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 鉄道150年

 このところやけに鉄道がらみのTV番組が多いと思ったら、今年は鉄道150年に当たるんだそうだ。そうか、あれからもう50年経つのか・・・。何を隠そう僕は、昔鉄道ファンだったのだ。今で言う「撮り鉄」というやつだ。なぜ「昔は」なのかというと、僕の興味がSLに特化していたからだ。

 今でもSLが牽引する特別列車はあるが、綺麗に磨いてあったり、お化粧してあったりでどうも食指が動かない。あの頃はちょうど鉄道100年を迎えようとしていた時代で、地方にはまだ貨物列車などをSLが牽引している路線が残っていた。僕が小学生だった頃のことだ。

 あるとき、知り合いのおじさんが羽越本線のSLを撮りに行くというので、一緒に連れて行ってもらうことにした。当時のことだから、上越線の寝台急行で新潟県の新津まで行き、明け方羽越本線へと乗り入れる。まだ架線用の電柱も立っていない区間が多く、客車はディーゼル等の、いわゆる気動車がメインで、貨物列車をSLとディーゼル機関車が担っていた。SLが引く旅客列車もわずかに運行していて、運が良ければ乗車することができた。

 僕たちは新津からほど近い「坂町」駅周辺で朝から数時間撮影し、その後北上して「桑川」~「今川」間を線路沿いに歩きながら、通り過ぎる列車を狙った。この道は鼠ヶ関街道といって、岩山が海岸まで迫り、北上する場合右手にトンネルだらけの線路、左手には美しい日本海が拡がっていて、「笹川流れ」「眼鏡岩」といった景勝地が点在する、歩いていて飽きないルートだった。海の色は、周囲の岩山が砕けてできた黄色みがかった砂に起因するエメラルドグリーンで、太平洋側に住む僕にとっては初めて見る海の色だった。

 最終的に山形県の坂田まで足を伸ばし、そこで1泊。翌日は往路を逆にたどり、1日かけて帰ってくるという、ある意味強行軍だった。それでも僕は、まるで生き物のような息づかいを感じさせるSLにすっかり魅了されてしまった。1年後に再び羽越本線を訪れたのを皮切りに、中央西線、小海線、陸羽東線、水郡線(特別運行)、青梅線(特別運行)と矢継ぎ早に足を運んだ。その間に父親を抱き込み、写真集も買い集めた。中でも気に入っているのが、鉄道写真家である広田尚敬(ひろたなおたか)氏の「四季のSL」という写真集。これはあくまで個人的な意見だが、「四季のSL」は単なる鉄道写真というより、「SLが映り込んだ風景写真」であったり、「地域の住人とSL」といった体(てい)の作品が多く、巻末の情感溢れる解説文と相まって、完成度の高い1冊。1971年に朝日新聞社から出版された。広田尚敬氏は今も現役で、TVでもたまに見かける。昔はやせ形の長身(当時としては)で、芸能人のような容貌だったが、今は優しい笑顔が印象的な好々爺、といった感じ。まあ、ご高齢(86歳?)だから無理もないけど。

 さて、僕はといえば、最後の撮影は2014年で、水郡線での全通80周年記念の特別運行。比較的大型のC61が来るというので勇んで出かけたが、予想どおり人が多くて、とりあえず撮りました、という感じ。前回(50年前)、鉄道100年記念の特別運行を撮影したときは8620型という大正時代製の軽量なSLだったのだが、これは当時の水郡線が2級幹線であったため、大型のSLが入れなかったからだと聞いた覚えがある。いつの間にC61ほどの重量級SLが運行できるようになったのだろう。もしかすると、例の東日本大震災のあと、復興のさいに改修されたのかもしれない。水郡線(茨城県水戸駅~福島県郡山駅、非電化)は僕にとって近場なので、C61のような大型機が入れるのであれば、今後がちょっと楽しみだ。ただ、最近の一部の撮り鉄たちの暴挙を見ると、腰が引けてしまうのも事実なのだが・・・。

 尚、当日走ったC61の20号機(C6120)は、JR東日本高崎車両センター高崎支所の所属で、当時群馬県を中心に、旅客列車の牽引機として活躍するとともに、多くの出張運用も行っていて、水郡線に来たのもその一環だった。

追記 初めて行った羽越本線の坂町駅で出会ったSLのなかに、D51の101号機(D51101)がいた。2回目の時もいた。その数年後、中央西線の中津川~南木曽で再会したのには驚いた。いつの間に回されてきたんだろう。ここでは一時、「鉄道101年」に因んで、青いナンバープレートをつけて旅客列車「快速木曽路」号を牽引していた。

