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 意外な名曲

 以前中島みゆきの「ファイト!」がCMで使われていたことについて触れた。今日は同じく中島みゆきの「傷ついた翼」。2枚目のシングル、「時代」のB面に収録されていて、ヤマハが主催のコンテストで入賞した、デビュー前に作った曲らしい。これがねえ、明るい前向きの曲なんですよ。まあ、「時代」も前向きッちゃ前向きなんだけれどね。「あの頃はあなたの愛に気付かずに傷つけてしまった でも今気付いたの 待っていてね 私 今すぐあなたのもとへ行くわ」という感じ。これだけでは、「何虫の良いこと言ってんだ」と思うだろうけど、ちゃんと聞くと良い歌なんだ、これが。「遅すぎなければ 飛んでいてね あなたの空で」良いなあ。うん、大丈夫。今だって飛び続けているから。嘘でもそう言いたくなっちゃうじゃありませんか。これは「今でも好きでいて」じゃなくて、「あの時と同じ生き方をしていて」ととりたい。「飛んでいてね あなたの空で」とは、そういう意味だろう。

 この曲は、中島みゆきの曲にしてはあまりにも普通のラブソングで、その昔、誰に聞かせても中島みゆきと気付かなかった。そりゃそうだ。「途(みち)に倒れて誰かの名を呼び続けたことがありますか(誰かが「そんなヤツはいないよ」と言っていた。わかれうた より)とか、「化粧なんてどうでもいいと思ってきたけれど 今夜死んでもいいからきれいになりたい(化粧)」なんて歌ばかり聴かされた後じゃ、誰もこんなさわやかなラブソングを彼女が歌っていたなんて思わないだろう。もっともこの10~20年は応援ソング的な歌が多いけど。「傷ついた翼」、とにかくまだ聞いていない人はぜひ1度聞いてみて欲しい。

 もうひとり、因幡晃(いなばあきら 知ってますかね、「わかってください」とか?)にも明るい歌がある。この人は何というか、女性の一人称で悲しい歌ばかり歌っている人だった。「短い煙草は体に良くないわ 苦い珈琲はあまり飲まないで(泣かせて今夜は)」大きなお世話だ。こんな調子じゃ絶対破綻する。後に明るい都会的な歌も歌うようになったが、その後すぐ名前を聞かなくなっちゃった。今はどうしているのやら。その因幡晃に「思いで・・・」という曲がある。これが結構良い感じの曲で、昔の因幡晃を知っている人はイントロ聞いただけで「うっそだア!」となっちゃう。ただし、内容は昔の彼を思い出す歌だからちょっと悲しいと言えば悲しい・・・のかな?何しろ「死ぬまで君のことを離さない」と言った彼の、今でも夢に見る「思いで・・・」ということだから。でも主人公のなかではもうすっかり「思い出」になっているようで、安心して(?)聞いていられる。普通、因幡晃の曲を聴いていると「男ですみません」という感じだから。

 ところで、有名な歌手の初期のナンバーやデビューアルバムには思いがけない発見があるものだ。それから、アルバムのB面の3曲目あたり(根拠無し。ただの比喩です。今はCDだからA面とかB面とかはありません)が良い曲だったり。シングルで言うと、A面の曲が好きなばっかりに、長い間A面しか聞いていなかった人が、ふと思い立ってB面を聞いてみたらこれがまたえらく良い曲で、そっちのほうが好きになっちゃった、なんてことが当時はよくあった。「時代」のB面の「傷ついた翼」は、まさにその典型であった。他にもこのような出会いを経て好きになった曲がある。例えばポールモーリアの「恋は水色(古っ!)」のB面、「愛の恐れ」はえらくかっこいい曲で気に入っていた。「あんた、全然恐れてないでしょ」的な、明るいアップテンポの曲。

 デビューアルバムについては、古くは「キャッツアイ」とか「悲しみが止まらない」とかを歌った杏里(知ってますかね?)のデビューアルバムがエキゾチックで魅力的だったなあ。有名になってからのレコードと聞き比べると、まるで別人のようだ。最近の例では、アメリカの歌姫、テイラー・スウィフトのデビューアルバムが、アコースティックギター主体でほとんどカントリー&ウエスタンだったりする。でもこれがまた、素朴で良いんですよ。こういう発見は結構楽しい。誰か聞いたことある人!

