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 スタインベックの「朝めし」

 高校の時の教科書にアメリカのノーベル賞作家、スタインベックの「朝めし」という短編小説が使われていた。「怒りの葡萄」で、資本主義経済に翻弄されるアメリカの小作農一家の苦難や力強く生きる姿を描いた作家だ。その内容から「コミー(コミュニスト=共産主義者)」と疑われたこともあったらしい。「怒りの葡萄」は映画化されているので見たことのある人も多いだろう。当時は経営者ばかりが金持ちになり、小作農などは虫けら同然に扱われることも多かったようだ。

   この「朝めし」という短編でも、そういった小作農というか、季節労働者が描かれている。舞台は多分、1930~40年代のアメリカ。こうした季節労働者は自分の土地を待たず、作物の収穫期に合わせてあちこちを移動しながら稼いでいた。ここに登場する一家もカリフォルニアの荒野にテントを張って寝泊まりしている。物語は主人公が過去を回想する形で綴られていて、「こうした小さな出来事が、思い出すたび私を幸せな、暖かい気持ちにしてくれるのだ」という文章で始まっている。  

 旅をしていた(らしい)主人公はある寒い日の夜明け前、朝食の準備をする竈(かまど)の赤い炎に惹かれて、暖をとるためにこのテントを訪れる。多分、作者自身の体験だろう。  

 若い娘が赤子に授乳しながら、せっせと朝めしの準備をしている。次々と起きてきたテントの住人たちは、主人公に朝めしを一緒に食べていかないかと勧める。焼きたてのパン、いれたてのコーヒー、そしてフライパンに溜まった油の中のベーコン。テントの主はここ何週間かの自分たちの働きぶりを自慢げに話す。「ここ12日間俺たちはうまいものを腹一杯食ってるんだ。」そして作業着(時代からしてジーンズだろう。)を新調したのだという。そこには、貧しいながらも、仕事をして金を稼いでいる人間のプライドが強く感じられる。

 食事が終わり、日が昇る頃、登場人物たちはそれぞれの旅を続けるために出発する。その時の登場人物たちの会話が印象的だ。

「朝食をありがとう。」                  「いや、こちらこそ。よく訪ねてくだすった。」       

この家族は、主人公より明らかに社会的地位の低い人たちだ。おそらく正しい言葉遣いもままならないはずだ。しかし惜しみなく食事を提供し、主人公を心から歓待している。  

 最後に作者はこう結んでいる。 「こうしたことが私を幸せな気分にしてくれる理由はわかっている。しかしそこには素晴らしい美の要素があった。」  

 ほんの5ページ足らずの話である。内容も、登場人物が質素な「朝めし」を食べるだけ。にもかかわらず、こうして何十年も読者の心の中に残り続ける作品とは、いったい何なのだろう。試しにネットで検索してみると、同じような感想がいくつかヒットした。高校の教科書で知ったという人も何人か見つかった。僕と同じような体験をした人がいることを知ると、なんだか嬉しい気がする。同世代の人が多く、その文章からは、決して激しくはないが、おき火のようなじわりと暖かい情熱を感じた。解釈を試みる人も多いが、僕は解釈よりも感じ取ったことを大事にしたい。別にどちらが正しいかという論争ではない。つまり、「作者が何を伝えようとしているか」ということより、僕自身が「この話から何を受け取ったか」が,僕にとっては重要なのだ。 

 僕がこの作品を読み終えて最初にやったことは、パンとベーコンを買いに行くことだった。何しろ作中の「朝めし」は、何かとてつもない高級料理のように思えるほどうまそうだったから。次に僕は、パンをあえて直火で焼き、ベーコンを作中にあるように、ベーコン自身から出た油に浸るまでカリカリに焼いて、その油にパンを浸しながら食べてみた。うまかった!ただ、作中に出てくるパンは竈で焼きたてのパンである。しかもホットビスケットのような堅めのパンらしい。おそらくその状況も含め、いろいろな意味でもっとうまかったに違いない。

 僕の持っている文庫本のページは陽に焼けて茶色になり、定価を見ると古い時代なのがわかる。しかし、それほどの時間がたった今でも、「朝めし」は僕の愛する短編の一つなのである。

スタインベック短編集(新潮文庫) 当時220円。
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 プラモデルとともに

 プラモデルが好きだ。といっても、今流行りのフィギュアやガンプラはこれに含まれていない。僕はスケールモデルが専門だ。スケールモデルとは、実在する、あるいはかつて実在した戦車やら戦闘機やらを正確に縮小したモデルのことである。ところで僕は、そういったモデルを単に作って楽しんでいるわけではなく、それらに関わる諸々の事象にも大変興味がある。例えば昔ながらのたたずまいを維持しているプラモ屋さんを見つけて訪問してみたり、絶版になったプラモデルをネット上で探したりする事もある。言うなればともに歩んできたプラモデルの歴史を検証しているということか。ただし、学術的な興味でそれをしているのではなく、あくまでも情緒的、言い換えれば思い出の地巡りのようなものだと思ってもらえば良いだろう。そんな中で、一番力が入るのがボックスアートの収集だ。同じ気持ちの人が多いらしく、近頃ではボックスアートの画集も何種類か出版されていて、僕としては嬉しい限りだ。ちなみに僕は美術系の大学出身で、美術に関わる仕事をしてきた。そしてそのきっかけになったのも、小学生の時に何気なく始めたボックスアートの模写だったのだ。人間、何がどう影響するかわからない。だから、プラモ屋さんなどで古ーいキットを見つけて、それが記憶に残っているものだったりすると、思わず買い込んでしまって妻を閉口させている。正直、買いためたキットを置く場所もなくなってきた。  

