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 夏といえば怪談 2023 「あるライフプラン・コンサルタントの場合」

 今回のタイトルになっている「ライフプラン・コンサルタント」とは、うちに来ている例の保険屋さんのことだ。そうです、あの熊の肉をくれたり、黒いボルボに乗っていたりする、あの保険屋さんです。何で言い方を変えたかって?だって、カタカナの方がかっこいいじゃないですか。

 実は前回紹介した、息子さんが変なものを見るという話も、この保険屋さんの話なんですね。ただし、彼女自身は「見える人」ではなくて、亡くなったご主人が「見える人」だったらしい。だからその血を継いだ息子さんも「見える人」。仮に見えなくても、何かあると右腕が痛くなるとか。

 話題が話題なので、なんとなくぼやかして書いていたんだけど、本人曰く、「いいですよ、普通に書いちゃっても」ということなので少し書きやすくなった・・・のかな?そんなわけで、今後は単に「Kさん」と表記することにします。何しろ家族ぐるみでいろいろな経験をしている人なので、話題には事欠かない。そこで、今日はKさんのおばあさんのエピソードを一つ紹介したい。

 今回Kさんに来てもらったのは、次女のために条件のいい保険を紹介してもらおうと思ってのことだ。前回その話をして、今回は書類を作る段取りだ。Kさんはこう切り出した。「実は前回説明した内容に訂正があるんです。」前回の内容?それは僕の入っている保険のことかな。それとも娘が入る新規のほうのことか?「あれ、寺でも神社でもありませんでした。」「は?」「昔祖母が取り憑かれたときにお世話になったのって、近所の拝(おが)みやさんでした。」そっちの話かよ!ホントにこの人は、うちに何しに来てるんだか。そういえばKさんのおばあさんって、墓場から他の家の霊を連れて帰ったことがある、なんて言ってたっけな。

 そもそもこのおばあさんが、その昔、例の出先で亡くなったおじいさんの霊を慰めた人で、ある知人に言わせると、「優しいから霊が憑きやすい」特性を持っているという。この知人というのが、そういった事柄を生業とする盲目の老婆だったそうで、当時、Kさんの家では何か異変が起こるたびに、この人に相談していたらしい。Kさんのおばあさんがまだ若い頃、この老婆に「あなたは優しいから、墓参りのときに隣の墓の人(というか霊)がついてきている。戻してあげた方がいい」と言われて、祓ってもらったことがあるんだそうだ。

 ところで、Kさんが住んでいるのが割と近場だったということはもう話しただろうか?直線距離なら1キロと離れていない場所に、Kさんの実家があるのだ。だから話に出てくる場所も僕の家から近いエリア内がほとんどだ。例えば例の盲目の老婆が住んでいた場所は、聞いてみればうちの近所だったりする。散歩がてらに歩いて往復できる距離だ。おお恐。ただし、そういった人物が住んでいたという話に聞き覚えはない。僕が今の場所に住み始めたのは25年ほど前だから、おばあさんのエピソードはそれより大分前のことだろう。

 Kさんの家では、2階の向かって右側の部屋でいろいろと起こる、という話も聞いた。Kさんの家は僕がよく買い物に行くスーパーまでの道のりの途中にある。その道から右にそれて3軒目、周囲には畑が多いので車からもよく見える。この話を聞いた後、家の前を通るたびに2階の右側の部屋に目が行くようになってしまった。普段はあまり使われていないらしいが、窓に誰か(というか何か)いたらどうしよう、なんて思う。だったら見なきゃいいのに、ねえ。 (つづく)

付記 そういえば、息子さんに見えていた人物は、あれ以来見える頻度がだんだん少なくなってきているそうだ。おかげであまり気にならなくなった、とのことだ。

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 夏といえば怪談 2023 「見える人」

 少し前に、ある知人から聞いた話。今年中学生になった息子さんが、突然「脳外科か眼科に連れて行って欲しい」と言いだしたんだそうだ。息子さんは小さいころから影のようなものをよく見るそうで、最近それが人間であるとわかるほどはっきりしてきたとのこと。毎日のようにその人物が視界の片隅に現れて、何をするにも気が散って仕方がない、という。勿論、現実にそこに人が居るわけではない。ということは、つまりアレか?