 今この記事を書きながらふと思いついて検索してみたら、彼女の記事は予想外に多く、昔「オオタキ」が出していたD51のプラモデルが101号機だったり、さらに今では静岡県島田市の中央小公園に静態保存されていることもわかった。画像を見ると、最近保存会ができたこともあって、状態もまあまあのようだ。懐かしいなあ。是非とも一度、会いに行きたい。

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 ちょっと悲しい

 あれから40年にもなろうかという昔、当時の仲間と奈良の斑鳩の里をレンタサイクルで回ったことがある。あの頃の斑鳩は本当に田舎然としていて、いかにも「里」という呼び名が似つかわしい佇まいだった。

 お地蔵様がいらっしゃる以外何の変哲もない道ばたに自転車を止め、一休みしたとき、その傍らに小さな物干し竿のようなものがあるのに気付いた。よく見ると干し柿を括った紐が2、3本ぶら下がっている。干し柿の大きさも、縛ってある間隔も不揃いだが、どの紐にも同じ数の干し柿が結びつけられていた。なんだろうと思ってさらによく見ると、値段を油性ペンで書いた四角い缶が石の上に置いてある。持ち上げて振ってみると、硬貨が何枚か入っているようだった。要するに、いわゆる無人販売所の類いなのだろう。しかし、いかにお地蔵様が見ているとはいえ、そこまで人を信じて良いものかと正直驚いた。僕の地元にはそのような販売形態はなかったし、当時の僕はそういった販売形態の存在すら知らなかったから。

 今では地方へ行くと野菜や果物の無人販売所をよく見かけるし、町中でも、例えば冷凍餃子の無人販売所などが増えているという。その存在が外国人には日本人の美徳と映る、という話も良く聞く。だが、最近そういった日本人の美徳が危うくなってきた。支払いをせずに品物を持ち去ることを何とも思わない輩が増え、果ては神社仏閣の賽銭まで盗み出す不届き者もいる。なぜだろう?コロナ禍による経済の停滞や、追い打ちをかけるように家計を襲った値上げラッシュにより、お金に困っている人が増えるのはわかる。だがニュースを見る限り、それだけで説明できるほど、事は単純ではない気がする。無人販売所の問題は単なる一例に過ぎず、ネットやスマホを利用した「汚い金儲け」の話は後を絶たないし、一時は外国人が中心だった悪質な「転バイヤー」も、最近では日本人の例も多い。彼らは決してお金に困っているわけではない。ただただ貪欲なだけだ。他人のことなど気にもしない。これはもう、品位とか良心とかの問題だろう。

 その昔、江戸時代末期に日本を訪れていた外国人が、江戸市中での庶民の生活を見て、「江戸の街にも貧乏人はいるが、貧困というものは存在しない」と賞賛したそうだ。長屋住まいをするような下層の人々は、自然発生的な共同体を築いて助け合っていたらしい。実際昭和の時代でも、うっかり切らした醤油や味噌の、隣同士の貸し借りはよくあった。お礼にその日のお総菜を返したり、茶菓子を届けたりしたものだ。それが今では、隣に住んでいる人の顔も知らない、といった状況が当たり前になっている。コミュニケーションの機会がなければ、助け合うことなど不可能だ。そんな中で、無人販売所の存在は良心のバロメーターでもあったはずだ。だが今では、そうした信頼関係が易々と裏切られていく。いったい日本人はどこへ行こうとしているのか。

 外国人に言わせると、こうした無人販売所は海外では成立しないそうだ。品物があっという間に盗まれるというのだ。ある意味、日本も国際社会に準ずるようになってきたということなのだろうか。でも、こんな「グローバル化」は嫌だなあ。

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 言い方

 ずっと気になっていたことがある。いや、気になっていたというよりは、むしろ不快に思っていたと言った方がいい。それはネットへの書き込みにおける「言葉の使い方」の問題だ。例えばある投稿者がいたとする。それに対してアンチ(反対論者)が何か批判的なことを言ったとして、投稿者がさらに反論するような場合、ちゃんとした議論になっていれば読む側も興味を持ったりするのだが、時に単なる個人攻撃になっていくことがある。そんな場合、使われる言葉も子供じみた乱暴なものであることが多い。これは読んでいてとても不快だ。

 この手の問答は結果的に言い争いになっていく。相手と考え方が違う場合、その論点をはっきりさせて、説得力のある言葉で自分の主張をするのならまだ良いのだが、なぜか「頭悪いんじゃないの?」などと、書いた人物を攻撃する。こうなるともはや議論ではなく、単なるなじり合いだから、文章もわざと挑発的に書き込んでくる。しかも語彙が少ないのか、稚拙で品がない。これではどちらが頭が悪いのかわからんではないか。仮に互角に張り合っているんだったら、結果的に言ってレベルは同程度って事だろうし、いちいち取りざたしない方が賢明な場合だってある。「なるほど、そういう考え方もあるんですね。憶えておきます。」それで良いじゃないか。なんでこうも勝ち負けにこだわるかねえ。そう言うと、今度は僕が「これは勝ち負けの問題じゃない!なんでわからないんだ!頭悪いんじゃないの?」なんて噛みつかれるかもしれないが、傍目には「相手」を言い負かそうとしているようにしか見えないんだから仕方がない。