 ちょっと横道にそれるけど、カメラについても同じような嗜好があって、ニコンの名機F2フォトミックAの極上品を見つけて即買いしたことがある。このカメラのTVCMがかっこよくて、今でもカセットテープに録音したものが残っている。使うためというよりは、思い出を収集しているといった感じだ。当時のものを集めることで、その時代がよみがえるような錯覚に陥っているのだろう。もしかするとこれは老いの始まりかもしれない。  

 さて、ボックスアートである。僕には今でも忘れられないボックスアートがいくつかあるのだが、その中でもベストなのが、タミヤの1/21デラックス戦車シリーズの3号戦車(シングル)のボックスアートだ。背景の空の青、わき上がる雲、戦車兵の勇んだ表情、どれをとっても印象的で、後に作者である高荷義之画伯がその画集の中で「自分の最高傑作」と書いているのを知ってとても嬉しかった。デッサンの狂いやマーキングの間違いなども確認できるのだが、一枚の絵画として優れた作品だと思う。子どもだった僕にとって、それが兵器であることなどどうでも良く、ただただそのかっこよさに心を躍らせていた。その頃の僕は、ボックスアートさえかっこよければ中身が多少変でも許せた。しかし、その逆は絶対になかった。そういう意味では、ボックスアートは子どもに夢を見させる魔法ですらあったのだ。  

 あるプラモ雑誌で例の3号戦車等のボックスアートをジオラマで作って撮影するという特集を組んだことがある。キットはオリジナルのものを使っていたが、写真の出来はあまり良くなかった。実はそれに先駆けて、僕はすでに同じ事を試みていた。手前味噌で申し訳ないが、自分の作品の方が雰囲気の再現では勝っていたと思う。なぜなら特集の作品がスタジオ撮りであったのに対し、僕は背景を本物に似せて描き、自然光を使って撮影したからだ。勿論光の来る方向も調節した。戦車本体についても間違ったマーキングを再現し、あり得ない場所に予備転輪を配置するなどしてボックスアートの再現に努めた。この作業の様子を見に来た今は亡き父が、にやにやしながら「人生が楽しくないわけがないな。」とつぶやいたのを今でもよく覚えている。この写真は街のプラモ屋さんのコンテストで銀賞をいただいた。勿論ジオラマも展示した。今はため込んだキットを作る時間もままならないが、そんなこんなを全てひっくるめて、僕はプラモが大好きなのである。

 平野克美 編 「高荷義之 プラモデルパッケージの世界」(大日本絵画)より

 こんな感じ。これは実際に展示したもの。使用したのはタミヤ1/35MMシリーズの3号戦車。マローダー(墜落機)の角度がちょっと・・・。土煙はペイントショップで加筆。 イラストで飛んでいるドイツ機は残念ながら省略。

 ちなみに本文で言及した某プラモ雑誌編集部の作品は大日本絵画社の「タミヤの動く戦車プラモデル大全」(2008年発行)86ページに掲載されている。オリジナルのタミヤ 1/21デラックス戦車シリーズのキットを使用。こちらは高荷義之画伯が後に加筆・修正したものを再現したのかもしれない。この修正後のイラストは徳間書店の「高荷義之 イラストレーション」(1986年発行)等で見ることができる。

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 ウスターソースの進化

 このところ話題が料理づいているけれど、今日はウスターソースについて。だが、イギリスはウスターシャー州出で生まれたからウスターという名前なのだとか、ある主婦が野菜くずその他をポット(容器)に入れたのを忘れてほっといたら勝手にできあがっていたとか、そんな話をしようというのではない。日本のウスターソースは、発売以来格段の進化を遂げているようだ、というお話。ただし、あくまでも「個人の感想です」から、何の信憑性もありません。そこんとこ、よろしく。

   そもそも僕は、ウスターソースなる物があまり好きではなかった。その昔、カレーにかけたのは醤油だったし、トンカツも醤油マヨ(僕はマヨラーでもある)で食べるのが好きだった。あるとき、「トンカツソース」というものが存在するのを知り、それ以降はかなりの割合でこれを使うようになった。現在ではかなりの種類の「ソース」なる物が存在し、我が家にもほぼ3種類のソースが常備されている。ウィキペディアによれば、その粘度によって、「ウスターソース」「中濃ソース」「濃厚ソース(トンカツソースはこれに含まれる)」の三種類に分類されるそうだ。

   僕がウスターソースを敬遠したわけは、当時のウスターソースに含まれていたヨード臭が嫌いだったからだ。これは今でも苦手で、例えば僕はウイスキーだとスコッチ、それもモルトウイスキーを好むのだが、それでいて「ボウモア」のような、海藻由来のヨード臭があるものは苦手だ。いくら「通好み」と言われても、いまだに飲む気になれない。そんなわけで、僕のソース歴(?)はほとんど「トンカツソース歴」であった。

 あるとき、あるカクテルを作るためにウスターソースを購入する機会があった。そのカクテルとは、「レッド・アイ」。ビールをトマトジュースで割っただけの簡単なカクテルなのだが、そのレシピには、仕上げとして「レモンを搾り、お好みでウスターソースやタバスコを加える」とある。このカクテルは、もともと二日酔いの朝(目が充血して真っ赤=レッド・アイ)に迎え酒として飲むもの。だからビタミンを加えたり、刺激物を加えたりするらしい。それをやってみたくて、何十年かぶりにウスターソースを購入したのだ。そして発見した。今のウスターソースにはきついヨード臭がないことを。ためしに自家製コロッケにかけてみた。美味しい。次にトンカツに、辛子を添えて使ってみた。美味しい!いったいいつからこの味だったのだろう。僕はいったいどれぐらいの時間を無駄にしたのであろうか(大げさな)。 ここからが個人的な見解になるのだが、けっして僕の味覚が変化したわけでは無いと思う。確かに格段に美味しくなっている気がする。特にパン粉を使った揚げ物との相性は抜群だ。一気にトンカツソースの消費量が減ったぐらいだ。しかも特別な、本格的な商品を買っているわけではない。そのへんで普通に売られている、一般的なメーカーのものだ。あえて言うなら、あの、かみつかれそうなヤツだ。

