で「しばらく本屋に行っていない」と書いたが、実を言うと、本屋に行くことを家族ぐるみで少し控えている。なぜなら皆がみな、目につく本をやたら買い込む癖があるからだ。例えば僕など、当初は月間のプラモ雑誌を買うつもりで出向いたのに、「あ、このS&G関係の音楽評論面白そう」だの、「パイ皮料理の本だ!そういえば持ってなかったな」だの、「おお、このMOOK本、いつの間にやら続刊が出てるやんけ」などと言いつつ、結局大きな紙袋を下げて店を後にすることになる。この衝動買い癖こそが、まさに三つめの理由なのだ。

 娘は僕より少し賢くて、ほしい本を見つけるとすぐさまスマホを取り出して、アマゾンとどちらが安く買えるかを調べたりする。恐ろしい時代になったもんだ。でもやはりまだ初心者というか、マニアックで図版の多い書物などを見つけるたびに、その値段に目を剥いたりしている。その手の専門書は販売数が少ないから単価が高いことぐらいそろそろ気づけ、と言いたい。カミさんはもっと賢くて、小一時間滞在しても何も買わずに店を出る、という荒業ができる。僕には到底真似できない。まさに「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」といった体(てい)だ(※)。

 うちの家族はよく近場のホームセンターやそれに隣接するモールで日用品やペット用品などを購入するのだが、その駐車場の向かいに大規模書店「蔦屋」があって、帰り道に必ず目に入る。これが見えないふりをするのが苦しい。何年も通い続けているお気に入りの店で、ここができた当時、取り扱うジャンルの豊富さに狂喜したものだ。そこには「こんな本、いったい誰が買うんだよ…そうか、オレが買うのか」といった書物がたくさんあった。なかには「こんな本、いったい誰が買うんだよ…オレでも買わねえぞ」なんて書物もあった。だがここ数年で売り場面積に占める書店の割合が次第に縮小し、新たに衣料品店とゲームソフトのショップ、そしてあろうことかビューティーサロンまでお目見えし、その犠牲になったのが僕(と娘)が好むようなマニアックなジャンルのコーナーだった。まあいつものことだから、もう腹も立たんけど。

 そんなわけで最近、「そろそろ1度ぐらい、蔦屋に行ってもいいんじゃないか?でないと本屋のスペースが無くなっちまいそうだ」なんてことを家族間でよく話す。そういえば、最後に行ったのはいつのことだったろう。ああ、本屋に行きたい。

※ 「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」 1981年 椎名誠 著  内容は短編及びエッセイ。表題作は活字中毒の友人をその治療のために味噌蔵に閉じ込める話。

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 おじさんパーカー問題から見えてくること、あるいは見えてこないこと

 少し前にネット上で話題になったおじさんパーカー問題というのがあって、要するにおじさんが仕事中にパーカーを着るのはどうなんだ、という話だ。この顛末が面白い。投稿した女性についておじさん蔑視がどうの、ものの言い方がこうのと大炎上し、例によってネット上で議論が戦わされたのだが、結構な有名人もこの議論に参加していたっけな。でもねえ、どうでもいいんだ、そんなことは。そんなことより、たった一人の意見で騒然とする社会のほうがよっぽど問題だ。いや、社会は騒然としていないか。騒いでいるのはごく一握りの人たちだもんな。多分その他大勢はどうでもいい、あるいは論ずるに値しないと思っている。そしてそうこうしているうちに、今度は「赤いきつね」のCM問題だ。

 これはCMに使われたアニメーションが「性的で気持ち悪い」と苦情が来た、という話なのだが、今回は識者がちゃんと分析し、エア炎上だっけ?そんな言葉を使って解説していた。要するに大炎上しているように見えるが、実際にはそれほど問題視されていない、ということらしい。企業側は対処する必要なし、というコメントが、ちょっと痛快だった。だけど本当のことを言えば、これだってどうでもいい。そもそもノイジー・マイノリティが騒ぐ問題なんて、そのほとんどが多くの人にとってどうでもいいことばかりだ。