 僕は言った。「それって、いきなり病院でいいのかなあ。どこか、そういう相談を受ける寺なり神社なりを探した方が良くない?」「それなら知ってるところがあります。前に祖父が・・・」「あるのかよ!」「ええ。前に祖父が遠方で亡くなったときに家族がみんな熱を出して、そのときに相談した神社があるので、そこなら相談できるかも。まあ、発熱は祖母が出向いて供養したのを境におさまったんですけどね。」血筋じゃないか。こりゃあ本物かも。「だったらまずその神社に相談してみた方がいいよ。いきなり病院だと、ろくに話も聞かずに別の科に回されるかもしれない。精神科とか。カルテだって残るだろうし。」「そうですよね。ちょっと考えてみます。」

 僕は「見えない人」だし、心霊現象について確信があるわけじゃない。もしかしたらあるのかも、といった程度のスタンスだ。だが見える人や感じる人にとって、それは日常だろうから、「そんなこと、有るわけ無いじゃないか」とは言わない。そもそも、100パーセント否定できる根拠もない。何しろ今までにも書いてきたように、あれはいったい何だったのだろうか?という経験は、僕も複数回ある。

 自分の体験のみならず、僕の周りには不思議な体験をした人が少なくない。僕が面白がるからか、そうした体験談は自然と僕のもとに集まってくる。勿論その中には気の迷いや思い込みであると判断できるものも多い。僕のように遠近両用メガネを掛けていると、視界の片隅で影が不自然に動くことなどしょっちゅうだ。だがどうしてもそういった説明では納得できないものもある。今回の息子さんのように、それが人の形をしているというのであれば、おそらくそれは、いわゆる「怪異」なのだろう。古来、こうした話題は人の心を魅了し続けてきた。ある意味僕も、その虜になっている一人であることは否定できない。

 これも以前に書いた気がするが、僕はUFOなら見たことがある。ただしそれは単に「あれ、あそこを飛んでいるあれは何だろう?」といった程度の、文字通り未確認の飛行物体を見ただけであって、窓があったとか、それが着陸して小さな灰色の、目がでかい宇宙人が降りてきたとかではない。だがそれらはジグザグに、鋭角的に飛ぶオレンジ色の光であったり、何度も同じ場所に出現を繰り返すまばゆいばかりの光点であったりする。説明がつかない、という意味では同格だが、心霊となると自分の目で見たことが無いからなあ。実際に見れば信じるだろうけど、できれば見たくない。それが本音だ。だから「見える人」の境遇が理解できると言ったら、それは嘘になる。でも、センス・オブ・ワンダーの塊である僕としては、全面的に否定することはしたくない。いや、むしろあったらいいな、と思う。そんなわけで、今度知人に会う機会があったら、その後どうなったかを詳しく聞いてみたい。

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 また夏がやってくる

 僕は中学校教師の職を退いてしばらく経つが、決して教育現場が嫌いだったわけじゃない。僕が現場を退いた理由は、教育現場が僕のようなタイプの人間をもう必要としていないと感じたからだ。僕には暑さや寒さを直に感じさせてくれる教室環境や、季節ごとに巡ってくる学校行事が、日本人としての季節感を感じさせてくれているように思えたし、僕より遙かに若い生徒たちとの語らいのなかで学ぶこともたくさんあった。だが5~6年ほど前、そんな僕の勤める現場にある変化が起こった。

 最初に変わったのは保護者だった。この段階では、生徒との関係は変わらず、あまり気にもしていなかった。ところがその後、変化は生徒にも及ぶようになってきた。始めは1人か2人。周りの生徒たちも変わったやつだな、という目で見ていたが、それが2~3年経つうちにそちらの方が主流になっていった。どういうことかというと、心よりも学力を大事にする生徒が増えてきたのだ。深夜まで学習塾に通い、ネットに時間を奪われ、心の育つ暇がない。人の気持ちがわからないから、陰湿なネットいじめが横行する。それを止めるために、役に立ちそうな話をしようとすると、「学力に響くから話より授業を進めてください」などと言う。「子供じゃない、これではまるでサラリーマン予備軍だ」そう感じた。