 以前から何度も書いているように、僕は料理が趣味だ。だが、いつもこだわりを持って料理しているわけではない。現在市販されている調味料はとてもよくできていて、うまく利用すれば十分納得のいく味を作り出すことができる。例えば、ポークソテーやハンバーグのソースとして、トンカツソースとケチャップを半々に合わせ、肉などを焼いたときに出た肉汁や焦げ付き(と言っても、真っ黒になった物はのぞく)をフライパンの中でこそげ取りながら混ぜ、赤ワインと、隠し味に醤油を垂らして加熱するだけで、なかなか良い感じのソースができあがる。粒マスタードを加えたり、生クリームを加えたりすることによって、バリエーションも楽しめる。勿論、市販のデミグラスソースを少量加えても良い。これは使うソースやケチャップがよくできているからできることなのだと思う。 そんなわけで、今のウスターソースもとてもよくできている。日々改良が加えられてきたに違いない。そういった、企業としては当たり前の努力にあらためて気付かされたのであった。そして今では、我が家の「食」における必須アイテムの一つとなっている。イギリスに美味いものなし、というが、このウスターソースと、もう一つ、これも英国人の発明である「カレー粉」に関してはとても感謝している。

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 なるほど、イタリア料理。

 料理を趣味にしていると、面白いことに気付く。そのお国柄が料理によく現れていることもそのひとつだ。例えばイタリア料理。

 フランス料理や中国料理には、なんでこんなに時間がかかるんだ、みたいな料理がよくあるが、イタリア料理はあまり時間のかからないものが多い。誤解を恐れずに言うならば、「料理人、楽してるなあ」という感じ。イタリア人って、「シェスタ」ていう習慣があるでしょう。要するに「お昼寝タイム」だ。それを大人が、仕事中にとる。そんなことからも、時間節約のために手を抜いてるんじゃないか、などと思いたくなってしまう。しかし、皆さんご存じのようにイタメシは美味しい。僕のレパートリーにもイタリア料理は結構ある。そして実際、作るのは楽だ。自分で作るようになって、その理由がわかった。

 イタリアの有名な食材で、知っているもの、何があります?例えばパスタ、トマト、バジル。その他にも、ああ、言われてみれば、というのがアンチョビ、生ハム、バルサミコ酢。超高級品も存在する。  

 日本では、アンチョビは敬遠されることが多い。子ども連れでアンチョビ入りのピザをオーダーすると、「アンチョビが入っていますが大丈夫ですか?」なんて念を押されることがよくある。しかし、このアンチョビを調味料として使うと実に効果的で、ソースの味に深みが出る。特にトマトとの相性は抜群だ。そんなわけで、うちの冷蔵庫には欠かしたことがない。仮に魚介のトマトソース・パスタを作るとしましょう。まずオリーブオイルでニンニクとタマネギのみじん切りを炒め(ここで例のロースト・オニオンを使うとえらく時短になる)、殻つきのエビ、あさり、イカの切り身などを加えて炒め、塩・黒こしょうを振る。この時にアンチョビのフィレ(瓶詰めで売っている)を、4人前の材料に対して2本ぐらい、細かく刻んで一緒に炒める。これを入れるか入れないかで味が格段に違ってくる。あとはカットトマトの水煮缶とピューレなどを加え、塩・コショウで味を調え(ソースなので塩は強めに)、必要に応じて水を足しながら軽く煮詰める。そこに1分短く茹でたパスタを加え、加熱しながら絡めてできあがり。仕上げにイタリアンパセリを散らし、オリーブオイルを軽く振れば完璧。いや、違うな。炒めた具材をいったん取り出し、パスタを入れる直前に戻した方が良い。そうすることで,エビやアサリに火が通り過ぎるのを防ぐことができる。これで完璧。説明しなければアンチョビが入っていることなど誰も気付かない。

 折角だからもう一つ。イタリアン・ポークソテー。こちらはバルサミコ酢を使う。

 豚ロース(ソテー用)を包丁の背で軽く叩き伸ばしてスジ切りし、塩・コショウして強力粉を軽くまぶす。バターとオリーブオイルを1:1の割合でフライパンに溶かし、肉を両面こんがりと焼く。肉を取り出し、そのフライパンにバルサミコ酢、赤ワイン、醤油を3:3:1(醤油はお好みで増やしても良い)の割合で加えて、軽く煮詰める。焼きつきそうなら水を少量加える。味を見てOKならフライパンに肉を戻して絡める。バターの風味が好きな人は、肉を戻す直前に少量のバターを加え、溶かしてやるとさらに風味が際立つ。大ぶりのフライドポテトを添えていただく。ここで大事なのは、肉を選ぶときにしっかり脂身がついているものを選ぶこと。最近、脂身の部分を削り取ったロース肉をよく見かける。全く、余計なことを。豚の脂身には独特の甘みと香りがあるので、僕としてはそれをしっかりソースに使いたい。嫌いな人は食べるときに残せば良いのだ。