 この世にはもっと大事なことがたくさんある。例えば独りよがりの意見そのものよりも(だって基本的に個人がどんな意見を持とうと自由だし)、それがあたかも大勢の意見であるかのように演出されてしまう状況や、わけのわからない価値観を持つ人が増えてきた時代背景とかのほうが、僕にとっては大問題だ。

 こうした記事を読むにつけ、思い出すことがある。昔教員だった時に、たった一人のモンスター・ペアレントの苦情に学校全体が動く、ということがよくあった。そんな時、事なかれ主義の教育機関は、色よい無難な返事を用意してその場を収めるのが常だった。こうした「言ったもん勝ち」の構図を図らずも容認するような状況が、のちのハラスメント気質を増長する一つの要因であったことは間違いないだろう。

 現代社会は情報で溢れかえっている。その中でどの情報が自分にとって重要であるか、どの情報を信じるかは、その人の成育歴や教養の度合いによって違ってくるはずだ。だが一般的な常識や良識を持っていれば、間違った判断をすることはほとんどないだろう。もう一度言うが、こうした良識ある人たちにとって、はじめに提示したような問題は真剣に論ずるに値しないどうでもいいことだ。そして間違いなくこうした人たちが大多数でありながら、どうでもいいが故にその意見はネット上には上がってこない。つまりネット社会では、むしろ大多数の意見のほうが見えてこないものなのだ。

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 庭仕事の相棒

 またしても投稿の間が空いてしまったが、実はこの1か月、庭仕事が結構大変だった。というのも、昨年の暮れに剪定した枝が庭の3か所に山のようになっていて、一時はその処分を業者に頼もうかとも思ったんだけど、物価高騰の折ということもあって、自力で出来るところまで、とりあえずやってみることにしたのですよ。

 剪定といっても、枝の半数は2メートル以上あり、なかには直径が5センチ以上のものもある。これらを電動レシプロソー(高枝用のこぎり)と剪定ばさみで長さ20センチほどに切り刻み、燃えるゴミの袋に入れて出すわけだが、その際に落ち葉や笹の葉も集めて一緒に出すので、ゴミ袋の数は…そうだなあ、40袋近くになったかな。それにあまり太い枝は燃えるゴミでは出せないので、選別しなければならないし…まあ大変っちゃ大変なんだけど、自分のペースで進められるので気は楽だ。それにこの時期は天気にも恵まれ、空を眺めることが好きな僕としては、後半の風が強い時期以外は(何しろ花粉の問題が、ね)そこそこ楽しみながら作業できた。しかも2月の中旬ごろからは、思いもよらないもう一つの楽しみができた。

 ある日、切り刻んだ小枝を袋詰めしていると、ふいに背後から聞きなれない奇妙な音が聞こえた。それはカカッという小さな打音で、聞きようによっては人が立てる舌鼓の音のようにも聞こえた。振り向いてみても何もいないようだが、音は続いている。耳を澄ましてその出所を探っていくと…いた!小さな野鳥がフェンスの上にとまっていた。色は淡い茶褐色か、あるいは鶯色?で目立たない。でも鶯にしては時期が早い。誰だこいつ。

 庭にやってくる野鳥はあらかた同定してあるが、こいつは新顔だなあ…そんなことを考えていると、その鳥は3メートルぐらいまで近づいてきて、地面の何かをついばみ始めた。近くで見ると翼に白い斑紋があり、尾羽には鮮やかなオレンジ色がさしていた。明らかに鶯とは違う。それにしてもこいつ、人に対して警戒心がないのか?