 そもそも人間がたくさんいるんだから、考え方だって千差万別だ。そんな中で「自分こそが正しい!」と主張すること自体無理がある。そういう認識からスタートすれば、いちいち目くじらを立てることもない。投稿するのはかまわないが、万人の目に触れるネット空間だからこそ、もう少し品位をもってコミュニケーションして欲しいものだ。

 会話や文章には人間性が表れる。時にはその人が歩んできた人生さえ垣間見えることがある。言いたくはないが、これは事実だ。なじり合いや個人攻撃の応酬では、良識のある閲覧者は誰もその論拠を理解しようとはしないだろう。え?理解されなくてもいい?書き込めばそれだけで満足?なるほど、そういう考え方もあるんですね。憶えておきます。

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 小春日和

 人間ドックを受けてきた。人間ドック、わりと好き。何と言っても、あの非日常感がいい。変態かって?そうかもな・・・。それともう一つ。僕の利用しているメディカルセンターの立地なんだけど、○○水源とかΔΔ緑地の他にいくつかの神社を含む緑地帯に隣接していて、センターの目の前が鬱蒼とした里山みたいになっている。その道ばたで吸う検査後の、つまりその日初めての煙草が最高なんだな(※)。

 そんなわけで、その日も検査の後、いつものようにそこで一服した。前日までと打って変わって空は快晴、久しぶりの陽射しが暖かい。こういう日を「小春日和」と言うんだろう。本来ならもっと寒くなってからの用語だろうけど。字面からは意味を理解しにくいけど、言葉にしてみると何ともいい響きで、僕はこの語感、好きだなあ。

 一服した後、そのへんを何気なく歩いていたら、森の外周を成す低い土手で、鮮やかな黄色の花があちこちに咲いているのを見つけた。「えっ!タンポポ!?」そう思って近づいてよく見たら、妙に首が長く、春に見かけるタンポポとは種類が違うようだ。だがその茎を下になぞって確認したら、地に這うように拡がるロゼット(放射状に拡がる葉)は紛れもなくタンポポの類いのそれに見える。これ、もしかしたら、タンポポモドキ(ブタナ)かな?

 これにはさらにおまけがあって、陽射しの暖かさに騙されたのか、その葉の上で真っ赤なナナホシテントウが遊んでいた。僕はある意味単純なので、これだけでもう、「今日は最高の日になった・・・!」なんて思ってしまう。これなら多少肝臓の数値が高くても、まあいいか、なんてね(いやいや、それはダメなやつでしょう)。

 検査の結果、思った通り血圧と肝機能が引っ掛かった。面接で当たったのは初対面の老医師で、何だかすごいことを言われた。「血圧はねえ・・・この数値、嘘っぽいよね。病院とか、ここみたいな場所、嫌いでしょ?だから上がっちゃうんじゃない?家で計ってみた方がいいよ。うん。家で計るのが一番。あ、朝ね、おしっこした後に計るんだよ。おしっこ我慢してるだけで、パーンと跳ね上がるからね。」「肝臓はねえ、お酒やめてもう一度計って、数値が下がればお酒のせいだから。まあ飲むんなら・・・ビールだっけ?1日500㎖以下だな、500㎖。よろしくね。それで、病院行けってなってるんだけど・・・病院行く?なら紹介状書くけど。あの、すごいとこ行かなくていいからね。普通の内科で。」お酒やめてから計るって・・・やめる予定無いんですけど。行きますよ、病院。紹介状ください。

 もうちょっとこう、「病院で見てもらわないとヤバイよ」的なことを言われた方が僕もさっさと決心がつくんだが、ここの老医師たちときたら、「そんなことでいちいち騒ぐんじゃないよー」みたいなことばかり言うから、どうも緊張感に欠ける・・・そうか。このほにゃらかとしたやりとり自体、人間ドックが好きな理由の一つなのかもしれないな。でもそれって人間ドックの機能をないがしろにしているようにも思えるんだけど。こんなことじゃ、もしかしたら僕は早死にするかも・・・?

