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 夏といえば怪談 2023 「ヘタレの見たもの」 

 それは地域の清掃ボランティアがあった、とある日曜日の朝のこと。「今日は暑くなりそうだな」などと思いつつ、出かける準備をしていたのだが、ふと気づくと、うちの飼い猫である「ヘタレ」の様子がおかしい。微動だにせず、斜め上方の一点を見つめている。その視線の先には天井しかない。しばらく見ていると、急に動き出してソファーの後ろに入ってしまった。変だ。ヘタレは何かに驚いてもそこに行くことはほとんどない。しかもその位置から、先ほど凝視していた方向を警戒しているように見える。「おい、ヘタレ、どうした。誰か来てるのか?」これは猫どもがおかしな行動をとった時に家人が放つ常套句で、亡くなった親類の霊でも来てるのか、という意味の、いわばジョークだ。だがこんな天気の良い日曜日の朝に、わざわざ出てくる霊なんぞいないだろう。時間になったので、あまり気にもせず、僕は清掃ボランティアに向かった。

 1時間ほどの清掃作業の後、汗だくになって帰宅したのだが、やはりヘタレはソファーの後ろに退避したままだ。ヘタレは持病を持っているので、ちょっと心配になってきた。「おい、ヘタレ、大丈夫か?」ソファーの背もたれ越しに上から覗いた時、あることに気づいた。ヘタレの尻尾が総毛立って太くなっていたのだ。1時間以上もその状態でいたのだろうか。かわいそうな気もしたが、その場所から追い出してみた。するとヘタレは部屋の反対側にあるダイニングテーブルの下まで一目散に走って行き、そこでうずくまった。みるみるうちに尻尾がもとの太さに戻ったところを見ると、彼を驚かせた脅威はもう去ったらしい。だがいまだにどことなく落ち着かない様子で、結局いつものヘタレに戻ったのは、昼を過ぎてからだった。

 こういったペットの不可解な行動は、一般的によく報告されているものだ。5匹の猫がいる我が家も例外ではない。家人も慣れたもので、「また誰か来てる?」などと声をかけるのが常だ。だが、今回のヘタレの様子は今までとは明らかに違っていた。これまでヘタレが尻尾を太くしたといえば、仲間猫との小競り合いや、ガラス戸越しに野良猫と対峙した時ぐらいだ。だが今回は周りに猫はいなかった。別の何かを見て怖じ気づいたとしか思えない。それはまるで、ホラー映画の1シーンのようだった。

 あのときヘタレは、一体何を見たのだろうか。

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 夏といえば怪談 2023「おかえり。」

 シャミという名の、うちで飼っている猫どもの女ボスは、僕がベッドに入るとおなかの上に乗ってくる。読書などしようものなら、「私がここに居るのに、なんで本なんか読んでるのよ?」と言わんばかりに猫パンチを浴びせてくる。もちろん本に、だけど。でも君ねえ、もういい歳のおばさんだろ・・・いやいや、そういう話ではなかった。実はおなかの上にシャミが乗っていると、時には乗っていなくても、近頃もう一匹が足のあたりに跳び乗ってくるのだ。以前は身体を起こして確かめたりもしてみたのだが、そこには何も乗っていなかった。

 最も多いとき、うちには8匹の猫がいた。みんなもとはノラで、4匹はうちの敷地で生まれた。この何年かで3匹を失い、今は5匹。亡くなった1匹は老衰による腎不全、あとの2匹はうちで生まれた兄妹(多分)で、遺伝的に身体が弱かったらしく、1匹はやはり腎不全、もう1匹は何とかいう血栓のできる病気で亡くなった。シャミはこの2匹を含む4匹を産んだ母猫だ。

 昨日の夜もシャミは僕のおなかの上で眠り、夜半過ぎに、足もとにもう1匹が跳び乗った感触で目が覚めた。タオルケットの上に着地したときの、「ぽふ」という音まで聞こえたような気がした。今では身体を起こして確かめることはしない。ただ小さな声で「おかえり。」と呟く。

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 町のブラックジャック

 数年前の夏、僕はブラック・ジャックに出会った。といっても、べつに黒いマントは着ていなかったし、顔の半分の色が違ってもいなかった。メスを忍ばせていたりもしなかったな。そもそも道具らしい道具は使わなかった。