 以前、僕はよく生徒の前で「オレはな、死神博士なんだ。そんでもって、お前らはショッカーの戦闘員だ。いつか仮面ライダーを倒して、自分たちの世界を作るんだ!」などとうそぶいたものだが、言っていることは半分本気だった。何しろ仮面ライダーの「正義」は、「今ある社会の姿が正しい」ことが前提だからね。当時の生徒たちも何かを感じ取っていたのだろう、僕の話を真剣に聞く生徒が多かった。「先生、世界征服ですか?」「いや、世界は手に余るから、日本征服ぐらいでいいかな。外国語覚えるの面倒だし。何なら関東ぐらいに絞っても・・・」「先生、それならいけるかもしれないですね」そんな会話をして爆笑したこともあった。卒業生の同窓会に顔を出すと、今でも「先生から授業で何か教わった記憶はないけど、聞いた話はなぜかよく憶えてるんですよ」などと言われる。「日本征服、まだ着手しないんですか?」なんて聞いてくるヤツもいる。何でそんなことばかり憶えているんだ。

 今の学校に、ショッカーはもういない。生徒が優先するのは成績を上げること。彼らは大人に反抗する理由すら持っていないように見える。勿論誰もがそういうわけではなかったが、その比率は増える一方だ。時代の流れは一教師の手に余る。ここまで来ると、無理強いしても叩かれるだけだ。もう潮時だろう、そう思った。だが今でも教師として過ごした時間は僕にとってかけがえのないものだ。残暑の熱い日差しの中で体育祭の練習をしたり、冬の朝に凍えながら昇降口の雪かきをしたり。東日本大震災の時には、頼みもしないのに大挙して手伝いに来てくれた生徒たちと給水活動をしたっけ。大変な時期なのに、みんな笑顔だったよなあ。

 今年もまた、夏がやってくる。夏は好きだ。いろいろなことを思い出させてくれる。教員時代、生徒と同様に夏休みのある生活が続いたが、勿論教師は40日も休めるわけではない。それでも、大人になった後も「夏休み」が自分の生活の一部であることが、僕は嬉しかった。生徒とともに夕焼けや虹を眺めたことも何度もある。そして彼らとの語らいのなかで、いつの間にか若い頃に戻っている自分に気付くのだ。そんな経験のできる職場が、他にあるだろうか。けれど、それも今は過去のものになりつつある。

 あれから4年が過ぎようとしている。戦闘員たち、ちゃんとやってるか?そうだ、オレはここにいる。死神博士は今も健在だぞ。

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 夏といえば怪談 2023「貞子の落日 その2」

 (前回からの続き) 「リング」では、貞子の姿を見たものは助からない。逆に呪いを解くことが出来れば、そもそも貞子は現れない。つまり、貞子の行動パターンを報告できる生存者はいないはずだ。しかし「貞子」シリーズではそれらについて詳細に語る都市伝説が存在する。これはどう考えてもおかしい。「呪いのビデオ」の新バージョンが存在するのも変だ。新たな呪いが発動したということなのだろうか。だとすればいつ、どこで念写が行われたのか。こうしたベースとなる設定があやふやだと、ストーリー全体が説得力に欠けるものになってしまう。

 「リング」ではウィルスとの融合という設定は割愛されていたはずなのに、今更原作の設定を引っ張り出してきて、「ウィルスと同様に変異を起こす(能力が変化する)」というのも、ご都合主義としか思えない。しまいにはバッタのような形に変化したり、増殖していっぱい出てきたりする。こんなシーンを要求した監督の意向の方が恐ろしい。前回も触れたように、怨霊の物理攻撃をあからさまに描写して見せたことも、怖さが半減してしまった原因の一つだろう。そこには人間特有の心の動きが大きく影響している。

 ある日突然、高熱を発し、倒れる人が続出する。なかには呼吸困難になって死ぬ人まで出た。いったい何が起こっているのか。これは一種のホラーだ。だが、その原因はコロナウィルスという病原体であることがわかる。こうなると状況が変わらなくても恐怖は半減する。人間は既成概念に同定できるものはそれほど怖がらないのだ。ここはやはり、「何があったのかわからない、説明のつかない恐怖」がキモだ。ベースとなる事柄をきちんと設定して説得力を持たせ、隠すところは隠して恐怖心を煽る。これについては良い例がある。

