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 移ろい

 先週、カミさんが飲み会だというので車で送る機会があった。場所は昔僕が根城にしていたカフェバーがあるあたりだ。そういえば10年近く顔を出していない。昔は毎日のように通ったものだったんだが。

 このまま行くと少し早く着きすぎるので、ちょっと遠回りをして、その店の前を通ってみることにした。40年からの歴史のある店で、やり手のオーナーが世間の流行りを積極的に取り入れるので、週末の夜更けになると、店内はいつも若い世代で満席だった。残念ながら僕が親しかったそのオーナーは、7年ほど前に後継者に店を譲って引退したらしい。だが店の名前は変わっていないはずだ。

 店が見えてくると、ある異変に気付いた。遠くからでもわかる店のシンボル、大きな弧を描くネオン管の矢印が見当たらない。角を曲がって店の正面に回ると、店内は暗く、ドアにはシャッターが降りていた。大きなガラスにプリントされていたはずの店名も見当たらない。「中、何もないみたいだよ…」とカミさんが言う。えっ、潰れた…?

 大学時代に常連だった喫茶店はとうの昔に無くなった。足しげく通ったビストロは20年ほど前に次第に勢いが衰え、今はもう無い。そして今、昔からのなじみだったカフェバーまでもが無くなるのか。ネットで見る限り、まだ閉店していないみたいなんだけど、今回店の前を通ったのは営業日の営業時間。オーナーが変わってしまったから電話してみるのも何となく気まずいし…。後でもう一度、行ってみるしかないか。

 自分はちっとも変っていないつもりでいるのに、世の中はどんどん変わっていく、そんなことを実感させられた出来事だった。案外他人から見れば、僕も相当変化して見えるのかもしれない。いずれにしても、こうして自分が慣れ親しんできた場所が消えていくのを目のあたりにするのは、なんとも寂しい限りだ。

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 音楽に合う酒

 さて、夏。休日の真昼間、何となく聞きたくなるのが、僕の場合ボサノバだ。ド定番の「イパネマの娘」や「ブラジル」なんかを聞いていると、庭に出てキンキンに冷えたカクテルを飲みたくなる(出ないけど)。それもマティーニとかではなくて、少しソフトなマルガリータあたりがいい。フローズン・スタイルのダイキリもいいな。変化球としてはグリーン・アイズなんてのもある。ちなみにこれらのベースはいずれもラムかテキーラいったラテン系の酒。僕はあまり聞かないけど、ハワイアンなんぞを聞きながら、「ブルー・ハワイ」や「マイタイ」などのトロピカル・カクテルだったら、これはこれでドンピシャだろう。

 夜は夜でオーソドックスにジャズでも聞きながら、それこそマティーニか、それともバーボン・オンザロックか?ジン・トニックも悪くはないが、これはどちらかというと、演奏が始まる前の前哨戦というイメージだな。あるいは音楽をコンチネンタル・タンゴに変えて、もう一度ラテン系のカクテルでいく手もある。

 ついでに言うと、秋にシャンソンを聞きながら…というのならワインもいい。でも今は価格が高騰してるからなあ。同じぐらいの品質だからといって、シャンソンにチリワインではシャレにならないし…。あるいは百歩譲って、同じラテン系だから別にいいじゃんか、という考え方もあるけれど。

 これが季節感皆無のブリティッシュ・ハードロックとかなら気軽にビールとかスコッチでもいいんだけど、こうしてあらためて考えてみると、結構難しい。というか、そもそもシャンソンのレコードなんてうちにあったか?もし手元にそれがあるなら、キールもしくはキール・ロワイヤルもアリだな。でもベースとなる白ワインやシャンパンを一晩で使い切るのは、酒豪でもない限り難しいだろうし(開栓したら1日で味が劣化する)、かといってハーフボトルだと、カミさんと二人ではちょっと物足りない。そして悲しいかな、ここでも当然価格の問題がついて回る。高いよお、まともなシャンパンは。