  その時僕は、ケガをしたなじみの(?)野良ネコを何とかしてやろうと、動物病院に連れて行った。そしてその治療中、慣れない環境におびえたそのネコが、僕の左薬指を本気で噛んだのだ。かなりざっくりいったので血がしばらく止まらなかった。ぼくの見立てでは3~4針縫うキズだった。獣医さんでキズ絆をもらったが、止血するのに5枚ぐらいは使っただろうか。獣医師は法律上人間の治療はできないので、ネコをうちに連れ帰ったその足で、僕は緊急夜間の外科医を訪ねた。受付で「どうされましたか」と聞くので、僕は事の一部始終を説明した。そして最後に、 「何針か縫う様だと思います。」              と付け加えた。

 しばらくして名前を呼ばれ、診察室に入ると、ちょっとロン毛の白髪の老医師がいた。ケガをした顛末を聞いた後、彼は僕に尋ねた。                         「消毒はしてあるんだね?」               「いえ。ですがあれだけ出血すれば問題ないと思います。」 「ふむ。」                        彼はヨードか何かの液体で傷口をあらためて消毒し、    「ちょっと痛いかもしれんよ?」              と言って、いきなり傷口を左右からつまみ、締め上げた。              「!」                         びっくりしたが、特に痛みは感じなかった。そのまま1分足らずじっとしていた。すると医師がいきなり、         「ほら!テープ巻いて!もたもたしてんじゃない!テープ!」 これは医師から看護士への指示だ。老医師にあるまじき迫力。まるで罵倒しているようだ。               「は、はい!」                      看護士は慌てて傷口をそれ専用らしいテープで巻き、これまた締め上げた。医師が、こんどは僕にむかって、        「痛くないかな?あまりきついと血が止まっちまうからね。」                          「大丈夫なようです。」                 「よし。明日また来て。キズを確認して消毒するから。」 「は、はい。」                    えっ?終わり?つまんでテープを巻いただけなんだけど。でもまあ、縫うよりは時間はかからないな。抜糸の手間もないし。いやいや、そういう問題か?その後、看護士さんに       「結婚指輪はしばらく外しておいてください。もし化膿して腫れ上がると、外れなくなって指が壊死したり、指輪を切り取ることになったりするんで。」                  などと恐ろしいことを言われ、テーピングの上から包帯を巻いてもらって(やっと治療してもらった気分になった)会計をして帰った。

   昔教師をしていた経験上、どう見ても3針以上は縫うだろうと思っていた。(綺麗に治そうとするならもっとかな。)それがつまんで1分、テープを巻いて終わり。翌日も腫れはなく、包帯がキズ絆に変わった。格下げかーい!結局2週間ほどで、わかりにくい傷跡だけを残して治ってしまった。今ではその傷跡も、言わなきゃわからない程度である。近代医学とは何かが問われる出来事であった・・・?

傷跡がわかるように撮影。薬指の先にうっすらと溝が・・・。

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 「おかあさん」の一周忌 2

 「おかあさん」の体調の変化は9月1日に始まった。まずエサを食べない。あんなに好きだったマグロもほんの少し口をつけるだけ。2日目に病院に連れて行って点滴。         「これで食欲が戻らなければ血液検査しましょう」      と言われ、1日様子を見た。点滴のおかげで多少元気にはなったが、やはり食べない。結果、再び病院へ。血液検査の結果を知って驚いた。腎臓にかなりダメージがあり、尿毒症みたいな状態らしい。先生のつぶやきが聞こえてしまった。        「この状態でよく動けるな・・・。」           ちょっと覚悟しないといけないか。でも本人はいつもと変わらないように見えるのに。 それから一週間は毎日日帰り入院。動物病院の先生は、                     「多少持ち直しましたが、いつ何があってもおかしくない状態です。特に心臓発作が起こりかねない状況なので。」      と説明してくれた。

 「おかあさん」の送り迎えは僕がやった。仕事は時間休をとり、定時に退勤した。「おかあさん」の体温は次第に低下していった。寝るときには必ずバスタオルを掛けてやったが、明け方にははだけてしまっていた。

   9日は仕事が休みだったが、午前中は台風が近くを通過中で、荒天だった。午前9時には雨が止んだので、「おかあさん」を病院に連れて行った。昨日あたりから足がふらふらで、歩くのが辛そうだった。いつものように「おかあさん」を預けて帰った。

