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 夏といえば怪談 2023「おかえり。」

 シャミという名の、うちで飼っている猫どもの女ボスは、僕がベッドに入るとおなかの上に乗ってくる。読書などしようものなら、「私がここに居るのに、なんで本なんか読んでるのよ?」と言わんばかりに猫パンチを浴びせてくる。もちろん本に、だけど。でも君ねえ、もういい歳のおばさんだろ・・・いやいや、そういう話ではなかった。実はおなかの上にシャミが乗っていると、時には乗っていなくても、近頃もう一匹が足のあたりに跳び乗ってくるのだ。以前は身体を起こして確かめたりもしてみたのだが、そこには何も乗っていなかった。

 最も多いとき、うちには8匹の猫がいた。みんなもとはノラで、4匹はうちの敷地で生まれた。この何年かで3匹を失い、今は5匹。亡くなった1匹は老衰による腎不全、あとの2匹はうちで生まれた兄妹(多分)で、遺伝的に身体が弱かったらしく、1匹はやはり腎不全、もう1匹は何とかいう血栓のできる病気で亡くなった。シャミはこの2匹を含む4匹を産んだ母猫だ。

 昨日の夜もシャミは僕のおなかの上で眠り、夜半過ぎに、足もとにもう1匹が跳び乗った感触で目が覚めた。タオルケットの上に着地したときの、「ぽふ」という音まで聞こえたような気がした。今では身体を起こして確かめることはしない。ただ小さな声で「おかえり。」と呟く。

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 夏と言えば怪談 2023「ツンデレカイセイの視線」

 うちで飼っている猫のなかに、押しかけの「カイセイ」というサビ猫がいる。ある日突然庭の片隅に現れ、散々鳴き散らして家人の気を惹き、その日のうちに我が家の猫になったという顛末は以前にも紹介したと思う。先住猫たちとケンカをすることは無いものの、常にお高くとまって一定の距離を置き、モデルウォークのような足さばきでリビングを闊歩する。そのくせ2階の階段の手すりで居眠りをして、吹き抜けを落下してしてきたりするので(幸いけがをしたことはない。猫ってすげぇ)、今では2階に上がることは禁止されているという間抜けな一面もある。そんなカイセイは、夕食が終わった頃を見計らって、くつろいでいる僕の膝の上に乗ってくる。可愛いと言えば可愛い。それに一応メスだしな(そこにこだわってどうする)。

 カイセイはツンデレなので、ひとたび膝に乗るとじっと僕を見つめ、サイレントニャー(※)でもって僕を誘惑してくる。僕も思わず見つめ返してしまうのだが、経験豊かな僕としては、どんなに喉を鳴らされても、僕の腕にそっと手(というか前足)を添えてきても、そんなことでこの僕が堕ちると思ったら大間違いで・・・えっと、何の話だったかな。そうだ、カイセイの視線の話だった。

 そんなわけで僕とカイセイはよく見つめ合ったりするのだが、実はこれが恐怖の序章だったりする。たとえば、膝の上のカイセイと「あ、目が合ったな」と思う瞬間があったとする。僕が悪戯心を出して、静かに少しずつ頭を動かすと、カイセイの視線は固定したまま、先ほどまで僕の頭があったあたりを凝視している。お前、一体何を見ているんだ?ある時など、次の瞬間ゆっくりと僕の方に目を向け始めたかと思ったら、視線はそのまま僕の顔があるところを通り過ぎて止まり、左肩越しに僕の背後を凝視していた。「えっ!」と思って後ろを見ても、そこにはカーテンがあるだけで、虫が飛んでいたりした気配もない。カイセイ、やめてくれない?そういうの。

 確かに、犬や猫が誰もいない部屋をじっと見つめたり、赤ん坊が誰もいない空間に笑いかけたりする話はよく聞く。だが今回のような場合、あたかも人間には感知できない存在が、僕のすぐ後ろを横切って止まり、そこに佇んでいるみたいではないか。思わず鳥肌が立ちましたよ。

 こうしたことは、犬や猫を飼っている人なら多かれ少なかれ経験しているだろう。インコが目に見えない誰かと楽しく会話していた、なんて話はあまり聞かないけど。僕にしても、いつもだったら「(亡くなった親族の)誰かが来てるみたいだな」なんて軽口を叩くのだが、この時はなぜかそんな余裕もなかった。何かが来ているとすれば、今回のそれは自分にとって縁もゆかりもない存在だと感じたからだ。そんな感覚を気安く受け入れられるわけないじゃないですか。