 日本の怪談には珍しく、凄惨な結末を迎える「吉備津の釜(※)」。ここに登場する磯良(いそら)の怨霊は、物語の終盤で物理攻撃に及んだと思われるのだが、その手口については明らかにされない。さらに犠牲者以外、誰も磯良の姿を見ていない。読者に伝えられるのは、家の周りで聞こえる「ああ憎らしい、こんなところに護符なんか貼って」という磯良の声と、隣人が聞いた犠牲者の悲鳴、そして血にまみれた現場の様子だけだ。そこには死体さえ残っていない。そのことがかえって恐怖心を倍増させている。加えて冒頭の、浮気が発覚した後も夫を信じ、献身的に尽くす磯良の姿が、怨念の強さに説得力を持たせている。執筆された江戸時代には、すでにこうした演出方法があったわけだ。

 「リング」の成功の理由は、正しく怪談の作法に則り、人間の持つ根源的な恐怖心にアクセスできたことだろう。だが「貞子」シリーズはそれを切り捨ててしまったように見える。CG技術の発達を良いことに、ビジュアルに依存しすぎたのだ。

 「貞子」シリーズ、あんなにお金をかけて何本も作ったのに、どの作品も評価は散々だった。いくら基本がしっかりしていても、アレンジで失敗すれば、すべてがダメになる、ということだ。なんとも恨めしい話ではないか。

※ 有名な「雨月物語」の一編。自分を捨てて女と逃げた正太郎を、その妻磯良の怨念が祟る。一読の価値あり。注目すべきは、江戸時代の書物でありながら、磯良が恨めしい言葉を吐くと同時に障子に赤い光が射すなど、現代のホラー映画にも通じるような描写があることだ。そしてもう一つ、磯良は初めて出現した際には正太郎を手にかけていない。予告した後に時間をおき、散々おびえさせた上で取り殺している。「リング」における貞子は、この手順を踏襲している。

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 夏といえば怪談 2023 「貞子の落日 その1」

 そろそろ夏ということで、WOWOWでは「貞子」シリーズを一挙放送した。今回「貞子DX」を見たことで、おそらくすべての「リング」関連作をコンプリート。ただし、あまり意味は無かった。結局どれをとっても「リング」を超える作品には巡り会えなかったからだ。確かに続編が駄作、というのはよくある話だけど、「貞子」シリーズ、ちょっと酷すぎないか?

 今では長い髪に白いワンピース姿で両手をだらりと下げた貞子の姿は、国の内外を問わず定番となっている。でも一つだけ確認しておくと、実は原作では、貞子は一度もその姿を現していない。勿論TV画面から出てくる描写もない。あの姿は映画「リング」のオリジナルだ。

 映画では終盤、映像の中の井戸から現れた貞子が画面を抜けて出現。狂気の眼差しで犠牲者の傍らに立つ。そして絶叫する犠牲者のアップでカット。この演出が上手いな、と思う。この映画、冒頭から一貫して、見る側は結局何があったのかを知ることが出来ない。犠牲者のすさまじい死に顔から、「何か恐ろしいものを見たらしい」という推測だけが語られる。見る側は自分が最も恐ろしいと思うことを勝手に想像して恐怖する、という仕組みだ。

 古来、日本の怨霊は相手の命を奪う際、「取り殺す」という方法をとってきた。「取り殺す」とは、「取り憑いて殺す」「祟って殺す」という意味だ。かなり抽象的。そういった意味で、「リング」における貞子は典型的な日本の幽霊であると言える。たとえば、事後に尋常ではない状態の死体が発見される。人々がつぶやく。「一体何があったんだ?」この得体のしれない死に様こそが、西洋人の震撼するJホラーの怖さなのだ。日本の幽霊は、いくら効率が良いからといって、決してチェーンソーなんか使わない。だってそうでしょう。「貞子に取り殺されたらしい。傷口の状態からすると、凶器はチェーンソーだな。」「警部、血のついたチェーンソーが見つかりました!少し離れた茂みの中に!」いったい何の映画だよ。

 「貞子」シリーズを見ると、あの黒髪が伸びて犠牲者に絡みつくシーンにすごく違和感を感じる。襲い方が具体的に描写されているからだ。しかも、これがあまり怖くない。まるで、貞子がちゃちな妖怪か何かのように見える。ここは是非とも、中川信夫監督の「東海道四谷怪談(1959)」に学んでいただきたい。この映画では、お岩は何もしない。ただ「伊右衛門どの~」と呼びかけながら出現するだけだ。だが演出が際立っているので(?)、伊右衛門はその姿を見て錯乱し、血迷い、自滅していく。