 イタリアにはすごい食材がたくさんある。腕利きの職人がそれらの食材をプロデュースし、料理人はその組み合わせを考え、最大限に生かすことによって、美味しい料理を作りだす。フレンチのシェフがクリエイターだとしたら、イタリアンのシェフはコーディネーターかもしれない。そういう意味では和食に似ている。フレンチ・シェフはフォン(だし)から自分で作るが、和食の料理人は鰹節は作らない。出し昆布も,信頼する業者から手に入れるのが普通だ。そこがイタリアンの構造と似ている気がするからだ。 そこへいくとドイツ料理なんて、質実剛健そのものだ。うちで時々「アイスバイン」(注)を作るが、塩気の強い付け汁につけ込んで一週間待ち、それをただの水と少しのスパイスで2~3時間ゆでるだけ。この素っ気ない料理法で美味いものができあがってしまうからすごい。材料も一般的な物がほとんどだから、家庭でもレストランと同じ味のものを作りやすい。こうしたドイツ気質丸出しの素朴な料理は、悪名高きイギリス料理の「とりあえず食えるように料理してあります」的な物とは一線を画する気がする。

(注)アイスバイン

 塩漬けの豚肉(正式にはバイン=すね肉を使う。)を長時間ゆでた料理。個人的にはモモ肉とかロース肉を使った方が美味しいと思います(すね肉はコラーゲンが豊富で、豚足に近い)。ドイツワインに同じ名称のものがあるが、こちらは「アイスヴァイン(綴りもBとVでちがう)」。冬になるまでブドウの果実を摘まずにおき、糖分が極限まで凝縮した物で作った極甘口のワイン(ヴァイン)のこと。キンキンに冷やして飲むと、美味いんだこれが。ただし、「何かの料理に合わせよう」なんてことは考えないほうが良いと思います。あくまでもデザートワイン、ということで。ちなみ「アイス」とつくのは「ブドウが凍るほど寒い時期まで摘まずに置く」という意味。そうすることで水分はほとんどなくなり、糖分だけが濃縮されて残るというわけだ。このタイプのワインは世界各地で作られており、日本にもある。また、この製造過程でブドウに運良く貴腐菌がつくと、できあがるワインは「貴腐ワイン」という希少価値の高い極甘口の高級ワインになる。

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  年齢不詳

 今日は2021年1月12日。なんとか年は明けたが、新型コロナのおかげでなんだかちっともそんな気がしない。つい先日、2度目の緊急事態宣言なんてものも出てしまったし(幸い僕の住んでいる地域は現在対象外)。この状況は,いったいいつまで続くのだろう。まったく、厭になっちゃうな。

 さて、お気づきの方も多いと思うが、僕はこのブログを立ち上げるにあたって、現在の職業や年齢があえてわかりにくいように書いている。一般的な意味で言うところの匿名性を重視しているわけではなくて(はじめは実名で書こうと思っていた)、具体像が明らかになると、多くの支障があることに気付いたからだ。

   今までの記事を読めば、僕の年齢などは何となくわかってしまう人もいるのではないかと思う。一時期教員をしていたことは明記してきた。美術系の大学に通っていたことも書いたっけ。でも、それ以外のことについては、特に先入観をもたれそうなことは伏せている。その方が読者が読みやすいと考えたからだ。面白い実例を挙げましょうか。

   皆さん、学校に通った経験はあるでしょう?学校には良い先生も、気に入らない先生もいたはずだ。さらに、校長先生、なんていう人もいて。そこで、ちょっと思い出してみてほしい。集会の時、「校長先生のお話」を毎回真剣に聞いていた人、どのくらいいます?あんまりいないんじゃないですか?じゃ、次は、ちょっと考えてみてください。なぜ生徒は「校長先生のお話」を聞かないのか。実は、ほとんどの生徒は「校長先生のお話は、内容が真面目でつまらない、しかも長い」と思っている。今までの人生のどこかでそういうイメージが作られ、それが先入観を持たせてしまうのだ。こうなると、校長先生がどんなに素敵な話をしたところで、生徒の耳にはなかなか入らない。折角の話が無駄になってしまう。実はこの先入観というのがやっかいな代物で、例えば、自衛官が「国防は大事だ」と言うと、「自衛官なら当たり前の意見だ」と思うだろう。「この人なら、こう言うに決まっている」という先入観のなせる技だ。だが自分に近しい、普段国防の話なんてしない人物が同じ事を言うと、聞く側の受け方がまるで違ってくる。「なぜこの人がこんな話を始めたのだろう、この人はどんな考えを持ってこう言ったのだろう。この話、どう発展していくのかな?」というふうに。

 言語によるコミュニケーションでは、これはとても重要な問題で、発信者がどんな人物かによって(その人物についての情報量が多ければ多いほど)、その印象は大きく違ってくる。それならば、語り部はただの語り部でしかない、というのが一番望ましいのではないか。僕にはそう思えてならない。特にブログのような、文字によるメディアではなおさらだ。だから僕は、それぞれの文章について、それがよりわかりやすくなる情報は開示するが、決定的な人物像や「イメージ」を持たれないような工夫もしているわけだ。

 さらにもう一つ。僕のように、例え一時期であっても教員を経験した人間はたくさんの人と接した時期があるから、実名や住んでいる地域が明らかになると色々としがらみが生じて、書きたいことを書きにくくなる。それも避けたかった。そういったわけで、このブログでは最低限のニュートラルさは維持しておきたいと思っている。

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 肉を煮込む

 料理が好きである。作るのも、勿論食べるのも。僕は美術系大学の出身だが、今ではほとんど絵を描かず、料理ばかりしている。僕のなかでは、ある時から「究極の芸術は料理である」ということになっている。五感の全てを使って楽しむことのできる、究極の創造物(食えば無くなるから、「インスタレーション」のカテゴリーになるのかな)。そんなわけで、僕の場合、手に入れたレシピ通りに料理することはほとんど無い。アレンジを加えたり、足りない素材を別のものに置き換えたりして作ることがほとんどだ。