 幸いその後、我が家に何か不都合なことが頻発した、などということも無く、気のせいということでこの件は終わっている。だが、動物には、人間が文明と引き換えに失ってしまった第六感的な能力が備わっているというのは間違いなさそうだ。それを認めたところで、何の安心材料にもなりはしないのだけれど。

※ 声は出さないが、口の動きはニャーと言っている鳴き方。人間の耳には聞こえない周波数の音が出ているという説も。気を許した相手に対して行うらしい。

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 見えすぎ。

 タイトル見て変な誤解した人いない?子供が抱く将来の夢の話なんだけど。

 兵庫県の全国学力調査に伴う質問紙調査で、将来の夢や目標をもつ児童・生徒の割合が過去最低の水準だったんだって。ニュース記事ではかなり問題視していたようだけど、考えてみれば至極当然で、今更驚くほどのことでもない。だって、情報化社会と称される現代では、どんな疑問もたちどころに答えが得られるし、子供がまだ知らなくてもいい情報で溢れかえっているからね。

 最近の子供たちって、将来どんな仕事に就きたいかを聞くと、会社員、なんて言う。業務内容はさておき、とりあえず「会社員」。定期的な収入が保証されるから、というのがその大きな理由で、一昔前の「公務員」と同義らしい。ところが、ネット上では「ブラック企業に関するニュース」であるとか、個人のUPした「パワハラで鬱病になった話」とかのネガティヴな情報が蔓延しているわけで、それを見た子供たちが「世の中って、こうなんだ」なんて思い込んだら、夢をもてなくなるのも無理はない。要するに、行く末が見えすぎるんだね。しかも歪んだ形で。というのも、もっといい話だってたくさんあるのに、困ったことにそっちの方はなかなか話題に上らない。そりゃそうだ。自分の境遇に満足している人たちは愚痴らないし、当然ニュースにもならない。まあ、世の常ってやつだ。

 将来なりたい職業で、会社員と双璧をなすのがYoutuber。長いことこの状況を「困ったもんだ」と思っていたんだけど、今になって思えば、子供にとってこんなに夢のある職業はないかもしれない。自分にそれをするだけの知識と技能があれば、誰でもすぐになれるし、スポンサーがつけばそこそこ収入も期待できる。実際にその道で高収入を実現している人もいて、なるほど、これは現代のサクセスストーリーと言えなくもない。個人で番組を運営する分にはパワハラ上司もいないし、客の顔色をうかがう必要もない。メディアを扱う上での倫理観と、経済観念さえしっかりしていればなんとかなりそうだ。しかも職業(?)としての歴史が浅いので、ネガティヴな情報も少ない。Youtuberとして一生を送った人はまだいないからね。要するに、先が見えない分夢見る余地がある、ということだ。ただし、現状では昇給もボーナスも、退職金も期待できない。保険やローンなどについてもまだまだ立場的には弱者だろう。そういう意味では一種の自営業。確定申告も大変そうだ。子供はそのへんを認識していないから、「将来の夢」として確固たる地位を維持しているんだろう(あー、言っちゃったよ)。

 人生には必ずしも知らなくていいこともたくさんある。それが何のフィルターも介さず(端末側のフィルターなんてたかがしれている)、子供の発達段階も考慮せずに提供されているのがいわゆる情報化社会なんだよな。子供は情報を正しく取捨選択することはまだできないし、むしろ好奇心旺盛だから、大人が制限しない限り何でも吸収してしまう。しかも人の悪口だろうが社会に対する愚痴だろうが、1回聞いただけならすぐに忘れるかもしれないことを情報として保存できる。要するに定着しやすい。こうして小さいうちから社会の裏側を見ているわけだから、そりゃあ夢なんかもてませんて。大体最近の大人は自分たちでそういった環境を構築していながら、そんなこと気付きもしないもんね。じゃあ家庭はどうかというと、自分の子供がどんな記事を閲覧しているのかを100パーセント知っている親なんかいないだろうし、下手をすると「それは子供の人権の侵害だ」なんて的外れな理屈を振りかざしたりするから困ってしまう。ここはプロとしてはっきり言わせてもらうが、素人考えもはなはだしい。そもそも「子供の人権」は「発達段階」の問題とは切り離して論ずるべきものだ。そのことが理解できれば、害をなすのはエロ・グロばかりじゃないこともわかるはず。親は法的に「保護者」と言われる存在(親以外の場合もある)だが、なぜ「保護者」なのか、何から保護するのか、そのことをもう一度、よく考えてみるといい。

