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 「おかあさん」の一周忌 1

 2020年9月9日は「おかあさん」という猫の一周忌だった。

 「おかあさん」との関わりはとても長い。家のある地域は県庁所在地のある都市の駅からほんの2、3㎞しか離れていないにもかかわらず、大きな川の流域にあるために農家が多く、水田や里山が広がっている。そこだけ時間が止まったような地域で、今でも狸やイタチ、キジなどを見かけることがある。大雨の降った後など、車を運転するときに亀やザリガニを轢かないように注意しなければならないほどだ。住む人の気持ちもおおらかで、野良ネコにとっては天国のような地域だ。

  当時我が家も庭先にエサ場を設け、野良ネコを手なづけてペット代わりにしていた。1990年代から現在まで、なじみのネコが3・4匹はいたと思う。その中の一匹が「おかあさん」だった。                        「かわいそうなネコだな。これじゃ拾う人もいないだろう。」 それが第一印象だった。というのも、彼女の左目には奇形があり、瞬膜で眼球の大部分が覆われていて、初めて見たときは僕自身もぎょっとしたぐらいだ。さらに体の模様も地味で、さえない感じだった。哀れに思ってエサを与えた、そんな始まり方だったと思う。

  彼女はしょっちゅうエサをねだりに来るわけではなく、いつも忘れた頃にやってきては、窓越しに家の中をのぞいた。「おっ!元気してたか?」                 なんて言いながら、エサを出してやった。痩せこけて来ることはなく、それなりに自活して元気にやっているようだった。子どもが生まれると、彼女は必ず連れてきた。ここにくれば食べ物があることを子どもたちにも教えているらしかった。そして子どもたちが馴染んだのを見届けると、またしばらくどこかへ姿を消すのだった。そんなわけで、僕たちはいつしか彼女を「おかあさん」と呼ぶようになっていた。

  2017年の春に、彼女はまた子猫を2匹つれてやってきた。灰色のブチと茶色のブチで、灰色の方はなかなかの美人さんだったが、茶色の方は目の上の毛が長く、そのせいで般若のような顔をしていた。                    「もうだいぶ歳なのに、頑張るなあ、おかあさん。」     そんなことを言いながら、子猫たちにはそれぞれ「コグレ」「コチャ」と呼び名をつけた。「グレコ」と「チャコ」では普通すぎてつまらん、というのが長女の見解だ。こうして2匹はめでたくうちの庭の常連となったのだった。そして「おかあさん」はいつものように姿をくらました。

  7月も終わろうという時に、夕方庭いじりをしていると、庭の南側の門のところに小さなネコが現れた。黙って見ていると、何のためらいもなく近づいてくる。近くへ来て驚いた。   「おかあ・・・さん?」                  あの左目は紛れもなく「おかあさん」。しかし見る影もなくやせ細り、しかも左の頬は大きなかさぶたで覆われていた。   「おかあさん、どうした!」                いつものようにエサが欲しくてきたに違いない。慌ててエサと水を出してやったが、この頬の傷では食べることもままならないだろう。案の定、匂いは嗅ぐが食べようとしない。あの痩せ方だと、食べたくても食べられない状態なのだろう。水だけ飲んで、いつものように帰ろうとするのを抱き上げ、部屋に入れた。こんな状態では帰すわけにはいかない。「おかあさん」は床の上でうずくまったまま、僕がケージの準備をするのを静かに待っていた。この頃にはうちでもネコを飼っていたので、行きつけの動物病院があった。電話を入れて事情を話すと、時間外だが看てくれるという。僕はお母さんをケージごと車に乗せ、すぐに病院に向かった。

