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 鉄道という魔法

 列車に乗って旅をしたい。普段は車を使うことが多いが、車での移動はなぜか旅のイメージがわいてこない。旅をするには、多分一種の手続きが必要なんだと思う。切符を買うことに始まり、旅の入り口である駅まで赴く。そうすることによって、初めて日常から切り離される気がする。車の移動ではこうはいかない。家の駐車場で車に乗り、いつものように運転し、目的地で降りる。風景が変わっても、そこは日常の延長でしかない。そう考えると、駅の役割は大きい。それは旅の始まりと終わりを象徴するだけでなく、かつては新たな人生の始まりや慣れ親しんだものとの別れをも意味する、特別な場所だった。

 今、手元に「ふるさとの駅」という写真集がある。まだJRが国有鉄道、いわゆる「国鉄」だった1973年の出版で、地方の駅を撮影した写真にはSLに牽引された列車が写っていたりする。古びた駅舎は当たり前のように古びていて、まだ「保存」という動きが始まる以前の姿だ。写真に添えられた短文も趣があってなかなか良い。それから42年後の2015年、「青春18きっぷ ポスター紀行」という写真集が出版された。これはJRが1982年から販売している「青春18きっぷ」のポスターに使われた写真を集めたものだ。今年の春からは「鉄道ポスターの旅」と題して、それらの写真が撮影された場所を訪れる紀行番組も放送されている。道理をわきまえない不届きな撮り鉄は置いておくとして、時代が変わっても鉄道の持つ魅力は、ファンの心を魅了して止まないようだ。

 この手の番組を見ていると、今でも非電化区間が多く残っていることに驚かされる。電化されていない路線には、当然のことながら気動車(エンジンで走る車両)やディーゼル機関車しか入れない。反面、電力を供給する架線や電柱がないので、空が広く、美しい鉄道写真を撮ることができる(添付写真参照)。こうした路線には無人駅が多いが、タブレット(単線で列車が鉢合わせしないための手形のようなもの)交換のために有人のまま残っている駅もある。多くの場合、列車の本数も少ないので、旅客のいない空白の時間帯には駅が静寂に包まれる。

 そういえば20年ほど前、職場の同僚と奈良県の室生寺を訪れたときに、近鉄大阪線の「室生口大野」という小さな駅で、僕らはちょっとした非日常を体験した。室生寺という名刹(さつ)の玄関口であるにもかかわらず、駅前は人影もなく閑散としていて、驚くことに、一軒しかない商店が荷物預かり所(!)を兼ねていた。5時に閉店するからそれまでに戻るように、と言われたのだが、20年前といえば2004年。都市部では午後5時に閉店なんてあり得ない話だ。だがここではそれが「日常」だった。

 室生寺を拝観したあと、日が傾き始める頃に駅に戻ったのだが、次の列車を待つ15分ほどの間、聞こえてくるのは折から降り始めた雨の音だけ。僕たち以外ホームに人影はなく、周囲の山並みも雨に煙って見えた。「幽玄」と呼ぶにふさわしい佇まいで、僕たちも自ずと言葉少なになっていった。到着した列車に乗り込んだ時、やっと現実に戻れた気がした。

 学生時代には、友人がどこからか見つけてきた資料をもとに、一駅分の切符でどこまで行けるかチャレンジしたことがある。ある駅から横にそれ、延々と遠回りをして次の駅に到着するという、東は千葉県から西は神奈川県までを網羅するルートだ。

 そんな行程のなか、もう場所も定かではないが、春ののどかな風景に魅せられて途中下車した、千葉県中央部の野中の無人駅では、野生のリスがホームの上で遊んでいるのを眺めながら次の列車を待った。その間人の姿を見ることは無く、僕たちは風の音だけを聞いて過ごした。他の区間のことはほとんど憶えていないのに、なぜかこの無人駅だけは今でも鮮明に記憶に残っている。

 こうした非日常性こそが旅の醍醐味だと僕は思う。そこに至るためのツールが切符であり、入り口が駅なのだ。これはもう、一種の魔法みたいなものだろう。自家用車が普及してからこの魔法にあやかることはめっきり少なくなったが、今でも時々、改札口をくぐって日常を断ち切りたくなるのだ。

 一度掲載した画像で恐縮だが、こちらは非電化区画の例で、電柱や架線が無い。2024年現在もこの路線は電化されていない(水郡線)。
 こちらは電化されて架線のある路線。架線がうっとうしいだけでなく、それを支える電柱やビーム(電線を支える梁)も撮影の邪魔をする(中央西線)。