 さて、今マイブームになっているロックンロール。実はこれが一番悩ましい。ポニーテールの女の子なんかを思い浮かべると、なぜかクリームソーダしか出てこない。リーゼントのお兄ちゃんでやっとバド(ワイザー)の瓶ビールか。でもバドはあまり好きじゃないんだよな。それにボトルをさがすのが面倒そうだ。これもコロナビール(メキシコのビール。多くが瓶で流通)じゃさまにならんし。いや、ワンチャンありか?ということで調べてみたら、コロナビールの国際的な流通が始まったのは1970年代。あ、だめだ。やっぱり1950年代のロックンロールにはそぐわない。

 いろいろ書いたので鼻持ちならない奴だ、と思われたかもしれないけれど、酒を飲むにあたって、こういった文化的な楽しみ方を目指すのもまた一興であろうと、そう言いたかったわけで。でも正直、僕はあまり量のいかない人なので、マティーニなんかをちゃっちゃと飲んだら2~3杯で足がふらつく。かといって、ああいった冷たさが身上のショートカクテル(氷が入っていないので短時間で飲まないと温度が上がる)をじっくり時間をかけて飲むのは邪道だろう。何しろ、「15分以内に三口で飲め」なんて物言いがあるぐらいだもんな。ああ悲しい。けどやっぱり飲みたい。ということで、なんだかんだ言いながら、結局度数の低いマルガリータとかジン・トニックあたりに落ち着くのであった。今まで書いてきたのは、いったい何だったん?

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 スイカの話

 つい最近、金色(こんじき)何とかというスイカをTVで紹介していた。常識では考えられない糖度をもつというレポーターのコメントを聞いて、思わず画面に目を向けると、大きさは大玉だが果肉が黄色い。「えっ、黄色…?」あっという間に興味が失せた。

 実を言うと僕は子供のころ、果肉の黄色い小玉スイカ(今は赤い果肉のものもある)に対してネガティブな先入観を持っていた。親が小玉スイカを買ってくると、なんだか騙されたような気持になるのだ。親としてはその価格や冷蔵庫の空き容量を考えて選んでいるのだろうが、子供にとって、そんな大人の都合は二の次だ。スイカは大きくて重く、皮が厚いのがえらいのだ。そして果肉はきれいな赤色でなければならない。それを丸のまま、ビニールひもで編んだ手提げに入れて持ち帰るのが定番だった。

 今でもそうだと思うが、当時の小玉スイカは形が縦に長く、切ってみると皮が薄かった。そして何よりも違和感なのが、その黄色い果肉。僕の中ではあくまでもこれはスイカとは似て非なるものであって、僕が納得するスイカではなかったわけだ。そしてその価値判断は主に「色彩」という視覚情報によってなされていた。だから今回の金色なんとかも、果肉が黄色いことを確認した時点で興味が一気に失せてしまったのだ。これは昭和生まれの世代にとって、クリームソーダが緑色でなければならないのと同じことで、青色のクリームソーダなんてもってのほか…えっ、そんなふうに思ってるのって僕だけですか?

 そんなわけで果肉の黄色いスイカは、それがどれほど美味しいとしても、そもそも食指が動かない。「三つ子の魂百まで」と言うが、確かに幼いころ植え付けられたイメージを払拭するのは並大抵のことではない。今回知ったスイカの銘品も、結局味わうことなく一生を終えるような気がする。

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 なぜ今、オールディーズなのか

 なぜ今、と言っても単に僕の中でだけのことであって、これはいわゆる「マイブーム」の話だ。ちなみにここで言うオールディーズとは1950~60年代に流行ったアメリカン・ポップスのことだ。

 今までにずいぶんといろいろな音楽に親しんできたけれど、この先は僕なんかには到底ついていけないような音楽がどんどん作り出されていくらしい。特に「ボカロ」で作られた音楽なんて、僕にはあまりにもせわしなくて、「音楽鑑賞」どころではない。歌自体も早口で、何を言っているのかよくわからない。これについては「ラップ」も同じことで、今の若者はよくあれが聞き取れるなあ、なんて思っていたら、彼らも聞き取れないことがあるんだってさ。だから歌詞は歌詞カードやネットで理解するらしいんだが、そもそも歌詞が聞き取れないんじゃ歌を聞く意味がないな、なんて思ってしまう。おそらく今の若い人たちは音楽に関して、僕らの世代とは全く違った価値観を持っているのだろう。