 昼過ぎに病院から連絡が入った。状態が良くないのですぐ来て欲しい、とのことだった。                「わかりました。すぐ行きます。」            10分もかからなかったと思うが、ついたときには「おかあさん」は亡くなっていた。いつもの様に横になって休んでいるようにしか見えない。僕は聞いた。              「これってもう・・・?」                 先生は黙って頷いた。                 「そっか。・・・じゃ、おかあさん、帰ろうか。」      バスタオルで体を包み、抱きかかえてやった。       「もつと思ったんですがね・・すみません。」        先生が謝った。それは別にかまわない。十分良くしてもらえたと思う。 火葬が済み、1週間過ぎても喪失感は消えなかった。悲しみは感じなかった。ただ、 「あ、もう薬はいらないんだ。」 とか、 「あ、おかあさんのエサはもういいんだ」 などと手を止める自分に気付き、空虚感を感じた。こんなにも「おかあさん」のために時間を使っていたんだ、と思い、それでいてもっと何かしてやれなかったのだろうか、とも思った。しかし、現実には起こったことが全てだ。考えたって仕方がない。

  パソコンのデータのなかから「おかあさん」の写真を拾い出してみると、若い頃の写真が見つかった。でかい。人相(?)も悪い。こんなだったっけ、と、思わず笑ってしまった。最後にうちに来た頃はずいぶん丸くなっていたんだなあと(性格や表情の話である)思った。頬をケガで失った後の写真も多い。そのうちの一枚を画像処理して頬をもとに戻してやった。ついでに左目の奇形も何とか処理してみた。前から思っていたことだが、結構な美人さんだ。でもこれはやり過ぎだと思い、もとに戻した。

   最後の半年、「おかあさん」はよく膝の上に乗ってきた。そして必ず、僕を見上げた。                 「ここ、いいんですよね?」                と言ってるように思えた。                「うん、いいんだよ。」                  その瞬間が好きだったんだが、もう二度とないんだよなあ。

   そうそう、「おかあさん」が産んだ最後の子猫たち。あの中の一匹、「コチャ」は今ではうちの飼い猫として元気に暮らしている。「コグレ」は時々庭に現れる。美人さんだった顔が、今ではいっぱしのノラ猫のそれになってきた。それから、「おかあさん」がつけた指の傷跡。多分一生消えることはないだろう。

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 「おかあさん」の一周忌 1

 2020年9月9日は「おかあさん」という猫の一周忌だった。

 「おかあさん」との関わりはとても長い。家のある地域は県庁所在地のある都市の駅からほんの2、3㎞しか離れていないにもかかわらず、大きな川の流域にあるために農家が多く、水田や里山が広がっている。そこだけ時間が止まったような地域で、今でも狸やイタチ、キジなどを見かけることがある。大雨の降った後など、車を運転するときに亀やザリガニを轢かないように注意しなければならないほどだ。住む人の気持ちもおおらかで、野良ネコにとっては天国のような地域だ。

  当時我が家も庭先にエサ場を設け、野良ネコを手なづけてペット代わりにしていた。1990年代から現在まで、なじみのネコが3・4匹はいたと思う。その中の一匹が「おかあさん」だった。                        「かわいそうなネコだな。これじゃ拾う人もいないだろう。」 それが第一印象だった。というのも、彼女の左目には奇形があり、瞬膜で眼球の大部分が覆われていて、初めて見たときは僕自身もぎょっとしたぐらいだ。さらに体の模様も地味で、さえない感じだった。哀れに思ってエサを与えた、そんな始まり方だったと思う。

  彼女はしょっちゅうエサをねだりに来るわけではなく、いつも忘れた頃にやってきては、窓越しに家の中をのぞいた。「おっ!元気してたか?」                 なんて言いながら、エサを出してやった。痩せこけて来ることはなく、それなりに自活して元気にやっているようだった。子どもが生まれると、彼女は必ず連れてきた。ここにくれば食べ物があることを子どもたちにも教えているらしかった。そして子どもたちが馴染んだのを見届けると、またしばらくどこかへ姿を消すのだった。そんなわけで、僕たちはいつしか彼女を「おかあさん」と呼ぶようになっていた。