  獣医の○○先生は頬の傷について、           「ケンカかなんかでケガをしたところからばい菌が入って、組織が壊死してしまったんでしょうねえ。もとには戻らないかも・・・。」                      「いや、とりあえず元気になりさえすればいいので。」    と答え、抗生剤やらなんやらの処置をしてもらい、薬ももらって帰宅した。うちはネコを多頭飼いしているので、予備のケージがあった。タオルやらトイレやらをしつらえてお母さんを入れた。エサは固形物を食べられそうにないので、しばらくはチュールとかポタージュでいくことにした。その方が薬も飲ませやすい。次々と帰ってくる家族は新しいケージが組み立ててあることに驚き、その中に「おかあさん」がいるのを見て驚き、その頬のキズを見てまた驚いていた。                 「もうあんな思いはしたくないからさ。」          と言うと、家族の誰もが頷いた。我が家には以前、助けられたかもしれないネコを1日遅れで助けられなかった、という悔やんでも悔やみきれない経験があったのだ。

 さて、「おかあさん」は2度目の通院の頃には体重が少しもどり、多少なりとも元気になってきた。おかげでパニックになった「おかあさん」に左手のくすり指をいやというほどかまれた。久々の大流血。見ると指の腹の部分が1.5㎝ほど裂けている。動物病院の先生も慌てて、                「人間の医者に診てもらってください。」          当たり前だ。これは縫わないとダメだなあ、と思っていたが、このキズをすごい方法で治してしまう外科医に出会うことになる。(この時のことについてはまた今度。)。 なにはともあれ、こうして「おかあさん」は、我が家の8匹目の飼い猫となったのだった。

 その後の通院の時に、かなりの年齢であることを話し、去勢手術はあきらめた。家猫として飼えば問題はなかろう。増設したケージはそのまま「おかあさん」の住まいとなり、家の中がニュースでよく見かけるような様相を呈してきた。やばいぞー。病院ではこんな会話をした。               「おかあさん、そろそろ名前をつけてあげたらどうですか?カルテのこともありますし。」                「だから、名前がおかあさん。」            「!?名前だったんだすか?」              「そう。」                        こうして「おかあさん」(仮)は正式に「おかあさん」になった。病院でもらう薬の袋には、常に「おかあさんちゃん」と書かれていた。なんだそりゃ。 ペットショップでは娘とこんな会話もあった。                       「そうだ、おかあさんのご飯も買わないと。」       「そうだな。ネコ缶とチュールを買って・・・」       そこまで言って気付いた。となりにいたお客さんがびっくりしてこっちを見ている。                   「言い方を考えた方が良いかも。」            「どうして?」                     「お母さんのご飯(=ネコのエサ)。」       「あっ・・・。」                    「お母さんのエサ、はもっとまずいな。」         「そうだね。」                      いろいろ学ぶことが多い(?)。

 それからしばらくして、顔のかさぶたは綺麗に落ちたが、左の頬の大部分はなくなっていた。しかし、体重が増え、体力もかなり戻った。そんなお母さんが正月に脱走した。ほんの少し開けてあったサッシを無理矢理こじ開けたらしい。あの老猫の、どこのそんな力が残っていたのかとあきれてしまった。だいぶ元気になったし、元々ノラなのでさほど心配はしなかったが、お母さんは3日後に帰ってきた。おしりにキズができて、血がにじんでいる。                          「んなあ。」                      「んなあじゃないよ、全く。病院!」            胴衣(包帯のかわり)を着せられ、エリザベスカラー(傷を舐めないように首に巻く、漏斗上のカラー)をつけられて帰ってきた。この頃から家の中でかまわず大声で鳴くようになった。さかりの時期だ。去勢していないので、本能のおもむくままに鳴くのだろう。うるさい。他の猫も大変そうだ。なでてやったり抱き上げてやったりすると静まるが、やめるとまた始まる。まあ、我慢するしかないか。「おかあさん」は春が終わる頃にはおとなしくなった。いよいよ猫又になるかな、なんて下の娘が言っていた。

 2019年には、「おかあさん」はだいぶ家に馴染んでいた。他の若い猫には体力ではかなわないと知ってか、はたまた新入りとしての自覚がそうさせるのか、皆がけんか腰になると、いつも我慢したり身をひいたりしていた。それでいていつも一番高い場所を独占するのだった。

作成者: 835776t4

こんにちは。好事家の中年(?)男性です。「文化人」と言われるようになりたいなあ。

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