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 文語の語感

 そういえば昨年、少々マニアックなものを購入した。僕の年齢でこれを購入しようとする人は少ないだろう。「美しき日本の歌」というDVD8巻のセット。購入している人は80代以上がほとんどらしい。購入を決めた理由は「故郷の廃家」「故郷を離るる歌」「植生の宿」「夏は来ぬ」の4曲が含まれていたからだ。

 僕は文語の表現が好きで、これはおそらく祖父や父の影響だろう。特に祖父は児童向けの雑誌「赤い鳥」(1918~1936)を全巻揃えて大事に持っていたような人で、時代を見てもわかるように、この本は全て旧仮名遣いで書かれていて、僕は小さい頃、この雑誌に掲載されている童話をかなりの頻度で読んでもらっていた。正直、なかなか無い体験だと思う。そんなこんなで僕もいっぱしの本好き人間に育ったわけだが、いろいろ読んでいくうちに、昔の文学者が書いた文語の文に出会う機会があった。

 当時外国人の書いた詩などは日本の文学者が訳すことが多く、例えばイギリスの詩人ロバート・ブラウニングの「春の朝」を日本の詩人であり文学博士でもあった上田敏が訳したりするのだが、そんな場合、なぜか文語で訳すわけね。「全て世は事も無し」とか。これがまた何ともかっこいい。それで好きになっちゃった。

 それで「美しき日本の歌」なんだが、「此処に立ちてさらばと別れを告げん(故郷を離るる歌)」とか言っちゃうわけで。この語感、好きだなあ。でも時代が進むと、特に小学校唱歌などは不都合が生じてくる。「現代の小学生には意味がわからない」って。そこで歌詞が改編される、ということが起こる。良い例が「春の小川」。1番の「姿やさしく」という歌詞はもともとは「匂いめでたく」だし、「咲けよ咲けよとささやきながら」は最後の部分が「ささやくごとく」だった。オリジナルのまま今も歌われている曲もあるにはある。「故郷(ふるさと)」や「仰げば尊し」などがそうだ。「故郷」なんて、小さい頃は「兎が美味しかったんだ」なんて思ってた。なるほど、確かに問題だ。だけど、漢字で表記してちゃんと説明してくれたらわかると思うんだよ。だからそのための時間をとれば良いのであって。こうした+α的な情報は、子どもの好奇心を高める上でとても重要だ。ただし、僕も教員をしていたことがあるから、今の学校にはそんな優雅なことをやっている余裕なんか無いことはよーくわかっている。でも、これこそが教育だと思うんだけどなあ。確かに受験とか就職とかも大事なんだけど、人生というもの全般を考えたときに、本当に大事なことは何なのかを今の学校教育は見失っている気がする。それはつまり、教養というやつだ。だって、平均寿命を80歳、大学卒業を22歳として計算しても、学業や就職活動から解放された後の人生は単純計算で約60年あるんだよ。どう考えたって学力より教養にウエイトを置く方が利口だと思う。でも考えてみると、その60年を充実させることまで考えて勉強する余裕なんて、今の子どもにはなさそうだ。しかも「教養」という言葉自体、今では死語に近い。「総合的な学習の時間」に「唱歌『赤とんぼ』を読み解く!」なんて授業やったら、当時の時代背景や世俗文化がわかって面白いと思うんだけどなあ。

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 ビールへのこだわり

 ビールの美味しい季節になってきた。目に青葉、山ホトトギス、初鰹。これで冷えたビールがあれば言うこと無し。前に珈琲のこだわりについて書いたが、僕はビールについても小さなこだわりがある。それは「グラスに注いで飲む」ということだ。

 日本では、上手な注ぎ方をすることで味が変わる、と言われている。ビールを注ぐ達人というのがいて、こういう人がビールを注ぐと、泡の気泡が細かく、クリーミーな味わいになるという。日本人にとっては、ビールの泡も大事な味の要素なのだということだろう。ところが欧米では、泡の立つ注ぎ方は怒られるんだそうだ。要するに「泡に金を払うつもりは無い」ということだ。いやはや、そうなんですか。ところで、僕はそんなふうに泡そのものにこだわっているわけではない。 

 夏場など、バーベキューをしながら、クーラーボックスから出した缶ビールを飲んでいるのをよく見かける。僕はあれがダメなのだ。ダメ、と言っても「飲めない」というわけではない。ただ、味が少々尖った感じがするのだ。缶から直接ビールを飲むと、ほとんどの場合、泡は立たない。せいぜい「プシュッ!」という程度だ。しかし、グラスに注げば少なからず泡が立つ。つまり、含まれている炭酸が泡となって放出される。これによって味がまろやかになったように感じられるのだ。少なくとも僕はそう信じている。だから昔流行ったコロナビール(今流行っているコロナウイルスじゃなくて)の飲み方も、ライムの櫛形に切ったヤツをねじ込んで、そのまま瓶から飲むのが粋なんだ、なんて言われても、必ずグラスに注いで泡を立て、あきれられたりしていた。いや、そもそもコロナビールはあまり飲まなかったかな。