※ 勿論吸い殻は携帯灰皿や自分の車の灰皿に捨ててます。

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 銘酒バランタインにまつわる逸話

 前にブレンド珈琲の記事で、ほんのちょっとだけ触れたブレンデッド・ウイスキー。面白い話を思い出したので書いてみる。これはウイスキー好きなら1度はその名を聞いたことがあるであろうイギリスの銘酒、「バランタイン」にまつわるお話。

 まず話を理解するための基本情報だが、「バランタイン」はいわゆるスコッチウイスキー。その中でも「ブレンデッド・ウイスキー」というカテゴリーに属する。スコッチには大別して、大麦から作られるモルト・ウイスキーと、トウモロコシや小麦、ライ麦などから作られるグレーン・ウイスキーがある(※)。これらを混ぜ合わせて作られるのがブレンデッド・ウイスキーだ。実際には数十に及ぶ蒸留所のモルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーを、ブレンダーと呼ばれる専門家が、その感覚を頼りに1滴単位でブレンドして理想的なブレンデッド・ウイスキーを作り出すという、とてつもなく繊細な作業なのだ。だが珈琲同様、スコッチ通はシングルモルト、つまりウイスキーの中でも個々の蒸留所で作られたままの、混じり気なしのウイスキーを好む傾向がある。

 さて、このブレンデッド・ウイスキーの「材料」の一つであるモルト・ウイスキーだが、その味と香りを決める要素がいくつかある。まずはピート、つまり泥炭だ。これはウイスキーを作る過程で麦芽を乾燥させる際の燃料として使用され、この時の煙香がそのウイスキーのフレーバーを決める大きな要素の一つとなる。次にこれに酵母と湯を加え、発酵させるのだが、水は現地の地下水や清流の水が使われ、その含有成分や硬水・軟水の違いなども味わいの重要なポイントとなる。発酵後は蒸留器にかけて蒸留し、木の樽で貯蔵して熟成させるが、この時に樽の木材に含まれる成分が溶け出し、最終的な色と香りが決まるので、その年数や、使用する樽の種類によっても味わいが変わる。ここまで宜しいですか?では、いよいよ本題。

 「バランタイン」社に勤める著名なブレンダー、ジャック・ガウディーが、ある日、いつものようにブレンドの作業を始めたところ、その日使っていたモルト・ウイスキーの一つに違和感がある事に気付いた。いつもと微妙に香りが違うのだ。自分の感覚を信じるなら、微かにある種のサクラソウの香りが混じっているように思えた。しかし、そんなはずはない。その蒸留所の製品管理はきわめて厳重だし、その種のサクラソウは言わば絶滅危惧種で、見つけることすら難しく、たやすく混入するとは考えられなかったからだ。かといって、ブレンダーとしてはこの問題を放置するわけにはいかない。そこでジャックは、当時社長だったトム・スコットに相談し、その結果、直ちに調査チームが現地に派遣されることになった。しかし、思った通り蒸留所の周辺ではそのサクラソウを発見することはできなかった。そこでチームは調査範囲を蒸留所からその水源となっている湖まで広げることにした。すると、驚いたことその湖から蒸留所に到る水路の岸に、今では希少種となったそのサクラソウの新たな群生が発見されたのだ。

 この話は「ザ・スコッチ バランタイン17年物語」という書物の冒頭で紹介されている。何ともすごい話ではありませんか。だって使われた水に含まれていたであろうサクラソウの香りを、幾多の工程を経て完成したモルト・ウイスキーの、つまりピートの煙や樽の成分などの入り交じった香りの中から嗅ぎ分けたってことですよ?(そもそも岸辺に咲くサクラソウの香りって、嗅ぎ分けられるほど水に含まれるものなのか?)これってもはや人間業じゃないと思う。さらにたった一人のブレンダーの、もしかしたら気のせいで片付けられたかも知れない疑問を解消するために、調査チームを派遣する会社の姿勢。いかにブレンダーを信頼し、重要視しているかがわかる逸話だ。

 珈琲にせよスコッチ・ウイスキーにせよ、「ブレンド」と聞くとなぜか1ランク下のイメージがつきまとうけれど、実はこうした超人的なプロフェッショナルたちの努力によって成り立っている奥深い世界なのだ。けっして舐めてかかってはいけない。

※ モルト・ウイスキーは個々の蒸留所が一般向けに出荷しており、シングルモルト・ウイスキーと呼ばれている。個性が際立っていて、それぞれが多くのファンを獲得している。グレーン・ウイスキーは主にブレンド用に製造されており、ブレンデッド・ウイスキーに使用されるモルト・ウイスキーの個性を引き立て、さらに独特の香味を加えるといった役割を果たす。モルト・ウイスキーと違って、単品で市販されることはほとんど無い。

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 畦道の花

 このあいだ、昼間に時間ができたので買い出しに出た。例によって大通りを避け、農道や生活道路を縫うようにして車を走らせた。河川敷に広がる、すでに刈り取りの済んだ水田地帯を抜け、ちょっとした坂を上がって台地の上に出る。道の両側には、もとは農家だったであろう敷地の広い家々が点在し、そのあいだを畑や草地が埋めている。このあたりは夏に2回ほど、車を止めてアオダイショウ(蛇です)が横断するのを待ってやったことがある、そんな道だ。