 こうした新しいタイプの音楽に比べると、オールディーズは単純明快だ。特に50年代なんて、歌詞なんかどうせ色恋沙汰でしょ、という感じだし、英語の表現自体も簡単だから、英語をきちんと勉強していれば(してないけど)だいたい意味は分かる。単純明快なだけに、何も考えずに聞けるのも良い。では僕がお気に入りの、1970~80年代についてはどうか。

 このころの音楽にも名曲はたくさんあるが、今思うと内容はかなりヘビーだった。すべてとは言わないが、政治的だったり思想的だったりで、それこそ歌詞カードの和訳を読んで連帯感を感じてしまうような、メッセージ性の高いものもあった。そういった意味では、当時の僕たちもそれまでとは違う価値観で音楽を聴いていたと言えなくもない。それはそれで意味のあることだったと思うけれど、そうしたメッセージも、今では人々の口の端にも上らない。やはりあの時代の音楽はあの時代を生きた者にしかわからない。もっと言うならあの時代に聞いてなんぼの世界だ。それを思えば、オールディーズは歌詞の内容が普遍的な男女の恋愛だったりするから、場合によっては70年たった今でも何の抵抗もなく聞けてしまう。

 良い例として、今ではスタンダードと言ってもいい名曲「アンチェインド・メロディ」は、1955年にリリースされて大ヒットし、1965年にはライチャス・ブラザースのカヴァー・バージョンが再ヒット。さらに1990年にはこのバージョンが映画「ゴースト/ニューヨークの幻」の主題歌に使われて再々ヒットとなった。現在そのカヴァー・バージョンは、新旧合わせて500を超える。普遍的な音楽は時代を超えて愛され続ける、ということだ。

 つまるところ、オールディーズの魅力はそのシンプルな構成と内容の普遍性にあると言えそうだ。そして時にそのメロディーは、こうした音楽が象徴する古き良き時代、人々が今より楽観的で、未来という言葉に一点の曇りもなかった時代へのノスタルジーを呼び覚ます。僕のような50年代を知らない人間でさえ、憧れを禁じ得ない。これもまた、大きな魅力の一つと言っていいのではなかろうか。それはつまり…えーと…要するに、歳をとったということですね。

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 6月のスズメたち

 ここ数年、6月は庭にやってくるスズメを眺めながら暮らしている。春に生まれた雛が独り立ちする時期に当たっているので、一つの群れの中にいろいろな行動パターンが見られ、特に子育ての様子や、やっと自力で飛べるようになった小さな雛たちが少しずつ成長していく様は見ていて何ともほほえましい。

 この時期はまだ成鳥と雛の見分けがつきやすい。顔の部分の色が薄いのが早い時期に生まれた若鳥で、嘴の端にまだ黄色みが残っていて、ふっくらした体型の個体は遅く生まれた雛だ。冷蔵庫で2日ほどおいて固くなったご飯を庭先に撒いてやると、親子で飛んできて、口移しでご飯粒をもらっている。飛べるようになってもしばらくは親鳥に食べさせてもらうわけだ。加えて今年は、雨の日に成鳥がご飯粒を口いっぱいに咥えて飛び去る様子が何度も見られた。おそらくまだ飛べない雛のために親鳥が巣に運んでいるのだろう。

 興味深いことに、親子連れは他の成鳥の食事が終わった頃を見計らって降りてくることが多く、餌に群がる成鳥の勢いに気おされて(かどうかは本人に聞いてみないとわからないのだが)、時間調整をしているように見える。これが一般的な傾向なのか、この群れの特徴なのかはわからない。

 こうした時期が過ぎると、雛がいくら鳴いても親は餌を運ばなくなる。仕方なく自力で餌を食べるようになるのだが、まだ上手に食べることができず、成鳥が梢に戻った後も地面のあちこちで食べ続けていたりする。雛たちが最も無防備になる瞬間で、後述する理由から見ている側も気が気ではない。