 夏の夕暮れ時など、庭に出て空を眺めながらビールを飲むことがあるのだが、そんな時でも僕は必ずビアグラスを持って外に出る。無論珈琲同様、ここでも紙コップなどは愚の骨頂だ。ご近所からは「変なヤツ」あるいは「気取ったヤツ」と思われているかも知れないが、せっかくのビールを美味しいと感じながら飲もうとする以上、ここはやっぱり譲れない。ついでに言うと、暑い盛りにはドライタイプのビールをキンキンに冷やして飲むのが好きだ。ビールにはタイプごとに適温があって、特にイギリス人がよく飲んでいる「エール」というタイプなんぞは、ぬるいぐらいが一番美味しいという。試してみると確かにそうなのだが、そこはやはりイギリスの気候ならではの話で、日本の夏にはまったくマッチしない。正直に言いましょう。もうね、味なんかどうでも良いの。こんな状況では。冷たいのど越し、この一言に尽きる。

 どのビールが好きか、これは大事なところだが、加えてどんな状況で飲むのか、さらにどう飲むか。ここら辺はもっとこだわっても良い気がする。それによって飲みたいビールのタイプが変わることだってある。それで良いではないか。さきに述べたエールだって、冬場に暖炉の前で(暖炉無いけど)飲めばこれはこれで美味しいだろう。いつものことで恐縮だが、要はそういう楽しみ方をできるだけの、心のゆとりを持つことが大事ということだ。 

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 怪獣?それとも怪物?

 日本が世界に誇る、怪獣王ゴジラ。初めて出現したのは1954年。「世紀の大怪獣」として東京を蹂躙した。以後何度も日本に現れては、首都東京を中心に破壊を繰り返す。最近では趣旨替えしたのか、世界を股にかけ、主にアメリカを襲うことを好む(笑)。

 さて、ゴジラはよく「怪獣」と表現される。が、僕の考えでは「怪獣」はあくまでも生物。そうなると、ゴジラはむしろ「怪物」であろう。というのも、ゴジラは生物の粋から外れた要素が多いからだ。まず第一にそのエネルギー源が釈然としない。よく聞くのは、体内に原子炉のような器官を持ち、核反応によるエネルギーで活動しているという説。この時点ですでに並みの生物の域を超えている。実際、ゴジラが何かを食べていたのは多分1度だけ。1998年のアメリカ版で、マグロだか鰹だかを食べるシーンがある(※1)。だが、この時の怪獣はゴジラと呼称されはしたものの、専門家(いわゆるマニア、ですね)によれば別の生物であった可能性が高い(後述)。

 これに先駆ける1984年には茨城県東海村の原発を襲い、これを破壊。通常であれば周囲は致命的な放射能汚染に見舞われるはずだが、ゴジラが炉心を抱え上げるやいなや、一旦上昇した線量が急激に低下するという現象が観測された。近年ではある特務機関が弱ったゴジラの至近距離で核爆発を起こし、カンフル剤と同等の効果を得ている。こうしたことから、ゴジラが通常の生物とはまったく異なるエネルギー代謝のシステムを持っていることは明らかだ。

 次に、ゴジラの持つ最も強力な武器であるところの、口腔から発する放射能熱線だが、これも通常の生物では考えられない能力だ。普通の生物だったら口内炎どころでは済まないだろう。特に2016年に日本に上陸した際には、口腔のみならず、背中(背びれ?)や尻尾の先端からも収束ビームとして放射する能力が備わっていた。これは体内に蓄積された核エネルギーが放出されて起こる現象と考えられ、極限まで放出した場合、ゴジラそのものは活動停止の状態となる。

 ところで初めて日本に現れた時のゴジラは体高50メートル、体重は推定2万トン。識者によれば、この設定では陸上での活動は不可能だ。立ち上がることもできず、自重で圧死するらしい。しかし、近年アメリカを襲った時のゴジラは体高100メートル超、体重は9万トンとグレードアップ。2016年に日本を襲った際はさらにそれを上回っている。形態学の常識を無視して陸上を二足歩行し、肉離れになることもなく他の怪獣と争ったりしているところを見ても、普通の生物として考えるには無理がある。参考までに言うと、1998年にニューヨークを襲った「ゴジラ」と呼称される生物は体重500トンと、より現実的な数値。魚を食べる以外にも放射能熱線の機能を持たなかったり、通常兵器で駆除されたりと、より生物的な設定で、マニアからは「あんなのゴジラじゃなーい!」と不評を買った。

 「怪獣」と「怪物」という言葉の意味を比べると、巨大で、正体不明である、という共通項がある一方、怪物には「超常的な存在」という一文が加わる。どんな生物でも、巨大化すれば怪獣にはなり得る。だがそれだけで放射能熱線を吐いたりはしない。通常あり得ない能力が加わって初めて、「怪物」となる。そういった意味で、やはりゴジラは「怪物」なのだ。だからこそ、超常的な存在であるゴジラを倒すには、超常的な兵器「オキシジェン・デストロイヤー」が必要だったわけだ。