 何はともあれこの現状、なんとかできる立場の人が早急になんとかしないと、20年後の日本が心配だよなあ。

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 夏と言えば怪談・・・なんだけど(2)

 2014年のNHKの番組(※)で、2013年にイギリスのある古城で行われた、科学者の集団による心霊現象の科学的調査の様子が紹介された。あまり知られていないが、こういった試みは、実はこれまでに何度も行われている。そうしたなかでわかってきたことや、発表された仮説がなかなかに興味深い。

 最近の研究で、幽霊が目撃される場所では電磁波の異常が検出されることが多い、ということがわかってきた。これによって、現象が起こっている時にカメラなどの機器に異常が起こることは説明できそうだ。ただし、幽霊が出現することによって電磁波異常が起こるのか、何らかの要因で発生した電磁波異常によって、心霊現象(に見える何か)が起こるのかはわかっていない。

 怖い体験をしたり、恐怖を感じる場所に行ったりした時に冷気や寒気を感じるのも、現実に起こることらしい。哺乳類は危機に瀕すると、自動的に体温を下げる機能が備わっている。この現象は、熱を感知することによって獲物の位置を特定する、蛇などの天敵から身を守るために備わった機能なのだそうだ。人間では心理的に恐怖を感じた時にも同じ事が起こり、このときに寒気を感じるというのだ。いわゆる「冷や汗をかく」というのも同様の反応のようだ。実験では、金網越しに蛇と対峙したネズミの体温が急激に下がっていく様子を、サーモカメラで撮影して見せた。ただ、この場合気温や室温には変化は起こらないので、真夏なのに吐く息が白くなった、といった現象は説明できない。

 こうした研究の先駆けとして、1882年、イギリスにおいて「心霊現象研究協会(SPR)」が設立された。これは当時の著名な科学者や大学教授が設立した大真面目な組織で、主な会員にはマリー・キュリー(キュリー夫人。ノーベル賞を2度受賞 物理学/化学)、アンリ・ベルクソン(ノーベル文学賞受賞)、マーク・トゥエイン、ルイス・キャロル、カール・ユング、コナン・ドイルなどが名を連ねている。心霊現象を盲信するわけではなく、あくまでも研究のための組織で、インチキ霊媒師のトリックを見破ったりすることもあった。また、あまりに現実的な活動を行ったために、心霊現象を信じる立場の会員が大挙して脱退したこともあったそうだ。

 ウィキペディアによれば、SPRは今も存続していて、2004年までは歴代会長を追跡することができるという。ちなみに2004年当時の会長はロンドン大学の数学および天文学の教授で、バーナード・カーという人物。また、NHKによれば2013年にSPRの科学者グループが、イギリスきっての心霊スポット、マーガム城の調査を行っている。NHKが番組で紹介したのはこのときの調査の様子だ。マーガム城では第2次世界大戦中に駐屯していた兵士の多くが異様な音を聞き、移動する不定形の光を目撃している。冒頭で述べた電磁波異常についての報告は、この調査によってなされたもので、この電磁波が人間の脳、特に視覚野を刺激すると、脳内に光の塊のような幻覚が形成されるという。この仮説なら、特殊な電磁環境に置かれた複数の人間が同じものを目撃したことを説明できる。ただし、電磁波の異常そのものの原因や、それに付随するその他の現象、また兵士たちの目撃談以外の事案(はっきりそれとわかる男性の幽霊を多くの人が目撃している)を説明するには至っていない。

 まだまだ解明にはほど遠いが、胡散臭い心霊番組や特殊効果を駆使したホラー映画をよそに、心霊現象を真剣かつ科学的に解き明かそうとする試みが今も脈々と続けられているという事実は、知っておいても良いだろう。

※ 2014年放送 超常現象第1集「さまよえる魂の行方」(現在NHKオンデマンドで視聴が可能)

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 夏と言えば怪談・・・なんだけど

 一番怖いのは人間だ、という言い方がある。これは半分あたりだろう。ネット環境が充実して以来、平気で他人を中傷し、よせば良いのに、伏せておくべき個人情報を第三者が次々と暴露するような事例が増えているが、この傾向は巷の怪談話についても当てはまる。