   長いこと料理を趣味にしていると、色々コツがわかってくる。例えばフレンチだと、煮込み料理は始まりはみんなほぼ同じ。香味野菜(僕は通常ニンニク,タマネギ、ニンジン、セロリを使っている)をバターで炒め、軽く塩コショウを振る。一度取り出して、同じフライパンで塩こしょうした肉(料理に合わせて選ぶ)に焼き色をつける。香味野菜を戻し、小麦粉を振って焼き色がつくまでさらに軽く炒める。この小麦粉が煮込む段階でとろみを演出してくれるので、ルーを別に作る必要が無い。これは何も特別な方法ではなく、プロもよく使う手だ。さて次。ここからの作業の違いと使う肉の種類によって、色々な料理が作れる。

1 肉は牛のバラ肉を選んで、コンソメスープと赤ワイン、トマトピューレ(もしくはト マトペースト)、さらにローリエなどを加えて2~3時間煮込めば「ビーフシチュー」ができあがる。

2 肉は鶏のモモ肉を選び、コンソメスープと赤ワインとローリエだけで1時間ほど煮込 むと「コック・オ・ヴァン(鶏の赤ワイン煮込み)」になる。ちなみに、使う赤ワインを「シャンベルタン(高級なワインで、当然高価。個人的には、料理なんかには使えません)」という地域のワインに限定すると、「コック・オ・シャンベルタン」という特別な料理になる。

3 変化球としてはイタリア料理。同じく鶏モモを使い、小麦粉を振らずにコンソメスープとトマトの水煮缶、ローリエを加えて1時間煮込むと「鶏肉のトマト煮」になる。お好みでバジルを。

4 次はちょっと信じられない料理を一つご紹介。鶏モモ肉を使い、煮込むときにコンソメスープとシャンパン(注)を使う。勿論ローリエも。1時間ほど煮込み、仕上げに生クリームを加えて、馴染むまでさらに軽く煮込む。

 1,2,4に関しては浮き油を取り除くことが大事。特に鶏モモ肉は油がたくさん出る。基本的にはできあがったら肉を取り出し、煮汁をシノワ(ザルで良いです)で漉して肉とともに鍋に戻す。温め直して盛りつける。くたくたになった野菜も食べられるが、ほとんどカスです。どうしても繊維をとりたいというのなら漉さずにどうぞ。止めはしません。なお、アクについては、出るそばからすくい取るのではなく、ある程度煮込んで残ったものだけをとること。そうしないと、うま味まで捨ててしまうことになる。 この4種類の料理は味も見かけも全く違うけれど、途中まではほとんど同じ行程。使う肉が違うだけ。赤ワインに関してはチリ産のカベルネ・ソーヴィニオン(使っているブドウの品種名。ラベルで確認できる)で十分。

 中華料理のトンボウロウ(豚バラ煮込み)は煮込みと言いながら実は蒸し煮であって、しかもあの独特の香りに行き着くには最低でも2時間半を要する(理想は3時間。蒸し煮の時間だけで、です)。知り合いが待ちきれなくて2時間で上げてしまったところ、味も香りも食感もまるで違うものになってしまった、と言っていた。ここはアレンジ不可、ということですかね。料理には「ここは絶対変えちゃダメ!」っていうポイントもあるのでここは要注意だな。

 今では「ローストオニオン」なんて便利な物を売っていて、時短にとっても役立っている。本格カレーとか、麻婆豆腐とかも、やってみると結構簡単にできる。面倒なのは材料を揃える手間や下ごしらえであって、今はカレー用のホールスパイスは「アマゾン」で全て手に入るのでありがたい。下ごしらえなどは、僕はリビング(うちはリビング・ダイニングキッチン)で映画を見ながらやってしまう。麻婆豆腐なんて、プロが調理している動画を見てもわかるように、実際に鍋を火にかけている時間は20分ぐらいだ。

 大事なのは、綺麗なまな板、コショウ挽き、切れる包丁かなあ。スクレーパーもあると便利。それから味見ね。だいたい、レシピを作った人と味の好みが合う保証なんて無いんだから、自分好みの味を見つけ、必ず自分の舌で確認すること。美味しい料理を作るためには、味見は絶対必要です。

(注)「シャンパン」とはフランスの「シャンパーニュ」地方の発泡ワインを指す名称なので、それ以外の地域で作られたものは「シャンパン」とは言わない。広い意味での「スパークリングワイン」というカテゴリーがあり、そのなかでシャンパーニュ地方で作られているものをシャンパンという、と考えればすればわかりやすいかも。さらに、炭酸は醸造の過程でボトル内で発生したものなので、後から炭酸を注入したものは全く違う種類の酒である。日本酒の一番搾りにも、時々こうした発泡性が見られることがある。

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 押しかけのカイセイ

 休日のある日、庭の方から猫の鳴き声がする。うちの周辺は田舎で、ノラ猫にとっては天国みたいなところだから、これは大して珍しいことではない。だが、このときの鳴き声は何か切羽詰まった雰囲気を含んでいた。通常猫は自分の居場所を隠すために必要以上に鳴くことはない。だが今回はいつまでたっても鳴きやまない。掃き出しから外をうかがうと、庭木の陰で黒っぽい小さな塊がこっちを見ているのがわかった。サッシを少し開け、チッチッと舌を鳴らすと返事をするようだ。外に出てみたが、その黒っぽい塊は藪の中に逃げ込んでしまう。家に入って様子をうかがうとまた、かろうじて見えるところまで出てくる。小さい。親とはぐれたノラかな?しばらくすると、庭の広いところまで恐る恐る出てきた。黒じゃない。サビ猫だ。かわいい顔をしている。黒毛が目から鼻先にかけて集中しており、ちょっと狸っぽい。一緒に見ていた上の娘に声をかけた。            「きのうのマグロの刺身、まだあったよな?」       「うん。」                        「持ってきて。」                     小さな一切れをトレイに乗せて庭に出ると、サビ猫は一目散に藪に隠れてしまう。さっきまでいたあたりにトレイを置き、自分は室内に戻って様子をうかがう。出てきた。かなり警戒していたが、よほど空腹なのだろう。しばらマグロの匂いを確かめると、すぐに貪るように食べ始めた。

