カテゴリー
未分類

 エルキュール・ポワロって誰だ?

 エルキュール・ポワロを知っている人は比較的多いのではないだろうか。イギリスの推理小説家、アガサ・クリスティーが創造したベルギー人の探偵だ。彼は小太りの小男で、おしゃれで美食家でちょっと自意識過剰。その武器といえば「灰色の脳細胞」だけだ。タフでもアクティブでもない。心理分析等の手法を好み、芝居がかった語りで推理を披露する。

 この特徴的な人物を、今までに数多くの俳優たちが演じてきた。アルバート・フィニー、ピーター・ユスティノフ、ケネス・プラナー…。だが何といっても「オリエント急行殺人事件(1974)」のアルバート・フィニーが、よく作りこまれていて原作のイメージに最も近いと思う。ピーター・ユスティノフはこれまでに6本の映画(TV映画を含む)でポワロを演じたが、原作にある「ちょっと己惚れたベルギー人の小男」というイメージとは少し違う気がする。

 ケネス・プラナーは2017年以降、2本の映画でポワロを演じている。自身で監督も兼任していて、ポワロの人物像はかなり変更されている。ここでのポワロは行動的でアクションもこなし、挙句の果てに「オリエント急行殺人事件(2017)」ではコルト・オフィシャルポリス(警官用拳銃)、「ナイル殺人事件(2022)」ではコルトM1911(軍用大型拳銃)まで持ち出してくる。ミス・マープルは別として、ポワロほど拳銃が似合わない探偵はいないよ?そりゃあ、ブリュッセル警察の署長まで務めた人だから、昔は拳銃ぐらい使っただろうけど…。

 キャラ設定も凝り過ぎで、原作にない過去が次から次へと明かされる。第一次世界大戦で顔に傷を負い、それを隠すために髭を生やしたとか、いったい誰の話?ポワロは戦火を避けてイギリスに亡命してるんだけど。ここまで設定を変えてしまうと、同時代に同姓同名の、行動的で性格の歪んだ探偵がもう一人いたと考えたほうがいいぐらいだ。僕に言わせれば、これは前回紹介した、時代設定ごと「改変」されたフィリップ・マーロウとは違い、なんとも中途半端な気がする。だがケネス・プラナーのポワロは「変革」を容認する層には人気があるらしく、一定の評価を得ているのも事実だ。

 TVドラマに目を移すと、1989年から放送されたイギリス発の「アガサ・クリスティーズ・ポワロ」がすこぶる評判が良い。不定期ながら2013年まで続いたこのTVドラマでポワロを演じたのは、イギリス人俳優のディビッド・スーシェ。ポワロのイメージを決定づけたとされる名演技を見せた。容貌や背格好もまさにエルキュール・ポワロ。そして何よりも、頭が原作通り卵型。(笑)

 このTVドラマのもう一つの魅力は、時代考証を含め、かなり丁寧に制作されていることで、当時の蒸気機関車や客車、乗用車や航空機などがこれでもかという勢いで登場し、ファッションや小物も視る者の目を楽しませてくれる。加えてオリジナルメンバーのヘイスティングス大尉やスコットランドヤードのジャップ警部、秘書のミス・レモンが魅力的かつ個性的に描かれていて、その掛け合いも楽しい。

 日本ではNHKが1990年から2014年まで「名探偵ポワロ」というタイトルで放送し、その後も現在に至るまで複数の局で何度も再放送されているので、見たことのある人も多いだろう。これ以外にもTVドラマやTV映画はいくつかあるのだが、どれも語り継がれるほどの出来ではなかったようだ。

 ということで、個人的な見解としては、映画ではアルバート・フィニー、TVドラマでは文句なしにディビッド・スーシェということになる。どうしても一人に絞れ、と言われれば、ここはディビッド・スーシェで決まりかな。

カテゴリー
未分類

 フィリップ・マーロウって誰だ?