 ところでこの時期の雛は、餌をくれる人間に警戒心を持たなくなるようだ。それどころか、時には近くまで寄ってきて催促したりする。ご飯を撒いてやると手元まで寄ってきて食べることもあり、実に愛らしい。が、これは困ったことでもある。人里で共存しているとはいえ、スズメは自然の一部であると考えるべきだろうし、うちの庭は地域猫の通り道になっているので、あまり警戒心を鈍らせるとスズメたちを危険にさらす恐れがある。加えて今年は、敷地内で体長1メートル近くあるヤマカガシ(蛇の一種)をすでに2度目撃しているので、これも心配の種だ。ネットの動画では、手に乗ったり、手の中で眠りこけたりしているスズメをよく見かけるが、少なくとも我が家の環境ではそこまでやるのは行き過ぎだろう。

 さて、スズメたちだが、盛夏の頃には今年生まれた雛たちも成鳥と見分けがつきにくくなってくる。そうなればもう一人前だ。その頃には庭に咲く夏の花々の手入れや、隣に借りた畑で育てている夏野菜の収穫が忙しくなる。そうなるとスズメどころではない。カラスが収穫前の野菜を狙って集まってくるからだ。

 正直なところ、カラスだって腰を据えてじっくり付き合えば、それほど悪い奴だとは思わない。だが利害が絡む以上甘い顔はしていられない。今年生まれたスズメたちが独り立ちした後は、カラス対策に追われる毎日だ。こんな風にして、僕の夏は過ぎていく。

 リビングの目の前に勝手に生えた野ばらの枝でおねだりするチビ(仮)。ふっくらとした体形で、嘴の端がまだ黄色い。距離は2メートルもない。

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 ボックスアートの価値

 僕がプラモ好きなことは以前からお伝えしていると思うが、最近Youtubeでだったかな、同じくプラモ好きの中年男性がこんなことを言っていた。「ボックスアートがカッコよければ、キットの出来が悪くてもあまり気にならない。そうなんですよ。キットよりボックスアートなんです。」

 これは僕にとってすごく共感できる話だ。もしかすると同年代のプラモマニアは、そのほとんどが同意するかもしれない。ちなみにここで言うボックスアートとは、プラモデルの箱絵のことだ。

 僕が子供のころは、完成品の形が実物とまるで違うようないいかげんなキットが数多く存在した。いわゆる子供だましの「オモチャ」的なもので、かといって大人向けの「模型」であっても、そのままではまともに組みあがらないキットもあり、ちょっと油断すると接着面がずれたり隙間が空いたりすることはしょっちゅうで、ひどいときには爆撃機の機体がねじれていて、どうあがいても左右のパーツが接着できない、なんてこともあった。

 今だったら大炎上ものだが、当時は取り換えてもらうか泣き寝入りするしかなくて、それが当たり前みたいに思っていた。それでもかっこいいボックスアートが手に入れば、絵の部分を丁寧に切り取り、壁に飾ったりして、それで6割がた満足していたような気がする。

 逆にボックスアートの出来が悪いと、キットの良し悪しにかかわらず購買意欲がわかないことが多く、こうしてみると、買う側はもちろん売る側にとっても、ボックスアートの出来は売り上げを左右する重要な要素だったに違いない。

 有名なプラモデルの箱絵師に、戦車プラモのボックスアートで有名な高荷義之という人がいる。彼の描く作品はたくさんの脇役(軍用車両や兵士たち)によるドラマチックな演出が特徴だったんだけど、アメリカではキットに入っていないものをボックスアートに描くとクレームがつくということで、日本製プラモデルの輸出が盛んになると、発売当初は戦車とともに描かれていた機関銃を構える兵士や随伴するサイドカーがいつの間にか消え(※)、同じキットに細部の異なる2種類のボックスアートが存在することになった。

 さらに価格改定時にボックスアートそのものが変更されることもあり、中古プラモ市場では、状態さえよければ古いボックスアートのキットのほうが高値がつくことが多い。

 例えば僕が5年ほど前に手に入れたタミヤの1/35パンサー戦車のリモコン版(初版・後期)だが、これはボックスアートが大西将美という、これまた有名な箱絵師の初期の作品で、発売当時(1968年)850円だったものを2万円ほどで購入した。今、同じものをネットで探すと6万円以上の値がついている。一方同じキットでありながら、1974年発売のボックスアートが新規のもの(当時1,300円)は今も2万円ぐらいで手に入れることができる。