 買い物を済ませ、同じ道を逆にたどって帰る。夏の盛りに百日紅の花が咲いていたのはどの家だったかな・・・そんなことを考えながら坂を下り、直線の農道に入ったとき、左手になにやら鮮やかな色が見えた。車が近づくと、道路から一段下がった水田の畦に沿って、1区画、鮮やかな朱色の花をつけた植物が毛足の長い絨毯のように群生していた。段差に隠れていたので、行きには気がつかなかったらしい。そこかしこに咲くセイタカアワダチソウの黄色と鮮やかなコントラストを成していて、紅葉のようにも見える。あれは何の花だろう。農道なのでスピードは出ていなかったが、道が細いので後続車を考えると止まることもできず、細部を確認することはできなかった。ただ鮮やかな色彩だけが目に焼きついた。

 秋の花と言えば、コスモスや菊の類いを思い出すが、この花は見たことがない。かといって、直ぐさま植物図鑑で調べるのも野暮な気がした。だいいち、この手の雑草(だと思う)が並みの図鑑に載っているとも思えない。この道を利用しているほかの人たちはこの花に気づいているのかな、それとも、とっくに日常の光景になっているだろうか。何はともあれ、日々の生活のなかでの新しい発見に、僕は何とも楽しい気持ちになった。この場所を憶えておこう、そうすれば来年また見られるかも知れない。この水田の持ち主が、雑草と嫌って抜いてしまわなければいいのだけれど。

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 進化のスピード

 少し前の話になるが、SNSニュースを見ていたら興味深い記事があった。内容は「あり得ないようなヒューマンエラー」について。労働安全衛生総合研究所(って何?)の特任研究員である高木元也氏のコメントで、話の発端はバスに置き去りにされて亡くなった園児の一件だった。

 あらためて考えてみると、確かに近年「えっ?なんでそんなことが起こるの?」と思うような事件をよく耳にする。例えばこの9月から10月にかけて、トラックの荷崩れだけでも4件発生している。鉄板、果物、鶏(!?)、石膏ボード。以前はごく希にしか起こらなかったような事件だ。他にも、普通にやるべきことをきちんとやっていれば起こりえないような事件・事故が多くなった。なぜこのような「あり得ない」と思われるようなヒューマンエラーが起こるのか。彼はその原因について分析し、独自の見解を述べていた。

 高木氏は講演活動を行ったり著作を著したりもしているので、知っている人も多いだろう。その彼が言うには、最近あり得ないようなヒューマンエラーが増えているのは当然のことなんだそうだ。要約すると、人間の進化のスピードが文明の発達のスピードに追いついていない、ということらしい。人間の進化の歴史はたったの500万年で、しかもその身体的・感覚的能力は500万年前とさほど変わっていない。それがこの数百年で発達し続ける科学技術に順応することを余儀なくされているわけで、そこに無理があるのだという。そして恒常的に無理を強いられている状況下では当然エラーは増える、という理屈だ。ところで皆さん知ってます?今のサメがどれぐらいサメをやってるか。2億年ですぜ。しかもその間、生態はほとんど変わっていない。つまり、たったの500万年で人間がそう都合良く進化できるわけがないのだ。にもかかわらず外的要因が人間に変化を強要していて、しかもその要因を人間自らが次々と作り出している、そういうことですよね。

 若い頃、愛車の限界を試してみたことがある。その時どれぐらいのスピードを出したかは差しさわりがあるので明記しないが、ある時点で「これ以上のスピードは普通の人間の感覚ではカバーできないな」と感じた。例えば自動車教習所で「スピードが上がると視認できる範囲が狭くなる」という話を聞いたことがあるでしょう。つまり視覚がついて行けなくなるんですよ。それと同じ事が全ての感覚で起こっているような気がした。細胞レベルで軽くパニくっているような感じ。仮にあのスピードで走り続けることを強要されたら、ものすごいストレスだろう。

 車のスピードは自覚しやすい例だが、現代社会には自覚しにくく、それでいて、実は人間の身体的・感覚的能力を超えている状況は山ほどある。例えば、ネット通販などで今日注文したものが翌日に届くのは今では当たり前だが、その裏には夜を徹して輸送等の作業に携わるドライバーやスタッフの尽力がある。彼らは通常睡眠をとっているはずの時間に活動していて、今では誰もそれが異常なこととは思わない。だが本来昼行性である人間にとって、このことがストレスとなるであろうことは想像に難くない。昔よく「夜中に恋文を書くな」なんて言いませんでしたか?これって、明らかに昼間と夜間では感覚に違いが出るってことだ。変に感情的になって、いらぬことまで書いてしまうからヤバイよ、そういうことだよね?手紙ぐらいならまだしも、その状況で高速とかを運転するのって、どうなんだろう。こうした小さな「異常な状況」が積もり積もって過剰な負担となることもあるんじゃなかろうか。

