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 シャミという名の猫

 シャミという猫とのつきあいは、「おかあさん」(うちに居着いたノラ猫の名前)に次いで長い。そして「おかあさん」が亡くなった(このことについては、後ほど別に書く)今、シャミは我が家と最もつきあいの長い猫となった。多分11歳。それなりにおばさんであるが、なかなか元気である。シャミは2011年、震災の年の6月に家の中で4匹の子どもを産んだ。これは家猫として飼っている。シャミの母親は、とっくに亡くなった(らしい)ノラの「クロ」か、あるいは「おかあさん」で、シャミ自身はその頃庭で遊んでいた子猫のなかでは一番臆病でなつかなかった。他の3匹が遊んでいるあいだ、シャミはいつも物陰から様子をうかがっているのだった。やがて子猫たちは一匹、また一匹と巣立って(?)いき、最終的にはシャミだけが残った。その頃にはさすがにシャミもなつき、家の中にまで上がり込んでくるようになっていた。2011年3月、東日本大震災の後、良くある例にもれず、パニックになって、どこかに姿をくらましてしまった。だが、そろそろ一ヶ月、というときになって、シャミは帰ってきた。初めは警戒して遠くから様子をうかがっていたが、僕の姿を見て一目散に走ってきた。そしてその6月に、シャミはあろう事か、家の中で4匹の子を産んだのだった。その子どもたちも、だからもう8歳になる。かわいこぶってる割にオジン・オバンである。

 シャミは子育てを終えると、家に居着いて外飼いのペットのようになった。シャミは三毛のけっこうな美人猫で、家の中に泊まることも多くなった。時には僕のベッドにまで上がってきたが、美人なのでつい許してしまった。当時は職場でよく、 「昨日は妙齢の美人がベッドに上がってきてさ・・・」 なんてつまらんジョークを飛ばしたものだ。

 そんなシャミとはよく散歩をする。僕の住んでいる地域は地方都市の一角だが、時の流れにおいて行かれたんじゃないかと思うくらいに農地が多い。近くには神社(人のいない小さなもの)もあって、この環境がここに家を建てた理由の一つだった。

 夏の夕暮れ時など、僕は娘とよく散歩に出かける。その神社までの農道を娘たちと一緒に歩き、賽銭をあげて帰ってくるのがおきまりのコースだ。すると待っていたようにシャミがどこからともなく現れ、尻尾をまっすぐに立てながら僕たちのお伴をするのだ。 

 神社に着くと、シャミは境内の大木によじ登ったり(いいのかなあ)、賽銭箱の前でごろごろ転がったり(本人としては砂浴びのつもりなのだろう、家族はこれを「奉納の舞」と呼んでいる)して、気が済むと僕たちと一緒に家まで帰ってくる。このとき一緒に家に入ればお泊まりコースになる。入らないときは翌朝まで夜遊びコースだ。 そして夜明けとともに入れろと騒ぐ。こんな生活を8年も続けているわけだ。近頃では、年齢のせいかシャミも気むずかしくなり、尿路の病気もあって扱いにくくなってきた。が、「おかあさん」がそうであったように、この関係はお迎えが来るまで続くだろう。ちなみに、シャミという名前は三味線に由来している。つきあいが始まった頃に、家の中のそこかしこで爪研ぎしているのを見て、 「こら!馬鹿やってると三味線にするぞ!」 と叱ったのがきっかけだった。我ながらすさまじい名前をつけたものだ。今ではすっかり慣れっこになってしまい、家の中にはシャミの爪研ぎ場が4~5カ所ある。

作成者: 835776t4

こんにちは。好事家の中年(?)男性です。「文化人」と言われるようになりたいなあ。

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