 怪異の起こる場所や建物は日本中至る所にあって、なかでも建物に纏わる話は、廃墟ばかりとは限らない。例えばホラー作家の加門七海氏が封印しようとした「三角屋敷」の話とか、「新耳袋」の著者(の一人)で怪異蒐集家の中山市郎氏が、場所を伏せて紹介した京都の「幽霊マンション」のように、現在人が住んでいるものもある。こうした、軽率なマニアなどには知らせない方がいいと思われるような事案も、ネット上で場所や名称まで明らかになっていく。なかにはご丁寧に写真や地図まで掲載されている記事もある。

 「三角屋敷」も「幽霊マンション」も集合住宅であるから、心ない野次馬が押しかけるような事態になれば、そこに住んでいる人たちは心穏やかではないだろう。加えて、もしそこで起こっていることが「本物」だったら、例えば「幽霊マンション」なんて、中山市郎氏曰く、今までに何人も投身自殺者が出ていて、それがすべて住人ではなく、たまたま近くを通りかかった人たちだというのだから穏やかではない。吸い込まれるように上階へ行き、吹き抜けから飛び降りるという。誰がその状況を報告したのか、という疑問は残るが(笑)、下手に拡散させて実害が出たらどうするのだろう。なにしろ「幽霊マンション」は最近外壁を塗り替え、建物の名称まで刷新してイメージチェンジを図っているにもかかわらず、その顛末自体を報告している記事もあって、いまだに易々と特定できる状態なのだ。

 こうした記事をUPする人たちは、そこに住む住人の心情をどう捉えているのだろうか。自宅周辺に見知らぬ人物が大勢押しかけ、住まいを心霊物件呼ばわりされ、ともすれば敷地への不法侵入をも辞さないとしたら、どんなに不快な思いをするか、そのことに思い至らなかったのだろうか。こういった、自分の欲求を何よりも最優先させる精神構造は、一部の非常識な撮り鉄や、考えなしに飲食店テロをしてしまう人たちとあまり変わらない気がする。明確な恨みを持って現れる霊などよりよほど質(たち)が悪い。

 こういった人たちのなかには、ゆくゆく霊になって現れるようなことがあったら、どこぞの駅前あたりで藪から棒に縁もゆかりもない人を取り殺して、「取り殺してみたかった 相手は誰でもよかった」なんて言うヤツがいるかもしれない・・・言うわけねーか。そもそも幽霊は逮捕できねーし。

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 セカイノオワリ

 ネットで読んだ話。原宿だかどこだかで、新しいコンセプトのカフェがお目見えした。なんでも「友達カフェ」とかいって、店員さんが客に対してみんなタメ口(ぐち)で対応するそうだ。それどころか、友達を演じてくれるというんだからびっくりだ。店に入ると店員さんが、「久しぶりじゃん」なんて言ってくれる。これが好評なんだって。

 遙か昔、遠い銀河の彼方のアキバ帝国で、入店すると「お帰りなさいませ、ご主人様!」とか言ってくれるお店がその勢力を広げ、後に「お帰りなさいませ、お嬢様!」なんて言ってくれる店まで現れた。こうした店が大繁盛していると聞いた時は「世も末だな」と思ったもんだが、よく考えてみれば、歴史の古い「スナック」や比較的新しい「ホストクラブ」などもこの部類だろう。基本的に男女の交流をポジティブな形でバーチャル体験している、つまりそういうことだよね?それがいよいよ、お友達までバーチャル体験で間に合わせることができるようになったわけだ。そうか、世も末だと思っていたら、すでに世界は終わっていたのだな。

 この記事を読んで、僕の脳内で一つリンクした話題がある。それは「バカの壁」等の著作で有名な養老孟司氏の主張だ。僕はNHKの「養老先生 ときどきまる」という番組が好きで、いつも「養老先生」という言い方をしているのだが、その先生が、著書の中で特に強調している「身体で学ぶ」という言葉が浮かんできたのだ。

 先生曰く、世の中は「情報」に満ちあふれていて、人間まで「情報」として捉えようとしているという。情報なら脳だけで処理できるからね。でも、人間は単なる情報ではないし、一般論的な「人間とは何か?」という情報を処理できたとしても、一個人となると正確に情報化することは不可能だ。なんとなれば情報量が多すぎるし、人間は刻々と変わっていくからだ。それを手軽だからと言って、変換可能な範囲で情報化して、それを処理しようとしても、そりゃあ無茶ってもんですぜ。そんでもって、処理できない(=わからない)から得体の知れないHow to本なんかが売れまくる。例えば「上司と上手くやる方法」という本があったとしても、その本が想定している上司はあくまで「上司とは何か」という情報であって、読者が対峙している生身の上司とは食い違うこともたくさんあるはずだ。それ以上は現実に上司と相対して、感覚で覚えていく(つまり身体で学ぶ)しかない。勿論ある程度時間もかかる。だけど今の若い人はその時間を辛抱することができず、さっさと転職していくそうだ。

