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 また夏がやってくる

 僕は中学校教師の職を退いてしばらく経つが、決して教育現場が嫌いだったわけじゃない。僕が現場を退いた理由は、教育現場が僕のようなタイプの人間をもう必要としていないと感じたからだ。僕には暑さや寒さを直に感じさせてくれる教室環境や、季節ごとに巡ってくる学校行事が、日本人としての季節感を感じさせてくれているように思えたし、僕より遙かに若い生徒たちとの語らいのなかで学ぶこともたくさんあった。だが5~6年ほど前、そんな僕の勤める現場にある変化が起こった。

 最初に変わったのは保護者だった。この段階では、生徒との関係は変わらず、あまり気にもしていなかった。ところがその後、変化は生徒にも及ぶようになってきた。始めは1人か2人。周りの生徒たちも変わったやつだな、という目で見ていたが、それが2~3年経つうちにそちらの方が主流になっていった。どういうことかというと、心よりも学力を大事にする生徒が増えてきたのだ。深夜まで学習塾に通い、ネットに時間を奪われ、心の育つ暇がない。人の気持ちがわからないから、陰湿なネットいじめが横行する。それを止めるために、役に立ちそうな話をしようとすると、「学力に響くから話より授業を進めてください」などと言う。「子供じゃない、これではまるでサラリーマン予備軍だ」そう感じた。

 以前、僕はよく生徒の前で「オレはな、死神博士なんだ。そんでもって、お前らはショッカーの戦闘員だ。いつか仮面ライダーを倒して、自分たちの世界を作るんだ!」などとうそぶいたものだが、言っていることは半分本気だった。何しろ仮面ライダーの「正義」は、「今ある社会の姿が正しい」ことが前提だからね。当時の生徒たちも何かを感じ取っていたのだろう、僕の話を真剣に聞く生徒が多かった。「先生、世界征服ですか?」「いや、世界は手に余るから、日本征服ぐらいでいいかな。外国語覚えるの面倒だし。何なら関東ぐらいに絞っても・・・」「先生、それならいけるかもしれないですね」そんな会話をして爆笑したこともあった。卒業生の同窓会に顔を出すと、今でも「先生から授業で何か教わった記憶はないけど、聞いた話はなぜかよく憶えてるんですよ」などと言われる。「日本征服、まだ着手しないんですか?」なんて聞いてくるヤツもいる。何でそんなことばかり憶えているんだ。

 今の学校に、ショッカーはもういない。生徒が優先するのは成績を上げること。彼らは大人に反抗する理由すら持っていないように見える。勿論誰もがそういうわけではなかったが、その比率は増える一方だ。時代の流れは一教師の手に余る。ここまで来ると、無理強いしても叩かれるだけだ。もう潮時だろう、そう思った。だが今でも教師として過ごした時間は僕にとってかけがえのないものだ。残暑の熱い日差しの中で体育祭の練習をしたり、冬の朝に凍えながら昇降口の雪かきをしたり。東日本大震災の時には、頼みもしないのに大挙して手伝いに来てくれた生徒たちと給水活動をしたっけ。大変な時期なのに、みんな笑顔だったよなあ。

 今年もまた、夏がやってくる。夏は好きだ。いろいろなことを思い出させてくれる。教員時代、生徒と同様に夏休みのある生活が続いたが、勿論教師は40日も休めるわけではない。それでも、大人になった後も「夏休み」が自分の生活の一部であることが、僕は嬉しかった。生徒とともに夕焼けや虹を眺めたことも何度もある。そして彼らとの語らいのなかで、いつの間にか若い頃に戻っている自分に気付くのだ。そんな経験のできる職場が、他にあるだろうか。けれど、それも今は過去のものになりつつある。

 あれから4年が過ぎようとしている。戦闘員たち、ちゃんとやってるか?そうだ、オレはここにいる。死神博士は今も健在だぞ。

作成者: 835776t4

こんにちは。好事家の中年(?)男性です。「文化人」と言われるようになりたいなあ。

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