 大量の荷物や郵便物を負担に感じ、故意に投げ出す配達員の話もたまに聞く。そこに到るまでに何が起こっているのか。しかも今では「○○時までにお届け」なんていう縛りもある。配達員の人間性の問題じゃないか、という人もいるだろう。だが本当の問題は、なぜそんなタイプの人間が増えてきたのか、ということであって、これは現代人のほとんどが知らず知らずのうちに「無理が祟る」状況に置かれていることの現れだろう。そう考えれば、確かに「なんで?」と首をかしげたくなるようなヒューマンエラーが増えてもおかしくはない。おかしくはないが、「なるほど」と納得して済むようなことでもない。命に関わる場合はなおさらだ。じゃ、どうする?そこが問題だ。2億年待つか?いやいや、サメは2億年経っても変わらなかった。そもそも人類は2億年もたないような気もするし。ねえ、どうするよ?

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 忘れられない二人の女性

 今までに出会った女性の中で、恋に落ちたわけでもないのに、どうしても忘れられない人が二人いる。

 一人はその昔、行きつけのカフェ・バーで出会った。当時20代後半の僕は、仕事帰りに必ずと言っていいほどこの店に立ち寄っていた。雰囲気も良く、ちゃんとしたカクテルを出す店なので、それなりの人々が一人ずつ集まってきてはカウンターを埋め、趣味の話や酒へのこだわりの話などで毎晩のように盛り上がっていた。そんな常連客のなかに彼女がいた。なかなかにチャーミングで、お酒が好きという彼女は、やはりお店の雰囲気に惹かれて常連になったという。

 その年の2月14日。僕は独身で、付き合っている女性もいなかったから、バレンタイン・デーなんて関係ない、といった体(てい)で、その日もマスターと車の話で盛り上がっていた。するとそこへ彼女がやってきた。「こんなところでアブラを売っていて良いんですか?バレンタイン・デーなのに。」「大きなお世話。そっちこそどうなの。」「こっちは大忙しです。これから義理チョコ配りだから。でもその前に・・・」彼女は抱えていた大きな紙袋から綺麗にラッピングされた箱を取り出した。「ガトーショコラ焼いたんです。これ、○○さん(僕の名前)に。一番綺麗に焼けたやつ。」「あ・・・ありがとう・・・?」「いつもお世話になってしまって。駐車場に○○さんの車があると、安心してお店に寄れるんです。じゃ、他にも寄るところがあるので、今日はこれで。また今度。」「あ、ああ、気をつけてね。」

 あまりお世話した記憶など無いのだが、彼女曰く、僕の隣で飲んでいると誰も言い寄ってこないので、安心してお酒が楽しめるのだそうだ。ここで皆さんに聞きたい。これって、喜んで良いのだろうか。マスターは「すごいじゃないですか!」とか言っていたが、あれはどう考えてもからかい半分だ。何がどうすごいのか説明してみろ、と言いたい。でも僕自身、ちょっとふわふわした気持ちになったことは白状しておく。

 もう一人はゲレンデで出会った。これも20代後半の頃だったと思う。出会ったとは言っても、話したのはほんの10分ほど。長い人生の中で、たったの「10分ほど」だ。

 その日、男同士で日帰りスキーに来ていた僕は、平日で空いていることもあって、1日リフト券の元を取ることを目標に、集合時間と場所だけを打ち合わせて個別に滑ることにしていた。何本目かを滑り終えた僕が再びリフトに乗ろうとしたとき、その人はどこからともなく現れ、ペアリフトの僕のとなりに何気なく座ったのだった。

 いかにも「滑りに来ているんです」といった雰囲気に気圧されながら、でもよく見ると綺麗な人だった。間違ってもウブな男ではなかったが、不意を突かれた僕はちょっと動揺していた。リフトってこんなに遅かったっけ。相手は嫌がるかも知れなかったが、何とか間を持たせたかった僕は、煙草を1本取り出して火をつけようとした。ところが、ご存じのようにリフトの上は吹きさらし。愛用のジッポをもってしても、なかなか火をつけることができない。すると隣に座っていた彼女が何も言わずに両手を伸ばし、グローブをはめた掌をかざして風を遮ってくれたのだ。これも不意打ちだった。いや、むしろ反則技だろう。その時の僕の気持ちを表現する言葉がいまだに見つからない。

 無事に煙草に火がつくと、僕は礼を言い、それをきっかけに僕らはリフトを降りるまでのつかの間、他愛もない会話をした。「煙草、嫌じゃないですか?」「大丈夫。平気です。」「どちらから?」「○○です。」「僕はΔΔから。」「わりと近くですね。」名前は聞かなかった。すごく聞きたかったけど。