 1954年に初めて制作された「ゴジラ」は、度重なる水爆実験を受け、核兵器の恐怖を具現化したものだった。ゴジラ自身も被害者で、劇中、「水爆実験によって安住の地を追われたために出現した」と説明されていた。初期の設定資料では、ゴジラの頭部はより人間的で、正面から見るとキノコ雲の形をしており(※2)、「体表はケロイド状の襞で覆われている」との記載がある。当時、水爆の被害者でもあるゴジラが新たな超兵器によって葬られる筋書きに、「なぜゴジラを死なせたのか」「ゴジラがかわいそうだ」といった意見が多数寄せられたという。

 時代が進み、2016年の「シン・ゴジラ」では、核兵器への恐怖が原発事故への恐怖に置き換えられ、核をエネルギー源とするゴジラの活動によって引き起こされる、都心の放射能汚染の描写がリアルに描き加えられた。これほどまでに自らの活動領域を汚染して見せたのは、「シン・ゴジラ」が初めてだろう。

 このように、時代が変わってもゴジラは常に核の恐怖を引きずっている。なぜこのような怪物が生まれてきたのか。人類による核実験や放射能汚染の影響(突然変異?)が一番の原因である事は間違いなさそうだが、諸説ありすぎてそれ以上は不明だ(※3)。時代や作品によって少しずつ解釈が違っていて、その構造や生態についてもいまだに推測や仮説の域を出ない。多分今後も解明されることはないだろう。謎は深まる一方だ。それも怪物たる所以と言うべきか。

※1 1954年の作品では、ゴジラ出現の前触れとして周囲の海域に魚がいなくなるという現象が報告されているが、これはゴジラを避けて回避行動をとったとするのが妥当であろう。

※2 後にシン・ゴジラのデザインに取り入れられた。

※3 太平洋戦争における死者の怨念の集合体、という説まである。だから南方より出現し、東京を目指すのだという。また、最近のアメリカ版では、その「モンスター・ヴァース」の世界観において、登場するほとんどのカイジュウ(「カイジュウ」はすでに英語化している)は太古から存在する地球の固有種ということになっている。ただし、キング・ギドラに関しては、劇中、宇宙からの外来種であることを示唆するセリフがある。

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 喫茶店哀歌(2) ブレンドの魅力

 以前豆にこだわって珈琲を飲む話を書いたが、今回はその番外編。

 通常喫茶店のメニューは一番上に「ブレンド」が記載してある。ほとんどの場合、価格が一番安い。(昔は次が「アメリカン」だったけど、今では絶滅してしまったようだ)そしてこの後に各種のストレート珈琲が続く。もちろん逆の場合もある。通を気取るスノッブな人たちのなかには、ブレンド珈琲には目もくれない、なんて人もいるようだが、ちょっと待て。ブレンドにはブレンドの魅力というものがある。

 ブレンド珈琲には二通りあって、一つはその店に豆を卸している業者があらかじめブレンドして納入しているもの。つまり同じ業者が入っている店はみんな同じ味。これはまあ、それでよしとしましょう。侮れないのはもう一つのほうで、これはこだわりを持つマスターが自分で豆をブレンドして作り出した、その店オリジナルのものだ。その店の顔と言ってもいい。しかも可能性は無限大。だから、店によってはブレンド珈琲を試してみるのは大いに意味のあることなのだ。そう考えてみると、「ブレンド探しの旅」あるいは「ブレンド行脚」などという楽しみ方もできそうだ。これって、すでに実践している人がいそうだな。僕はやらないけど。

 うちの近場にある店などは、マスターが豆の産地までわざわざ出かけていくほどの凝り性で、マスターがそんなふうだからブレンドも数種類あって、それぞれに特有の味わいがあり、固有の商品名までついている。価格もそれ相応で、こうなるともう「作品」。行く度に違うブレンドを味わってみたくなる。

 話は変わるけど、京都には昔、独自のブレンドを注文できる店があった。例えば「コロンビアとモカとブルーマウンテンを5:3:2で。」などと注文すると、そのブレンドを作ってくれた。今もやっているかどうかはわからないけど、なかなかに楽しい趣向だった。当時はインスタント珈琲にも同じようなシステムの商品があって、ストレート珈琲から作られたインスタント珈琲の小瓶を3本セットにして販売していた。これがあれば家でブレンドが楽しめるというわけだ。まだ結婚したての頃で、カミさんと面白がって購入したのはいいが、所詮はインスタント珈琲、残念ながら味は釈然としなかった。余談だが、このブレンド用インスタント珈琲の空き瓶の1本(グァテマラの瓶でした)は今、「出しの素(顆粒)」の入れ物になっている。