 私立探偵フィリップ・マーロウ。若い人は知らないかもしれないが、アメリカの作家レイモンド・チャンドラーが書いたハードボイルド(※)小説(シリーズ)の主人公だ。クールかつタフでありながら、やさしさを心の奥底に秘めているという人物像で、映画の世界では数多くの俳優が彼を演じてきた。有名どころではハンフリー・ボガードやロバート・ミッチャム、最近では2022年の「探偵マーロウ」でリーアム・ニーソンが演じている。

 原作者のレイモンド・チャンドラーが活躍したのは1930~1950年代なので、探偵のイメージはトレンチコートにソフト帽といったところだろう。僕が思うに、そのイメージに最も合っているのは「さらば愛しき人よ(1975)」のロバート・ミッチャムだ。「三つ数えろ(1946)」のハンフリー・ボガードも悪くないが、ハリウッド俳優としては体が小さく(身長173㎝)、画面からタフというイメージを汲み取るのはちょいと難しい。それに比べてロバート・ミッチャムは183㎝、体重は90kg。原作の設定に近く、ちょっとやそっとでは参らない風体だ。あまり表情の変わらないクールな面構えも私立探偵らしくていい。だが誰が一番好みのマーロウかと問われれば、話はちょっと違ってくる。

 数あるフィリップ・マーロウ物の中でも傑作と言われている「ザ・ロング・グッドバイ」。この小説が映画化されたのはだいぶ遅く、アメリカン・ニューシネマ全盛の1973年だ。物語の舞台も1970年代に置き換えて制作され、エリオット・グールドがフィリップ・マーロウを演じた。この映画では、マーロウは普段はぶつぶつと愚痴をこぼしながらも、大抵のことは「どうでもいいけど」「大したことじゃないし」とスルーする適当な男だが、「どうでもよくない」ことには徹底的にこだわる。彼は好き嫌いの激しい猫を飼っていて、映画の冒頭では深夜に餌が切れていることに気づき、お気に入りのキャットフードを探してスーパーをさまよったりもする(わざわざくたびれたネクタイを締めて出かけるんだぜ)。この導入部は映画のオリジナルで、エリオット・グールドはこういうちょっととぼけた人物を演らせるとピタリとはまる。

 肝心のストーリー(ネタバレあり)は不倫がらみの殺人事件を描いている。マーロウは友人と思っていた男にいいように利用され、最終的に3人の人死にが出るが男は意に介さない。原作では終盤、自殺を装いメキシコで優雅に暮らしていたその男がやってきて、何食わぬ顔でまた飲もうぜと誘うが、マーロウはそれを断り、別れを告げる。だが映画のエンディングは原作と大きく異なっている。

 マーロウは彼がメキシコに潜伏していることを突き止め、男のもとを訪れる。二言三言会話を交わし、確証を得ると、表情一つ変えずに拳銃を抜き、1発でケリをつけて唾を吐く。普段の飄々とした態度と打って変わって、問答無用で引き金を引く姿に見るものは唖然とさせられるが、彼は何事もなかったかのようにハーモニカを吹きながら、男の家を後にする。

 確かに原作のイメージからはかけ離れているが、時代に合わせた改変はかなり成功していると思う。そう、世の中にはどうでもいいことって結構多いのだ。いちいち取り合うほど人生は長くない。だが見過ごせない物事については容赦しない。これぞ70年代版ハードボイルド。ということで、僕にとってはこのエリオット・グールド版が一番性に合う。

 映画自体、主人公が人一人殺しておいて、事後処理とかどうするんだろうと心配になるが、それこそ「ま、どうでもいいか」と思わせてくれる、名匠ロバート・アルトマン監督による快作だった。カルトムービーとして令和の今でも、いや、令和のこんなご時世だからこそ、支持され続けているのも頷ける。音楽はかのジョン・ウィリアムス。たった1曲を多彩なアレンジで使いまわしている。挿入歌の「ハリウッド万歳」も効果的に使われていて、聞きごたえあり。