 後で調べてみたところ、それはジョウビタキのメスらしかった。オスは派手なのですぐにわかるのだが、もしかしたらこれまでにも庭に来ているのに、地味なので気づかなかったのかもしれない。以来毎日のようにやってきては、作業する僕の周りを飛び跳ねながら餌をついばんでいる。なるほど、ジョウビタキならあまり人を警戒しないのも道理だ。だがそれにしても近づきすぎだよな。何しろ一番近いときは50センチぐらいのところまでやってきていたから。僕のことは作業用のアルファMA-1(米空軍用ジャケット)の色で覚えているのか、暖かい日に黒のタートルで作業しているとあまり近寄ってこない。

 作業がひと段落した今でも、あの打音が耳に入ると庭に出てデッキに座る。時には運動不足解消のために一人で庭を行進したりもする。するとお嬢は(ジョウビタキのメスだからおジョウ)どこからともなく姿を現し、餌をついばんでは近づいてきて、しばらく僕を不思議そうに眺め、また餌をついばみに戻っていく。どうやら運動不足解消のために庭を歩き回る人間の都合が理解できないらしい(そりゃそうだろう)。

 ジョウビタキは渡り鳥だから、そのうち北へ帰ってしまうだろうけど、今しばらくは親交を深めることができそうだ。4~5年は生きるそうだから、来年もまた来いよ、なんて思ったりするのだが、果たしてこの庭を覚えているだろうか。

お嬢。この時の距離は2メートルぐらいかな。
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 長女が剥離骨折した話

 昨日の午前中、横浜在住の長女から「ケガをした」とラインが来た。カミさんが詳細を尋ねたところ、通勤中に駅の階段を登り切ったタイミングでコケたらしい。幸い階段を転げ落ちるようなことは無かったそうだが、変に足を捻った結果、足の甲を剝離骨折したとのこと。…足の甲を剥離骨折?どうもイメージがわかないな。

 とりあえず大事には至らなかったようなので、「まともに二足歩行できないのなら人類やめてしまえ」とでも送っておけば?と言うと、カミさんに「ケガしてるのにそれはかわいそう」と却下されてしまった。世の中に○○ハラスメントという言葉があふれかえるようになってからというもの、どうも僕のブラックジョークは評判が悪い。

 剥離骨折といえば、中学校の教師だった頃、こんなことがあった。体育祭のリレーの練習中、アンカーだった生徒が全力で最終コーナーを回ったとき、すぐそばにいた僕は「パキッ」という乾いた音を聞いた。「やべえ」という声も。彼は急速に減速し、ゴールに着くころには片足を引きずるようにして歩いていた。誰も何が起こったのかわからず、本人は腰のあたりがかなり痛むと言う。僕が聞いた異様な音のこともあって、すぐさま病院に連れて行ったところ、骨盤の一部を剥離骨折していることがわかった。えー、全力疾走で骨折?そんなことあるのか?

 当時よく思ったのは、自分が子供だった頃と比べると、近頃の子供はやたら骨折するなあ、ということ。特に多かったのは柔道部かな。なぜそれがわかるかというと、大けがの時は養護教諭を差し置いて僕が呼ばれることがよくあったからだ。

 戦争映画をやたらと見て育ったせいか、僕は緊急時には冷徹と言われるほど冷静で、見様見真似の止血や応急処置も傍目には上手に映ったらしく、養護教諭から直々に呼ばれることもあったぐらいだ。ある時など、骨折した手首を固定するため、3~4人の先生たちが備品の添え木をさがしまくっているのを尻目に、段ボールで簡易添え木を作ってさっさと固定してしまった。お分かりかと思うが、厚手の段ボールは筋目に沿って折り返すだけでかなりの強度が得られる。こういった知識は、知っておいて損はない。そういえば出血を伴う大けがの時、養護教諭に「学校にはフロックス(軍用止血剤)無いのか?」と聞いたら「そんなもんあるわけないでしょ!」と怒られたこともあったっけ。

