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 東風吹かば・・・

 「どこかで春が」という唱歌がある。僕ぐらいの年齢の人なら小学校で習っているだろう。「どこかで春が生まれてる どこかで水が流れ出す」と続く。サビの部分は、「山の三月 そよ風吹いて・・・」という歌詞だが、現代の言葉に置き換えられる前の原曲では「そよ風」ではなく「東風(こち)」だった。菅原道真の和歌「東風(こち)吹かば にほひをこせよ梅の花 主人(あるじ)なしとて春な忘れそ」の「東風(こち)」のことだ。「東風(こち)」とは、春を運んでくる暖かい東風のことだ。

 今日の昼下がり、柔らかな陽射しに誘われて、飼い猫とともに庭に出てみると、片隅にオオイヌノフグリが2,3輪咲いていた。道の向こうの畦にはホトケノザが濃いピンクの花を咲かせ始めていて、すでに盛りを迎えているロウバイの、あの独特の黄色と良いコントラストを紡ぎ出している。こうして花々が一斉に咲き始めるのを見ていると、ああ、やっぱり春は始まりの季節なんだな、なんて今更ながらに思う。

 古い唱歌に「冬の夜」というのがあって、これはさすがに僕の時代では教科書(音楽の)には載っていなかったが、「灯火(ともしび)近く衣(きぬ)縫う母は 春の遊びの楽しさ語る」という歌詞からは、当時の雪国の、冬の厳しさを容易に想像することができる。冬の間雪に閉ざされ、遊ぶ場所もない。春になって雪解けを迎えれば、いろいろな遊びができるよ、おそらくそんな話をしているのだろう。遊びったって当時のことだから、野遊び、山遊びの類いだろうけど。今の子どもは暖かくなっても、外に出て遊んだりはしないんだろうなあ。

 皆さんご存じのクリスマス。キリストの誕生を祝う日だ。ただし「祝う日」であって「誕生した日」ではない。キリストがいつ生まれたかは、今もよくわかっていない。ではなぜこの日、12月25日を「誕生を祝う日」にしたのか。それは当時のヨーロッパですでに定着していた「冬至祭」と重ね合わせたかったからだ。要するに、手っ取り早く、多くの人々に祝ってもらうための手段だったんだね。

 冬至祭というのは、次第に弱まる太陽の輝きが、一転して勢いを増し始める、その「太陽の復活」を祝う祭りだ。冬至を過ぎれば、程なくして春が訪れ、世界は活気を取り戻す。長い冬をしのぎ、春を待ちわびる気持ちは万国共通ということだろう。農業に関する技術が未熟だった昔であればなおさらのことだ。あの頃はまだ、人間もかろうじて自然の一部だった、と言っても間違いじゃないかも知れないね。

 ところで、猫と一緒に庭をうろうろしていて気付いたことがある。ある方向に歩くと寒さを感じるのだ。逆に進むと陽射しが暖かい。どうやら微風が吹いているらしい。それに逆らうように歩くと風がより強くあったって寒さを感じる。何度か試すと、風は東から吹いていることがわかった。それで思い出したのですよ、「東風(こち)」という言葉を。そこから「どこかで春が」を連想したという次第。「山の三月」は訪れが遅いだろうから、平野部に置き換えたら今日のこのぐらいの感じなのかな、なんて考えながら、小一時間ほど猫と戯れていた。まあそんなわけで、他愛もない話です。

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 大寒ってホントに寒いんだよね

 前回ちょこっと触れた二十四節季。それによると、ついこのあいだ「大寒」という時期に入った。1年で最も寒いとされる、今がまさにその時期。今年は1月20日から2月4日だって。これがホントに寒くなるんだよなあ。

 そもそも二十四節気というのは、四季、すなわち季節をさらにそれぞれ六つに分けたもの。今でも「春分」とか「冬至」とか言う、あれのことだ。これが24あるわけだ。「立秋」なんてのもあって、「もう秋ですぜ」という意味だが、カレンダーの上ではだいたい8月上旬。一番暑い盛りで、「ふざけたこと言ってんじゃないよ」となっちゃう。でもこれ以降はどんなに暑くても残暑であって、もう暑中見舞いは書けない。つまり、立秋以降は残暑見舞いということになる。 

