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 キュウリのサンドイッチについて

 以前スコットランド民謡「ロッホ・ローモンド」について書いたときに、思わず脱線してイギリス料理について言及したことがあった。その中で、僕の持っているイギリス料理の本に紹介されていたキュウリのサンドイッチについて触れたが、その時僕は、なぜこんな単純な料理のレシピを、わざわざ項目を分けて載せているのかと疑問に思った。事のついでに紹介すれば十分だろうに。

 この料理はまごうこと無き「キュウリのサンドイッチ」であって、バターを塗った食パンで軽く塩をしたキュウリの薄切りをはさんだだけのものだ。今やって見せたように、そのレシピは1行で書ける。しかもイギリスの習慣であるアフタヌーン・ティーのためのメニューで、決して食事のためのメニューではない。

 確かにキュウリは、サンドイッチを作るときに、その食感や香りがいいアクセントになったりするが、主役を張るにはどう考えても力不足だろう。僕はその時、少し馬鹿にしたような記事を書いたと思う。

 それから数か月たって、ふとこのサンドイッチのことを思い出した。僕は料理を趣味にしているが、長いこと料理にいそしんでいると、初めて作る料理であっても、材料から味をある程度想像できるようになる。その感覚であらためて「キュウリのサンドイッチ」を評価したとき、「あれ、これもしかして美味しいのかも」という考えが頭に浮かんだ。そういえば、僕は第一印象だけで判断して、実際に作ったことは一度もなかった。

 そこで僕は検証のために、サンドイッチ用の食パンとキュウリを求めてスーパーに出向いたのだが、新鮮なキュウリは手に入ったものの、サンドイッチ用の薄くスライスされた食パンが見つからない。仕方がないので8枚切りの食パンを使い、キュウリの量を増やしてバランスをとることにした。

 普段具沢山のサンドイッチを作るときは、パンの耳はそのままにするのだが、今回はよく言えば繊細な、悪く言えば味の主張のないキュウリが相手なので、耳はきれいに切り落とした。そのほうが口の中でキュウリの香りや食感が活きるような気がしたからだ。

 さて、実際に食べてみると、これが予想以上に美味しかった。具体的に言うと、「前回小馬鹿にしたような記事を書いたことについて謝罪したくなる美味しさ」だった。だが前記したように、ランチなどには向かない※。栄養面から見ても、これを腹がいっぱいになるまで食べるというのは現実的ではない。そういった意味では、イギリスで行われているように、少量をアフタヌーン・ティーのための軽食として出すというのは理にかなっている気がする。キュウリのさわやかさが、スコーンに添えられたジャムやクロテッド・クリームの甘さを洗い流してくれそうだ。なるほど、よく考えられている。

 いろいろと言われているイギリス料理だが、なかにはおいしい料理や理にかなった料理ももちろんある。これまた以前に紹介した「スター・ゲイジー・パイ」も、見てくれはともかく、味はいいらしい。これは余談だが、最近その独特な世界観で高評価を得ているアニメ「葬送のフリーレン」の、第2期第9話「ヒンメルの自伝」で、フリーレン一行がこの料理を食し、納得したような表情を見せるシーンがある。もっともアニメのなかでのことなので、演出にどんな意図があるかはわからず、保障の限りではないけれど。

※ ミネストローネのような具沢山のこってりしたスープと合わせれば、その限りでもない。

 スター・ゲイジー・パイ(星を見上げるパイ)とはこのような料理です。(再掲)
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 久々の「夏と言えば…」。

 夏になったので、例によって怪談めいた話を少々。

 今年の4月に京都に行った話をしたと思うが、その時のことで今でも気になっていることがある。

 この旅行では経費節約のためにビジネスホテルを利用した。京都駅の八条口から徒歩5分足らずという立地で、真新しく、ビュッフェスタイルの朝食がつくという理想的なホテルだったのだが、到着時、僕はこのホテルの玄関ドアにたくさんの手形がついていることに気づいた。それは常識では考えられないほどの数で、強い違和感があった。玄関ロビーと言えばホテルの顔みたいなものだ。もちろんビジネスホテルだから華美な装飾は期待しないが、清潔感に関しては気を配るのが普通だろう。

 その手形は自動ドアの大きなガラスの、特に上のほうに集中していて、視線とガラスの反射角の関係か、上に行くほどはっきりと浮かび上がって見えた。しかもそれは、誰かが隙間なく意図的につけたかのように見えた。