 一応言っておくと、これは僕の思い込みではなくて、救急隊員から「処置がきちんとできているのでこのまま運びます、ありがとうございます」なんて言われたことも何回かある。要するにプロのお墨付き。まったく、人生何が幸いするかわからない。

 長女は「せっかくだから1~2日休みを取るか在宅勤務で対応する」とか言ってたな。痛みが止まらんとか、痛くてたまらんといった泣き言は一言も送ってこなかったから、多分大丈夫だろう。今は旦那もいることだし。ところで婿殿、軍用止血剤は常備しておくと、いざというとき便利だぜ(いやいや、流通してないって、そんなもん)。

追記 調べてみたらセロックス、アマゾンで売ってた。びっくりだ。

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 「ビッグフィッシュ(2003年)」

 最近、WOWOW等で録りためていた映画を少しずつ鑑賞している。でないとハードディスクがいっぱいになっちゃうからね。

 あらためて確認すると、録ったはいいがそのことさえ忘れてしまっているような映画も結構あって、こうした映画たちはそのほとんどが未鑑賞。今回触れる「ビッグフィッシュ」もそんな映画の一つだ。

 監督のティム・バートンはご存じのように癖の強いクリエイターで、僕は作品によって好き嫌いがはっきり分かれる。「シザー・ハンズ」や「バットマン」、「スリーピー・ホロウ」は好きだが、「チャーリーとチョコレート工場」や一連のアニメーションとなるとどうも興味がわかない。だから「ビッグフィッシュ」も今まで何となく保留していた。だが今回初めて鑑賞して思った。これ、なかなかいい作品じゃないか。自分の過去についておとぎ話のような話しかしない父親と、すでに結婚している息子の、心の葛藤と交流をティム・バートンらしいタッチでまとめあげている。この監督特有の、ちょっとダークで不気味な味わいが父親の語る回想シーンだけに抑えられていて…いや、一瞬例外もあったかな?とにかく話の流れを妨げることはなかった。

 驚いたのは父親を演じているのがアルバート・フィニーだったことだ。年は取れどもさすがは名優。メイクなしで「スクルージ」が演じられそうな貫禄だった(※)。一つだけ難を言えば、恰幅が良すぎてとても死期が迫っているようには見えなかったけど。

 実はこの映画を見ていてある既視感を感じた。それは映画のなかほどでエンディングがわかってしまうほどのもので、具体的に言うとストーリーの骨子が同じ2003年の映画「ウォルター少年と、夏の休日」にそっくりなのだ。この映画では奇想天外で冒険活劇のような過去を語る破天荒(訪問販売員をショットガンで蹴散らすとか)な大叔父たちと、ひと夏彼らに預けられた不遇な少年の心の交流が描かれているのだが、後日談として大叔父たちが事故で亡くなった直後、訃報を聞いて中東からある人物が訪ねてくる。成人したウォルターが出迎えたその人物とは…という流れ。なるほど、金持ってるわけだ。

 パクリだ!と言うつもりはない。僕としてはむしろ大歓迎だ。こういう現代のおとぎ話的なストーリーは大好きだから。「ビッグフィッシュ」が気に入った人は、多分「ウォルター少年と、夏の休日」も楽しめるに違いない。

 もう一つ、亡くなった父親が息子の心象風景の中で、川に住む大物「ビッグフィッシュ」に姿を変えて泳ぎ去るくだりは、僕のベストムービーである「我が谷は緑なりき(1941年)」のラストシーンで語られる「父のような男に死というものはない」というモノローグを思い出させる。また、妻となる女性に思いを伝えるシーンでは一面に咲き誇る黄色い水仙が印象的だったが、「我が谷は緑なりき」の中でも、事故で足のマヒした幼い主人公が牧師と水仙の花を見に行く約束をして、翌年の春に水仙の群生の中を、よろめきながらも自力で歩くシーンがある。偶然と言ってしまえばそれまでだが、制作陣のなかにもあの映画が好きな人がいるのかも、なんて思うと妙に嬉しかったり。そんな楽しみ方もできたので、この映画は好きな部類に入れておくことにしよう。

