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 春の匂い

 春の匂い というのがある。

 よく娘たちと散歩をする。娘と近くの小さな神社まで往復する。娘たちは神社で賽銭をあげ、何かしら願掛けをしているようだ。このような日常を送っていると、普段気付かないいろいろなことが見えてくる。例えば、季節ごとに空気の匂いが違うこととかだ。

 僕の住んでいる地域では、春になると何とも言えない芳香が漂ってくる。秋の匂いであるキンモクセイの香りは家族の誰もが知っている。キンモクセイはうちの庭にも植えてあるからだ。だが春先のこの匂いは、もっとつかみ所がない。娘が外から帰ってくるなり、                        「パパ、今日春の匂いがした!」              などと叫び、いそいそと外へ出るようなこともあった。僕が車を洗っているときに、風向きが変わるなり匂ってきたこともあった。しかし、いつもその出所はわからずじまいだった。娘たちと議論したこともあったが特定に至ることはなく、次の春までの宿題となるのが常だった。だから、うちではとりあえず「春の匂い」ということになっていた。                               

 こうして何年かが過ぎ、僕はあることに気付いた。うちの庭には小さな梅の木があって、最近立派な実をつけるようになったので、ここ数年自家製の梅干しを作っている。その梅の花の香りが、どうもあの匂いに似ているのだ。少なくともその一部であることは間違いなさそうだ。そう言えばうちの近所には梅畑がある。少し離れているので、風向きによって匂うことがあるのも頷ける。ある年、春先にその梅畑に行ってみた。なるほど、この匂いに間違いないようだ。僕は家に帰って娘にそのことを告げた。

 こうして一つの話題に結論が出た。しかしその後すぐ、それは同時に、僕らが一つの話題を失ったことを意味することに気付いた。なるほど、こんなふうにして僕らは大人になっていくんだな、と思った。べつに「春の匂い」のままでも良かったのかもしれない。今ではそんなふうに思うもう一人の自分がいるのである。

「春の匂い」のもとになっていた梅林