  猫というのはなぜかマグロの刺身を食べるときに変な声を出す。猫によってはそれが「マグロウマイ」と聞こえる。その時、初めてそれを聞いた。

  マグロが綺麗になくなると、また藪に戻って鳴きだした。伝わるはずもないのに「マグロあるよー」などと言いながら、出て行ってトレイの上にもう一切れ。今度は室内に戻らず、サッシの出口に腰掛けて様子を見た。かなり警戒しているがまた出てきた。こちらの様子をうかがいながら、また何か言いつつ食べた。次の一切れの時には少しずつ近づいてみた。逃げない。こちらの存在には気付いているはず。背中に触ってみる。ビクッとしたが逃げない。次の一切れを食べ終えると、もうその場から逃げることはなかった。「もっと」みたいな顔をする。慣れるの早すぎじゃん。抱き上げてみた。抵抗なし。よほど寂しかったのか、それとも相当図太いのか。声に気付いてから30分とたっていない。瞬殺である。家の中に入れても驚かない。うろうろしながら、先住民(シャミという猫の子ども4匹)のケージを不思議そうに見ている。どこかの家で生まれたのを捨てられたのかもしれない。先住民たちも最初は警戒していたが、すぐおとなしくなり、興味津々で見ている。                「これ、かわいい。」                   と下の娘。次に何を言うかはわかっている。だから先に言った。                                 「ママがこれ見たら起こるぞ。」

 ママは怒らなかった。                 「どうすんの?飼うの?」                「余裕があれば。」                    そう言わせてしまうほど小さくて、かわいい顔をしていた。 「しょうが無いわねえ。」

 こうしてサビ猫は我が家の押しかけ猫となった。去勢。ワクチン。ワクチンでは死にはぐったがすぐに回復。当時のアニメのキャラ名から「カイセイ」と名がついた。劇中のカイセイって狸なんだけどな。そういえば、海外のアニメ映画「ヒックトドラゴン」に出てくるトゥース(レス)というドラゴンにも似ている。

 最近「カイセイ」はアトピーを発症し、過剰グルーミングによる脱毛を防ぐために半袖半ズボンのつなぎを着ている。これまたかわいい。そして僕の腹の上で寝る。許す。ただ、時折本気で熟睡して転げ落ちたりする。お前、それでも猫か?

  あれから何年経っただろうか。今でも時々、マグロをせしめては訳のわからない独りごとを言うカイセイであった。

本人はリラックスしているらしい。
半袖半ズボンのつなぎ。

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 クリスマスの奇跡

 「クリスマスの奇跡」というワードで検索すると、必ず引っかかってくる話に「クリスマス休戦」というのがある。これは紛れもない実話で、第一次世界大戦中、1914年のクリスマスイブに西部戦線で起こったこと。簡単に言うと、ドイツの陣地から聞こえてきた「きよしこの夜」をきっかけに、イギリス軍もこれに加わるなどして、双方の将兵が自発的に停戦状態に入った(一説によるとフランス軍も参加?)。彼等は塹壕を出て食べ物や酒を交換し、英語のわかるドイツ兵が多かったことから、親しく交流した。25日には野ざらしになっていた戦死者の合同葬儀を行い、サッカーの試合までしたという。ちなみに2014年にはこの出来事の100周年を記念して、ベルギーで現代の英軍と独軍がサッカーの試合を行ったそうだ。また英国では毎年記念試合を行っていて、会場では当時の軍服を着た観戦者も見られるという。

  詳しいことはネットで簡単に見つけられると思うので割愛するが(クリスマスの奇跡・クリスマス休戦で検索)、最近の映画「戦場のアリア」にも詳しく描かれている。勿論映画なのでかなり脚色されているが、雰囲気はよく出ている気がする。ユーチューブにも関連する動画(もとはCM?)がUPされているようだ。当時撮影された写真も残っていて、これもすぐに見つかる。感動的な話なのだが、ちょっと考えさせられることもある。

 「戦場のアリア」で、イギリス軍の新兵を送り出す神父が神のご加護について言及するシーンがある。神は君たちの味方で、敵は神に逆らうものたちだ、的なことを蕩々と言って聞かせるのだ。多分現実的にも、このような場面はあったに違いない。だが軍事マニアでもある僕は知っている。敵であるドイツ軍の軍服の一部である革製のベルト、そのバックルには「神は我々とともにあり」と書かれている。うーん。じゃ宗教って何なんだろう?ただの便法なんだろうか。

 この休戦のことを聞いた両軍の上層部はかんかんだったそうだ。だが、キリストの誕生日に自らの判断で戦いを止め、祝った現場の将兵たちのほうがよほど筋が通っている気がするんだけどなあ。

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 クリスマス・キャロル

 「クリスマス・キャロル」といえば、イギリスの作家、チャールズ・ディケンズの傑作の一つである。強欲な独り者で、「クリスマスなどくだらん!」が口癖の老人スクルージがクリスマスの霊の力によって改心し、誰よりもクリスマスを愛する善人になっていくお話。これまでに何度も映画化され、スピンオフ的な作品も存在する。コメディアンで喜劇俳優のビル・マーレイが撮った現代劇「3人のゴースト」もそうだし、レアなところでは多分TV映画であろうコメディ「間違いだらけのクリスマスキャロル」もある。特にこの「間違いだらけのクリスマスキャロル」は作りがチープな割に俳優たちの個性が光っていて僕的には傑作といって良い。何しろJ・マーレィ(最初の幽霊)として出てくるのがドレッドヘアーのジャマイカ人(ボブ・マーリー?)で、ジェイコブは先祖だ、とのこと。肌の色については「ご先祖も男だから、いろいろあってさ・・・」なんて言うのだ。とにかく笑いの質が良い。かなり前にWOWOWで一度だけ放送され、録画してあったものを毎年見ている。どこかの会社でディスク出してくれんかなあ。