 余談だが、2001年にS・スピルバーグとT・ハンクスが制作した戦争TVドラマシリーズ、「バンド・オブ・ブラザース」のオープニングにも「我が谷は緑なりき」から持ってきたと思しきシーンがある。それは数人の兵士が草むしたなだらかな丘を降りてくるシーンなのだが、これにそっくりの構図で、主人公の成人した兄弟たちが同じように草むす丘を降りてくるシーンがある。それは映画のラスト、主人公が遠い昔を振り返る回想シーンの中の一場面で、個人的には間違いなく模倣だろうと思っている。多分同じことを感じた人が世界中にたくさんいるはずだ。これは名作の宿命なんだろうな。

 映画を長年たしなんでいると、いろいろな楽しみ方ができる。「ビッグフィッシュ」は久々にそんなことを痛感することができた映画だった…などと言いつつ、「ビッグフィッシュ」についてあんまり語ってねえな。まあいいか。いやー、映画って、ほんとにいいもんですね。それではまた!お会いしましょう。

※ 1970年の、「クリスマス・キャロル」をミュージカルにした映画、「スクルージ」でエイジングのメイクを施し、スクルージを演じている。彼はこの時34歳だった。

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 昔は良かった…

 「昔は良かった…」といえば、「今どきの若いもんは…」と並んで、年寄りの愚痴の典型みたいなことになっている。僕はまだ年寄りではないが、なぜかここ5~6年、「昔は良かった」と思うことが多くなった。でもこれって、いくらなんでも早すぎないか?

 前回の記事で紹介した「ダニー・ケイとニューヨーク・フィルの夕べ」というコンサート、これは1981年に催されたんだけど、この時ダニー・ケイはすでに70歳。老骨に鞭打って指揮者を演じ(?)、素晴らしいパフォーマンスを披露してくれた。これぞエンターティナーとでも言うべき芸達者ぶりだった。そして彼はこの抱腹絶倒のコンサートをささやかなスピーチで締めくくっている。

 「皆さんは今日、素晴らしいことをしたのです。」彼はこう切り出し、人生のすべてを音楽にささげた楽士たちと、その楽士たちの演奏に耳を傾け、惜しみない拍手を送る観客が、互いに支えあってこのコンサートを素晴らしいものにしたのだと語った。それは一流の芸人として生きてきた彼自身の感謝の言葉でもあったと思う。そして彼はこう続ける。

 「私たちは奇跡に満ちた愛すべき国に生きています。」アメリカはあらゆる国籍、人種、宗教の人々に扉を開いている。そして基本的な自由がある。だから人々はアメリカに魅了されるのだ、と。このコメントはユダヤ系移民の子供として生まれ、その才能を認められて成功した彼の実感だったに違いない。だがもちろん、アメリカはすべての人々に寛容だったわけじゃない。

 当時のアメリカも、水面下では人種差別や紛争など、多くの問題を抱えていた。それでも理想を捨てなかったから、そこに夢や希望が生まれたのだろう。ダニー・ケイは長年にわたってそんな夢を支えてきたエンターティナーの一人だった。

 彼の没年は1987年。あれから40年近くが過ぎ、世界にその名を知られるようなエンターティナーの話題は聞かなくなった。古き良きエンターティンメントは滅びてしまったんだろうか。実際のところ、今のアメリカにはささやかな夢すら生き残れそうにない排他的な雰囲気が蔓延している。一部の人々にとって、今後さらに住みにくい国になるであろうことは火を見るよりも明らかだ。アメリカにとって、「昔は良かった」という言い回しは単なる年寄りの常套句ではなく、現実の問題になりつつある。日本はどうだろう。世界は?