 バーチャルって、確かにお手軽ではある。でも現実と比べればそれを構築するための情報量なんて取るに足らない。何かの判断材料とするにはあまりにも脆弱だ。しかも現実は刻一刻と変化する。人間と同じだ。その書き換えは自分で実地に行うしかない。感覚を駆使して、現実の世界でだ。それを面倒に思ってバーチャルに依存するなら、いつまでたっても「本物」は手に入らないと思った方がいい。

 お友達カフェの店員はすべて演技・演劇の経験者。エンタメ業界の経験者もいるらしい。メニューも凝っていて、「何だっけ、あの丸いお菓子の・・・」という名前のクッキーとかが並んでいる。注文するだけで自然な会話が成立する脚本のようなものだ。遊びに行くのにはいいだろうし、ある意味体験型の演劇と言えないこともない。だが心理的にどっぷり浸かってしまったら・・・これはちょっと怖いよなあ。

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 ヘミングウェイ スタインベック そしてジョーンズ。

 少し前にキンチョーのラジオCMについて書いたが、その後、なんとなく思い出してサントリーの缶コーヒー、BOSSの歴代CMをYoutubeで見た。やっぱり良いなあ、このシリーズは。ただ笑えるだけじゃなくて、そこにはペーソスの要素もある。選曲も素晴らしく、油断していると涙が出てくる。サントリーのセンスはただものじゃない。

 サントリーと言えば、思い出すのが1980年頃のウィスキーのCMだ。特に記憶に残っているのが、ローヤルのヘミングウェイ編とスタインベック編。せっかくなので、ネットサーフィンよろしく続けて検索。久しぶりに聞く小林亜星氏の音楽が絶妙で、またしても涙腺をやられてしまう。たった60秒だよ?なんで?

 ユーザーのコメントを読むと、おそらく僕と同じか、それより上の人たちが、小さい頃に感じた大人になることへの憧れについて書いていた。「いつかウィスキーの似合う大人になろうと思った」だの、「頑張った時期もあったけど、今では無名の焼酎です、反省」なんていう味のあるコメントもある。なかでも印象的なのは、そこかしこに散見する「良い時代だった」というコメントだ。

 このCMのメインとなるキャプションは、「男はグラスの中に自分だけの小説を書く事ができる」というもの。取り上げられている二人の作家が男だから、モノローグは勿論男目線だし、モチーフになっている小説の時代背景だって「そういう」時代だから、CM自体が男臭くなるのは当然だ。でも、現代にこのCMを流したら、「女には書けないというのか!」とか、「男女平等の価値観に基づいていない!」だのという人が、それも一人や二人でなく現れるだろう。やだねえ。細かいことは言いっこ無しだよ。女性向けのお酒のCMは別にあるんだしさ。え?そもそもそれが差別だって?そうなんですか。

 正直言って、僕は男らしさとか女らしさは大切だと思っている。女性には重すぎるであろう荷物を持ってあげたり、仕事でミスって落ち込んでいる男性の肩にそっと手を置いたりすること自体を「やってはいけない」という人はいないだろう。もっともするかしないかは当事者の決めることだけど。

 僕は「上級職は男に任せろ」などと言っているわけでは無い。ただ、生物学的に言っても、文明が発達する以前から男性と女性にはいろいろな「差」があるじゃんか、それを社会通念としての「平等」という概念で語ると思わぬ間違いをしかねないよ、と言っているのだ。その点、「ヘミングウェイ編」はよくできている。足を骨折して動けない初老の男性が、ガーデンチェアでグラスを傾けながらヘミングウェイの作品世界に浸り、いつしか眠りに落ちる。それを見た妻が微笑みながら、ブランケットを持ってきてそっと掛けてやる。この二人の関係はこれでいい。誰かがそれをとやかく言う必要なんて無い。もし奥さんがその関係に不満を感じているのなら、たたき起こして「さっさとうちに入りなさい!」と言えばいい。それだけのことだ。それを他人がいろいろと余計なことを言うもんだから、話が複雑になる。おそらく言わずにいられない連中は「本当にあなたはそれで良いの?」なんて言い出すんだろう。だからいいんだって、任せておけば。自分と同じ価値観を持ってもらおうなんて思わなくていいんだよ。みんなそれなりに考えを持って生きているんだから。