 この「立秋」を旧暦で見ると、なるほど、今で言う9月上旬になってるなあ。じゃ「大寒」はどうかというと、2月中旬以降。こちらは新暦のほうが当たっている気がする。参考までに言うと、旧暦の「七夕(たなばた 7月7日)」は新暦では8月に入ってからの時期になるから、梅雨時で織姫と彦星がなかなか会えない、ということもないわけだ。

 そこでもう一つ、この時期に気になってくるのが「節分」。節分って、年に4回あるの知ってた?これは文字通り季節を分ける、という意味で、立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれ前日を指す。だから4回。それがなぜか今では、立春の前のものだけがもてはやされている。一説によると、江戸時代以降のことだそうだ。この「節分」は「雑節」と言われるものの一つで、「節分」の他に「入梅」とか「八十八夜」とか「彼岸」とかがある。

 話を戻して、二十四節気はさらに「七十二候」に分けられる。これは節気をそれぞれ初候・次候・末候に分け、短文で表している。例えば、立春の初候は「東風解凍(はるかぜこおりをとく)」といった具合に。その短文の一つ一つに趣があってなかなか良いのだが、どうやら何度も時代に合わせた改変がなされて今に至っているようだ。オリジナルは古代中国のもので、ウィキペディアによると「雉(きじ)が海に入って大蛤(はまぐり)になる」なんていうものまであったそうだ。古代中国恐るべし。それにしてもよく作ったよなあ。他にやることはなかったのかしら。もっとも、紀元前数千年も前に、西暦2012年まで使えるカレンダーを作った人たちもいた(おわかりですね、一時「人類滅亡か?」と話題になったマヤ文明の暦のことです※)ぐらいだから、農業との関連もあって、暦はとても大切なものだったんだろうね。

 日本では今もこうした季節の節目を大切にしている人が多い。特にお年寄りや俳句に携わる人たちはそうだろう。季節感に関する話題は、まだまだ奥が深そうだなあ。あらためて、詳しく調べてみたくなってきたぞ。

※マヤの暦はとてつもなく長い周期で考えられていて、西暦2012年はそのサイクルが一段落する年に当たっていたらしい。つまりこれ以降は最初に戻って同じ暦をもう一度使えるので、ここで暦が終わっている、という説が有力。

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 思い出の石焼き芋

 コロナウイルスが猛威をふるう中でも、人の所行に関係なく正月はやってくる。当たり前といえば当たり前。今年も七草がゆを食べ、鏡開きも済んだ。何だか歳を重ねるたびに、日本古来の風習(二十四節気とか)に興味が湧いてきたようだ。そんな生活の中で、ふと思い出したことがある。昔よく利用した焼き芋屋さんのことだ。

 あれからもう17~18年にもなるだろうか。毎週土曜日の昼近く、どこからともなく、あの笛のような音が聞こえてくる。窓から外を眺めていると、「石焼き芋」の看板を掲げた軽トラックがやってくるのが見える。当時としてもこうした行商はすでに珍しく、懐かしさも手伝って、僕と下の娘は500円玉を握りしめて外に出、家の前で焼き芋屋さんを待つ。必ずおまけをしてくれるので、500円でも二人で食べるには十分すぎる量が買えた。時にはがっつり残して、仕事から帰ったカミさんに「食べられる分だけにしなさい!」なんて怒られることもあったぐらいだ。言っておくけど、これ、平成の話ですぜ。やってることがまるで昭和。

 この石焼き芋屋さんは60過ぎの人で、正規の職を定年で退いた後、半分趣味のようにして商いをしているとのことだった。隣の県から泊まり込みで、冬場だけやってくる。「出稼ぎですよ、出稼ぎ。」彼はそう言って笑っていた。毎回、「今年も来ましたよー」だとか、「今年は今日が最後です」だとか、そんな挨拶を交わしていたが、ある年姿を見せなかったことがあって、翌年訳を聞いたら「ちょっと病気してしまったもんだから・・・すみませんでしたね。」と謝っていた。娘ともすぐ馴染み、僕も彼とはいろいろと立ち話をしたものだったが、4,5年してぱったり来なくなってしまった。「そう言えば名前も聞いてなかったなあ」なんて言いながら、娘と二人、妙に寂しい思いをしたことを覚えている。