 使っている豆自体を売ってくれる店や豆を売るだけの専門店は以前からあったし、市販の豆や器具もかなり充実してきているので、今では自宅でオリジナルのブレンドを本格的に楽しむことも可能だろう。ただし、のめり込むと地獄を見るかも知れない。それほど奥が深いのが「ブレンド」の世界。ブレンデッド・ウイスキーに詳しい人は、よくおわかりのはず。

 さて、僕ぐらいの歳になれば、ほとんどの産地(コーヒー豆の)はすでに試している。焙煎方法や店の個性によってバリエーションは無限だから、味わい尽くしたなどとは言わないけど、最近では「もう凝らなくても良いかな」という気持ちが働くこともよくある。そんな時は何も考えずにその店のブレンドを注文することにしている。あるいは、ごくたまに脱線して、一緒に注文したバニラアイスをフロートにして飲んだりすることもある(要するに、やることがなくなってきたんだね)。アイスクリームが溶けるに従って味わいがマイルドになっていくその変化や、熱さと冷たさのコントラストが楽しい。浮かべたアイスクリームが漂ってきて唇に触れる感触は・・・おお、まさに氷の口づけ!(いい年して馬鹿言ってんじゃないよ)まるで「エンジェル・キッス(※)のようだ。家庭でも簡単に作れるので、ぜひ1度お試しあれ。

※ カクテルの名称。欧米では「エンジェル・チップ」。クレーム・ド・カカオとフレッシュクリームで作る、女性向きのカクテル。仕上げにカクテル・ピンに刺したマラスキーノ・チェリーをグラスの縁に渡す。グラスを傾けるとピンを軸にしてチェリーが転がり、唇に触れるので、日本では「エンジェル・キッス」と呼ばれている。

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 現代珈琲事情

 ジャン・レノというフランスの映画俳優がいる。少し前に、とあるCMでリアルドラエモンを演じていた人、と言えばわかる人も多いだろう。彼は初のアメリカ版ゴジラ(1998年 ※1)に準主役として出演していた。その役柄はゴジラの被害を調査する保険会社の調査員。だが裏の顔はフランス特殊部隊のリーダーだ。どうもこの映画では、ゴジラは南太平洋におけるフランスの核実験によって、海イグアナが巨大化したもの、という設定のようだ。ゴジラがマンハッタン島に上陸した後、彼等は慌てふためくアメリカ軍を尻目に独自の調査活動を始める。

 そもそもこの映画は娯楽度が高く、コミカルなシーンが多い。なかでも印象的なのが、ジャン・レノ率いるフランス特殊部隊が特殊車両の中で朝食をとるシーン。部下がこれしかなかった、とドーナツとアメリカン・コーヒー(※2)を買ってくる。ジャン・レノは「クロワッサンはないのか」などと文句を言いながら珈琲をひと口啜り、うぇーっと顔をしかめる。「これが珈琲なのか!?」それに答えて部下の一人が言う。「アメリカではそうです。」

 場面が変わって、今度は本拠地にしているホテルか何かで、再び部下がいれた珈琲を啜るジャン・レノ。またも顔をしかめ、「これがフランス焙煎のコーヒーなのか!?」それに答えて部下の一人が、今度は買ってきたコーヒー豆の缶を見せる。その缶にはでかでかと「フレンチ・ロースト」の文字が。「うーん。クリームくれ。」

 一口に珈琲といっても、地域によって味は様々だ。トルコに行けばトルコ珈琲、イタリアに行けばエスプレッソがあるように、各地にそれぞれのスタイルの珈琲がある。現在、日本では国内に居ながらにして様々なタイプの珈琲を味わうことができるが、こうなると、普段飲んでいるヨーロピアンよりは焙煎が浅く、アメリカンよりは深煎りの、あの珈琲とはいったい何なのだろうか。

 ウイスキーの世界ではその産地や原料の違いによって色々な種類がある。有名なところではスコッチ、バーボン、アイリッシュウイスキー、カナディアンウイスキーなどがあげられるが、今ではそのカテゴリーのなかに「ジャパニーズウイスキー」というのもある。日本のウイスキーが国際的に認められるようになった証しだ。それにならえば、ジャパニーズ珈琲というのがあってもまあ、おかしくはない。多分、そういうことになるのであろう。何しろカレーでもラーメンでも、あっという間にジャパナイズしてしまう日本人のやることだから。でもアメリカの映画にフランス人が納得しない「フレンチ・ロースト」珈琲が出てきたりするのを見ると、度合いの差こそあれ、アメリカでも事情はあまり変わらないのかもしれない。言うなれば、アメリカン・フレンチ・ローストだ。訳すと「アメリカ風フランス式焙煎」。なんだそれ。

