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 12月8日

 12月8日。何の日か知っているだろうか。サンタクロースの起源と言われているセント・ニコラウスの日?それは12月6日だ。じゃ、真珠湾攻撃の日?そう、確かにそれも正解。だけど僕が今日紹介したいのは、もっと新しい話だ。

 ジョン・レノン。言わずと知れたビートルズのメンバーの一人だ。彼はビートルズが1970年に解散する以前から積極的にソロ活動を行っていて、平行して1955年から続くベトナム戦争への反戦運動にも参加し、1968年にはシングル「平和を我らに」を発表している。さらに1971年にはあの伝説的なアルバム「イマジン」を発表。美しいメロディーに乗せて「いつか君も仲間になってくれたら 世界は一つになるだろう」と語りかける歌声を、多くの人々が今でも記憶しているはずだ。その年の12月にはシングル「ハッピークリスマス」を発表し、ここでも「君が望みさえすれば 戦争は終わる」と歌っている。彼とその仲間のもとには多くの若者がはせ参じ、声高に戦争反対を訴えた。だが南北ベトナムが事実上の終戦を迎えるには1976年まで待たなければならなかった。

 ジョン・レノンはその後5年近く音楽活動を休止し、1975年に生まれた子供の育児に専念。1980年11月に満を持してアルバム「ダブル・ファンタジー」を発表する。このアルバムは今までのような思想的な色合いはなく、ジョンが初めて純粋に、自分自身に目を向けた内容の曲が多かった。英・米・日で第1位を記録し、このアルバムから「スターティング・オーヴァー」など多くの名曲が生まれた。「翼を広げ もう一度最初から始めよう」・・・だが彼が新しい何かを始めることはなかった。翌月の12月8日22時50分、ジョン・レノンは自宅アパートメント前の路上で、ファンを自称するマーク・チャップマンの放った凶弾に倒れ、30分後に死亡が確認された。40歳だった。僕にとって12月8日とはそういう日だ。

 今東欧ではウクライナとロシアの戦争で多くの人命が奪われている。パレスチナ・ガザ地区でのイスラエルとの紛争も同様だ。だが平和を訴えるカリスマはもういない。あの時ジョン・レノンの呼びかけに共鳴した世代は老人になりつつある。「イマジン」の持つメッセージが生き続けたとしても、人の記憶はいつしか思い出にすり変わっていく。しかも今の若者たちには、当時のような連帯感など微塵も感じられない。それは彼らの責任ではなく、時代が人の心を変えたのだ。もしジョン・レノンが生きていたら、この世界を見て何と言うだろうか。もっとも、「ダブル・ファンタジー」以降の彼に何かを期待するのは酷というものかもしれないが。