 ところでこのキット、箱を開けてみると、パーツやランナーが緩衝材で包まれていて、一見何がなんだかわからない。輸送時に部品を保護するために梱包したんだろうけど、売り手側の「貴重なものなんですよ」という気持ちは伝わってくるものの、この感覚は子供の頃の、プラモの箱を開けた時の心躍る気持ちとは全く別のものだ。いくら希少性が高いとは言っても、これはちょっとやりすぎじゃないの?という気がする。「間違っても作ってはいけません。末永く大事に保管すること、それがあなたに与えられた使命なんですから。」そんな声が聞こえてきそうだ。こんなことされたら作れないよなあ。でもさっき書いたように、ボックスアートが手に入っただけでほぼ満足だから、別に作らなくてもいいっちゃいいんだけどね。

 僕にとってプラモはあくまでもプラモでしかない。そしてボックスアートは間違いなくその価値の大部分を占めている。それは子供の頃の思い出や憧れを買い集めるようなもので、投資などという大人の都合が入り込む隙は微塵もないように思うが、世間の見方は少し違うようだ。

 もし仮に、今手元にある中古プラモのコレクションをすべて売り払ったら、おそらく買い取り値でも20~30万円ぐらいにはなるだろう。20年もすれば50万円を超えるかもしれない。だからと言って、遺書に「困ったときにはこのプラモデルをお金に換えて、生活費の足しにしなさい」なんて書くのは、なんか違う気がするなあ。

※ パソコンなど無い時代だから、箱絵師が絵の具で上描きして修正していた。よく見るともとの絵柄がうっすら見える、なんていう例もある。

 タミヤのパンサー戦車。初版の大箱(大西将美 画)。現在6万円ぐらい。この独特な色使いが何とも言えない雰囲気を醸し出している。
 改訂版の小箱(高荷義之 画)。こちらは現在2万円前後。中身は同じものなんだけど、このリアリズムに徹したボックスアートも欲しくて、結局両方とも購入した。僕が買ったときはどちらももっと低価格だった。
 左が初版(大箱)、右が改訂版(小箱)。左の箱の緩衝材は業者が気を利かせて(?)入れたものらしい。見てのとおり、大箱の頃はブリスター・パッケージを使った豪華版だった。

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 庭に新しい客が…。

 5月に入ったある日、庭でやたらに技巧的(?)な鳥の鳴き声がした。今までに聞いたことがない声色で、定型があるというよりは思いつくまま、気ままに鳴いているという感じだ。いい声だがやたらと大音量で、聞きようによってはやかましい気もする。以来庭や近所でよく鳴いているのだが、なかなか姿を見ることができない。

 ある朝その鳥が、スズメのために庭に撒いた冷蔵庫のご飯を食べに降りてきて、やっとその姿を見ることができた。全身赤茶色で嘴は黄色。目の周りに白い縁があり、それが目じりから尾を引くように伸びている。真っ先に連想したのはツタンカーメンの黄金のマスク。あの目の周りにある青いライン、あれを白くしたような感じだ。それ以外にはこれといった特徴がない。なんにせよ初めて見る鳥だ。

 声ばかりでなかなか姿を見せず、写真が撮れなかったので、記憶を頼りにネットで調べてみると、どうもガビチョウという鳥らしい。漢字で書くと眉美鳥。なるほど。眼の縁の白い部分を眉になぞらえたのか。さえずりが美しい、とも書いてあるな。1970年ごろの鳥ブームの時に、その鳴き声を鑑賞するために中国から輸入されたもので、籠から逃げた個体が野生化して繁殖したという。でも僕が思うに、あの声量では室内で飼うにはうるさすぎるし、体色が地味で姿を鑑賞するのには向いていないから、故意に放たれたものも多いんじゃないかい?ブームが去った後、始末に困った業者が放鳥した、なんて話もあるぐらいだから。