 これほどたくさんの手形を、ホテルのスタッフが見落とすはずがない。それとも普段通用口を使うスタッフは玄関ドアを通る機会がないのだろうか。いやいや、それにしたって玄関ドアの汚れぐらい日常的にチェックするはずだ。ということは、やはりこれはスタッフの怠慢としか思えない。その時僕はそんなことを思いながら少々憤慨していた。だがそんな心配をよそに、そのホテルはほかに憂慮すべき点は特に無く、僕たちは快適な3日間を過ごした。それでも僕らが滞在している間、手形は何の変化もなくそこにあり続けた。

 あれから4か月が過ぎたが、あまりにも印象が強く、妙な違和感があったためか、今でもあの手形のことを思い出す。そしてそのたびに新たな疑問がわいてくる。例えば、なぜあの密度で均一に、しかもガラスの幅いっぱいに手形がついていたのか。仮に掃除をしたスタッフが不用意に手をついてしまったのであれば、あれほど多くの手形が均一に残るはずがない。

 もう一つ、もし宿泊客や通行人がいたずらに手形をつけたとしても、あれだけの数の手形をつけるには時間がかかる。誰にも見とがめられずに、そんなことが可能だろうか。それに、手形はガラスの一番高いところにもついていた。よほど背が高くなければ脚立が必要だろう。

 そして何よりも、皮脂だか汗だかは知らないが、あんなにたくさんの、しかも鮮明な手形を残すことが人間にできるのだろうか。

 今に思えば写真を撮っておくべきだった。そうすればもっと手掛かりになるものが後々見つかったかもしれない。だがあの時の僕は、ホテルスタッフの怠慢として普通に解釈してしまっていた。

 僕は根っからの心霊現象肯定派ではない。心霊現象にまつわる話を聞いたり読んだりするのが好きなだけだ。今回のエピソードにしても、別に手形が浮き出す瞬間を見たわけではなく、家族も同じように見ているのだから、きっと何か理由があるはずだ。そうなれば、これはホラーではなくミステリーだ。だが判断がつきかねる今は、とりあえず「不思議な話」にしておきたい。そのほうが僕にとって、世の中がほんの少し楽しくなるからだ。

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 昭和歌謡とマカロニウエスタン

 最近古い映画音楽をYoutubeで聴くことが多い。もちろんレコードやCDもあることにはあるが、それだけではカバーしきれないし、手軽に聞いたり、ふと思いついてその場で検索したりするには何といってもYoutubeが便利だ。もっとも僕の使っているノーパソの音の悪さには閉口するけどね。前に使っていたモデルはヤマハの音響システムを搭載していたので、それなりの音質で音楽が聴けたんだけどなあ。いっそのこと、常時TVに接続しておこうかな。

 そういった映画音楽のなかでも、最近検索することが多いのが「紅の翼(1954)」のテーマ曲。同名の映画が2本あるが、ここで僕が言っているのは洋画のほう(くれぐれも、石原裕次郎主演の邦画ではない)。ストーリーは嵐に見舞われた旅客機がたびたび危機に陥りながらも無事着陸するまでをオールスターキャスト(なのかな、あれは)で描く群像劇で、主人公のパイロットをジョン・ウェインとロバート・スタックが演じている。テーマ曲はディミトリ・ティオムキンが作曲し、アカデミー最優秀オリジナル音楽賞を受賞した。

 もう一つ、よく聞いているのが往年のマカロニ・ウエスタンのテーマ曲。かの有名なエンニオ・モリコーネが作曲した一連の作品で、なかでも気に入っているのが「豹/ジャガー(1968)」と「ウエスタン(1968)」。

 「豹/ジャガー」は寂し気な口笛から始まり、情感たっぷりのトランペットが続く。そして次第に盛り上がる主旋律の繰り返しに再びトランペットのソロプレイをフィーチャーしてクライマックスに至る。最後の決闘シーンにこの曲を流し、フルコーラスの演奏時間に合わせて場面構成しているのが見事(と言っても、ほとんどTV放送されてこなかったのでちゃんと鑑賞したことはないんだけどね)。