 「四谷怪談」や「リング」では、犠牲者は恐怖のあまり死に至る。つまり「死ぬほど怖い」。それに比べて、欧米のホラーの怖さは痛い怖さだ。「死ぬほど痛い」。その結果、首が飛んだり血がいっぱい出たりして死に至る。そしてその過程をこれでもかと言わんばかりに描写する。これらは恐怖の質という意味では全くの別物だ。心理的か物理的か。この差は大きい。

 近年ベストセラーとなった「山怪」という本に興味深い実話エピソードがある。何人かで山道を歩いていると、道ばたでしゃがみ込んでいる女がいた。一人が声をかけると女が顔を上げ、その男だけがその顔を見たのだが、とたんに男は惚(ほう)けたようになり、高熱を発し、数日後に息を引き取る。その間、男は「あれはものすごい顔だった あんなものすごい顔は見たことがない」とうわごとのようにつぶやいていた、という話。見ただけで死に至る顔なんて、想像がつかない。だからこそ怖い。

                      (つづく)

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 見かけ 

 人を見かけで判断してはいけない、という。でもこれって、絶対的な真理なのだろうか。

 ふた昔ぐらい前・・・いや、もう少し前かな、イギリスでは「袖ボタンが飾りボタンのスーツを着ているような人物は、ビジネスパートナーとして信用できない」という言い方があったらしい。本来スーツの袖はボタンで開閉できるように作られていた。今ではそんなスーツを着ている人はほとんどいない。

 ひと昔前まで、アメリカのビジネス界では「肥満体型の人物は己の体調や健康状態をコントロールできないタイプだから、信用してはいけない」と言われていた。ホントだって。今だったらあっという間に○○ハラスメントなどと叫弾されてしまいそうな事例だが、こういった考え方は今も水面下で脈々と続いているかも知れない。

 身だしなみ、という言葉がある。相手に不快な思いをさせないように外見をきちんと整えること、と考えればいいだろう。一説によれば、そこには言動までもが含まれるそうだ。社会的な場面でこれを実践してきた人は、プライベートな服装でも何となく清潔感が漂っていることが多い。

 若い人がオー・デ・コロンの使い方で失敗することがある。体臭が不快、なんていうのはもってのほかだが、コロンの香りが強すぎるのも、これはこれでやはり不快。そもそも肉食の西洋人がその体臭をごまかすためのものだから、ほとんど無臭の魚食系日本人には強すぎるのだろう。さらに匂いは慣れると感じなくなるものだから、香りがしないと不安になって大量につけてしまうことがあるらしい。この強すぎる香りが、他人に不快な思いをさせる。何しろ洗濯の仕上げ剤の香りが強すぎて(実際にかなり強いものがある)不快、という国民性だから無理もない。

 もう一つ、誤解を恐れずに言うならば、表情自体が判断材料になることもある。くれぐれも顔の造作ではなく、表情、ですからね。皆さんも経験があると思うが、どんなに美人でも、イケメンでも、表情によってはそう見えないことがある。容姿に自信があって、人気があると思い込んでいるような自惚れタイプに多い。上から目線の仏頂面や軽薄すぎる笑顔など、その症状(?)も多岐にわたる。反対に、ごく平凡な顔立ちであっても、笑顔がとってもチャーミングな人もいる。謙虚で、多くを望まず、それが故に己の人生にそこそこ満足している人に多い。こういう人が、いつも笑顔でいられるような人生を送ったら最強だろう。特に歳をとってからは向かうところ敵無し。要するに造作よりも表情の方が重要だということだ。だが、この問題を一概に語るのは難しい。何しろ表情にはその人の人となりや、これまでの人生経験までもが反映するからだ。さすがにこれは、一朝一夕では変わらない。多分変わるには他人の一声が重要な役割を果たすんだろうなあ。この意味、わかります?