 現在日本では特定外来種に指定されていて、農作物の食害や、その大音量のさえずりが騒音ととらえられたことで、害鳥とされているんだって。ほら、やっぱりうるさいんだよ、誰が聞いても。実際、50mほど離れた林の中で鳴いている分には「おお、美しいさえずりじゃないか」などと吞気なことを言っていられるが、これを庭の植え込みでやられると、確かに騒音に近い。しかも1度鳴き始めると、結構長い時間鳴き続ける。他でやってくれと言いたい。でももとはと言えば日本人が金銭目当てで輸入したんだから、ガビチョウに非はない。勝手に連れてこられて、知らないうちに害鳥に指定されるなんて、ガビチョウにしてみればいい迷惑だろうなあ。

 写真が撮れなかったのでスケッチにしてみた。最近あんまり描かないのでありあわせの画材しかなくて、ネットの画像をもとに水彩画用紙に水性色鉛筆で描いた。水はあえて使っていない。
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 もしかして、それって○○かも…?

 最近聞いていてイライラする宣伝文句がある。「もしかして、それって○○かも」というやつだ。○○の部分には病気の症状や名称が入る。そして「だったらこれ!」と、医薬品やサプリメントを紹介する。

 この「もしかして○○かも」という文言には二つの含みがあって、「効果があるかもしれないから、とりあえず買って使ってみては?」というお誘いと、「効かなかった?じゃあ○○じゃなかったということですね。でも断言はしなかったでしょ?」という言い訳が隠れているように感じる。どちらも売る側には好都合だ。

 もう一つ、使用者の「喜びの声」を伝えながら、「個人の感想で、効果を保証するものではありません」と、ことわりの言葉を添える、というパターンもある。すげー違和感。だったら個人の感想なんか伝えなければいいのに。

 考えてみると、一般的な医薬品の宣伝文句は、昔から効能について断言するスタイルのものが多かった。特に印象深い総合感冒薬のCMに、「かぜの諸症状によく効きます」という決まり文句があった。「かぜに効きます」ではなく「かぜの諸症状に…」と言っているところがミソで、抗生物質が含まれていないから、事実かぜそのものを治す効能はない。だから思わせぶりなことは言わず、「咳、発熱、頭痛などの症状を抑える」という事実だけを伝えているわけだ。これになぞらえて考えると、先ほどの「個人の感想」は「気の持ちようが変わります」ということになるのかな?うーん、さすがに使えないか。

 冒頭で紹介したようなあいまいな表現は、特にサプリメントのCMに多い。これらの商品のなかには、それなりの機関が検査した結果、CMで謳っている効能に何の根拠もなかったり、ひどい例では健康被害事件にまで発展したものもある。そんな時代に商品を売る側が、CMであいまいな表現をするのはどうかと思う。それが医薬品やサプリメントのCMならなおさらだ。少なくとも僕は「それって○○かも」なんてことを言われたら、「売る側がよくわからないんじゃ効果を期待しろと言われてもなあ…」なんて気持ちになってしまう。だから買わない。ほかの人たちはどう感じているのだろうか。

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 なぜか忘れられない

 最近また思い出した。取るに足らない、でもなぜか忘れられない記憶。思い出すたびに微笑んでしまう。あの二人は、今頃どうしているだろうか。

 それは20年以上前、カミさんと僕が新婚旅行に行った帰りの飛行機でのことだった。僕たちが乗っていたのはDC-10というかなり大型の機体で、座席は横が2ー5-2列の配置だった。僕たちは機首に向かって右側の2列席に座っていた。

 カミさんは当時から乗り物に乗るとすぐに眠ってしまう人で、このフライトでも、僕がタイガを眺めたり映画を見たりしている間、ずっと眠っていた。少々あきれ始めた僕がふと機内に目をやると、同じ列の5列席の中ほどに欧州人と思しき若いカップルが座っていて、やはり女性が眠りこけている。男性が立ち上がって彼女の毛布を直そうとした時、それとは無しに眺めていた僕と目が合った。僕が眠っているカミさんに目をやり、軽く肩をすくめて見せると、彼もそれに応えるように肩をすくめ、(まったく、困ったもんだよね)とでも言うかのように苦笑いをした。