  本家について言えば、主人公のスクルージを幾多の名優が演じてきた。例えば名優ジョージ・C・スコット(立派すぎて実感がわかない)や、新しいところではクリストファー・プラマー(「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ大佐)、ディズニーのアニメ版ではジム・キャリーが「中のひと」を演じていた。だが、我が家ではそれらを抜いてダントツ1位の評価を得ている作品がある。それがイギリスの映画「スクルージ」である。

 1970年頃、イギリスの映画界がミュージカルを映画化しまくったことがある。その頃の一連の作品の中の1本。内容をかなりいじってあるので「クリスマス・キャロル」というタイトルを使えなかったのだろう。それで原題は「スクルージ」。でも邦題は「クリスマス・キャロル」となっている、見事な出来のミュージカル作品。スクルージを演じるのは名優アルバート・フィニー(1作目の「オリエント急行殺人事件」のポワロを演じた人)。脇を固めるのがケネス・モア、そして何と、J・マーレイ の幽霊をサー・アレック・ギネスが演じている(スター・ウォーズのオビ・ワン・ケノビ)。その他にも戦争映画「史上最大の作戦」や「大脱走」の英軍兵士役で見たことのある人がたくさん出ている。

  原作ではあれほどかたくなに断ってきた甥の家でのクリスマスパーティーに出かけていくところがクライマックスとなるが、この「スクルージ」では12月25日の朝から町に出かけ、町の人々(下流階級)に施しまくる。彼はそんな自分が嬉しくて楽しくてたまらない。人々は彼に付き従い、大道芸人や上流の人々が集う教会の聖歌隊まで巻き込んで、いつしか大パレードに。この盛り上げ方が半端じゃない。絵に描いたような大団円。前半のクラチット家の「お買い物シーン」も良い。下町のイブの雰囲気がひしひしと伝わってくる。そして何よりも、過去の幻影の中で、自分の人格が破綻した理由は心ならずも愛する人去らせてしまったためだったと悟るシーン。「ここから連れ出してくれ、辛すぎて耐えられん。」いやー、はっきり言わせてしまうんですね。

 ミュージカルであるから演技は多少大ぶりだが、俳優たちも皆良い演技をしている。アルバート・フィニーの厭らしい爺さんから好々爺へと変化していく様(クリスマスの朝、「過去を捨ててもう一度始めよう」と歌い踊るシーンは特に好きだなあ)やアレック・ギネスの怪演、忘れてはならない「クラチット(デイヴィット・コリングス)」や「スープ屋のジェンキンス」(役者名がわからない、けど彼の歌う「サンキュー・ベリー・マッチ」最高!)も欠かせない存在だ。それから勿論ティム坊やも。ただし、ティムを演じたリッキー・ボーモンについてはこれ以降の情報がほとんどない。

  うちではクリスマスが近づくと色々なクリスマスムービーを見るのだが、「スクルージ」はいつも最後までとっておく。そしていよいよ、という段になって初めて家族で鑑賞する。映画としてもミュージカルとしても傑作なので、まだ見ていない人はぜひともご覧あれ。おすすめです。

追記                                                           折角だからもう一本ご紹介。「エルフ」。キャストが凄いよ。主人公のエルフ(妖精、本当は人間の子)に有名なコメディアンのウィル・フェレル、その父親に何とジェームズ・カーン!母親にはメアリー・スティーンバージェン(バック・トゥ・ザ・フューチャー3のドクの奥さんになった人)。おとぎ話ながら、よくできたクリスマス・ムービー。映画のラスト、セントラルパークでの「サンタが町にやってくる」の大合唱は嬉しくて泣ける。これはいつも「スクルージ」のちょっと前に鑑賞する。どうでも良いか。

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  JTBのAさん

 以前、僕は教員をしていたことがあった。そのほとんどの期間は中学校に勤めていたから、何度も修学旅行の引率をした。僕の住んでいる地域では、修学旅行といえば京都・奈良方面と決まっていて、京都なんて、プライベートを含めると20回近く訪れていると思う。そんな修学旅行の世話は旅行会社が請け負っており、毎回各社のプレゼンを聞いて担当する会社を決定する決まりだった。ある年、僕が主任をしている学年の修学旅行にJTBがつくことになった。担当はAさん。打合せのために何度も学校を訪れた。この人はまだ若いので腰が低く、いつも笑顔を絶やさず、それでいてちっとも嫌味な感じのしない好青年だった。僕は「せっかく高い金を払わせて行くんだから」と、無理難題を押しつけるのが常だったが、彼はいやな顔ひとつせず、むしろ自分も面白がって、いろいろな提案をしてくれた。夕食を宿で取らず、外食にしたこともあったし、東京駅から地元までの帰りのバスを地元の会社ではなく、あえて「はとバス」を使ったこともあった。どちらもAさんと僕で考えたアイディアで、この二つのアイディアはしばらく僕の務めていた地域のスタンダードになったが、僕らが発案者であることは、多分誰も知らないだろう。本当のことを言うと、はとバスに関してはほぼAさんのアイディアだ。そしてこれには訳がある。実はその前にやはりAさんと組んだときに、僕がとんでもない提案をしたことがあって、それをAさんが覚えていたのだ。