  2017年の春に、彼女はまた子猫を2匹つれてやってきた。灰色のブチと茶色のブチで、灰色の方はなかなかの美人さんだったが、茶色の方は目の上の毛が長く、そのせいで般若のような顔をしていた。                    「もうだいぶ歳なのに、頑張るなあ、おかあさん。」     そんなことを言いながら、子猫たちにはそれぞれ「コグレ」「コチャ」と呼び名をつけた。「グレコ」と「チャコ」では普通すぎてつまらん、というのが長女の見解だ。こうして2匹はめでたくうちの庭の常連となったのだった。そして「おかあさん」はいつものように姿をくらました。

  7月も終わろうという時に、夕方庭いじりをしていると、庭の南側の門のところに小さなネコが現れた。黙って見ていると、何のためらいもなく近づいてくる。近くへ来て驚いた。   「おかあ・・・さん?」                  あの左目は紛れもなく「おかあさん」。しかし見る影もなくやせ細り、しかも左の頬は大きなかさぶたで覆われていた。   「おかあさん、どうした!」                いつものようにエサが欲しくてきたに違いない。慌ててエサと水を出してやったが、この頬の傷では食べることもままならないだろう。案の定、匂いは嗅ぐが食べようとしない。あの痩せ方だと、食べたくても食べられない状態なのだろう。水だけ飲んで、いつものように帰ろうとするのを抱き上げ、部屋に入れた。こんな状態では帰すわけにはいかない。「おかあさん」は床の上でうずくまったまま、僕がケージの準備をするのを静かに待っていた。この頃にはうちでもネコを飼っていたので、行きつけの動物病院があった。電話を入れて事情を話すと、時間外だが看てくれるという。僕はお母さんをケージごと車に乗せ、すぐに病院に向かった。

  獣医の○○先生は頬の傷について、           「ケンカかなんかでケガをしたところからばい菌が入って、組織が壊死してしまったんでしょうねえ。もとには戻らないかも・・・。」                      「いや、とりあえず元気になりさえすればいいので。」    と答え、抗生剤やらなんやらの処置をしてもらい、薬ももらって帰宅した。うちはネコを多頭飼いしているので、予備のケージがあった。タオルやらトイレやらをしつらえてお母さんを入れた。エサは固形物を食べられそうにないので、しばらくはチュールとかポタージュでいくことにした。その方が薬も飲ませやすい。次々と帰ってくる家族は新しいケージが組み立ててあることに驚き、その中に「おかあさん」がいるのを見て驚き、その頬のキズを見てまた驚いていた。                 「もうあんな思いはしたくないからさ。」          と言うと、家族の誰もが頷いた。我が家には以前、助けられたかもしれないネコを1日遅れで助けられなかった、という悔やんでも悔やみきれない経験があったのだ。

 さて、「おかあさん」は2度目の通院の頃には体重が少しもどり、多少なりとも元気になってきた。おかげでパニックになった「おかあさん」に左手のくすり指をいやというほどかまれた。久々の大流血。見ると指の腹の部分が1.5㎝ほど裂けている。動物病院の先生も慌てて、                「人間の医者に診てもらってください。」          当たり前だ。これは縫わないとダメだなあ、と思っていたが、このキズをすごい方法で治してしまう外科医に出会うことになる。(この時のことについてはまた今度。)。 なにはともあれ、こうして「おかあさん」は、我が家の8匹目の飼い猫となったのだった。

 その後の通院の時に、かなりの年齢であることを話し、去勢手術はあきらめた。家猫として飼えば問題はなかろう。増設したケージはそのまま「おかあさん」の住まいとなり、家の中がニュースでよく見かけるような様相を呈してきた。やばいぞー。病院ではこんな会話をした。               「おかあさん、そろそろ名前をつけてあげたらどうですか?カルテのこともありますし。」                「だから、名前がおかあさん。」            「!?名前だったんだすか?」              「そう。」                        こうして「おかあさん」(仮)は正式に「おかあさん」になった。病院でもらう薬の袋には、常に「おかあさんちゃん」と書かれていた。なんだそりゃ。 ペットショップでは娘とこんな会話もあった。                       「そうだ、おかあさんのご飯も買わないと。」       「そうだな。ネコ缶とチュールを買って・・・」       そこまで言って気付いた。となりにいたお客さんがびっくりしてこっちを見ている。                   「言い方を考えた方が良いかも。」            「どうして?」                     「お母さんのご飯(=ネコのエサ)。」       「あっ・・・。」                    「お母さんのエサ、はもっとまずいな。」         「そうだね。」                      いろいろ学ぶことが多い(?)。

