二人乗り
自転車の二人乗りは違法である。そうそう、最近道交法が改正されて・・・いいや、違う。自転車の定員はもともと1人だから、道交法が始まって以来、ずーっと違法。何ですと!要するに、きっちり取り締まるようになったのが最近なんです。20年ぐらい前、変な二人乗りが流行ったでしょう?荷台を外し、後輪のギヤをガードするシャフトを左右に延長して足を載せ、立ち乗りするスタイルの二人乗りが。覚えてます?今思えば、あの頃から取り締まりがきびしくなっていったようだ。
高校生の頃、荷台つきのサイクリング車で通学していた僕は、よく学校帰りにバス通学の彼女を後ろに乗せて走った。二人ともできるだけ長く一緒にいたかったから、彼女がバスに乗る駅前まで遠回りをし、時にはそのまま彼女が帰るバスの路線に沿って走った。そうすれば、時間を見て最寄りのバス停からバスに乗ることもできたからだ。その道は大分先で長い坂道になる。僕たちは双方の親から公認されていたから、バスで彼女の家まで行ったことは何度かあったが、彼女は二人乗りでその坂を登ることは望まなかったし、むしろ止められていた。その坂の手前まで行ったことはあった。それはそれでかなりの長丁場だったが、全然苦にはならなかった。青春まっただ中だから当たり前。そんなことをやってたんだよ、あの頃は。良い時代だったなあ。
今ではマンガの世界でさえ、二人乗りの場面は編集からストップが掛かることがあるそうだ。違法だからダメだって。それもこれも、あの変な二人乗りが流行った時代のせいだ。業者も業者で、シャフト延長用のパーツまで販売され、さらにマナーそのものも時代とともに悪化。そりゃあ、警察だって黙っちゃいない。こうしてまた一つ、青春のアイテムが姿を消したのだった。
話は戻るが、当時、彼女を後ろに乗せて走っていると、世界が二人だけになってしまったような気がしたもんだ。ある程度スピードがあるので人の目もあまり気にならず、始めは制服の裾を掴むぐらいしかできなかった彼女が、仕舞いには僕のからだに腕を回してしがみつくようになった。いえいえ、何かあると危ないですからね。安全面から考えても、これは大事なことなんですよ・・・?この、大義名分のもとにくっつけるところが、二人乗りの良いところでもあった(大義名分も何も、始めから違法なんだってば)。抱きつかせるためにわざと乱暴な運転をするなんてことは・・・1度か2度しかやってませんよ、そんなこと。
今後誰かを後ろに乗せて自転車を走らせる、なんてことは2度と無いだろう。だが、彼女との二人乗りは、僕の人生のなかで、忘れることのできない大事な記憶の一つになっていった。いったいなぜ、それほどの価値観を持つようになったのか。それは言葉で説明できるものではないけれど、あえて言うなら、運転している僕を信頼してその身を預けてくれている彼女の存在であるとか、その信頼を裏切ってはいけないという責任感であるとか・・・違うなあ。それも確かにあるけど、そんな端的なことじゃなくて、もっとこう、太田裕美のデビューアルバムのような(???)、ペダルを踏む僕を疲れないかと思いやる何気ない彼女の言葉とか、当時の女の子はみんな横座りだったから、はみ出た膝がぶつからないように進路を選ぶ気遣いとか。こうした心情は二人乗りでしか味わえないもので・・・あの、要するにですね、そこには若い二人が思い描く、人生の縮図みたいなものが詰まっていたのですよ。ついでに言うと、たとえそれがどんなに未熟であろうと、どんなに美化されていようと、そんなことはどうでも良かった。大げさだって?いいや、僕はそうは思わない。単純に二人乗りがどうのこうの、というだけのことではなくて、人生にはそういうかけがえのない瞬間というものがあるのだ。それを僕らにもたらしてくれたのが「二人乗り」だった。今の若い世代があの感覚を知らずに大人になることを考えると、なんとも気の毒な気がする。
僕と愛車(自転車)のつきあいは大学を卒業した後まで10年以上続き、さすがにガタが来て廃車となった。彼女とは明解に別れた記憶が無い。二人の人間関係は形を変えながら、友人としてその後も続き、大学卒業後、喜ばしいことに彼女は僕のとても信頼していた友人と結婚した。もちろん心から祝福した。だがどんなに状況が変わろうと、あの「二人乗り」は、永遠に僕たち二人だけのものなのだ。