 現代は複雑になりすぎた。あるコメントは、「もうこんなCMは作れないだろう。面倒な時代になったものだ」と書いていた。同感だ。これらのCMは昭和の時代に作られた。以前昭和という時代について書いたが、昭和の美徳の一つとして、「細かいことを気にしないおおらかさ」があると思う。ネットという、個人が簡単に意見を述べることのできる環境も無かった。現代では、言いやすくなった分、軽率な意見や間違った意見も多く世間にさらされるようになり、新たな問題を生み出している。 

 現代にも細かいことを気にしない人はまだまだたくさんいる。気にしないからやたらと発信するようなことはしない。目立たないから少数派のように見えるだけだ。「言ったもん勝ち」と言うが、そんなもん、勝ったと思わせておけばいいだけのことだ。

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 他にやることないのかな。

 お馬鹿議員や阿呆なYoutuberが逮捕されたりすると、そのシンパ(サイザー)たちが一斉に擁護の声を上げるらしい。なかには警察署まで押しかけて抗議する者もいると聞く。とりあえず、犯罪者だぜ?こういう人たちは、他にやることはないのだろうか。アメリカで現在のバイデン政権が誕生した時、陰謀論を主張したトランプ氏を擁護して、日本でデモを行った人たち(日本人だよ)がいる。この事例など、僕個人としては全く理解できないんだけど。

 最近こういった「なぜそんなことに時間とエネルギーを使っているの?」と思いたくなるような話が後を絶たない。上記したような例の他にも、「蛙の声がうるさい」とか、「ツアーバスの運転手が休息時間にカレーを食うのはけしからん」だとか、せっせとビラを作り、パウチまでして張り紙をしたり、わざわざバス会社にクレームの電話を入れたり。少し前には「郵便配達員がコンビニで飲み物を飲んでいたぞ、どういうことだ!」などという、ホントに「え?どういうことだ?」と聞き返したくなるようなクレームが郵便局に寄せられたなんて話まであった。確か救急隊員についても同じような事例があったっけ。彼らは別に常識を超える頻度で小休止を取っていたわけではないし、暑い盛りの水分補給はどんな職種であっても今や必須事項だろう。

 こういうことを言うのはポリシーに反するのであまり言いたくはないのだけれど、僕の感覚からすると、こういった行動にうつつを抜かす人たちとは、より生産的なことをする手立てや意識がない人たちなのかな、なんて思ってしまう。あるいは今までの人生が不幸続きで、ネガティブな思考の、負の連鎖に陥っている人たち。僕はそこそこ楽しい人生を送っているし、趣味も多いので、そういったことが目につき、仮にそれがクレームに値するとしても、よほど実害がない限り行動に移すことはほとんどない。そんな時間も労力も惜しいからだ。時間と労力は、もっと楽しめることのために使いたい。この記事も、そうしたポリシーに反することになるから「あまり言いたくない」わけだ。でも近頃のこの傾向は目に余るものがある。よく考えもせず、一時の感情で行動しているとしか思えない。だが本人は理論整然と、僕らなどには理解すらできないような大義のもとで正義を行っているつもりらしい。こうした人たちの心理については、専門家があちらこちらで意見を述べているので、分析は彼らにお任せするが、あまりいい話でないことは確かだ。

 今思えば、こうした状況がエスカレートすることは、数年前に「自粛警察」が取り沙汰された段階で気付くべきだったのかもしれない。あのときは「コロナ」という大前提があったが、それが下火になった今では、それに変わるものを積極的に探しているようにすら見える。彼らは時に、悪者を無理矢理作り出して攻撃する。最近よく話題に上る「カスタマー・ハラスメント」などはその良い例だ。勿論そこには「大義」など無い。だから彼らは、自分より強そうな相手に食ってかかるようなことは絶対にしないのだ。

 話は戻って、では先ほど言及したお馬鹿議員や阿呆なYoutuberはどうか。なぜ彼らは、ごく一部とはいえ、大衆から支持されるのだろうか。もしかすると、彼らはアンチ・ヒーローと目されているのか。もしそうだとしたら、勘違いも甚だしい。アンチ・ヒーローというのは、やっていることはめちゃくちゃでも、その意図するところは常に正しい。だからこそ支持される。たとえば、映画のなかのアンチ・ヒーローが戦う相手は、万人がそれと認める体制のひずみであったり、誰が見ても悪人なのに、法の網をかいくぐる術をもっているような連中だ。だからこうした議員やYoutuberをダーティ・ハリーやクールハンド・ルークと一緒にされては困るのだ。むしろ成敗される側だろう。