 今ではスーパーで石焼き芋が買える。自宅で作れる家電もある。あれ以来、あの笛の音(昔の石焼き芋屋は遠くからでもやって来たことがわかるように、蒸気で笛を鳴らしながら商売をしていた)も、とんと聞かなくなった。

 最近は近場のショッピングモールに週末にやってくる、これまた隣の県の総菜屋さんと親しい。「梅しそヒジキ」や「イカの塩辛」が逸品で、よく足を運ぶ。支払いはモールと共通のレジなので、彼がたまたま不在でもパックをカートに入れれば商品は買える。だが彼のスタイルである、その場で内容量を増やしてくれるという恩恵にはあずかれない。ある時、彼の留守中に買い物をしたら、会計を済ませた僕を見つけ、わざわざ追いかけてきて「おまけ」を渡してくれたっけ。これだから足が向いちゃうんだよな。そんな彼は新年には帽子を取って深々と頭を下げ、挨拶をしてくれる。もちろん僕も丁寧に挨拶を返す。周りの人がびっくりしてこっちを見ているのがなんだか楽しい。そう言えば今年はまだ挨拶してないな。今週末にでも顔を出そうかな。

 考えてみると、こうしたおつきあいは昭和では当たり前だった。あの頃は「行きつけの店」は店員さんの人柄で決まることも多かった。つまり人間関係の上で商売が成り立っていた。近頃は店員さんにアルバイトやパートが多いせいか、親しくなる前に人が入れ替わってしまったりする。それどころか、「店員と直接かかわらずに買い物ができる店」や「無人の店舗」が頻繁に話題に上るようになった。違うでしょ、と言いたい。もちろんコロナ過のこともあるのだろうが、それが過ぎてももとには戻らないんだろうなあ。

 あの焼き芋屋さんは、今ではもう80歳近いはずだ。元気でいるだろうか。できることなら、もう一度お会いしたいな。

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 今年のクリスマスケーキ

 クリスマスの準備をしている。ドイツの風習にちなんで、毎年4週間前から始める(アドベントという)。ネットで確認したところ、北米防空司令部(NORAD/ノーラッド)も今年のサンタ追跡の準備を始めたようだ(「ノーラッド サンタ追跡」で検索)。僕は僕で、現在ケーキに使う食材を買い集めているところだ。

 以前は既製品を買っていたのだが、「去年のあれ、美味しかったよね」の、「あれ」が翌年にはなかったりするので、ここ数年は当時のカタログを参考に、自分たちで作るようになった。大学生の娘はバタークリームケーキとショコラムースのケーキを、僕はダークチェリーとピスタチオのブッシュドノエルを作るのが定番だ。娘は今年、ショコラムースにフランボワーズムースを組み合わせてアレンジしようと計画しているらしい。僕は生クリームとショコラの2本立てに挑戦してみようかな。そんなにたくさん作ってどうするんだ、と言われそうだが、今年のイブには親族が9人集まるので、結構はけてしまう。お土産に持ち帰る人もいるし、翌日までは美味しく食べられる。ただし右腕の筋肉痛は必至だな。どうも電動泡立て器は性に合わないのですよ。生クリームのホイップは人力のほうが早いしね。

 参考までに言うと、今年はメインディッシュとしてラムチョップの赤ワインソースを作る。ソースはクックパッドにあるようなケチャップを使ったものではなくて、フォンドボーと蜂蜜を使ったもの。よりフレンチっぽく、ね。

 定番の鶏モモのローストとローストビーフは行きつけの精肉店の既製品。オードブルには市販のテリーヌを用意した。もちろんサラダも作るが、ケーキのことを考えると、どう見ても栄養バランス的に不健康なメニューだ。でも家族全員が太らない体質なので、うちの場合は問題なし。

 今一番困っているのが、我が家のクリスマスには欠かせないシャンパンを含む、ワイン類の価格が高騰していること。その昔4~5,000円で買えたシャトー・カロン・セギュールが20,000円超とか、ふざけんじゃないよと言いたい。昔は無理すりゃドン・ペリニョンのロゼだって買えたんだよな。それが今では40,000円前後、とても手が出ない。かといって、さすがにシャンパンは自前で作るというわけにはいかない。仕方が無いからモエ・エ・シャンドンのロゼで我慢する。と言っても、これだってそこそこ良いシャンパンではある。そう言えば「めぐり逢い」という映画(1957年)で、デボラ・カーが「ピンク・シャンペィン」なんて言ってオーダーしていたっけな。そんでもってちょこっと耳の後につけたりして(香水代わりかと思ったら、縁起担ぎのおまじないらしい)。なかなか粋ではないですか。あーあ、シャンパンの値段にしろ、映画にしろ、昔は良かったなあ。

