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 古都京都は一体どこへ行くのだろう

 家族で京都へ行ってきた。多分6年ぶりぐらいか。教員だった頃は修学旅行で何度も訪れたものだが、何しろ仕事だから、そうそう行きたいところへ行けるというものでもない。プライベートでも3~4回は行っているはずだが、何しろ京都は見るべきものが多すぎる。そんなわけで、今回は各人が今まで行ったことのないところをカバーするコースを組んでみた。それともう一つ、外国人でごった返していそうなところはできる限り避けた。例えば清水寺とか。だがカミさんや下の娘が希望している伏見稲荷と貴船神社については、これはまあ、致し方ない。それから、僕が行ったことのない上賀茂神社と下鴨神社。これも同様。さて、どうなることやら。

 まず一日目の伏見稲荷だが、ここはもう最悪だった。千本鳥居なんてそれでなくても行列ができているのに、韓国人だか中国人だかの観光客が所々で立ち止まってはポーズをとり、同じ国籍とおぼしき随伴のカメラマンがそれを撮影。そのたびに行列が停滞するという、何とも腹立たしい光景が随所で見られた。ポーズのみならず、ナルシシスティックな表情まで作るので、見ていてイライラすることこの上ない。おそらくある種のツアーなんだろうけど、それにしたってあんな写真、何に使うんだ?そもそもカメラマンはちゃんと許可を取って商売しているんだろうか。ちなみにそこから少し南に下った、あじさいで有名な藤森神社は、参拝者もさほど多くなくて、そのほとんどが日本人。外国人観光客も気圧(けお)されるのか、普通に神社らしい佇まいだった。

 今回僕たちは、娘の希望で純和風旅館に宿泊した。八坂神社から歩いて5分ほどのところにある「き乃ゑ」という宿で、僕たちの他に日本人の客はもう一組だけ。他は全て外国人らしい。なるほど、館内で日本人に会わないわけだ。

 翌朝、明るくなるのを待って朝の散歩に出かけた。八坂神社の境内を一回りした後、八坂の塔まで路地を歩き、7時過ぎには戻って朝食をとった。宿の立地が良かったので、次の日も朝のうちに建仁寺、安井金比羅堂、六道珍皇寺を見て回ることができた。そんな道すがら、街が動き始めるのを見るのも好きだ。6時を回ると、出勤前のサラリーマンが境内の自販機で缶コーヒーを飲んでいたり、地元のおばあちゃんが朝の散歩がてらにお参りしていたりする。そういった光景もまた一興だ。京都本来の姿を垣間見たような気になる。

 二日目の下鴨神社と上賀茂神社はなぜか人出が少なくて、思ったより楽しめた。下鴨神社の大炊殿や、葵祭で使う唐車(牛車。中が思いのほか狭くてビックリだ)はちょっとした見ものだし、古代の姿をそのままに伝えるという糺(ただす)の森も、6月の強い日差しを避けるのにちょうど良い。上賀茂神社にも涉渓園という木々に囲まれた広い庭園があり、ここも快適だった。神馬(しんめ)にも会いたかったけど、残念ながら平日には出社(そう言うらしい)しないそうだ。

 昼食を兼ねて向かった貴船神社周辺は、タトゥーの入った男性や露出の多いヘソ出しファッションの女性がやたらと多かった。話している言葉を聞く限り、この手の女性はほとんどが韓国人。神域でヘソ出しとか、違和感しか感じない。一方タトゥー男子は圧倒的に欧米人が多い。これも不敬といえば不敬。隠す努力ぐらいしろよ、と言いたい(言ってもわからんだろうけど)。本宮はこういった輩で混雑していて、正直お参りどころではなかったけれど、そこからさらに登った奥宮は思ったより人が少なかったので、心静かに参拝できた。

 川床で昼食をとり、午後は北野天満宮に、今回は参拝というより宝物殿の刀剣を見に行った。ここには100振りの刀剣が納められていて、現在その一部、20振りほどが公開されている(~6/30)。境内の西側を占める「御土居(おどい)のもみじ苑」も同時公開中で、今が盛りの青もみじを堪能できた。「御土居」とは豊臣秀吉が作った洛中を囲む土塁のことで、境内に残る遺構には350本のもみじが植えてある。

 老舗の和菓子処「老松」で夏季限定の和菓子、「夏柑糖」を購入した後、平安京を守る四神獣のひとつ、「玄武」が住むという船岡山へ。ここには信長ゆかりの建勲神社があり、中腹からは京都の市街を一望できる。階段は多いが、人が少ないのでゆっくり参拝できた。「夏柑糖」は宿で冷やしてもらい、夕食後のデザートとして美味しくいただいた。

 最終日は、まず馴染みの和菓子司「塩芳軒」で土産を発送する手配をした。その後、僕の趣味で鉄道博物館へ。ここには現在、16形式17両(と聞いている)のSLが動態保存されていて、その昔SLファンだった僕にとっては天国のような場所だ。最後は女性陣の希望でJR京都伊勢丹B1Fへ。ここで買いそびれた土産を探す。大抵のものは揃うので、とても便利。

 というわけで、今回訪れたなかではなんといっても伏見稲荷と貴船界隈が混雑していたかな。北野天満宮も人は多かったけど、僕たちは早々に宝物殿やもみじ苑に回ったのでそれほど影響はなかった。その他の場所は6年前のイメージとさほど変わらなかったように思う。

 ところで今回の旅、京都に来たという実感があまりなかった。外国人ばかりが目につき、聞こえてくるのも大方が外国語。これは事前に聞いていたことだし、ある程度覚悟もしていた。だがもう一つ、気になることがあった。それは街角の看板だ。英文の他に韓国語や中国語が併記されるようになり、文字も大きく、やたらと目立つ。特にハングル文字はデザインが単純なこともあって、遠くから見てもその印象は強烈だ。これじゃコンビニの外装や信号機の色を考慮してもあまり意味がない。「国際観光都市」と言えば聞こえはいいが、「古都京都」の存在意義を考えると、どこまで客のニーズに歩み寄るかは改めてよく考えた方が良いような気がする。

 以前の京都は訪れる側が知らず知らずのうちに包み込まれ、感化されていく、そんな魅力を感じたものだけれど、今回見た京都は侘びも寂びも感じられない国籍不明の大都市だった。景観としての大量の人間のイメージが、こうまで都市の印象を変えてしまうとはね。これで雨でも降っていれば、まるで「ブレードランナー」だ。これから先、京都はどうなってしまうんだろうか。

 伏見稲荷で撮った1枚。人の写らない場所を探すのに苦労した。
 これも伏見稲荷の一角。キツネ・・・じゃないよな、どう見ても。
 北野天満宮、御土居のもみじ苑。閉園間際(15:40受付終了)ということもあって、人がほとんどいなかった。
 旅館「き乃ゑ」の入り口。純和風とは言うものの、中はエレベーターに加えて絨毯敷きのロビーがあったり、客室の窓枠が白木を模したアルミサッシだったりで、外観よりは現代的。

作成者: 835776t4

こんにちは。好事家の中年(?)男性です。「文化人」と言われるようになりたいなあ。

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