 それからしばらくして、顔のかさぶたは綺麗に落ちたが、左の頬の大部分はなくなっていた。しかし、体重が増え、体力もかなり戻った。そんなお母さんが正月に脱走した。ほんの少し開けてあったサッシを無理矢理こじ開けたらしい。あの老猫の、どこのそんな力が残っていたのかとあきれてしまった。だいぶ元気になったし、元々ノラなのでさほど心配はしなかったが、お母さんは3日後に帰ってきた。おしりにキズができて、血がにじんでいる。                          「んなあ。」                      「んなあじゃないよ、全く。病院!」            胴衣(包帯のかわり)を着せられ、エリザベスカラー(傷を舐めないように首に巻く、漏斗上のカラー)をつけられて帰ってきた。この頃から家の中でかまわず大声で鳴くようになった。さかりの時期だ。去勢していないので、本能のおもむくままに鳴くのだろう。うるさい。他の猫も大変そうだ。なでてやったり抱き上げてやったりすると静まるが、やめるとまた始まる。まあ、我慢するしかないか。「おかあさん」は春が終わる頃にはおとなしくなった。いよいよ猫又になるかな、なんて下の娘が言っていた。

 2019年には、「おかあさん」はだいぶ家に馴染んでいた。他の若い猫には体力ではかなわないと知ってか、はたまた新入りとしての自覚がそうさせるのか、皆がけんか腰になると、いつも我慢したり身をひいたりしていた。それでいていつも一番高い場所を独占するのだった。

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 シャミという名の猫

 シャミという猫とのつきあいは、「おかあさん」(うちに居着いたノラ猫の名前)に次いで長い。そして「おかあさん」が亡くなった(このことについては、後ほど別に書く)今、シャミは我が家と最もつきあいの長い猫となった。多分11歳。それなりにおばさんであるが、なかなか元気である。シャミは2011年、震災の年の6月に家の中で4匹の子どもを産んだ。これは家猫として飼っている。シャミの母親は、とっくに亡くなった(らしい)ノラの「クロ」か、あるいは「おかあさん」で、シャミ自身はその頃庭で遊んでいた子猫のなかでは一番臆病でなつかなかった。他の3匹が遊んでいるあいだ、シャミはいつも物陰から様子をうかがっているのだった。やがて子猫たちは一匹、また一匹と巣立って(?)いき、最終的にはシャミだけが残った。その頃にはさすがにシャミもなつき、家の中にまで上がり込んでくるようになっていた。2011年3月、東日本大震災の後、良くある例にもれず、パニックになって、どこかに姿をくらましてしまった。だが、そろそろ一ヶ月、というときになって、シャミは帰ってきた。初めは警戒して遠くから様子をうかがっていたが、僕の姿を見て一目散に走ってきた。そしてその6月に、シャミはあろう事か、家の中で4匹の子を産んだのだった。その子どもたちも、だからもう8歳になる。かわいこぶってる割にオジン・オバンである。

 シャミは子育てを終えると、家に居着いて外飼いのペットのようになった。シャミは三毛のけっこうな美人猫で、家の中に泊まることも多くなった。時には僕のベッドにまで上がってきたが、美人なのでつい許してしまった。当時は職場でよく、 「昨日は妙齢の美人がベッドに上がってきてさ・・・」 なんてつまらんジョークを飛ばしたものだ。

 そんなシャミとはよく散歩をする。僕の住んでいる地域は地方都市の一角だが、時の流れにおいて行かれたんじゃないかと思うくらいに農地が多い。近くには神社(人のいない小さなもの)もあって、この環境がここに家を建てた理由の一つだった。

 夏の夕暮れ時など、僕は娘とよく散歩に出かける。その神社までの農道を娘たちと一緒に歩き、賽銭をあげて帰ってくるのがおきまりのコースだ。すると待っていたようにシャミがどこからともなく現れ、尻尾をまっすぐに立てながら僕たちのお伴をするのだ。 