 要するに「人を見かけで判断してはいけない」という場合の見かけと、「身だしなみを整える」という場合の見かけは概念としては違うものだと考えた方がいい、ということだ。人は見かけじゃないからといって、無頓着であってはいけないし、身だしなみを整えるからといって、場にそぐわない過剰なお洒落も宜しくない。どちらも見る人を不快にする可能性が高い。総括して言うならば、やはり見かけは大事な判断材料になり得る、ということだろう。

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 たまに聞くラジオも良いもんだ 思いがけない発見がある

 先日、カミさんと二人で買い物に出た。最近、車でよくFM放送を聞く。その日も「Jウェーブ」を聞きながら車を走らせていたのだが、曲の合間に突然、男女の語らいが始まった。「先生、笑ってるのを見られるのって、恥ずかしくないですか?」「面白いことを言いますね・・・思春期ですか」「先生、私もう28です」ここまで読んでわかった人、いるでしょう。そうです。これはCMだったんです。一瞬だけ、商品を匂わせる唐突かつ不自然なセリフ(※1)があるので、それとわかります。

 その後も会話は続く。「先生、マスク後の世界はどうなるのでしょう」「28歳ですか・・・いいなあ・・・マスク、取ってみませんか?」「・・・良い匂い・・・先生、私本当は29なんです、ふふふふ・・・」「知ってます はははは・・・」これが何と、キンチョーの蚊取り線香のCM。何を今更、という人もいるだろうが、ラジオを聞く習慣がなかったものだから、今までその存在すら知らなかった。

 ネットで調べてみたら、このCMは「マスクを外して」というシリーズ。他にもいろいろなパターンがあって、しかも何年も前から続いているらしい。それをまとめた動画(勿論画面は静止画)もあって、キンチョーのCMはその筋では有名なのだそうだ。以前「よくできたいにしえのTVCMは一種の名画(映画)であった」などと書いたことのある僕だが、ラジオCMの世界は盲点だった。こんなにも楽しい世界があったとは。

 こうしてみると、ラジオCMにはラジオCMならではの味がある。たとえば「思春期ですね」「私もう28です」というやりとりの面白さは、登場人物の容姿が視覚的に確認できないから成立するものだ。これがTVだったら、冒頭から視覚的な多くの情報を認識できてしまう。仮に「思春期の女の子に見えなくもない28歳の女性」を具現化したとしても、セリフの前に視覚情報が提供されているわけだから、セリフのインパクトは弱くなる。女子生徒と教師の会話かと思いきや、実は(多分)相談者とカウンセラー(※2)でした、というどんでん返しについても、ビジュアルはものすごい情報量を持っているから、意図的かつ部分的にそれを操作しようとすれば、要らぬ演出ばかりが増えてしまうだろう。やはりこの筋書きは、視覚情報が無いために、聞く側が勝手に想像を膨らませてくれるラジオの世界でなければ実現できないものだと思う。そんなわけで今回、ラジオCMの奥深さをあらためて認識したのであった。

※1 このまったりとした会話のなかで唐突に「蚊取り線香をつけましょう、蚊がいる」という「先生」のセリフがある。女性の「良い匂い」というセリフは、蚊取り線香の香りのことだ。

※2 僕はカウンセリングの講習を受けたことがあるのだが、この「先生」の受け答えは典型的なカウンセラーのそれに近い。カウンセラーは通常、自分の意見や相手に対する指示は口にせず、聞き手に徹する。この会話にはもう一つ、カウンセリングの手法が使われているが、説明が面倒なので割愛する。とにかく、このCMが、おそらくはカウンセリングのパロディであろう事が、わかる人にはわかるのだ。そう考えれば、この会話のもつ不思議な違和感もそれなりに納得がいく。

付記 キンチョーのCMにはきわどすぎて大炎上したものもある。下ネタぎりぎりのTVCMなのだが、このCMの場合、逆に視覚情報があるから安心できる。何について話しているのかが画面からの情報で理解できるからだ。仮に音声だけを聞くと、もう大変。ネットに動画があるので、商品名だけお伝えしておく。「キンチョー太巻」。後は自分で調べてください。

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 ワン。ワンワン。

 以前「ピーピー。」について書いた。今回は「ワン、ワンワン。」これは何かというと、僕のスマホの着信音だ。どんなときにも人があまり違和感を感じないようにと、(僕としては)考えに考えて設定した。音量も遠くで犬が吠えている、といった体(てい)のレベルにしてある。おかげさまで多くの場合、僕のもくろみは当たったと言っていい。着信しても誰も気付かない。だが、ある特定のシチュエーションでは逆効果になる場合もある。