※ ハードボイルドとは元来固ゆでにした卵などのことで、中身が固まって流れないことから「感情に流されない」ことを意味する(諸説あり)という。主に文学の表現方法を指す言葉で、客観的かつ簡素な文体で、感情表現を交えず、写実的に表現する手法のこと。アーネスト・ヘミングウェイに始まり、レイモンド・チャンドラーらが確立したと言われている。内容的にも情に流されず、感情を表に出さない主人公が多く描かれてきたので、今ではそうした生き方を表現する言葉としても使われている。

追記 映画「三つ数えろ」の原作は「大いなる眠り」。同じく映画「探偵マーロウ」の原作はベンジャミン・ブラックが書いた「黒い瞳のブロンド」。「ロンググッドバイ」の続編として公認されている。 

カテゴリー
未分類

 夏といえば…貞子再び

 古い話で恐縮だが、1998年に公開され、日本の幽霊のイメージをあっという間に塗り換えたホラー映画、「リング」。ビデオ映像として現れ、さらにTV画面を通り抜けて現実世界に出現するという、提灯お岩も真っ青の貞子の登場は、文字通り一世を風靡した。これ以降、インチキ心霊動画に登場する霊は洋の東西を問わず、ほとんどすべてが白いワンピースに長い黒髪という姿に統一されたといってもいいぐらいだ。そんな貞子だが、僕にはいまだに答えが出ない疑問がある。

 映画「リング」の終盤で、貞子がTV画面を抜けて出現するシーンがあるが、その時使われたTVの画面サイズは26インチぐらいだろうか。貞子はもともとビデオ映像の中の存在なので、そのサイズは画面の大きさに比例して大きくなったり小さくなったりするはずだ。そこで問題。もし仮に、身近にワンセグ携帯しかなかった場合、出現する貞子のサイズはどうなるのだろうか。あるいは逆に街頭のパブリックビューを通して出現したら?

 もう一つ、映画で貞子が出現したTV画面はどう見てもスタンダードサイズだ。それがもしビスタサイズやワイド画面に対応したTVから出現すれば、横幅が強調されるだろう。その場合、少し太めの貞子が現れるのだろうか。

 原作によれば貞子は半陰陽(睾丸性女性化症候群?)ながら「見たこともないような美人」で、19歳でこの世を去っているようだから、横幅の強調された太めの姿で出現することを嫌うかもしれない。もしこの憶測が当たっているとすれば、貞子から身を守る一つの方策が得られるのではなかろうか。つまりTVの画面選択を「ワイド」に設定しておけばいい。口裂け女の「ポマード」と3回唱える撃退法よりはるかに現実的だろう。ちなみにレターボックスサイズは無効です(我ながらしょーもないことを論じている気がしてきたぞ)。

 こうした視聴者の心配(?)をよそに、映画を見る限りでは、貞子は今のところ常にリアルサイズで出現しているようだ。現実の世界ではネット環境が整い、TVよりもパソコンやスマホで動画を見る世代が増えてきたこともあって、後発の貞子関連のホラー映画、特に海外版では呪いのビデオ(というか動画)がパソコン等に保存されたり、ネットを通して拡散したりしている。もし貞子がリアルサイズで現れるとしたら、一般のパソコン画面やスマホから出現するのはサイズ的に不可能だろうが、そのあたりは出現シーンを割愛したり出現方法を変更(髪の毛だけとか黒い水だとか)したりしてうまく誤魔化しているようだ。ところで呪いのビデオ(動画)がネットで拡散した場合、その伝達速度や到達範囲を考えると、死の宣告である無言電話をかけるのも大変だろうなあ。AIとか導入するんだろうか。それともいっそのこと、DM一斉送信か?