 神社に着くと、シャミは境内の大木によじ登ったり(いいのかなあ)、賽銭箱の前でごろごろ転がったり(本人としては砂浴びのつもりなのだろう、家族はこれを「奉納の舞」と呼んでいる)して、気が済むと僕たちと一緒に家まで帰ってくる。このとき一緒に家に入ればお泊まりコースになる。入らないときは翌朝まで夜遊びコースだ。 そして夜明けとともに入れろと騒ぐ。こんな生活を8年も続けているわけだ。近頃では、年齢のせいかシャミも気むずかしくなり、尿路の病気もあって扱いにくくなってきた。が、「おかあさん」がそうであったように、この関係はお迎えが来るまで続くだろう。ちなみに、シャミという名前は三味線に由来している。つきあいが始まった頃に、家の中のそこかしこで爪研ぎしているのを見て、 「こら!馬鹿やってると三味線にするぞ!」 と叱ったのがきっかけだった。我ながらすさまじい名前をつけたものだ。今ではすっかり慣れっこになってしまい、家の中にはシャミの爪研ぎ場が4~5カ所ある。

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 シャミとその子どもたちについて

 シャミとは半ノラの猫の名前である。うちと関わるようになって10年になる。半ノラといっても、最近は高齢のためか外に出ている時間がめっきり少なくなった。  東日本大震災の直後、シャミは家の中で4匹の子どもを産んだ。家族で相談し、2匹を残して2匹を里子に出そうということになった。ところが、である。家人一人一人がそれぞれ気に入った猫がバラバラで、話が全く進まない。確かに、どの子猫もそれなりの個性があって、捨てがたいものがあった。そんなこんなでずるずると月日がたち、「かわいー!」と言ってもらうには少々無理がある様相を呈してきた。結果、なし崩し的に4匹を飼うことになってしまった。娘たちが小遣いからエサ代の一部を捻出することが条件だ。その頃には何となく呼び名も決まってきた。しかし正式な命名ではなかった。ゆくゆくは家から出て行くかもしれない猫に名前をつけるのもどうかと思ってのことだった。

 三毛のメスがタイショー(軍人の階級の方だ)。すごく甘ったれで、光の反射や飛んでいる虫を追うのが大好き。 それよりでかいツラをしているいたずら好きの白猫がゲンスイ。オス。白といっても耳と尻尾にうっすらと茶がかかり、「トースト」でも良かったかな、なんて思っている。 いつもグータラなわりにはイケメンのヘタレ。オス。耳のあたりと尻尾に黒い班がある。なぜか異国情緒のある毛並み。 そしてグレイ。オス。小さい頃は掴み所の無い灰色だったが、成長するにつれて上品なグレーの毛並みに。

  さて、飼うと決まれば無責任な飼い方はできないので、早速ワクチンを。獣医に連れて行くのも一度に二匹ずつの2往復。ここで問題が発生した。

「カルテをつくるので猫ちゃんたちのお名前を教えてください。」                           「はい?」                       「猫ちゃんのお名前を・・・。」            「・・・グレイ。」                   「はい。それから?」                   「・・・タイショウ」                  「はい?」                       「タイショウ。軍隊の」                  「・・・はい。それから?」               「ゲンスイ。これも軍隊の」                周りにいる人たちがこっちを見ているのがわかった。    「わかりました。それで、最後の子は?」       「・・・ヘタレ。」                 「・・・ヘタレちゃんですね。・・・ありがとうございました。」                          

 冷や汗ものである。とにかくこうして、書類上の名前がめでたくきまっ(てしまっ)たのだった。後に病気をした時など、薬袋に「ゲンスイちゃん」だの、「タイショウちゃん」だの、部隊が全滅しそうな名前が書かれていて、何とも微妙な気持ちになることもしばしばだった。残念ながらもう亡くなったが、晩年ケガをしていたためにうちで保護した老ノラが、子を産むたびにうちに来て子連れでエサをせがむので、「おかあさん」という名前をつけた時など、薬袋に「おかあさんちゃん」と書いてあって、「これ、誰?」みたいな感じだった。皆さん、ペットの名前は真面目に考えましょう。

 それまで知らなかったのだが、動物病院ではペットにちゃん付けで呼ぶのが習わしのようで、会計の時も、 「ゲンスイちゃーん」 とか 「おかあさんちゃーん」 などと呼ばれる事がある。ああ、他人のふりをしたい。 「おかあさん」のエサを買う時のエピソードは別に書くが、人前で「おかあさんのご飯買わなきゃ」などと言いながらペットフードを買うことは、勿論あれ以来していない。

           ・ゲンスイ
              ・タイショウ ・ヘタレ   
       ・グレ(グレイ)               
     (・・・なぜかヤンキーの記念撮影みたいになってしまった。)