※1 厳密に言うと、初期の「ゴジラ」は「海外版」が制作されている。語り部としてアメリカ人俳優の出演シーンを付け足したもの。アメリカ版、と言えなくもない。 

※2 「アメリカン・コーヒー」は日本だけの呼称のようだ。浅めに焙煎した豆を使い、多めの水を使って抽出するアメリカタイプの珈琲のことだ。「アメリカーノ」とは別物で、こちらはエスプレッソを湯で希釈する。

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 喫茶店哀歌 

 僕は珈琲が好きだ。一般的な意味で、マニアではないけれど。今でも豆にこだわって、たまに豆の種類で注文できる店で珈琲を飲む。ブルマンとかキリマンとかの略語を理解できる人は多分同世代。「ラテ」と聞いてイライラするならもう間違いなし。

 さて、そんな僕がスタバとかドトールとかに行くことはほとんど無い。理由は主に二つ。まずメニューに妙なバリエーションが多く、煩雑すぎること。そもそもこれらは「珈琲飲料」であって、「珈琲」ではないというのが僕の解釈だ。今は亡き志村けんが初老のサラリーマンを演じ、こういった店で注文に四苦八苦するコントがあったが、現実味がありすぎて笑えなかった。彼は一杯の珈琲を飲みたいだけなのだ。仕舞いには哀愁さえ漂っていた。

 往時の喫茶店では、むしろ飲み方のバリエーションを自分で楽しむのが通のやり方だった。例えば今日は砂糖を使おうかな、とか、ミルクを入れようかな、とか、砂糖とミルクを沈めておいて味変を楽しんだり、ミルクを浮かして先にまろやかさを楽しんだり。ミルクの注ぎ方一つでミルクを沈めたり浮かせたりすることができて、これが上手だとほんの少し尊敬されたりもした。要するに、運ばれてきた珈琲を自分でアレンジする楽しさがあった。そしてもう一つのこだわりが、珈琲カップ。

 凝った体裁の喫茶店では、豆ごとにカップの柄が決まっていたり、一目でブランド品とわかるカップを使用していたりしたものだ。だから使いたいカップを考えて豆を選ぶ、なんていう楽しみ方もあった。そして何よりも大事なのが飲み口、つまりカップの縁の厚み。モノの本には理想的な厚みが記載されていたりするが、これは個人の好みに負うところが大きいと思っている。ちなみに僕は飲み口の薄いものを好む。

 こうしたこだわりのある人が、チェーン店やコンビニでスチロールのカップに入った珈琲を注文するなんてことはまずあり得ない。厚みの問題以前に、その質感が許せない。紙コップもダメだ。仮に珈琲が美味しく入れられていたとしても、紙の匂いがして美味しいと感じられないからだ。一番腹が立つのは、あの蓋だ。小さな飲み口がついていて、そこから啜るようにできている。こぼさずに持ち歩くための工夫なのだろうが、あんなの珈琲の飲み方じゃない。プジョーのディーラーで1度、これで珈琲を出されたことがある。新形コロナ対策とかで、陶器のカップから切り替えたんだそうだ。面白がって試してみたが、やはりダメだ。何を呑んでいるのかよくわからない。仕方なく蓋を外して呑んだが、あの蓋はカップの縁の形状をキープする役割も果たしているらしく、スチロールのカップがフニャフニャ歪んで何とも心許なかった。

 スタバやドトールでは陶器のカップも使っていると聞いたことがあるが、もちろん店内用。だからといって長居するのに居心地が良いとも思えない。客席の距離感が密すぎる。この距離感の問題を3番目の理由としても良いぐらいだ。

 お気に入りの店で今日の気分に合わせた豆で注文し、今日の気分に合わせてアレンジしながらお気に入りのカップで珈琲を飲む。そしてそれを気兼ねなくできる適度な距離感。それが本来の喫茶店。悲しいことに、僕の住む地方都市では絶滅危惧種に等しい。だが店舗数が減ってきたことが幸いしてか、ノウハウに長けた店は現在も栄華を極めている。こうした現状を喜ぶべきか、悲しむべきか。難しいところだ。

 今では市販の豆も質が向上し、それなりの味を家庭で楽しむことができる。しかしながら、あの喫茶店という「場所」の持つ雰囲気はやはり独特のものだ。家でくつろぎながら飲む珈琲も良いが、実のところ家で珈琲を飲むためだけに時間をつぶすことは逆に難しい。家は日常を過ごす場所だからだ。たまにはその「日常」を離れて特別な場所に赴き、人任せの時間を楽しむのも宜しかろう。

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 406クーペのブロガーたち

 僕がプジョーの406クーペを手に入れてからもう6年になる。その間、トラブルが無かったわけではないが、今はとりあえず元気に走ってくれている。この車は知られざる名車で、以前からたくさんのオーナーがブログを立ち上げていた。だが今ではそのほとんどの更新がストップしているようだ。 

