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 あの頃のクリスマス

 もう20年以上前のこと。日本にクリスマスブームが到来したことがあった。それは数年にわたって続いたが、声高に宣伝されていたわけではなかったから、そのことに気づかずにいる人も多いのではないだろうか。

 当時、TVではクリスマスに関するドキュメンタリー番組が何本も放送され、WOWOWでは毎年のようにクリスマス映画特集が組まれた。また、書籍もクリスマスをより一層楽しむためのMOOK本や、クリスマスについて掘り下げた内容のものが数多く出版された。

 特にTVのドキュメンタリー番組は国際共同制作のものなどもあって、かなり充実した内容のものが多く、多分より多くの日本人がこの時にセント・ニコラウスの逸話やドイツのクリスマス菓子であるシュトーレンを知り、ツリーを飾る伝統がドイツからイギリスやアメリカへ持ち込まれ、さらに日本に輸入されたことを知り、今や世界中で歌われているクリスマス・キャロルの名作「きよしこの夜」がいかにして生まれたかを知った。また、それまでクリスマスケーキと言えば苺のショートケーキがメインだったのが、ブッシュドノエルという正統派クリスマスケーキ(といってもフランスでの話だが)や、よりクリスマスらしいチョコレートやラズベリーを使った創作ケーキの台頭で、巷のクリスマスケーキカタログがより一層華やいだものへと変わっていった。平行して、ショッピングモールやデパートでは特設の大きなクリスマスコーナーが設けられ、そこには今まで見たこともなかったような本格的なクリスマス・オーナメントや華やかなグッズが所狭しと並べられた。

 当時、僕の住む地方都市の駅ビルには巨大なクリスマス・リースが掲げられ、夜になるとライトアップされた。複数あったデパートの通りに面した壁面には、競うようにイルミネーションが瞬き、我が家ではクリスマスが近づくたびに、「夜の大冒険」と称してまだ幼かった娘たちを夜の街へと連れだし、市内のイルミネーションを見て回ったり、ちょっとした買い物や外食を楽しんだりしたものだ。あの頃の僕は、こうした状況を見て日本のクリスマス文化が進化したのだと考えていた。だが今になってみれば、それは単なるブームに過ぎなかった。そしてブームはいつしか去って行く。

 「不景気」という言葉があちこちで囁かれ、駅前にひしめいていた「丸井」「西武」「高島屋」が次々と姿を消し始めた頃、駅ビルのクリスマスツリーもいつの間にか見られなくなり、当時広々としたフロアの1/5ほどをさいてクリスマスコーナーを設置していた近場の「ジョイフル2」は、今では入り口の脇に小さなコーナーがあるだけだ。とうとう市内唯一となってしまったデパートに入っている「ロフト」のクリスマスコーナーもかなり小さくなり、隣にはもう正月コーナーが設置されている。このクリスマスと正月を同時に済ませてしまおうという傾向はどの商業施設を見ても同じで、例えば今手元にある某有名スーパーのクリスマスケーキのカタログなど、左開きの6ページだけがケーキカタログで、残りの右開き24ページはおせちのカタログになっている。あの頃は、ケーキとおせちは別の冊子で出ていたはずだ。さらに細かいことを言わせてもらうなら、クリスマスカードも最近新商品をあまり見かけないし、クリスマス用の包装紙のデザインも、ごく一般的なものばかりになってしまった。でもものは考えようで、「シュトーレン」は今やベーカリー店の定番だし、「ブッシュドノエル」も洋菓子界での市民権を得たようだ。加えて、毎年日本のどこかしらでは「クリスマス・マーケット」が催されているようだから、そうそう悲観することはないのかもしれない。

 今年ももうすぐクリスマス。我が家のリビングの飾り付けは今も何ら変わらない。あの頃手に入れた質の良いクリスマス・オーナメントはこれからも長く使えそうだし、もし壊れても修理すればいい。素敵なデザインの包装紙の切れ端は、それこそ思い出のかけらのようにコレクションしてある。そういったグッズを1年ぶりに取り出すたび、不景気な時代こそ心は豊かでありたい、なんて思うのだ。

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 大人の考え、子どもの感性

 そろそろ12月。クリスマスもすぐそこまで来ている。毎年この時期になると思い出すことがある。

 もう20年以上前の、長女が小学校に上がる前のこと。誕生日のプレゼントを買うために、僕らは家族総出でトイ○○スを訪れていた。長女は半年前のクリスマスに「101匹わんちゃん」のぬいぐるみを手に入れていたので、今回はその「わんちゃん」たちのためにほ乳瓶を手に入れようとしている。長女が目をつけたのは10センチあまりの、ミルクとオレンジジュースの入ったほ乳瓶のセットだった。価格は確か1,000円に満たなかったと思う。他にももっと高価な、凝った作りのものもあったのだが、長女は「わんちゃん」たちには大きすぎるという。子どもながらにいろいろと考えているらしい。僕が「まあ良いんじゃないか。本人が気に入っているんだから」と言うと、祖母が反対した。せっかくだからもっと良いもの、高価なものを買ってやれと言うのだ。僕が長女に他に欲しいものが無いか聞いてみても、ほ乳瓶は前々から考えていたものらしく、「これが良い」と言う。「本人が一番欲しいものを買ってやるんだから、これで良いだろう」と主張する僕に、祖母は不服そうだった。最終的にはほ乳瓶の他にあと二つの品物を購入して丸く収まったのだが、こういったことは、実はよくあるらしい。

 同じくクリスマス間近のトイ○○スでこんな光景を見た。若い両親と祖父母。幼い子どもが二人。一人は父親の背中で眠ってしまっている。もう一人は母親の手を引っ張って「あっちがいい!」と大騒ぎしている。そんな子どもたちをよそに、大人たちは「これが良いんじゃないか」「いや、こっちの方が・・・」と、家族会議に没頭している。僕はそれを見て思った。「誰も子どもの意見を聞いてねーな。」子どもを喜ばせるための買い物だったはずが、いつの間にか大人の自己満足のためのそれに変わってしまっている。

 以前どこかで書いたバタークリームのケーキ。母は着色料を気にしてイチゴショートのクリスマスケーキを買う。だが僕は、色とりどりのクリームで飾られたバタークリームケーキが好きだった。イチゴショートは当時、高価でもあったから、母にしてみれば子どもを思ってのことなのだろう。だが子どもからすれば、欲しいものを買ってもらえない歯がゆさばかりが残るのだった。

 子どもはある程度の年齢になると、大人に気を遣うようになる。教員時代に、クリスマスや誕生日のプレゼントで、頼んだのと違うものが届いてがっかりした経験があるかどうかを生徒(中学生)に聞いてみたことがある。すると、過半数がそういう経験をしていることがわかった。そんな時どうしたか聞くと、さらにその半数ほどが「仕方が無いから喜んでいる振りをした」そうだ。親をがっかりさせたくなかったんだってさ。