 さて、ケーキであるが、娘は今回、なぜかケーキ作りに例年にない意欲を見せている。イブに向けて二つのケーキを作るだけでなく、今までに4回作ったがいずれも満足のいく出来にならなかったムースケーキに、25日(クリスマス当日)に再挑戦するという。娘は大学の4年生、卒論も大詰めだ。こりゃあれだな、ほら、テスト勉強をしているとなぜか部屋の模様替えをしたくなるという・・・。まあ、それも良いか。就職も決まったし、来年からはそうそうケーキ作りにいそしむこともできないだろうから。だが待てよ。ということは、来年からはその分も僕に回ってくるということか?

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 ゲテモノ?それとも美食?

 熊の肉をもらった。鹿やイノシシはもちろん、マガモやワニなども食べたことがあるが、熊は初めてだ。くれたのは懇意にしている保険会社の女性。映画好きで、真っ黒のボルボに乗り、知人にはヤバイものが見える人がいるという何とも魅力的(?)な人。この人は何か面倒な食材が手に入ると、僕に電話をかけてくる。この前は「ヒナが入っていたら食べないでくださいね」とか言いながら、合鴨の卵(生)を持ってきたっけ。恐ろしい話だ。想像してみてください、ゆで卵からヒナの死体が出てくるところを。ちょっとしたホラーじゃありませんか。多分監督はデビッド・リンチあたりだな。心理的にぐいぐい来そうだ。

 幸い全てが無精卵だったのだけれど、実を言うとぼくはこういうタイプのおつきあいが少なくない。「マガモのロース。散弾が入ってたらよけて食べてね(昔の同僚)」であるとか、「アブラボウズ(魚です。僕もその時初めて知りました。)の切り身です。脂がすごく多いから食べ過ぎると腹を壊しますよ(教え子の親)」であるとか。今回の熊肉は「○○さん(僕のこと)料理できるし、珍しいもの好きそうだから、食べるでしょ?」何を根拠に言っているのだろう。

 その昔、職場の食事会とかで(ごくたまに)高級な日本料理店に行くのが楽しみだった。アワビのツノだとか白子だとかが出ると、みんな僕のところに回ってくるからだ。食べてみれば美味しいのに、イメージや見た目だけで食材を嫌う人の何と多いことか。なにしろ言い訳が良い。「僕は庶民で良いんです」だって。僕だって立派(?)な庶民なんですけど。いやその前に、アワビのツノや白子は庶民が食べてはいけないものなのか?だいたいこういう人たちはウニやイクラは喜んで食べるんだよね。卵巣は良くて精巣はダメ、これは明らかに性差別であろう。違うか。

 それで熊の肉なんだけど、上手く下処理しないと臭みが強いというのは知っていた。が、今回の肉は獲った直後に上手に処理(血抜きとか)されたらしく、そのままステーキ(味付けは塩・コショウのみ)として食べても美味であった。残りの半分は鍋にして食べたが、アクらしいアクも出ず、歯ごたえはあるがすっと噛み切れ、繊維が残ることもなく、家族で美味しくいただいた。正直なところを言うと、もう少し獣肉っぽい癖があっても良かったような気がする。でもこれはリピートしたいぞ。保険屋さん、またよろしくね。

 うちに「珍(めずら)かなるもの」が集まってくることは前記したとおりだが、よく考えてみると件(くだん)の保険屋さんもすごい。そのルートの一つになっているわけだから。しかも頻度としては一番だ。いったいどんな人脈をお持ちなのだろうか。熊肉についてはどこぞのジビエ料理店経由(だから下処理済みだった?)ということだったが、前回の合鴨の卵はどのようなルートで入手したのだろう。何にせよ今後も期待が膨らむばかりだ。保険屋さん、これ読んでます?次はカラスが食べてみたいです。

 いやー、解約しなくてホント、良かったなあ。

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 女は強いぞー。

 マサヨばあちゃん ムツばあさん 両方とも知ってる人!

