プラモデルの箱絵
長いことご無沙汰してしまった。昨年下の娘が就職したんだけど、これが不定期休の仕事で、クリスマスも餅つき(カミさんの実家でやる)も正月も今までとは大分勝手が違ってしまって、てんてこ舞いしてたものだから、文章を思いつく暇もなかった。やっとここに来て、一つの話題ができたので久々にペンを取った(実際にはパソコンを開いた、という感じか?)。
昨年の夏、ひょんな事から高校時代のことを思い出して、変にセンチメンタルになってしまったことがあったが、この冬はなぜか昔のプラモデルが恋しくてしょうがない。正月といえば、お年玉を握りしめてプラモ屋さんに走るという遙か昔の記憶が、今になって鮮明に思い出されてきたのだ。そんなノスタルジックな感覚の、今回のきっかけはアニメではなく映画。「頭上の敵機(1949)」と「眼下の敵(1957)」だ。どちらも戦争映画だが、古い映画なので現代のように戦争の実体をリアルに再現するというよりは、戦争という極限状態のなかでの人間ドラマを描いている秀作だ。この2本は、なぜか僕の精神構造のルーツとなっていて、自分を取り戻したいときによく見る。今回で言えば娘たちが二人とも独り立ちしたことによって、長年続いてきた年末年始のルーティーンに変化を余儀なくされたことが、この2本の映画を引っ張り出してきた理由の一つになっていると思う。そしてさらに、このことが呼び水となって、長年ため込んだ古いプラモデルに手を出すことにもなったわけだ。ただしそれは単に「映画に出てくる爆撃機のプラモデルを作ろう」などという単純なことではなくて、「その映画を初めて見た頃のプラモデルについて調べ直そう」といった、実にマニアックな作業から始まったのだった。こうなると、一時期美術教師だった僕としては、「箱絵」に言及しないわけには行かない。
前にも書いたように、僕は美術の専門教育を受けていて、それなりの美大に合格するだけの技能は持っていた。その技能習得の大きなきっかけを作ったのが何とプラモデルだったのだ。と言ってもプラモデルそのものではなく、その「箱絵」なんだけどね。僕は小学生の頃からその箱絵を模写するのが好きで、鉛筆画オンリーだったけど、今思えばあれは良い修行になったなあ。
当時の子どもたちにとって、箱絵は単なる完成予想図ではなく、その商品のもととなった戦車なり戦闘機なりが、往時にどんな活躍をしたかを実感させるドラマまでも描き出していた。当時箱絵の第一人者と言えば、挿絵画家の小松崎茂やその弟子である高荷義之などが代表格で、その後に上田信や大西雅美といった作家が続いた。今では「ボックス・アート」というジャンルまで生まれ、画集が出版されたり原画展が催されたりしている。いわゆる芸術作品ではないが、ある意味その枠を越えた自由な演出や揺るぎない技術力に裏打ちされた説得力は他に類を見ないものだ。僕も出版された画集はほとんどもっているが、それらに寄稿した人々が口を揃えて言及するのが、昭和という時代に生きた子どもたちがもっていた夢や憧れについてだ。文面から察するに、執筆者の誰もがあの時代を懐かしく思い、帰りたがっているように思える。欲しいものを買うためになけなしの小遣いを貯めたり、首を長くしてクリスマスや正月を待ったり・・・。勿論ついに果たせずに終わる夢もある。当時プラモ屋さんの高いところにつり下げられていて、触ることすらできなかった高額なキットもあったし、今では見つけることすら困難で、例え見つかったとしてもコレクターズアイテムとして法外な値が付けられていたりするものもある。そういった意味では昔も今も状況はあまり変わらない。
「還暦」という言葉がある。人は歳をとると子どもに返るという。以前は「もうろくして子どもみたいになることを言ってるんだろう」ぐらいにしか思っていなかったけど、最近考えが変わってきた。近頃どうも怪しくなってきたが、少なくとも当時の僕たちは親の庇護のもと、屈託のない子ども時代を送った。そんなプラモ好きの子どもにとってもっとも身近だった美術作品こそがボックス・アートだったわけだが、ある画集に寄稿した平野克己氏(カー・マガジンライター、モデル・カーズ編集長。現在はフリー)は古いプラモデルについて「ボックス・アートは懐かしき時代への郷愁と追憶のタイムマシーン」とまで言っている。そしてまた、「人生の垢のようなものを洗い流してくれる」とも。勿論ボックス・アートが人生の垢を洗い流してくれるわけではなくて、人生の垢にまみれる前の自分を思い出させてくれる、という意味だろう。それこそが今僕の思う「還暦」の意味なのであって、ボックス・アートの作家たちも、まさか自分たちの描いたプラモデルの箱絵が、今になってこうまでクローズアップされるとは思ってもみなかったに違いない。しかも単なる美術品としてだけではなく、人の心に関わる一つの文化として捉えられているのだから。
そんなわけで、正月明けからタミヤの1/25パンサーA(リニューアル版、1972年発売)を作り始めた。そんな古いプラモデルを作ってしまうのはもったいないって?良いんです。ラジコン搭載の復刻版だから。当時ものは別にもってるし。でもねえ、去年の夏といい、この正月といい、何だか「昔は良かった症候群」に罹っているようで、何とも先行き不安なんですけど。
参考文献 学研「小松崎茂と昭和の絵師たち」(復刻版)