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 伏見稲荷のお山めぐり

 4月の末に家族で京都に行ってきた。おととしも行ったんだが今回はそのリベンジだ。それというのも、前回は伏見稲荷の「お山めぐり」を途中で断念、さらに外国人旅行者を避けて人の少ない見どころを選んだために、あちこち回った割には京都に来た、という実感がなく、物足りなかったので、今回はその辺を考慮して再挑戦しよう、というわけだ。

 伏見稲荷は前回、海外からの旅行者が多いのを承知で、あえて挑戦した数少ないポイントのひとつだったが、午後からの参拝だったために、山中に数件ある茶屋が夕方4時に閉まってしまうという憂き目にあった。これではトイレが心もとない。おまけに千本鳥居など、外国人に隠れて鳥居が見えない、というありさまで、歩きにくいことこの上ない。これでは何をしに来たのかさっぱりわからない。

 今回はかのC国が日本への旅行を控えているということもあってか、観光地はどこへ行っても前回より人が少なく、歩きやすかった。ただ、2泊3日の中日が雨の予報だったので、この日に京都国立博物館や三十三間堂といった屋内での見物を主に計画したため、件の伏見稲荷はまたしても1日目の午後に。だが今回はおととしより2時間早くお山めぐりを始め、人が少なかったので歩くペースを維持できたことも幸いして、全行程をもれなく踏破することができた。

 3日目は朝から嵐山方面へ赴き、化野(あだしの)念仏寺を見た後、周辺(重要伝統的建造物群保存地域)を散策。化野念仏寺は、これまでに20回近く京都を訪れたにもかかわらず、1度も行ったことがなかったので、今回ぜひとも行ってみたかった場所だ。

 朝イチで訪れたため、人はそれほど多くはなかったが、僕ら以外はみんな白人かラテン系の外国人。写真を撮るために立ち止まることはあっても、はしゃぐこともなく短時間で済ませるなど、マナーがしっかり身についた人たちで助かった。あるいは化野念仏寺の静かなたたずまいがそうさせたのかもしれない。

 化野念仏寺にある「西院の河原」の石仏群は見ごたえ十分で、奥まったところにある竹林の石段も、手入れが行き届いていて見事だった。驚いたのは、こじんまりした境内の一角に大きな仏舎利塔があったことで、これは僕の予備知識にはなかった。

 その後嵐山駅まで歩き、嵐電で洛中に戻るつもりだったが、時間に余裕があったし、せっかくここまで来たのだから、ということで、天龍寺にも寄ってみた。天龍寺はれっきとした世界遺産で、ついでに寄るような場所ではないが、成り行きだから仕方がない。たまたま法堂の天井画「雲竜図」の特別公開期間にあたっていたのでこれも拝観したが、「曹源池庭園」や「大方丈」に比べて堂内にはあまり人がおらず、ゆっくりと堪能することができた。

 ところで今回の伏見稲荷でふと気づいたことがある。それは西南アジア系の人々のマナーの良さだ。お山めぐりの山道ですれ違うと、そうしなくても通れるのに決まって脇によけ、道を譲ってくれる。まるで日本人にへりくだっているようにすら見える。平成の頃、海外旅行の手引書には「ホテルの廊下は公道扱いです。くれぐれもパジャマなんかであるかないように」なんて文章が載っていたものだが、おそらく彼らの国にもガイドブックのようなものがあって、「日本人はマナーに関する意識が高いので要注意」とか何とか書いてあるのだろう。これが白人になると、我々のことなど気にもせずにマイペースで行動しているイメージで、なんだか妙に偉そうだ。

 もうひとつ、C国人が激減した今、うるさかったのは意外にも日本人で、特にパリピ風の若者たちは周囲を気にもせず大声で話し、盛り上がっていた。なんてこったい…!こういった人たちはほかの国に旅行したときに、もしかしたら日本人の評判を落とすかもしれないな、なんて思った。他人の振り見て我が振り直せ、とはよく言ったものだ。