 リフトを降りるとすぐ、僕は言った。「先に行ってください。僕は人に見せるほど上手じゃない・・・。」彼女はすぐに察したようで、アハハと笑い、わかりました、と言ってくれた。僕は最後にもう一度、お礼を言った。「煙草の火、ありがとう。」「なんとか火がついて良かったです。・・・それじゃ。」笑顔でそう言い残すと、彼女は颯爽と滑り出し、現れたときと同じように、あっという間に視界から消えていった。思った通り、彼女の滑りは、僕なんかより遥かに上手だった。

 この二人のことは今も忘れることができない。あれからだいぶ経ったから、とうに結婚して、大きな子どももいるはずだ。どこかで幸せな人生を送っていてくれたら良いんだけどな・・・。そんなことを考えながら、スタインベックの短編「朝めし」の冒頭の部分を思い出した。

 「こうしたことが、私を、楽しさでいっぱいにしてくれるのである。どういうわけか、小さなこまごまとしたことまでが目の前に浮かび上がってくる。ひとりでに、いくどとなく思い出されてきて、そのたびごとに、埋もれた記憶の中から、さらにこまかなことが引き出され、不思議なほど心のあたたまる楽しさがわきあがってくるのだ。」

     (新潮文庫「スタインベック短編集」より抜粋)

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 世界の料理ショー

 かなり昔のことになるが、「世界の料理ショー」という番組があった。何を思ったか、2012年に再放送されたので見た人もいると思う。グラハム・カーというイギリス系(?)の料理研究家が出演していた。前半は世界の有名なレストランの食レポと、ちょっとした小咄。後半はスタジオで、レポした料理を、時にアレンジを加えながら観客の前で調理してみせるのだが、この調理がすさまじい。あれで料理が本当に美味しく出来上がるのか、不安でたまらない。そんなふうだから失敗することもある。だがグラハムはいっこうに動じない。カットもされずに放送されている。もしかしたら、オリジナルは生放送だったのかもしれないが、大胆としか言いようがない。まあ、良い時代だったのだろう。時代といえば、グラハムは調理しながらワインを飲んでいたが、放送で「ワイン」という言葉を聞いたことがない。全て「葡萄酒」という言葉が使われていた。時代がわかろうってもんだ。加えてグラハムの語りがすごい。今制作しようとしたら、多分「ピー」だらけで何を言っているのかわからなくなってしまうんじゃないかな。いや、むしろ同じ内容では制作の許可すら下りないかも。何しろ品のないジョークの連発なのである。先ほど「何を思ったか、再放送された」と書いたが、どんな形態で再放送されたのかは確認していない。その理由は後述するが、おそらく例の、「制作者の意図を重んじて・・・」などというテロップが入ったに違いない。

 その再放送の少し前に、職場でこの番組のことが話題になった。同年代の中には覚えている人もいて、大いに盛り上がったものだ。あまりに懐かしくて、うちに帰るとすぐ、ダメもとで検索してみた。するとどうだ。DVDのBOXがヒットしたではないか!いったいどんな大馬鹿者がこの企画を立ち上げたのだろうか。それを考える前にカートに入れていた。ここにも一人いた、大馬鹿者が。

 届いたBOXは作りもしっかりしていて、立派な解説書まで付いている。大馬鹿者が作ったようには見えない。その解説書を読んで驚いた。あの料理研究家、ケンタロウ氏が文章を寄せているではないか!当時声を当てていた有名な声優(故人)のコメントも紹介されている。そして、あのグラハムの下品な語りが日本独自の脚本である事が説明されていた。何と、大馬鹿者は日本人だったのか!声優も、「僕は当時二枚目の声を専門に当てていたので、この仕事はある意味ショックだった。」とコメントしていた。ちなみにケンタロウ氏は「当時、こんな料理番組があったのかと驚くと同時に、とても感動した。」と語っている。ケンタロウ氏といえば、交通事故に遭遇し、残念ながら今は療養中だが、あの「男子ご飯」をやっていた人である。実はこちらも欠かさず見ていたのだが、こんなところに原点があったとは・・・!考えてみると、構成や語りぐさが似ている。勿論、ずっと上品だけど。

 さて、本編を見て驚いた。記憶以上にいい加減だ。スタジオでタオルが燃えたり、フランベのために温めていたブランデーが温めすぎて吹き出したりしている。よく放送したな、と思う。水の量を量るのに手のひらを使ったり、ワインの分量を、鍋に直接注ぎながら「1、2、3・・・6オンス!」なんて数えて計ったり。塩コショウの量に至っては目分量そのもの。「ちょっと塩が足りない」なんて言いながら、仕上げ直前に足したりしている。「ああ、あんなんで良いんだ」と思ったことを今でもよく覚えている。