 そのうち、僕も年寄りと言われる時代が来るだろう。そんな僕が「昔は良かった」とつぶやいたときに、「また爺さんの『昔は良かった』が始まったよ」なんて言われるような世の中だといいんだけど。今を生きる若者から、「ホント、その通りですね」なんて言われるようじゃ、それこそ後がないもんな。

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 引きこもりなのかな。 (R50指定?)

 最近ちょっと気になっている。僕は昭和という時代に引きこもっているのではないだろうか。

 なぜそんなことを考えるようになったのか。事の起こりは新年あけてすぐにYoutubeで見つけたある動画だった。それは1990年の2月(だったかな)に行われた、アメリカのエンターティナー、サミー・デイヴィスJr.の芸歴60周年記念アニバーサリーの動画だった。このアニバーサリー・イベントに集まった顔ぶれがすごい。フランク・シナトラ、グレゴリー・ペック、クリント・イーストウッド、グレゴリー・ハインズ、ボブ・ホープ、シャーリー・マクレーン、ステイビー・ワンダー、リチャード・プライヤー、ディーン・マーチン、マイケル・ジャクソン、ディオンヌ・ワーウィック等々。そして総合司会はエディ・マーフィー。いずれ劣らぬ名優・エンターティナーたちだ。僕が子供の頃、両親とTVで親しんだ人たちも多い。このころはみんな生きていたんだなあ。

 勢いにのって検索を続けると、次に見つけたのは「ダニー・ケイとニューヨーク・フィルの夕べ」というコンサートの動画(※)。あー、これ子供の頃にTVでやってたよ。確か「世界のショー」とかいう枠だった。コンサートとは言うものの、俳優でコメディアンのダニー・ケイが面白おかしく指揮をして観客を笑わせる、まさしくこれはショーだ。あの頃のNHKはレベルの高い海外のエンターティンメント番組をよく流していた。有名なミュージシャンのワンマンショーや、大道芸人のパフォーマンスを特集した番組もあったっけ。楽しかったなあ。今のNHKからは想像もつかない。

 何度も書いているように、僕は子供のころから1950~60年代の洋画や洋楽に慣れ親しんできた。そんな僕がこういった動画を見ていると、もの悲しい気分に陥ることがある。というのも、動画で見たスターたちのほとんどが、今はもういないことをあらためて実感してしまうからだ。例えば先ほどのサミー・デイヴィスJr.だが、実はアニバーサリー・イベントの3か月後に亡くなっている。他の出演者たちも、前記したメンバーのうち、司会のエディ・マーフィーを除けば今は4人しか残っていない。しかもそのうち二人は90歳を超えている。生涯にわたって多くの観客を楽しませてきたあのダニー・ケイも、1987年に76歳で亡くなり、今はもういない。

 彼らが活躍した時代は僕の時代よりも20~30年ほど前だ。音楽に例えるなら、「70年代のハード・ロックやヘビメタを聞いて育ったが、親がよく聞いていたので50年代のジャズにも詳しい」といったところか。ただ僕の場合、自分の世代より古い文化のほうが影響が大きかったようだ。楽しく、幸福感に満ちたエンターティンメントの世界は、年端もいかない昭和の子供にとって強烈な印象を残した。その後遺症とでもいうのか、僕は今もいにしえの洋画を鑑賞したり、50~60年代の洋楽をレコードで聞いたりすることが多い。

 そういった外国文化に長年慣れ親しんできたおかげで、平成や令和の日本文化には今一つ馴染めないところがある。勿論普段の生活に支障があるわけではなく、90年代以降の映画や音楽も楽しんできた。でも精神的に頼るなら、こうした外国文化が盛んに紹介されていた昭和の頃のおおらかさのほうが安心する。だから時に当時の映画やエンターティナーたちの動画をさがしまくったりするわけだが、よく考えてみるとこれは一種の逃避ともとれるし、もっと言うなら懐古趣味という名の引きこもりではないのか?そんな気がしてきたんだよ、最近。いやいやどうも、困ったもんだ。