 伏見お山めぐりの一角にある眼力社。周囲の青モミジがきれいだった。カミさんが目を患っているのでお参りした。
 化野念仏寺の西院の河原。化野(風葬地)に葬られた人々のための石仏が8,000体集められているという。「この中で写真を撮らないで…」という意味深な立て看板がある。
 化野念仏寺の竹林。石段と竹垣があり、手入れが行き届いている。
 竹林の石段を上り詰めたところには墓所があり、竹林と青モミジの林に囲まれていた。
 境内の一角にひっそりとたたずむ水子地蔵尊。提灯と青モミジの対比が目を引いたのでシャッターを押した。
 天龍寺 曹源池庭園。写真の左側が正面にあたるが、そこは観光客であふれていた。法堂の雲竜図は残念ながら撮影禁止。
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 古都京都は一体どこへ行くのだろう

 家族で京都へ行ってきた。多分6年ぶりぐらいか。教員だった頃は修学旅行で何度も訪れたものだが、何しろ仕事だから、そうそう行きたいところへ行けるというものでもない。プライベートでも3~4回は行っているはずだが、何しろ京都は見るべきものが多すぎる。そんなわけで、今回は各人が今まで行ったことのないところをカバーするコースを組んでみた。それともう一つ、外国人でごった返していそうなところはできる限り避けた。例えば清水寺とか。だがカミさんや下の娘が希望している伏見稲荷と貴船神社については、これはまあ、致し方ない。それから、僕が行ったことのない上賀茂神社と下鴨神社。これも同様。さて、どうなることやら。

 まず一日目の伏見稲荷だが、ここはもう最悪だった。千本鳥居なんてそれでなくても行列ができているのに、韓国人だか中国人だかの観光客が所々で立ち止まってはポーズをとり、同じ国籍とおぼしき随伴のカメラマンがそれを撮影。そのたびに行列が停滞するという、何とも腹立たしい光景が随所で見られた。ポーズのみならず、ナルシシスティックな表情まで作るので、見ていてイライラすることこの上ない。おそらくある種のツアーなんだろうけど、それにしたってあんな写真、何に使うんだ?そもそもカメラマンはちゃんと許可を取って商売しているんだろうか。ちなみにそこから少し南に下った、あじさいで有名な藤森神社は、参拝者もさほど多くなくて、そのほとんどが日本人。外国人観光客も気圧(けお)されるのか、普通に神社らしい佇まいだった。

 今回僕たちは、娘の希望で純和風旅館に宿泊した。八坂神社から歩いて5分ほどのところにある「き乃ゑ」という宿で、僕たちの他に日本人の客はもう一組だけ。他は全て外国人らしい。なるほど、館内で日本人に会わないわけだ。

 翌朝、明るくなるのを待って朝の散歩に出かけた。八坂神社の境内を一回りした後、八坂の塔まで路地を歩き、7時過ぎには戻って朝食をとった。宿の立地が良かったので、次の日も朝のうちに建仁寺、安井金比羅堂、六道珍皇寺を見て回ることができた。そんな道すがら、街が動き始めるのを見るのも好きだ。6時を回ると、出勤前のサラリーマンが境内の自販機で缶コーヒーを飲んでいたり、地元のおばあちゃんが朝の散歩がてらにお参りしていたりする。そういった光景もまた一興だ。京都本来の姿を垣間見たような気になる。

 二日目の下鴨神社と上賀茂神社はなぜか人出が少なくて、思ったより楽しめた。下鴨神社の大炊殿や、葵祭で使う唐車(牛車。中が思いのほか狭くてビックリだ)はちょっとした見ものだし、古代の姿をそのままに伝えるという糺(ただす)の森も、6月の強い日差しを避けるのにちょうど良い。上賀茂神社にも涉渓園という木々に囲まれた広い庭園があり、ここも快適だった。神馬(しんめ)にも会いたかったけど、残念ながら平日には出社(そう言うらしい)しないそうだ。