 以前からお伝えしているとおり、うちでは五匹の猫を飼っている。そのうちの3匹が10歳を超えていて、持病をもっているものもいるので、動物病院に行くことが多い。そのタイミングで誰かが僕に電話をかけてくると、待合室で「ワン、ワンワン」という着信音が鳴る。猫をつれている飼い主の近傍で犬の鳴き声がするわけだ。いくら音量が絶妙とは言っても、そりゃあ、みんなこっち見るわなあ。仕方がないから駐車場の車で待つ。すると今度は動物病院の近所で飼われている犬が吠える。これがまたよく吠える。しかも吠え声や吠え方が着信音にそっくりなのだ。さらに夕方の診療時間は、娘が仕事の帰りに、買い出しの内容を確認するために電話してくる時間に当たっている(※)。さらにさらに僕は、これも前からお伝えしているとおり、メールやラインが大嫌い、ときている。というわけで、動物病院ではしょっちゅう、周囲の人々を翻弄したり、自分が翻弄されたりしている。そして困ったことに、こういったシチュエーションを、僕はわりと楽しんでいる。

※ うちでは夕食は僕の担当なので、どんな食材を使うかは僕が決める。

付記 そういえば昔、僕の知り合いで同じようなことをやっている人がいた。まだスマホが一般化する前のことだ。彼の携帯の着信音は「ホー ホケキョ」。なかなかにリアルで、僕はまんまと騙されたことがある。今思えば、特に初夏から夏にかけては、彼も今の僕と同じように混乱することがあったに違いない。面白いヤツだったが、今はどこでどうしているのやら。

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 今日の空

 梅雨の合間に、久しぶりに青空が顔を出したので、育てていた朝顔とひまわりの苗の植え付けをした。

 朝顔については、一昨年まいた種が綺麗なライトブルーの花をつけ、10月頃まで咲き誇っていたのを見て種を取っておいたのだが、去年は何の加減か失敗。今年は新しい種を買ってきて再挑戦している。ひまわりは「夏といったらこれでしょう」という子どもっぽい発想で、3年ぶりに苗を育てた。ただ、発芽してすぐ日照が少ない時期があって、苗がひょろひょろなのが気がかりだ。

 昼前に作業を終えてふと顔を上げると、そこには理想的な夏空が拡がっていた。気温が上がるにつれて、先ほどはなかった見事な積雲が育っている。しばらくはただ眺めていたのだが、そうしているうちにある事を思い出した。

 このブログのタイトルは「あの時と同じ空」。我ながら青くさいと思う。しかし一方では、これほど的確な表現はないとも思っている。ここで言う「あの時」とは、僕が思春期を過ごした時代のことだ。

 人は成長するにつれ、良いことも悪いことも身についていく。いわゆる「世間の垢にまみれる」というやつだ。そうして人は変わっていく。文明が自然を駆逐していく話もよく聞く。以前書いた、墓地の横にあったケヤキの大木や、NHKのドキュメンタリーで見た、送電線を通すために丸裸にされた山林などはその良い例だ。最近では神宮外苑の木々までもが伐採の対象になっているという。こうしたことは、実はたくさんの人々の思い出をも破壊しているのだということに気付いているのだろうか。いったい人は、どこまでやれば気が済むのだろう。

 世の中が変化していくのは仕方の無いことだ。人間の成長だって同じだ。無垢な子どもも、いつかは薄汚れた大人になっていく。人の心が時代とともに移ろうことも、歴史が証明している。だが、そんななかでも変わらないもの、変わってはいけないものがあると思う。あの頃と変わらない空がそのことを僕に思い出させてくれる。

 先ほど僕が「理想的な夏空」と表現した空、それは僕がまだ若かった頃に見た空を思い出させてくれるような空のことだ。友人と見上げた空や一人自転車を走らせながら見た空、幼い頃、実家の八畳間で兄とプラモデルを作りながら、ふと窓越しに見上げた空。どれもほんの一瞬の記憶なのだが、いまだに鮮明に覚えている。空が変わらずにいてくれるおかげで、僕は今も、そしていつでも、そこに帰って行くことができる。

 あの頃何を見、何を感じ、何を思ったかを、記憶の中で追体験することは誰にでも可能だ。そのことが世間の垢を洗い流し、生きていく上で大きな力となることもある。昔あるCMで聞いたセリフのように、「時は流れない それは積み重なる」と思う。流れると考え、失ったと思っていたものは、今も僕の中にある。普段は忘れているだけだ。ただ思い出すだけで良い。きっかけさえあれば、あなたにもそれができる。