 もしかしたら、今の日本はあまりにも平和すぎるので、感覚が麻痺してしまって、見るべきものが見えなくなっているのかもしれない。勿論平和であるに越したことはないが、それが理由で正しい判断ができなくなっているとすれば、それはそれで問題だ。何はともあれ、社会的な良識と、個人の感情を混同してはいけない。それともう一つ。個人が誰のシンパになろうと自由だが、その対象が本当にシンパとして支持するに足る人物かどうかは、よーく考えてみた方がいい。

付記 最近亡くなったあるタレント。生前、ネット上でかなり酷く中傷されていたらしい。今日読んだある記事では、それに関わった人の多くは訃報を聞き、死因が自殺らしいと報じられると、慌てて書き込みを削除し始めたそうだ。だが一部の人たちは彼(彼女?)が亡くなった後も誹謗中傷を続けているという。それが彼らの選んだ生き様なのであれば、当然そのために多くの時間を費やすだろう。だがその行為が人を傷つけ、時に命まで奪い、しかもその罪深さに気付いていないとしたら、本当に哀れむべきは書き込みをした当人ではないのか。

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 夏と言えば怪談 2023「あるライフプラン・コンサルタントの場合 3」

(前回からの続き) 若くしてご主人に先立たれたKさんは、最近新しいパートナーに出会った。その男性は一人暮らしで、夕食は近場の飲食店で摂ることが多いのだそうだ。これはKさんがその男性から聞いた話。

 ある夜、その男性がいつものように夕食を摂ろうと、会社帰りにとあるファミリー・レストランに寄った時のこと。店内に入ると、ウエイトレスが声を掛けてきた。「いらっしゃいませ!三名様ですか?」男性は一瞬動きを止め、周りを見回した。客は自分の他には一人もいない。「・・・一人ですけど。」「あっ・・・はい、失礼しました。どうぞこちらへ。ウエイトレスも一瞬戸惑ったようだったが、そのまま男性を席まで案内した。その後ウエイトレスは何事もなかったかのように自分の仕事をてきぱきとこなし、男性も普通に食事をして帰宅した。その間、男性が何らかの違和感を感じたりすることはなかったそうだ。

 あの一瞬、ウエイトレスは一体何を見たのだろうか。あと二人の客というのは、その男性に憑いてきたのだろうか。それともたまたまそこに居合わせた何かだったのか。勿論見間違いの可能性もある。ファミリー・レストランの入り口はガラスが多く使われているから、夜ともなれば店内の人影が映り込んだりする可能性は格段に上がるだろう。ガラス越しに見えた次の客を男性の連れと勘違いすることもあり得る。だがこれについては男性自身が他に客がいなかったことを確認している。ウエイトレスのふるまいも気になる。三人ですか、と言っておいて、一人と訂正されても大きな動揺もない。こうしたことに慣れているように見える。だとすれば、このウエイトレスは「見える人」だということもあり得る。もしかしたら、バックヤードで同僚に「また見ちゃったよー」などと、普通に話しているかもしれない。そしてこの後、話は一層不可解な展開を見せる。

 この男性が後日、同じファミリー・レストランに入った。その時は入店時に何か起こるでもなく、無事に席まで案内されたのだが、その後がいけなかった。案内してくれたのとは別のウエイトレスが、水の入ったグラスを三つ、男性の席に運んできたのだ。そのウエイトレスは、一人で座っているKさんを見て、怪訝な顔をしながらそのうちの一つだけをテーブルに置き、その場を離れた。男性がその後を目で追うと、残りのグラスを他のテーブルに運ぶでもなく、首をかしげながら配膳カウンターに戻って行ったという。さて、これをどう解釈したものか。またしても見知らぬ二人が同席していたのだろうか。もしそうなら、その男性に怪異の理由があると考えるべきだろう。だがこの手の怪異譚では、直前に客の友人や家族が亡くなっているパターンがほとんどであるにもかかわらず、男性にはそのような事実はまったく無いそうだ。ところが、僕が後に聞いた話によると、実はこの男性自身がただ者ではなかったのだ。