 昼食を兼ねて向かった貴船神社周辺は、タトゥーの入った男性や露出の多いヘソ出しファッションの女性がやたらと多かった。話している言葉を聞く限り、この手の女性はほとんどが韓国人。神域でヘソ出しとか、違和感しか感じない。一方タトゥー男子は圧倒的に欧米人が多い。これも不敬といえば不敬。隠す努力ぐらいしろよ、と言いたい(言ってもわからんだろうけど)。本宮はこういった輩で混雑していて、正直お参りどころではなかったけれど、そこからさらに登った奥宮は思ったより人が少なかったので、心静かに参拝できた。

 川床で昼食をとり、午後は北野天満宮に、今回は参拝というより宝物殿の刀剣を見に行った。ここには100振りの刀剣が納められていて、現在その一部、20振りほどが公開されている(~6/30)。境内の西側を占める「御土居(おどい)のもみじ苑」も同時公開中で、今が盛りの青もみじを堪能できた。「御土居」とは豊臣秀吉が作った洛中を囲む土塁のことで、境内に残る遺構には350本のもみじが植えてある。

 老舗の和菓子処「老松」で夏季限定の和菓子、「夏柑糖」を購入した後、平安京を守る四神獣のひとつ、「玄武」が住むという船岡山へ。ここには信長ゆかりの建勲神社があり、中腹からは京都の市街を一望できる。階段は多いが、人が少ないのでゆっくり参拝できた。「夏柑糖」は宿で冷やしてもらい、夕食後のデザートとして美味しくいただいた。

 最終日は、まず馴染みの和菓子司「塩芳軒」で土産を発送する手配をした。その後、僕の趣味で鉄道博物館へ。ここには現在、16形式17両(と聞いている)のSLが動態保存されていて、その昔SLファンだった僕にとっては天国のような場所だ。最後は女性陣の希望でJR京都伊勢丹B1Fへ。ここで買いそびれた土産を探す。大抵のものは揃うので、とても便利。

 というわけで、今回訪れたなかではなんといっても伏見稲荷と貴船界隈が混雑していたかな。北野天満宮も人は多かったけど、僕たちは早々に宝物殿やもみじ苑に回ったのでそれほど影響はなかった。その他の場所は6年前のイメージとさほど変わらなかったように思う。

 ところで今回の旅、京都に来たという実感があまりなかった。外国人ばかりが目につき、聞こえてくるのも大方が外国語。これは事前に聞いていたことだし、ある程度覚悟もしていた。だがもう一つ、気になることがあった。それは街角の看板だ。英文の他に韓国語や中国語が併記されるようになり、文字も大きく、やたらと目立つ。特にハングル文字はデザインが単純なこともあって、遠くから見てもその印象は強烈だ。これじゃコンビニの外装や信号機の色を考慮してもあまり意味がない。「国際観光都市」と言えば聞こえはいいが、「古都京都」の存在意義を考えると、どこまで客のニーズに歩み寄るかは改めてよく考えた方が良いような気がする。

 以前の京都は訪れる側が知らず知らずのうちに包み込まれ、感化されていく、そんな魅力を感じたものだけれど、今回見た京都は侘びも寂びも感じられない国籍不明の大都市だった。景観としての大量の人間のイメージが、こうまで都市の印象を変えてしまうとはね。これで雨でも降っていれば、まるで「ブレードランナー」だ。これから先、京都はどうなってしまうんだろうか。

 伏見稲荷で撮った1枚。人の写らない場所を探すのに苦労した。
 これも伏見稲荷の一角。キツネ・・・じゃないよな、どう見ても。
 北野天満宮、御土居のもみじ苑。閉園間際(15:40受付終了)ということもあって、人がほとんどいなかった。
 旅館「き乃ゑ」の入り口。純和風とは言うものの、中はエレベーターに加えて絨毯敷きのロビーがあったり、客室の窓枠が白木を模したアルミサッシだったりで、外観よりは現代的。