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 「おかあさん」の一周忌 2

 「おかあさん」の体調の変化は9月1日に始まった。まずエサを食べない。あんなに好きだったマグロもほんの少し口をつけるだけ。2日目に病院に連れて行って点滴。         「これで食欲が戻らなければ血液検査しましょう」      と言われ、1日様子を見た。点滴のおかげで多少元気にはなったが、やはり食べない。結果、再び病院へ。血液検査の結果を知って驚いた。腎臓にかなりダメージがあり、尿毒症みたいな状態らしい。先生のつぶやきが聞こえてしまった。        「この状態でよく動けるな・・・。」           ちょっと覚悟しないといけないか。でも本人はいつもと変わらないように見えるのに。 それから一週間は毎日日帰り入院。動物病院の先生は、                     「多少持ち直しましたが、いつ何があってもおかしくない状態です。特に心臓発作が起こりかねない状況なので。」      と説明してくれた。

 「おかあさん」の送り迎えは僕がやった。仕事は時間休をとり、定時に退勤した。「おかあさん」の体温は次第に低下していった。寝るときには必ずバスタオルを掛けてやったが、明け方にははだけてしまっていた。

   9日は仕事が休みだったが、午前中は台風が近くを通過中で、荒天だった。午前9時には雨が止んだので、「おかあさん」を病院に連れて行った。昨日あたりから足がふらふらで、歩くのが辛そうだった。いつものように「おかあさん」を預けて帰った。

 昼過ぎに病院から連絡が入った。状態が良くないのですぐ来て欲しい、とのことだった。                「わかりました。すぐ行きます。」            10分もかからなかったと思うが、ついたときには「おかあさん」は亡くなっていた。いつもの様に横になって休んでいるようにしか見えない。僕は聞いた。              「これってもう・・・?」                 先生は黙って頷いた。                 「そっか。・・・じゃ、おかあさん、帰ろうか。」      バスタオルで体を包み、抱きかかえてやった。       「もつと思ったんですがね・・すみません。」        先生が謝った。それは別にかまわない。十分良くしてもらえたと思う。 火葬が済み、1週間過ぎても喪失感は消えなかった。悲しみは感じなかった。ただ、 「あ、もう薬はいらないんだ。」 とか、 「あ、おかあさんのエサはもういいんだ」 などと手を止める自分に気付き、空虚感を感じた。こんなにも「おかあさん」のために時間を使っていたんだ、と思い、それでいてもっと何かしてやれなかったのだろうか、とも思った。しかし、現実には起こったことが全てだ。考えたって仕方がない。

  パソコンのデータのなかから「おかあさん」の写真を拾い出してみると、若い頃の写真が見つかった。でかい。人相(?)も悪い。こんなだったっけ、と、思わず笑ってしまった。最後にうちに来た頃はずいぶん丸くなっていたんだなあと(性格や表情の話である)思った。頬をケガで失った後の写真も多い。そのうちの一枚を画像処理して頬をもとに戻してやった。ついでに左目の奇形も何とか処理してみた。前から思っていたことだが、結構な美人さんだ。でもこれはやり過ぎだと思い、もとに戻した。

   最後の半年、「おかあさん」はよく膝の上に乗ってきた。そして必ず、僕を見上げた。                 「ここ、いいんですよね?」                と言ってるように思えた。                「うん、いいんだよ。」                  その瞬間が好きだったんだが、もう二度とないんだよなあ。

   そうそう、「おかあさん」が産んだ最後の子猫たち。あの中の一匹、「コチャ」は今ではうちの飼い猫として元気に暮らしている。「コグレ」は時々庭に現れる。美人さんだった顔が、今ではいっぱしのノラ猫のそれになってきた。それから、「おかあさん」がつけた指の傷跡。多分一生消えることはないだろう。

作成者: 835776t4

こんにちは。好事家の中年(?)男性です。「文化人」と言われるようになりたいなあ。

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