 マサヨばあちゃん・NHKのドキュメンタリー「マサヨばあちゃんの天地(1991)」の主人公。

 ムツばあさん・同じくNHKのドキュメンタリー映画「花のあとさき ムツばあさんの歩いた道(2020)」の主人公。

 この人たちはご主人が先に逝ってしまった後も、自分たちの土地(農地)を守りながら生きていく。その姿がけなげでもあり、力強くもある。NHKは時々こういう番組作るよね。何か約束事でもあるのだろうか。

 生物学的に言っても始めにメスありきで、オスは交配によってより良い子孫を作るための道具として自然界が発明した、という話を聞いたことがある。要するに「オプション」だ。だから自然界には用済みになるとポイされたり食べられちゃったりするオスもいる。寿命を比べても女性のほうが長生きだ。ところが人間には文化というものがあるから、男どもはその中で男尊女卑のしきたりを作り、押さえつけてきた。おっかなかったんだろうねえ、いろいろと。実際、日本の古い禁忌などをひもとくと、とにかく女性を卑下するものが多い。女人禁制の神域とか、生理中や妊娠中の女性を生活圏から遠ざけるとか。柳田国男がそういった禁忌を全国から集めた本があるから、一度読んでごらんよ。今ではあり得ないことだらけだから。極端な例では嫁が生理中(妊娠中だったかな)の旦那まで遠ざける習慣もある。一種の「ケガレ」ととらえられていたんだね。それでいて天照大神や卑弥呼を神と崇めたり、女王として敬ったりしてきたのが日本人なんだよな。もっとも、日本開びゃくの、つまり国産みの時のイザナギとイザナミの逸話には、契りを交わすに当たって女神から声をかけたら上手くいかなくて、あらためて男神から声をかけたら上手くいったとあるから、ある意味徹底しているとも言える。でも結局何が言いたいのかは実のところよくわからん。

 今回のオリンピックの前後に、この女性蔑視の問題が大きくクローズアップされた。時を同じくして、韓国ではフェミニズム運動が巻き起こった。ただしこちらはちと脱線のきらいがある。が、この際難しいことは置いておこう。結局は女のほうが根っこは強い。多分それが真実であろう。認めたまえ。かのジョン・レノンにも「WOMAN」という名曲があるではないか。

 マサヨばあちゃんはご主人亡き後も仏壇に手を合わせ、時にはご主人との思い出に涙ぐみながらも、二人で切り拓いた土地に死ぬまでただ一人住み続けた。急斜面の荒れた土地を耕し、自前の味噌を仕込みながら。子どもたちがいくら引き取ろうとしても家を離れなかった。多分、男には理解できない理由があったのだろう。

 ムツばあさんは、年老いて畑が耕せなくなったら、せめて花いっぱいにして山にお返ししようと、仲間とともに花木の苗を植え始める。この仕事はご主人が亡くなった後も続き、やがて誰もいなくなった庭先には鹿や野ウサギが帰ってくる。なんだか自然の一部としての人間の、正しい生き方を教わったような気がする。

 余談だが、スタインベック原作の映画「怒りの葡萄(1940)」に出てくる主人公トムの家族は、1930年代のアメリカで、砂嵐による干ばつをきっかけに資本主義に押し流され、土地を追われる貧困農家。故郷オクラホマを捨て、新天地カリフォルニアを目指して旅立ったは良いが、行く先々で逆境にさいなまれ続ける。娘婿は逃げだし、祖父母は病死。トムも人を殺(あや)めて姿をくらましてしまう。それでもトムの母親はくじけることなく前を向く。そして映画のラスト、「ワシはもうダメだ、疲れちまったよ」と弱音を吐く旦那に、「男は何かあるとすぐ立ち止まる。女は川みたいなもんでね、渦巻こうが滝があろうが流れ続けるのさ。それが女の生き方なんだ」と微笑みながら語りかける。女性の強さとは、男性には計り知れない自然との一体感から来るものなのかも知れない。