 他にも、整髪料でセットしたであろう髪の毛を手でなでつけ、その手で肉を触ったり(その逆も)は当たり前。今では絶対苦情が来ること間違いなし。さらに番組では、「スティーブ」というディレクターがいろいろといじられて笑いを取るのだが、この「スティーブ」というキャラは、日本語版のオリジナルとのこと。勿論画像にもそれらしい人物は登場するのだが、それをうまく利用して作り出したらしい。これはこれでなかなかのアイディアだった。さらにカメラワークなどを見ると、ある意味この番組は傑作かも知れない。下品な傑作。ちなみに再放送をチェックしなかった理由はもうおわかりだろう。僕は事前にディスクで全部見てしまっていたので、その必要が無かったのだ。だがあのタイミングからすると、DVDの発売と再放送の時期はわりと近かったのかも知れない。つまり、DVDの発売を記念して再放送が企画されたのではないかと、今ではそう考えている。

 僕は料理を趣味の一つにしていて、暇さえ有れば料理をしていると言っても過言ではないが、今思えば、小さい頃に見たこの番組の影響は大きいと思う。そんなこんなで、今も僕はビールを片手に料理にいそしんでいる。最近人間ドックで肝臓の数値が引っ掛かったので、多少控えめにはしているけど。だから娘たちにもよく言われる。「パパの料理は美味しいんだけど、見ていても作り方がまるでわからない。分量で教えてよ!」そう言われても計ったことがないのだから、教えようがない。さらに厳密に言えば、二度と同じ料理は作れない道理だ。僕のせいではない。全てグラハムが悪い。

 グラハム・カーは今も存命で、BOXでは解説書と映像で日本のファンに向けて挨拶している。その後しばらくして新たな映像が発見され、BOX2が出たのでそれも買ってしまった。「世界の料理ショー」を知っている知り合いが、「確かにあの番組はすごかった。でも、DVDBOXを二つとも買い込んじまうお前もすごいよ。」と言っていた。そうかな?・・・そうかも。

youtubeでも見られます、多分。

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 カリスマの危険性

 カリスマ。最近あまり聞かなくなった言葉。一般大衆を魅了するような資質を持った人のことを言うそうだ。

 こういった人たちは今でも存在していて、特に価値観が確立していない世代から絶大な支持を得ている。だがどんなにカリスマ性を発揮している人でも、人間である事に変わりは無い。だから、長いこともてはやされているうちにボロが出てくることがある。特にたちが悪いのはうぬぼれというやつだ。

 うぬぼれ(自惚れ)とは、文字通り自分に惚れることだ。惚れた相手の欠点が見えなくなるというのはよくある話だ。自信を持つのはいい。自分を信じるのは大切なことだ。僕の知っている「自分を信じている」人たちは間違いを犯すと素直にそれを認めることができる。そんな自分も含めて客観的に自己評価をしているからだ。しかも価値観を自分の外に置いている。常識というやつだ。良識と言ってもいい。それが「自信」の裏付けにもなっている。だがひとたびうぬぼれの状態に陥ると、価値観は自分の中でだけ成長するようになる。つまり独断だ。この手の人たちは大抵常識に反発しようとするから、始めは格好良く見える。だが長続きはしない。ほとんどの人はついて行けなくなるからだ。ネットの記事などでよく目にする○○氏やΔΔ氏などはこのパターンだろう。始めは的を得たコメントを言っていたのかも知れないが、今では「何を言っても支持される」という傲慢さがにじみ出ている気がする。困ったことにこうした人たちには、常に一定の支持者がいてもてはやすので、本人たちも何がおかしいのかわからなくなってしまっているのだろう。支持者も支持者で、違和感を感じた人は早々に離れていくので、ほとんどの場合、少しずつ入れ替わっている。

 支持する側には選択の自由があるからまだ良い。だがカリスマの側はそう簡単に主張を覆せない。支持者に対する見栄があるからだ。さらに自分が正しいとうぬぼれていれば、その必要性すら感じないだろう。こうした人たちが対立すると面白いよ。まるで子どものケンカだ。声ばかり大きくて、中身は有るんだか無いんだか。大人は見向きもしないだろう。

 良識のあるカリスマは、自分の主張が単なる「一個人の見解」に過ぎないことをよく知っているから、常識を踏まえた上で意見を言う。そもそも「常識」とは、本来そう簡単には揺るがないものであって、易々と論破されるようなら、それは始めから「常識」などではなく、何か別のものだったということだ。彼らはそのへんをよくわきまえている。だから主張に無理がない。目立ちはしないが、じんわりと浸透する。そもそも本当のカリスマはカリスマに見えないというのが僕の持論だ。先のお二人には、是非ともナサニエル・ホーソーンの短編「人面の大岩」をご一読いただきたい。