 こうした世の中の進歩を考えると、もしかしたら呪いを成就させるためにこういったシステムを採用してしまった山村貞子さんは、今になってものすごく後悔しているかもしれない。

カテゴリー
未分類

 ニコンZfcとオリンパスOM-4

 最近京都に旅行した折に、今年購入したばかりのニコンZfcを連れて行った。いつもならメイン機のDfを持って行くところだけど、何しろでかくて重い。軽量コンパクトなZfcを正式デビューさせるには良い機会だ。

 ところで僕は普段、中央部重点測光を選択して撮影することが多い。理由は単純で、フィルムカメラ時代に長きにわたって愛用したF3が中央部重点測光だったからだ。慣れればこの測光パターンとAE/AFロックを併用するだけで、ほぼ思い通りの露出が得られる。DfとサブのD300は、メニューを開かなくても背面のスイッチで測光範囲の切り替えができるので、とても重宝している。だがAE/AFロックボタンの位置はちょいと難ありで、特にD300はよほど手の大きな人でないと使いづらい。Zfcについても、こうした点を踏まえて、「道具」としての操作性や即応性を確認しておきたかった。

 余談だがその昔、僕はオリンパスのカメラを愛用していて、マニュアルフォーカスのハイエンド機、OM-4を使っていた時期があった。このカメラは通常の中央部重点測光のほかに「マルチスポット測光」という機能があって、これはファインダー内の最大8か所をスポット測光して平均化し、最適な露出を決定するというものだった。確かに魅力的に聞こえるけど、実際使ってみると、撮影者がどこを何点測光するか自分で判断しなければならず、相応の経験値がなければ使いこなすことは難しかった。「道具」というものはスペックだけでは語れない部分がある。結局このカメラでも中央部重点測光を使うことが多く、あえてOM-4を使う理由がなくなってしまった。こうなるとオリンパスはもう後がない。そこで意を決してニコンF3を購入、以来ニコンのカメラを使い続けている。

 さて、今回のZfcだが、ニコン伝統の若干アンダー気味な露出の傾向は健在で、ボディが小さいので、例のAE/AFボタンもD300に比べてはるかに使いやすい位置にある。測光範囲切り替えスイッチは無いが、プログラムモードでiメニューを開き、前もって設定しておけば、プログラムモードを選択することで切り替えることができる。正直ボディの仕上げはプラスチッキーだし、APS-Cサイズのセンサーも好みじゃないけど、撮れた画像自体は悪くない。白とびや黒つぶれは最小限で、解像度もまあまあだ。なるほど、これがAPS-Cセンサー特有の「レンズの中央だけを使った画像」というやつか。このボディサイズでDfと同じ操作感、しかもこのレベルの画像が得られるのなら言うこと無し。少々難があったグリップの感触も、市販のボディケースを使うことでかなり改善した。残るはZマウントの問題だけだ。

 僕が持っている交換レンズはすべてFマウント。Zマウントのカメラには使えない。じゃあ、なんでZfcを購入したのか。それは単にデザインが気に入ったからで、つい魔がさしたというか…(笑)。でもレンズキットに同梱されていたDX16-50mm、これはフルサイズに換算すると、ほぼ24-75mmにあたる。使いやすい焦点域だ。沈胴式なので嵩張ることもない。気軽に撮影するには十分で、今回の旅行でも不自由を感じたことはほとんどなかった。しばらくはこれ1本でもいけそうだ。それに、いざとなればマウントアダプターを使う手もある(純正品あり)。

 Zfc+DX16-50mmは気軽に持ち歩くのにはもってこいの組み合わせだ。必要十分なパフォーマンスを持っていると思う。ただ一つ不満なのはデジタルビューファインダーの見え方だ。あの人工光源の下でのギラギラした感じはいまだに馴染めない。まあ、これは慣れるしかないかな。

 OM-4のシャッターボタンまわり。小さな丸いボタンがスポット測光ボタン。四角の小さなボタンは白を白く、黒を黒く描写するための露出補正ボタン。それぞれプラス・マイナス1.5EVの補正をワンタッチで行えるが、使ったことは無い。シャッター速度はレンズマウントのリング(青と白の数字が見える)で操作する。
 OM-4とZfc。ZfcにはTPオリジナルのボディケースとF-Fotoのフードを取り付けている。OM-4のサイズを考えると、よくもまあ、あれだけ複雑な露出機構を組み込んだものだ。執念としか思えない。確かによくできたカメラではある。