 僕がずっとチェックしていたブロガーがいる。「カーくる」というポータルコミュニティに所属している「きーさん」という人なのだが、その文章がとても上手で面白い。それに話の内容が多岐にわたり、この手のブログにありがちな鼻持ちならないこだわりといったものがあまり感じられない。もちろん故障や修理についての情報はあって、重宝したこともしばしばだった。一読して気に入ってしまい、アーカイブを2010年までさかのぼって全ての文章を読破した。それが2015年のこと。ところが彼の406クーペ、「猫パンチ2号車」は2018年3月、ZF社製ATミッションの重大なトラブルで走行不能に陥り、泣く泣く手放すことに・・・。それ以降もしばらくはブログの更新が続いたが、次第に途切れがちになり、2019年の7月を最後に更新がストップしてしまった。ページはまだあるので、今でも時々チェックしてはいるのだが・・・。

 さらに不思議なことに、前後してきーさんの「カーとも」たちのブログも更新されなくなっていった。なかには車を乗り換えた人もいる。406シリーズの時代が終わってしまうようでちょっと寂しい。特にきーさんは、僕と同様クーペの前に406セダンに乗っていたこともあって(これが猫パンチ1号車)、親近感があった。彼のオーナー歴はセダンが1997年から12年間、2004年式のクーペは2010年から8年間ということだ。ちなみにセダンを降りた理由もATミッションのトラブルだそうだ。僕は今のところ2台持ちの状態で、セダンは1999年から23年目、2003年式のクーペは前述のとおり、2016年から数えて6年目。さらにさかのぼって、1999年以前に乗っていたプジョー505は、故障はなかったが12年目で車検を切った。3台ともZF社製のATミッションを搭載しているが、35年にわたるプジョー遍歴のなかでトラブルが発生したことは1度も無い。どれをとっても良い個体に当たったということだろう。

 商品管理の体制が改善してきたとはいえ、いまだに外国車には当たり外れの問題がある。さらにメーカーは、お客が知らないうちに細かな改良・改善を当たり前のように行っている。例えば406クーペは前期型と後期型があるが、実は中期型というのも少数存在し、それぞれに仕様変更による部品形状の違い等がある。つまり前期型・中期型・後期型の他にも細かなバリエーションが存在しているのだ。部品を発注する時に車台番号や初年度登録年が必要になるのも道理だ。このように、外国車に長く乗るには慣れと知識と覚悟が必要で、ネットからの情報はそれを支える大きな力となる。それが最近、更新されなくなってきたわけで、楽しみが無くなると同時に不安が募る。

 最近市街地を走っていて406シリーズを見ることはほとんど無い。我が家の2台は今のところ元気だが、ディーラーのトラブル検知ソフトのバージョンが進んだために、地元のディーラーではトラブルチェックに掛からなくなってしまった。僕としては、新車からのつきあいであるセダンについては、オーナー歴30年を目指したいと考えているのだが・・・。

 きーさんは今、どんな車に乗っているのだろうか。素敵な車に巡り会えていると良いのだけれど。 

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 ニュースを見ていて気付いたこと

 今ウクライナが大変なことになっているのは周知の通り。僕も毎日のようにニュースをチェックしている。少し前のことになるが、ちょっと気になることがあった。当時は首都キーウであったり、ハルキウであったりの惨状がよく映し出されていたのだが、ミサイルや弾頭が形状を維持したまま地面に刺さっていたり転がっていたりする。それも結構な数だ。これっていったいなぜなんだ?

 砲弾の弾頭とかミサイルとかは通常、弾着して炸裂するので、原形をとどめているはずがない。にもかかわらず、原型がわかる状態で墜ちているというのは、それが炸裂しなかったということだ。つまり不発弾だ。しかし、本当に?だって、あんなに不発弾が多いとすれば、兵器としては失格だ。連日の状況を鑑みれば、ロシア軍の武器が品質やその管理において問題が多いのは容易に予測できる。だが、原因がわからない。世界有数の軍事力を誇る(はずの)ロシアが、あんなに不発弾を出すものだろうか。それともそれ相応の弾数を使ったということなのか。