 あの時と同じ空。そうだ、僕は今も、青くさい自分を心のどこかに持ち続けている。しかも自分が思っているよりも遥かに近い場所に。今度買い物に出たら、もう少し夏の花の種を買ってこよう。花の手入れのために外に出る機会が増えれば、また今日のような空に出会えるかも知れない。

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 走馬灯じゃないんだから。

 別に死にかけたとか、そういった類いの話ではない。先週、夏の庭に何か咲かせようと、久しぶりに近くの「花木センター」に行ってきた。25年ほど前に家を建てたとき、庭に植えた木々はほとんどここで購入した。その時お世話になったHさんは、あれ以来20数年会っていなかった。

 花木センターには、最近でもたまに草花の種や球根を買いに行ったりするのだが、庭木のコーナーに足を伸ばしてもHさんを見かけることはなかった。もしかしたらもうここにはいないのかも知れないな、などと思いながら育苗のためのポットなどを買い込み、今回もダメ元で庭木のコーナーに行ってみたが、やはりそれらしい人影は見当たらない。買ったものを車に積み込んで、最後にもう一回りだけ、と庭木のコーナーにとって返した。すると先ほどは気付かなかったある看板が目に入った。あれ、この店の名前、Hさんと同じだ。以前はHさん、どこぞのお店の店員だったよな。でもあれからすでに20数年。もしかして・・・?

 この庭木のコーナーには複数の業者が出店していて、当時Hさんはそのなかの一店で働いていた。今日、気がついてみると、今ある店舗の一つがHさんの名字と同じ店名になっている。あの頃にはなかった店だ。ものは試しと思い、そのコーナーに入っていくと、奥の方で年老いた店員さんが木々の手入れをしていた。声をかけられても面倒だと思い、距離を取りながらハウスの中を覗いたが、他には誰もいないようだ。その時、その店員さんがこちらを振り向いた。屋外なので、彼はマスクをつけていなかった。何と、それはHさんその人だった。年老いて見えたのは白髪の混じり始めた頭髪と、彼独特の猫背のせいだったのだ。「Hさん・・・ですよね?」「はい・・・?」おっと、マスクをつけたままだった。マスクを外して名を告げると、彼もすぐに思い出してくれた。「いやあ、懐かしいなあ。あれから何年になります?」「多分20年以上ですね。」「ちっとも変わらないじゃないですか。」「いやいや、そんなことは。Hさん、独立したんですね。」「まあ、いろいろありまして・・・。」そんな会話から始まって、かれこれ1時間近く立ち話をしただろうか。話の内容は省くが、最後に僕は「いるとわかったから、またちょくちょく遊びに来ますよ。」と告げてその場をあとにした。

 その日の午後、かねて懸案となっていた電話を1本かけた。下の娘が京都に一人旅をしたい、というので、僕が以前懇意にしていた旅行代理店のプランナー、Tさんを紹介すると約束していたのだ。こちらは多分10年ぶりぐらいか。僕が持っている名刺の携帯番号は営業用なので、今も当人に繋がるかどうかはわからない、という不安があったが、とりあえずかけてみた。出ない。だが10分と待たずに折り返しの着信があった。Tさんだった。「先生、お久しぶりです。」そうか、あの頃僕はまだ教員をしていたんだった。「ご無沙汰です。元気?」「おかげさまで。先生もお変わりなく?」「うん。教員は辞めたけどね。」「そうなんだ。先生と修学旅行に行ったの、懐かしいですね。」ああ、そんなこともあったなあ。彼女が添乗員を務めてくれたんだっけ。彼女の中では、僕はまだ先生なんだな。それにしても相変わらずの姉御肌というか、女性にしては珍しいしゃきしゃきしたしゃべり方が懐かしい。

 ひとしきり思い出話に花が咲いた後、僕は娘の立てた旅行計画の概要を説明し、「娘の勤務予定が確定したらまた連絡するよ。」と伝えた。「わかりました。連絡、お待ちしています。」

 今日1日で、10年以上連絡を取っていなかった二人の人物と、久しぶりに話すことができた。人の関わりとは不思議なもので、こうして話してみれば、過ぎた時間など存在しなかったかのようだ。おかげであの頃の記憶が幾つも思い出されてきた。今日は良い日になったなあ。

 意味合いは少し違うが、僕が「走馬灯」という言葉を使ったわけは、つまりそういうことだったのですよ。