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 大人の考え、子どもの感性

 そろそろ12月。クリスマスもすぐそこまで来ている。毎年この時期になると思い出すことがある。

 もう20年以上前の、長女が小学校に上がる前のこと。誕生日のプレゼントを買うために、僕らは家族総出でトイ○○スを訪れていた。長女は半年前のクリスマスに「101匹わんちゃん」のぬいぐるみを手に入れていたので、今回はその「わんちゃん」たちのためにほ乳瓶を手に入れようとしている。長女が目をつけたのは10センチあまりの、ミルクとオレンジジュースの入ったほ乳瓶のセットだった。価格は確か1,000円に満たなかったと思う。他にももっと高価な、凝った作りのものもあったのだが、長女は「わんちゃん」たちには大きすぎるという。子どもながらにいろいろと考えているらしい。僕が「まあ良いんじゃないか。本人が気に入っているんだから」と言うと、祖母が反対した。せっかくだからもっと良いもの、高価なものを買ってやれと言うのだ。僕が長女に他に欲しいものが無いか聞いてみても、ほ乳瓶は前々から考えていたものらしく、「これが良い」と言う。「本人が一番欲しいものを買ってやるんだから、これで良いだろう」と主張する僕に、祖母は不服そうだった。最終的にはほ乳瓶の他にあと二つの品物を購入して丸く収まったのだが、こういったことは、実はよくあるらしい。

 同じくクリスマス間近のトイ○○スでこんな光景を見た。若い両親と祖父母。幼い子どもが二人。一人は父親の背中で眠ってしまっている。もう一人は母親の手を引っ張って「あっちがいい!」と大騒ぎしている。そんな子どもたちをよそに、大人たちは「これが良いんじゃないか」「いや、こっちの方が・・・」と、家族会議に没頭している。僕はそれを見て思った。「誰も子どもの意見を聞いてねーな。」子どもを喜ばせるための買い物だったはずが、いつの間にか大人の自己満足のためのそれに変わってしまっている。

 以前どこかで書いたバタークリームのケーキ。母は着色料を気にしてイチゴショートのクリスマスケーキを買う。だが僕は、色とりどりのクリームで飾られたバタークリームケーキが好きだった。イチゴショートは当時、高価でもあったから、母にしてみれば子どもを思ってのことなのだろう。だが子どもからすれば、欲しいものを買ってもらえない歯がゆさばかりが残るのだった。

 子どもはある程度の年齢になると、大人に気を遣うようになる。教員時代に、クリスマスや誕生日のプレゼントで、頼んだのと違うものが届いてがっかりした経験があるかどうかを生徒(中学生)に聞いてみたことがある。すると、過半数がそういう経験をしていることがわかった。そんな時どうしたか聞くと、さらにその半数ほどが「仕方が無いから喜んでいる振りをした」そうだ。親をがっかりさせたくなかったんだってさ。

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 肉のあれこれ

 世間ではいまだに牛肉が肉の頂点に君臨しているようだ。僕もA5ランクの肉を食べたことがあるが、確かに美味しい。それは認める。だが脂身の香りは豚肉の方が上だろう。脂身、というと顔をしかめる輩もいるだろうが、侮ってはいけない。だいたいハンバーグに合い挽き肉を使うのは、豚肉(の脂)のうま味や香りを加えるためであって、牛肉を節約しているわけではない。ハンバーグに関して、よく牛肉100%を謳う店を見かけるが、味わいの要素が一つ欠けていると言っても過言ではない。これから書くことを読んでいただければ納得がいくと思う。

 そのうち詳しく紹介しようと思うが、僕が料理に目覚めたのはまだ高校生ぐらいの頃。そのきっかけを作ったのが、当時放送されていた「世界の料理ショー」というTV番組だった。知っている人は多分、思わずにやりとしてしまう、そんなカルト料理番組だ。グラハム・カーという有名な料理研究家が、そのはちゃめちゃな話術を披露しながら一品仕上げる、という内容で、何を隠そうかの有名な料理番組「男子ごはん」のルーツでもある。そんな「世界の料理ショー」で使われていたある調理器具が、豚の脂身のおいしさ、香りの良さを如実に物語っている。それは直径1.5センチ弱、長さ40センチほどのステンレスパイプを縦に割ったような、雨樋のような形状の器具で、先が削(そ)いであって竹槍のようになっている。実はこれ、牛肉のブロックに豚の脂身を挿入するためのもの。そんな道具があるんだねえ。使い方は、細く切った豚の脂身を雨樋状の部分に挟み込んでパイプごと牛肉に差し込み、肉全体を押さえながら引き抜く。すると脂身だけが中に残る。これを何回か繰り返し、その牛肉をローストすると、火が通るに従って牛肉に豚の脂身の味と香りが染み渡る、という案配だ。この料理法やそのための器具が存在することが、肉料理における脂身の役割の大切さを物語っている。しかも、あえて豚の脂身(※)。