 別のニュースによると、ロシアの上層部では、軍部も含めて汚職や横領が盛んに行われているという。その関係で国が戦力の維持に十分な予算を計上しても、それが途中でピンハネされて、現場で使われるまでに目減りしてしまっているというのだ。国家予算を上層部がピンハネするというのは、日本では考えられない(そうでもないか?)ことだが、現在のロシアでは当たり前のことのようだ。現代の兵器は精密機械のようなものだから、有事に備えて定期的に古い部品を交換したり、行き届いた管理をしたりしないとへそを曲げる。もし予算不足を理由に現場がそれを怠っているとすれば、額面通りの軍事力を発揮するのは確かに難しいだろう。そもそもロシアの地上部隊の主力を担っているT-72戦車は、時代に合わせて改修されてはいるものの、基本設計は1970年代のもので戦後第2世代というカテゴリー。言うなれば時代遅れの代物だ。ちなみに西側陣営や日本では現在第3.5世代戦車の配備が進められている。ロシアでは少数の第3世代(と言っても相変わらずT-72の延長線上にある)がやっと配備されたところ。開発の遅延の原因は・・・あー、やっぱりお金の問題ですか。これって、現場が本当に戦争になるとは思っていなかったとしか思えない。

 戦争、あるいは戦争に備えることには莫大な金が掛かる。例えば戦車が搭載している120㎜戦車砲の砲弾は、日本では1発がほぼ100万円と言われている。陸上自衛隊の90式戦車に搭載できる数は軍事機密として明かされていないが、世界の平均は40~50発。50発として5.000万円。90式の生産数は350両近いので、仮に350両として、フルに搭載すれば175億円。もちろん撃ち尽くせば補充するからこれだけでは済まない。そもそも90式戦車1両が10億円超、航空自衛隊のF-15戦闘機は約30億円で、配備数は約200機だそうだ。さらに、先に述べたように、戦うにはこれらが完璧に整備されていなければならない。第二次世界大戦中最強と言われたドイツのタイガー戦車は、まるで高級車のような最新技術(当時)の塊で、ミッションはセミオートマチック。おまけにパワーステアリングハンドルまで備えていた。構造が複雑かつデリケートなために故障も多く、タイガーがあそこまで活躍できたのは、それを稼働させるために優秀な整備兵が部隊について回り、全力でサポートしたからだと言われている。何しろ当時のドイツには、今で言うハイブリッド戦車まであったんだぜ(ちなみに開発したのはポルシェ社)。

 ところで日本の自衛隊は、装備は最先端だが砲弾・ミサイル等の備蓄は一週間戦える程度と言われている。世界情勢を見ていると、ロシアを笑える立場じゃないかも。

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 付喪(つくも)神の話

 昨年ガステーブルをリニューアルした。それまでのものは25年間使い続けた。料理好きの僕の酷使によく耐えてくれたと思う。業者も「よく持ちましたねぇ」と驚いていた。

 こういう買い換えなどの時に少し困ることがある。どうやらうちは付喪神がつきやすい家系らしく、なかなか先代がダメにならないのだ。だから、いざ買い換えてみると操作方法が違っていたり、新しい馴染みのない機能が備わっていたりして、扱いにくいことこの上ない。ものによっては2世代ぐらい違っていたりする。例えば炊飯器。買い換えるまでに30年以上使った。以前娘の友人が来た時に、ふと目をとめて「これ、何の機械?」と聞いているのを耳にしたことがある。それほどデザインが今の炊飯器とかけ離れている(単純な円筒形)。買い換えの理由は液晶表示がダメになったからで、炊飯機能自体はまだ生きていた。だから今も捨てずに床の間に飾ってある。娘たちも「炊飯器パイセン(先輩)」と呼んで崇めている。いったいなんの宗教だ。

 前にも書いたように、車もなかなか壊れない。今乗っているプジョーの406(セダンのほう)は23年のつきあいだ。その間故障はほとんど無し。他に電気ストーブ45年超、ジッポライター(一番古いもの)40年超、今使っている腕時計はかれこれ32年になる。扱いがそれなりに丁寧であること、ものによっては修理やオーバーホールをかけたことなども長持ちの理由だろう。しかし、一番の理由は「気に入っている」ということかもしれない。

 僕は間に合わせの買い物を滅多にしない。いつもしっかり吟味して、納得した上で気に入った品物を購入するようにしている。だから一つ一つに愛着がある。最近では後から買ったもののほうが早くダメになるということも多く、つくづく昔の製品はよくできていたと思う。つまり、こちらの愛情にしっかり答えてくれるということだ。しかも単純な構造で、機械いじりに慣れた人なら自分で修理できるものも多かった。余談だが、娘たちが初めて僕に尊敬の念を抱いたのは、動かなくなったオモチャを目の前で直してやった時だったそうだ。もちろん電子部品が多いオモチャはそう簡単にはいかなかったけれど、機械的な故障や配線の問題ならお手の物だった。

 そんなわけで、うちには付喪神がたくさんいる。安易に捨てると祟られるかも知れない。だから下の娘は今でも、ご飯を炊く時に「炊飯器パイセンの臓物(こともあろうに内釜をそう呼んでいる)」で米とぎをする。手に馴染んでとぎやすいのだそうだ。まさか、嫁に行く時に神様ごと持って行ったりはしないだろうな。

炊飯器パイセンさまであられまする。