 Kさんが知り合ったばかりの頃、この男性は県外の賃貸しマンションに住んでいて、ある時その近くの観光地を巡ろうと、子供連れで遊びに行ったことがあった。すると例の長男坊が右腕が痛いと言い出した。「このマンション、変だ。上か隣でなんかあったんじゃない?」これを聞いて男性が言うことには、上の部屋も右隣も、いわゆる「心理的瑕疵(かし)※」に当たる出来事があったそうだ。しかもこの男性、誰もいない自室で就寝中に、女とわかる手に両足首を摑まれて飛び起きたことがあるという。なるほど、Kさんと馬が合うわけだ。

 Kさんのご家族は別にしても、亡くなられた先のご主人は「見える人」で、現在のパートナーの男性も怪異の体験者。勿論、人には言えない体験をしている者同士のシンパシーということはあるだろうが、よくもまあ、これだけの体験談が集まるものだ・・・そこまで考えて、ふとある疑問がわいてきた。集まるって、どこに?僕はKさんに冗談半分でこう聞いてみた。「あのさあ、なんだか現象自体がKさんを中心に起こってるような気がしない?」すると彼女は「いやあ、そんなことないですよ。」と、事もなげに笑った。「だって、多かれ少なかれ、みんな経験してることじゃないですか。」いやいやいや、それは違うと思うぞ。    

※ 心理的瑕疵とは、賃貸し不動産等で、借り主に心理的な抵抗を感じさせるような要因のこと。例として、過去に事件・事故があった、近隣に不快な施設がある等があげられる。特に人が亡くなっている事件・事故に関しては、いわゆる「事故物件」認定の理由になることが多い。

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 夏といえば怪談 2023 「あるライフプラン・コンサルタントの場合 2」

(前回より続く) 保険屋のKさんがまだ若かった頃(と言っても、Kさんはまだ若いんだけどね)、とあるゴルフクラブのレストランでバイトをしたことがあったそうだ。先に言っておくと、僕の住む街(というか市)には、T城址という、TVで紹介されたこともあるそこそこ有名な心霊スポットがある。小高い丘の上にあり、今は公園として整備されていて、ちょっとした観光名所でもある。たいした標高ではないものの、アクセスするにはヘアピンカーブのある坂道を登らなければならない。以前この道でヤンチャなライダーの事故が多発し、現在はバイクの乗り入れは禁止されている。事故を起こしたライダーのなかには、「深夜に白い服を着た女性を見て、動揺してハンドル操作を誤った」と報告する人もいるという。「城址」という割には、落ち武者の霊といった話はあまり聞かないが、今でもこの「白い服を着た女性」や「首のないライダー」の目撃談が後を絶たない。Kさんのバイトしていたレストランは、このT城址に隣接するゴルフクラブの建物の中にあった。

 あるときKさんが勤務中に、バイト仲間が体調を崩したので控え室で休ませた。しばらくすると戻ってきたが、あいかわらず顔色が悪い。Kさんたちが大丈夫か、と聞くと、彼女はこう言ったそうだ。「このゴルフクラブ、従業員用の託児所でもあるんですか?上の階で子供がバタバタ走りまわっていて、うるさくて全然休めませんでした。」Kさんたちは思わず顔を見合わせた。というのも、そのレストランには上の階などなかったからだ。勿論屋上も普段は施錠されているので、子供が走り回れるはずもなかった。体調を崩したバイトの女性はまだ入ったばかりで、そういったことをよくわかっていなかったらしい。

 別のある日、Kさんが同じレストランで勤務していたときのこと。コースを回り終えたとおぼしきゴルフ客が3人、談笑しながら建物の玄関を入ってくるのが見えた。レストランに入るには、ロビーを横切って、もう一つガラスの自動ドアを通る。バイトたちのあいだでは、客が玄関を入ってくるのがガラス越しに見えると、その人数を確認して水のグラスを用意するのが習慣になっていた。

 三つのゲラスに水を注ぎ終えて顔を上げると、さっき見た3人の人影がどこにもない。不思議に思って店内を見回してみても、3人が入ってきた形跡はない。そういえば自動ドアが開く音を聞いていない。ロビーに出てみても、玄関の外まで出てみても、3人の姿はどこにもなかった。周辺には隠れられるような場所はないし、そもそも客が隠れる理由も思いあたらない。トイレにでも行ったのかとしばらく待ってみたが、結局その3人の客が再び現れることはなかった。Kさんは言う。「確かに見たんですよ。バイト仲間も見たって言ってましたし。でも考えてみると、私は基本的に「見えない人」なんで、何かしら誤解してる可能性はあるんですけどね。」ところでこの話には姉妹編がある。      (つづく)