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 池波正太郎のエッセイ

 現在、池波正太郎の著作を読んでいる。といっても、エッセイばかりなんだけどね。きっかけは最近、池波正太郎が食についての著作を数多く残していることを知ったことだった。

 僕は料理をするのが好きで、ただ作るだけではなく、個々の料理についての四方山話や、その文化的・歴史的背景を調べることなんかも好きだ。そんなわけで今回、今まで一度も読んだことのない池波正太郎のエッセイをちょっと覗いてみよう、と思い立った。

 ご存じのように、池波正太郎は大正12年から平成2年まで三つの時代を生きた、時代小説を中心とする作家で、TVドラマで有名な「鬼平犯科帳」や「剣客商売」はその代表作だ。今読んでいるエッセイは昭和50年代頃に出版されたもので、内容的にはかなり古い。さらに著者が少年だった頃のエピソードもあるから、そうなると時代は戦前までさかのぼり、聞いたこともないような食べ物が数多く出てくる。

 なかでも池波少年が心酔したという屋台の「どんどん焼き」は、どうもお好み焼きの派生形らしいのだが、「パンカツ(食パンに小麦粉を溶いた衣をつけて鉄板で焼く)」とか、「オムレツ(小麦粉のタネを薄く焼き、卵を落として包む)」などというメニューがあって、その味や食感が想像できない。書物や映画のなかの食べ物で、再現してみたい、と思わなかったのはこれが初めてかもしれない。

 その一方で天ぷらや鮨、蕎麦などの名店や、粋な食べ方を紹介したりもしているのだが、ここで紹介されている店のなかには、当然もう存在していないものもある。

 そんなわけで、一概にここへ行ってみよう、あそこで食べてみようというわけにはいかないけれど、当時の風俗や風潮を読み解くにはなかなかに面白く、一気に2冊を読破し、現在3冊目を読み進めている。

 その中の1冊、「むかしの味」のなかで、僕はちょっと気になる文章を発見した。あるレストランの味に、よき時代の豊かな生活が温存されている、というのだ。続けて、それは物質的な豊かさではなく、心の豊かさである、と説明している。

 この本(単行本)の出版は昭和59年、と巻末にある。ということは、僕がよく「昔は良かった」と言うときの「昔」にあたる時代に近い。ところが池波氏はその時代に、すでに「昔は良かった、人の心が豊かだった」と書いている。つまり、僕が「良かった」と思っている時代よりも、もっと昔はさらに良い時代だった、というのだ。氏はどうやら戦前の東京を念頭に置いているらしい。これは困った。これじゃあきりがない。逆に言えば、時代が進むにつれて、人の心は荒んでいくばかり、ということじゃないか。で、僕はこう考えてみた。

 人というものは長く生きていると、善悪を問わずいろいろなものが見えてくる。子供の頃や若いうちはそれが見えないので、世の中が多少美化されて見える。つまり、ここで言う昔とは、自分の人生における「昔」なのであって、歴史上の昔ではない、ということだ。…うん、やっぱり多少無理があるな。どうしよう。

 池波正太郎は平成2年に67歳で亡くなった。携帯電話やインターネットが普及し始めるころだ。つまり、ネットでの誹謗中傷や迷惑系ユーチューバーの存在を知らずにこの世を去ったわけだ。もし、氏が今も健在だったら、いったいどんなことを書くんだろうか。大いに興味があるが、もしかしたら現代社会の問題点にはあえて言及せず、ただ淡々と「人の心が豊かだった時代」について記述し続けるのかもしれんなあ。

作成者: 835776t4

こんにちは。好事家の中年(?)男性です。「文化人」と言われるようになりたいなあ。

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