 もう一つ言いたいことがある。A5ランクの牛肉は確かに美味かった。しかし脂が多すぎて満足のいく量を食べられなかった。そもそもマグロの大トロには大トロの、赤身には赤身のおいしさがあるように、牛肉の赤身にも赤身ならではのおいしさがある。A5ランクの牛肉は、本来赤身であるはずのフィレにまでサシが入っていて、これは赤身のおいしさに対する冒涜と言うべきものだ(大げさだってば)。ところがサシの入っていない高級和牛のフィレとなると、それはそれでなかなか見つからない。目下のところ、これは我が家の食生活における最大のジレンマの一つとなっている。

※ この記事を読んで思い当たった人、いませんか?実はある料理マンガで、この方法を安い輸入牛の肉を美味しくソテーする方法として紹介している。ものがステーキなので、あの器具は使っていなかったようだけど。ついでに言うと、フィレの周囲にベーコンを巻いてソテーする料理もある。

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 続 昔はみんな旅に出た

 以前、若者が旅に出る話を書いた。今日はその続編。というのも、前回触れなかった曲で、やはり若者が旅に出る歌をもう一つ思い出したからだ。きっかけは旧車のオーナーを訪ねてレポートするTV番組。日産のスカイラインGTRが紹介されていた。

 スカイラインといってもいろいろあって、現行は13代目。昔は年代別にニックネームをもっていた。ハコスカ、ジャパン、鉄仮面・・・そして「ケンメリ」。車に詳しい人ならご存じだと思うが、この「ケンメリ」は正式に言うと「ケンとメリーの愛のスカイライン」ということになる。長ったらしく、口はばったい感じだが、これはTVコマーシャルに登場した男女のカップル、ケンとメリーに由来する。当時のキャッチフレーズも「ケンとメリーのスカイライン」あるいは「愛のスカイライン」。このスカイライン・ケンメリのCMに使われていたのが「BUZZ(バズ)」というフォークデュオの「ケンとメリー~愛と風のように」という曲だった。この曲の存在をすっかり忘れていた。

 この曲はもともと4代目スカイラインのCMのために作られたようだ。だからシングルでリリースされたものとCMで使われたものの二つの歌詞があり、CMソングにはしっかり「愛のスカイライン」という言葉が入っている。ところで、僕がこの曲をとても気に入っていたにもかかわらず、前回思い出せなかったのにはわけがある。ここに登場する二人は恵まれすぎているのである。何しろリア充で(歳のいっている人のために説明すると、しっかりおつきあいしている)、自分の車を持ち(しかも○ニーや○ローラではなく、スカイライン!)、お金に余裕があって、しかも暇を持て余している(日本中を巡る旅に出る。ロケ地の一つ、北海道には二人が撮影のために訪れたポプラの大木があって、今でも「ケンとメリーの木」と呼ばれている)。神田川の見えるアパートに住み、横町の風呂屋に通うカップルとは大違いだ。つまり、前回紹介した曲とは主人公たちの住む世界が違いすぎるために、記憶の網に掛からなかったのだ。

 「ケンとメリー~愛と風のように」は当時としてはとてもハイソな、お洒落な曲だ。後のJポップの走りのような曲調。歌詞を読んでも、「もうここにはいられない」といった悲壮な雰囲気は微塵もなく、「今こそ希望に満ちて出かけよう、新しい何かが見つかるかも知れない」といった前向きな内容だ。まあ、CMソングだから当たり前か。実際、スカイラインに乗って横町の風呂屋へ行くリア充カップルなんて誰も想像できないよな。駐車場とか無さそうだし。ところでその歌詞だが、これがまたなかなか詩的でかっこいい。

いつだってどこにだって 果てしない空を風は歌ってゆくさ  今だけの歌を 心はあるかい 愛はあるのかい

見慣れた時計を部屋に残して 今が通り過ぎてゆく前に    朝が来たら 出かけよう 今が通り過ぎて行く前に      愛と 風のように      

                (歌詞カードより抜粋)

