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 月のあれこれ

 去る9月17日は「中秋の名月」だった。一時は天気が危ぶまれたけれど、僕の住んでいる地域はうまい具合に夕刻から晴れてくれた。多少雲は残っていたものの、流れる雲が月に照らされ、これはこれで風情があってよろしい。ただ温暖化の影響か、庭に勝手に生えたススキがここ数年お月見に間に合っていない。近隣を歩いてみてもススキ自体が見当たらず、仕方なくお金を払ってススキを購入する羽目に。なんだかなあ。

 当日は東側の出窓にかぼちゃと団子、そこにススキを活けて添え、夕飯には里芋の入ったのっぺい汁を作った。本当は里芋も生のまま供えたかったんだけど、全部汁に使ってしまい、残らなかった。団子は里芋の代わりという説もあるから、まあ良しとするか。

 東の空に昇った満月を眺めていて、ふと思った。あそこにはもう、ウサギはいないんだなあ。月にはすでに何人もの人間が行っているし、表面には地震計やレーザー測距機なんかも設置してあるらしい。月が地球の衛星軌道を回る不毛の天体であることは、もはや万人の知るところだ。にもかかわらず、日本人はなぜか、この時期になると月を眺めては思いを馳せる。いったいどんな感情がそうさせるのだろう。だがそんな情緒のある月も、聞くところによると欧米ではあまり良いイメージを持たれていないらしい。

 ルナティック。英語で狂気を意味する言葉だ。「ルナ」とはラテン語で月のことだ。ご存じのように狼男は満月の夜に変身する。凶悪な犯罪や交通事故は満月の夜に増加するという説もある。調べてみると、どうやらこの説は都市伝説の域を出ないようだが、今もまことしやかにあちこちで囁かれている。何とも不吉なイメージだ。もっともクラシック音楽には「月の光」や「月光」といった名曲もあるから、一概に「不吉」とは言えないか。

 戦前の外交官でニューヨーク在住だった細野軍治は、ある月の美しい夜更けに友人たちと月を眺めに出かけた。しばらくすると警察官に呼び止められ、「良からぬ相談をしていただろう」と問い詰められた。「月が美しいので眺めていただけだ」と説明してもわかってもらえず、警察署まで連行されたそうだ。月を見る習慣のないアメリカの警察官に、一晩かけて日本の月見の風習について説明したという、これは僕の愛読書、「一度は使ってみたい季節の言葉」で紹介されていた話。どうやら月を愛でる習慣は東南アジアに限ってのことのようだ。