※ 「世界のショー ダニー・ケイ」で検索すると、TV放送したソースをそのまま字幕入りで鑑賞できる。ただしビデオ録画に起因する映像の乱れあり。

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 メイド・イン・ジャパンの話

 最近どうも筆が進まなくて困った。話題がないわけでもないのに、こんなことではいかんよなあ。そんなわけでしばらく間が空いたので、とりあえず今回は近況から。

 クリスマスはいつものように、うちに3家族(実家の兄夫婦、カミさんの実家、そして我が家)が集まり、大々的に祝った。12月28日にはカミさんの実家で餅つき、これも3家族。ここ数年で据付けの古いかまどが壊れてきたので、今年は簡易かまどを購入した。長女は餅つきに合わせて帰省していて、なんか知らんけど旦那の実家(同市内にある)ではなくうちで寝泊まりしていた。そのほうが先方も気が楽らしい。今はそんなふうなのかねえ。

 元日は次女の仕事の都合もあって出かけることはせず、自宅でゆっくり過ごした。年末年始の特番を録りためて、内容によってはディスクに落としたり…まあ、いつも通りの流れですね。

 そういえば年末に、ある家電量販店にディスクを買いに行ったとき、面白い話を聞いた。いつも買っていた名の知れたブランドの製品が、最近どうも調子が悪く、今回は25枚中5枚(!)が録画不能で、仕方がないからちょっとお高いがソニーの製品をあらためて購入。こちらはすべてのディスクが問題なく使えた。どちらも海外製造品なのに、なんでやねん。

 不思議に思い、店員さんにその辺の事情を聴いてみた。すると「製品管理のチェック項目の数が違うらしいですよ」との答え。「ちなみに国産のディスクはもうないんですかね?」と尋ねると、メディアコーナーの一番端に連れていかれた。「このコーナーが国産のディスクですね」そこには2~3種類の国産ディスクが並んでいて、なかには「○○工場製」と、製造している工場名まで明記しているものもあった。価格は海外製造品の倍以上だ。ひええ。「どうしてこうも品質に差が出るんでしょうねえ」と聞くと、微妙な表情とともに「作る人の意気込みの違い、じゃないでしょうか」という答えが返ってきた。

 僕が愛用しているカメラのブランド、ニコンについても、昔同じような話を聞いたことがある。「レンズにしろぼデイにしろ、『メイド・イン・ジャパン』と表記のある製品を買ったほうがいいですよ」と教えられたが、当時はそんな表記があることすら知らなかった。ニコンの製品は当然日本製だと思っていたからね。

 あれから20年が過ぎ、今やニコンの製品はそのほとんどが海外で製造されている。ニコンといえばその旧社名は「日本光学工業」。「日本」と謳いながら、国内で製造されているデジタル一眼はD5とDfの2機種のみ。ミラーレスのZシリーズに至ってはそのすべてがメイド・イン・タイランドだ。偏見は良くない、とは思うんだけど、前出の店員さんの話を聞くと、やはりメイド・イン・ジャパンは信頼の代名詞…いや、ちょっと待て。一つ思い出した。

 陸上自衛隊の使用する自動小銃は1964年に初の国産品、つまりメイド・イン・ジャパンが採用された。ところがこの64式小銃、訓練中にやたらと部品が脱落したんだそうだ。だから隊員はみな黒いビニールテープを携行して、あっちこっち止めていたらしい。おいおい、国家の存亡が懸かってんだけど。次の89式小銃はさすがにそんなことは(ほとんど)無かったようだが、不安に駆られた隊員たちはビニールテープを携行する習慣が捨てられなかったそうだ。

 現在は2020年採用の20式小銃の配備が進められているが、何かの書籍でその紹介記事を読んだときに、開口一番「もう部品は落ちません!」と書いてあったのを見て失笑した記憶がある。まあ、これもメイド・イン・ジャパンに関する逸話(?)ではある。