 ちょっと良いでしょう?曲自体のアレンジは時間とともに変わっていくのだけれど、やっぱり最初のオリジナルが好きかな。

 前回紹介した曲とはかなり毛色が違うけど、こういう旅も、まあ、アリということで。 

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 大規模ワクチン接種会場にて

 先日二度目のワクチン接種をしてきた。接種したのはモデルナ製ワクチン。カミさんも娘も同じワクチンで、接種したタイミングは僕より少し早い。二人とも副反応として発熱と頭痛、それに接種部位のかゆみ(いわゆるモデルナアーム)があったが、僕は「風邪でもひいたかな?」といった程度で済んだ。やはり男女で差があるようだ。

 一度目の接種は若い女医さんで、この時は注射そのものが結構痛かった。今回はおばさん(失礼!)の女医さんで、これが全然痛くなかった。状況的に違っていたのはただ一点だけ、投げかけられた「肩を落として」という一言だった。女医さんが言うには、注射をする時にはほとんどの人が無意識に「構え」るので、筋肉が緊張するんだそうだ。そしてそれは、肩が上がっていることでわかる。その状態で注射針を刺すと痛みが増す。実際僕も肩が上がっていたらしく、それで「肩を落として」と声をかけられたわけだ。上手い言い方だ。「肩を下げて」じゃなくて「落として」。自(おの)ずと力が抜ける。そういえば前の女医さんは何も言わなかった。なるほど、だから痛かったのか。

 さて、接種は無事終わった。が、この話には後がある。当日僕はYシャツを着ていたので、肩を出すためにはそれを脱がなければならなかった。すると、下に着ていた黒のTシャツに飼い猫の白い毛が数本付いていた。僕が「すみません、飼い猫の毛が・・・」と言い訳をすると、アシストの看護士さんが「猫飼ってるんですか?」と聞いてきた。「ええ、今は6匹。」「6匹も!」その後話題は保護した猫の話から、アンプルやアンプルカッター(※)が今でも使われていることに驚いた話へと移り、さらに医療用ナノマシンの進化(この話題は女医さんの独壇場だった)やら、モデルナワクチンとファイザーワクチンの違いやら、やれネットのデマには閉口しているだの、この会場では希望して尻に注射した人がいる(仕事で両腕を使うから、だって)だのと、三人で盛り上がり、気がつけば20分近くもおしゃべりしてしまった。その間僕は後続の接種者をそれなりに気にしていたのだが、接種ブースの二人はどこ吹く風といった体(てい)だ。看護士さんはこの20分の間に一度だけブースの外に目をやったが、何も言わずに会話に戻ったので、あるいは時間的に間隙ができていたのかも知れない。

 やがて「あら、待機時間、大分過ぎちゃいましたね。」という看護士さんの言葉を最後にこの語らいは終わった。看護士さんは「楽しいお話、ありがとうございました。」と僕に言った。女医さんも微笑んでいる。もちろん僕も楽しかった。「いえ、こちらこそ。お世話になりました。」僕はいったい何をしに来たんだっけ。そうか、ワクチン接種だった。女医さんが「係の人が混乱するといけないから、一緒に行ってあげてね。」と看護士さんに言い、僕は看護士さんに連れられて接種完了の手続きをした。看護士さんの「この人は待機終わってるから、すぐに書類を作ってあげてください。」という言葉に、何も知らない係の人は「???」といった面持ちだった。僕は看護士さんにもう一度礼を言い、その後の待ち時間無しで会場を後にした。

 二人に会うことは多分もう無いだろう。マスク越しで顔もよくわからず、名前も知らない。でもあの20分間の語らいは久しぶりに楽しかった。単なるおしゃべりではなく、まさに「語らい」という言葉がふさわしい、そんな空気がそこには満ちていた。帰りの車中で、あの二人はいつもあんなふうなのかしら、それともたまたま僕は特別なタイミングに当たったのかな、などと考えていた。コロナ騒動がなければ、出会わなかったであろう人たち。確かに、他愛もない出来事ではある。それでも一生忘れることはないだろう。人生って、本当に不可解だ。ひょんな事で大きな拾いものをしたりする。何だか、久しぶりにスタインベックの「朝めし」を読みたくなった。

※アンプル:薬剤を密閉して保管するためのガラス容器。先が長い首状になっている。 アンプルカッター:アンプルの首の部分を折り取るために、ガラスに傷をつける道具。堅い砂を薄い板状のハート型に固めてある。