 「ウエスタン」は原題を「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト」といって、和訳すれば「昔々、西部のどこかで」といったニュアンスか。「銃に物を言わせた男たちやそれに絡む女たち、人知れず死んでいった人々…いろいろあったけど、今はもう昔の話さ」という、西部開拓時代の終焉を描いた作品だ。だからラストの決闘も、時代の流れのなかでは些細な出来事にすぎず、西へ西へと伸びる線路(近代化の象徴)とその工事に携わる人々、その世話をするヒロインを尻目に、ガンマンたちは次々にこの世を去り、生き残ったとしてももう居場所はない。実はこの映画、当時下火になりつつあった西部劇映画そのものの挽歌でもあったという。一見(聴?)してエンニオ・モリコーネとは思えない過ぎゆく時代への郷愁を誘うメロディーと、それを補完する女性コーラスが素晴らしい。

 ところでエンニオ・モリコーネの作曲する曲は、聞けば聞くほど日本人の感性に馴染むメロディーラインやコード(和音)が多用されている気がする。今思い出したが、「夕日のガンマン(1967)」のラストの決闘シーンに流れる曲もそうだった。こちらもトランペットが良い仕事をしていて、すんなりと心の奥にまで届く。イタリア人と日本人って、何か感性に共通点でもあるのだろうか。

 そんなこんなで、何回も聞いているうちにあることに気づいた。彼の作る音楽は、なんだか昭和歌謡に似ているぞ。そうか、だからしっくりくるのか。そう思ってカミさんに聞かせてみたところ、すごいことを言ってきた。「なんか、美空ひばりが歌いそうじゃない?」

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 お狐様 続報

 先月、近所に狐が住み着いたらしいという記事を書いた。今日はその続報。

 7月の5日だったか、夕方6時を過ぎたころに例の怪しげな声を聞いたような気がした。その日はカミさんが吹奏楽団の練習で家を留守にしていたので、僕は夕食の準備をするために1階のキッチンにいた。すると2階にいた娘が降りてきて、「狐が向かいの家の駐車場を横切った。しかも子狐を2匹連れたつがいのようだった。」という。確かにそれ以後、2~3日にわたって明け方や夕方に狐と思われる声が聞こえていた。

 前回僕らが見たのは1匹の大人の個体だった。それが今回、家族で行動しているのが確認できたということは、やはり近くに巣穴があるのだろう。しかも繁殖が始まっているとなると、今後、狐を見る機会が増えるかもしれない。

 僕は狐が好きで、しょっちゅうYoutubeの動画を検索したりしているので、ある意味これは喜ばしいことなのだが、現実的に考えると手放しで喜んでいるわけにもいかない。なぜなら本州以南に生息しているのは「ホンドギツネ」という種で、食性は肉食傾向の強い雑食性。つまり狐が繁殖すれば、この地域の生態系が変わる恐れがある。

 僕の住んでいる地域は市街地が近いにもかかわらず、大河川の広い河川敷があることもあって、今までにタヌキ、イタチ、野兎、野ネズミ、ウズラなどを目撃してきた。そのすべてが野生種かどうかはわからないが、そこに狐が加わればただでは済まないだろう。仮に餌が獲れなければ地域の畑や菜園の作物を食い荒らしたり、ゴミ集積所の生ごみを食い散らかしたりする可能性もある。

 もう一つ、狐が持っている寄生虫の問題がある。エキノコックス。これは乾燥して飛散した狐の糞便や虫卵に汚染された山菜、果物、生水を体内に取り入れることで感染する。人間にも感染し、その潜伏期間は10年を超える。その間に肝臓や肺を侵し、最悪の場合死に至らしめる…とまあ、おどろおどろしく書いてはみたものの、これは主に北海道のキタキツネについての話だ。ただし本州以南での症例も散見されるので、知っていて損はないだろう。ちなみにホンドギツネについては「持っている可能性はかなり低いが、ゼロではない」ということで、本州以南ではむしろ他の生物(犬、豚、馬など)の感染例が報告されている。

 狐は最近東京都内でも増えつつある。どうやら大きな河川沿いに下って来るようだ。民家の縁の下や床下に定着する例も見られるようになり、古い家屋や土台の換気口に金網や格子のない家は要注意だという。万が一狐が定着してしまうと、尿や糞便による土壌汚染のほかに、腐敗した食べ残しからハエが発生するなど、衛生面での害があり、現状回復には専門家による作業が必要らしい。当然相応の費用が掛かる。

 ネットには野生の狐が人になつく動画も紹介されているが、餌付けなどは考えないほうがいい。こうした野生動物は、ある程度距離を置いて遠巻きに眺めるのが無難だろう。