   2泊3日の修学旅行。当時3日目の昼食は新幹線のなかでとることになっていたのだが、その弁当の予算は高くても1,000円が相場だった。しかしその時、僕は2,600円の弁当を出すようにお願いしたのだ。Aさんはその型破りの指示に驚き、予算について心配していたが、当時はおおらかな時代だったので、何とでもなった。言っておくが、もちろん合法的に、だ。ではなぜそこまで弁当にこだわったのか。理由はその弁当の味と、体裁にあった。おいしいことは絶対条件だったが,その弁当箱は12升に区切られており、その一つ一つに京の12ヶ月に関する料理が詰め込まれていた。お品書きがついており、その料理がどこそこの寺や神社と関係することや、料理の由来が説明されていた。僕はAさんにこう言った。                   「帰りの新幹線に乗ってからも京都の余韻に浸れるし、自分の行った寺社の説明があれば良い復習になると思ってさ。修学旅行はうちに帰るまでが修学旅行って、よく言うだろ?」     このことを覚えていたAさんは気を利かしてはとバスを選んだらしい。彼はこう言ったのだ。                「先生は以前、家に着くまでが修学旅行だと言っていましたね。だからはとバスなんです。この意味、わかります?」    「どういうこと?」                                                    「バスが東京を抜けるのに30分はかかります。その間に東京の有名な場所をいくつか通ります。はとバスのガイドさんなら、その全てをきちんと説明することができるんです。」                               そこまで考えてくれたのか!やっぱりこいつはたいした男だ。仕事の枠を超えている気がする。しかし、本当のサプライズは最後の最後にやってきた。

 Aさんと組んだ最後の修学旅行。その時、彼は出世していて、普通の添乗はしない立場になっていた。僕が頼んでも答えは同じだった。噂ではほかの学校も同じように添乗を依頼したようだが、もちろん彼は、その全てを断っていた。まあ仕方のないことだ。そう思いながら当日集合場所に行くとAさんがいる! ・・・あ、そうか。上役が見送りに来るのはよくあることだ。それはそれでありがたい。僕は彼に近づき、声を掛けた。                   「見送り?大変だね。」                  すると彼は、にっこり笑ってこう言ったのだ。       「いえ、僕が行きます。何とか調整しちゃいました。」 「・・・えっ!それってまずいんじゃないの?だってほかの学校、みんな断ったんでしょう?」             「いえ、大丈夫です。多分。」               多分ってなんだ?こっちは嬉しいけど、本当に大丈夫なのか?修学旅行は地域の中学校の日程が何校か重なる。現地で、いや修学旅行専用列車でも他の学校とバッティングする。バレバレだ。全く心配させてからに。案の定、1日目から見つかって、となりの車両(他校)に呼ばれて「なんで他校にいるんだよー。」なんて言われているのが通路越しに聞こえてくる。ナンだかなあ。しかし、この旅行が僕たち二人にとって最後なのはわかっていた。僕は来年、他の学校へ異動することがほぼ決まっていたし、彼は東京にご栄転の噂があった。お互い、特別な気持ちで臨んでいたんだと思う。

 2日目、ホテルで本部待機していた僕のところへAさんがやってきた。                      「先生、お昼どうします?」              「え?まだ何も考えていないけど。」           「寿司とりましょう、寿司!僕おごりますよ。」       「え?いいよいいよ、自分のぶんは出すよ。」       「いえ、おごらせてください。」              彼はポケットマネーで代金を支払ったようだ。領収証をもらわなかったのを僕は見ていた。だが、旅行会社の職員が教師に昼飯をおごるなんて聞いたことがない。でもあの笑顔で言われちゃ断れないよなあ。

  そして3日目。東京駅からは例によってはとバス。今では一つの楽しみになっている。地方都市にある学校近辺をはとバスが6台連なって走るのを見て、地域住民が目を見張る。それを車窓から見ているのが何とも面白い。やがてバスが学校周辺の大通りに停車した。生徒が全員安全に降車したことを確認した直後、Aさんが振り返って僕を見た。あの笑顔だ。                          「先生!お疲れ様でした。無事終わりましたね。ありがとうございました。」                       そう言って彼は、右手を差し出してきた。思わず僕はその手を握った。握手?業者と職員が?これも聞いたことがない。普通じゃあり得ない。彼が続ける。              「いや、楽しかったです。先生と組むと仕事が楽しいです。本当にいろいろなことを教えていただきました。」        それはお互い様だ。あんまりびっくりしてしどろもどろに何を言ったか、今ではもう思い出せない。とにかくそんなわけで、僕には何から何まで驚きだらけの修学旅行になったのだった。  僕の異動が確定した頃、彼が再び学校を訪れた。彼の方も「ご栄転」が決まり、その挨拶に来たのだ。僕は彼を見つけると声を掛けた。                         「あのあと、大変だったろう?」             「はあ、支店長にこっぴどく叱られました。」       「大きな声じゃ言えないが、僕も異動が決まったよ。そっちも東京だって?」                      「はい、おかげさまで。いよいよ添乗はできそうにないです。」                                                                         そしてこう続けた。                   「先生と、もう一度京都に行きたかったです。本当にお世話になりました。」                       それは僕も同じだよ、Aさん。              「ほかの学校も回らなきゃならないんで、これで失礼します。先生もお元気で。」                    「ありがとう。Aさんもがんばってね。」          これが最後の会話だった。

  打合せのために彼の携帯電話の番号を聞いてあった。迷惑を考えてあれ以来かけたことはない。だが僕は今でもそのナンバーを保存している。もしかしたらもう繋がらないかもしれないが、そんなことはどうでもいい。なにはともあれ、僕にとっては大事な宝物なのだ。