 不思議なことに、その後の彼らの記憶は全くない。同じ成田で降りたはずだが、降りる準備をする様子も、最後にあいさつを交わしたかどうかも覚えていない。ただ、肩をすくめた彼の姿だけが記憶に残っている。

 それだけのことなのだが、どういうわけか何年かに一度、何の前触れもなく思い出す。そしてそんな些細なことでさえ、自分の人生の一部であることに驚く。

 あれから長い年月が過ぎた。彼は今、どこで何をしているのだろう。時折、僕のことを思い出したりするだろうか。元気でいるといいが。

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 続「ロッホ・ローモンド」

 さて、「ロッホ・ローモンド」。この勇壮かつ哀愁漂うスコットランド民謡は歌詞が複数ある。その辺りの事情は識者の方がブログで詳しく説明されているようなので、ここでは日本の歌曲「五番街のマリーへ」の原型ではないかと言われている、ということだけを紹介しておく。

 前回書いたように、イギリスは四つの国からなる連合王国だが、それが成立するまでには多くの争いがあった。1600年代末~1700年代のジャコバイトの反乱もその一つで、調べてみると近隣諸国を巻き込む複雑な構図が見えてくる。そのすべてをここには書けないが、簡単に言うと、当時のイングランド王室に反感を持つ「ジャコバイト」と呼ばれる勢力が政変をもくろみ、最大の支持基盤だったスコットランドの人々を中心に、数回にわたって反乱を起こすも大敗。1746年のカロデン・ムア(ムア=湿原)における最後の戦いでは、イギリス政府軍の司令官カンバーランド公によって、ジャコバイトの捕虜や傷ついて動けない兵士たちが、戦闘終了後に皆殺しにされるという事件が起こった。このカロデン・ムアでの虐殺事件は、今もスコットランド人の心に暗い影を落としているという。なぜこんなことを書いたかというと、「ロッホ・ローモンド」の歌詞に、ジャコバイトの反乱で政府軍に捕らえられた二人のスコットランド兵が描かれているからだ。

 歌詞の中に「君は高みの道を行け 僕は下る道を行く 目指すは同じスコットランド いつかまた語り合おう 懐かしのローモンド湖」というくだりがある。これは「釈放された君は生者が通る上の道を、処刑される僕は死者の魂が通る下の道を通ってスコットランドに帰る」という意味で、「遠隔地で亡くなったスコットランド人は、故郷に帰るために魂の通る近道を見出すことができる」というケルトの言い伝えに基づいている。

 こうした歴史があることで、スコットランド人とイングランド人は今でも互いに敵愾心を持っていて、そのことを如実に表すこんなジョークがある。

 スコットランド人とイングランド人が辞書の編纂をしていた。オートミールの原料である「オート麦」の項目で、イングランド人が皮肉たっぷりに「麦の一種。スコットランドでは人が食べるが、イングランドでは馬の餌にする。」と書き込んだ。するとスコットランド人は涼しい顔でこう書き加えた。「ゆえにイングランドでは馬が優秀で、スコットランドでは人が優秀である。」

 確かにオートミールはお世辞にもおいしいとは言えないが、ロンドンの名物料理だった「ウナギのゼリー寄せ」の悪評を考えれば、イングランド人だって相当な味覚音痴だろう。それこそ、「どの口が言ってんの?」という感じで…おっといけない、これでは前回の二の舞だ。

 そんなわけで、スコットランド民謡のなかにはその土地の血塗られた悲しい歴史を歌ったものがいくつかある。それらはスコットランドの伝統と誇りを今に伝えていて、政治の世界では今も「独立推進派」が存在する。2014年には独立するか否かを問う住民投票が行われ、僅差で反対派が勝利したことは記憶に新しいところだ。でもそう考えてみると、日本人はなんておおらかなんだろう。例えば「平将門の乱」にしても、祟りばかりが有名で、関東人があの一件を今も根に持ち、京都人に敵愾心を抱いている、などという話はあまり聞かない。食い物が美味いせいかな。

おまけ 前回画像を出し惜しみした「スター・ゲイジー・パイ」。訳して「星を見上げるパイ」のイラストを公開。

「いや、これはちょっと…」という感じ。どうです、なんだか切ないでしょう?