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 違う、ビストロじゃない。

 7月のある夜、昔の同僚たちに誘われて、久々にビストロに行った。

 何十年か前、僕には行きつけのビストロがあった。メニューにはもちろんコースもあったが、一品料理が充実していて、地中海風の、ニンニクを利かせた大変美味なるものが多く、それらをアラカルトで注文するのが常だった。なかでも「イワシのガレット」や「アサリの白ワイン蒸し」は僕のお気に入りで、固めのバゲットによく合った。スタッフの人選も素晴らしく、店内はいかにもビストロらしい楽しげな雰囲気に満ちていた。

 今でもよく覚えているのが、友人の結婚式の帰りに立ち寄ったときに、マスターが引き出物のカニの足(そういう時代のお話です)で一品作ってくれたこと。そういえば、学生だった頃は店に行くとマスターが「おなか空いてる?それとも軽く食べる?」とか「今日、いくら持ってるの」「ワインはどうする?」などと聞いてきて、それに見合った料理を作ってくれたっけ。いい店だったなあ。

 その店が無くなってからだいぶ時が経ち、今ではビストロなんていう形態の店自体が近隣ではあまり聞かれなくなった。だから今回会食の誘いが来て、会場はビストロだと聞いたときにはもう期待しかなくて、しかもソムリエがいるということで、当日がすごく楽しみだった。 

 さて、こうして当日を迎えたわけだが、結論から言うと、僕は二度とあの店にはいかないだろう。まず第一にソムリエはとうの昔にやめていた。そりゃそうだ。この店にはワインリストすらないんだから、仕事にならないはずだ。第二に店長は「今はワインの値段の変動が激しいのでリストを作れない」という。ちがーう!そもそもリストが無ければワインが選べない。値段が書けなくてもリストだけは作っておくべきだ。日本では「時価」という便利な言葉があるのに、これではメニューを見せずに料理の注文を聞くようなものだ。そんなこと、どう考えたってあり得ない。

 第三にそのメニューだが、なぜかイタリア料理(ピザやパスタ)や和風の料理が多い。なんだよそれ。ここはビストロじゃないのかよ。ビストロとは、気軽にフランスの家庭料理や田舎料理などを楽しめる居酒屋もしくは小料理屋、という意味だったはずだ。だがここのメニューにそれらしいものはほとんど見当たらない。

 唯一これは、と思われたパテ・ド・カンパーニュ(本来はミンチ肉とレバーなどをテリーヌ仕立てにしたもの)も、出てきたのはほぼペースト状のレバーのみ。火の入り方も不十分で血生臭い。レバ刺しが好きな人向けならそれでもいいだろうが、少なくともこれをパテ・ド・カンパーニュと呼ぶのはかなり抵抗がある。

 結局ワインはシャルドネ(白ワインの原料になる葡萄の品種)で5,000円以内、と注文したが、出てきたのはイタリアのワインだった。もちろんイタリアにもシャルドネで作られたワインはあるので、これは大きな問題ではないけれど、チリワインならもっと安くて美味しいものがある。僕の知ってるラインナップなら、3,000円で客に出しても十分儲けの出るものがいくつもある。ワイン界隈では有名な話だから、一時(いっとき)とはいえソムリエを擁していた店なら、そのくらいは勉強してしているはずなんだがなあ。

 というわけで、少なくとも本来のビストロがどんなものかを知っている人は、こういったビストロとは名ばかりの店に行ったら絶対失望するであろう。もう一度言うが、僕は二度と行かない。

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 移ろい

 先週、カミさんが飲み会だというので車で送る機会があった。場所は昔僕が根城にしていたカフェバーがあるあたりだ。そういえば10年近く顔を出していない。昔は毎日のように通ったものだったんだが。

 このまま行くと少し早く着きすぎるので、ちょっと遠回りをして、その店の前を通ってみることにした。40年からの歴史のある店で、やり手のオーナーが世間の流行りを積極的に取り入れるので、週末の夜更けになると、店内はいつも若い世代で満席だった。残念ながら僕が親しかったそのオーナーは、7年ほど前に後継者に店を譲って引退したらしい。だが店の名前は変わっていないはずだ。

 店が見えてくると、ある異変に気付いた。遠くからでもわかる店のシンボル、大きな弧を描くネオン管の矢印が見当たらない。角を曲がって店の正面に回ると、店内は暗く、ドアにはシャッターが降りていた。大きなガラスにプリントされていたはずの店名も見当たらない。「中、何もないみたいだよ…」とカミさんが言う。えっ、潰れた…?

 大学時代に常連だった喫茶店はとうの昔に無くなった。足しげく通ったビストロは20年ほど前に次第に勢いが衰え、今はもう無い。そして今、昔からのなじみだったカフェバーまでもが無くなるのか。ネットで見る限り、まだ閉店していないみたいなんだけど、今回店の前を通ったのは営業日の営業時間。オーナーが変わってしまったから電話してみるのも何となく気まずいし…。後でもう一度、行ってみるしかないか。

 自分はちっとも変っていないつもりでいるのに、世の中はどんどん変わっていく、そんなことを実感させられた出来事だった。案外他人から見れば、僕も相当変化して見えるのかもしれない。いずれにしても、こうして自分が慣れ親しんできた場所が消えていくのを目のあたりにするのは、なんとも寂しい限りだ。