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 引き寄せる・・・?

 久しぶりに保険屋さんが来た。憶えてます?黒のボルボに乗り、霊感のある知り合いがいて、よく変な食材を持ち込んでくる(最近ないな)、あの人です。今回は貸し付けの制度について聞きたいことがあって来てもらったんだけど、たまたま心霊現象の話で盛り上がっていたときに(え?貸し付けの話は?)宅配便が届いた。ドアチャイムの音でえらくびっくりしたみたいで、「鳥肌が、鳥肌が」と大騒ぎだったんだけど、届いた品物は別に奇怪なものではなくて、送り主もオフ・モールというんだったかな、要するに大手のリサイクルショップ。で、届いたのが中古の榴弾砲のプラモデル。マニアの方のために詳しく言うと、タミヤ1/21アメリカ155㎜M2GUNロングトム(第2版1966年発売)という代物。優先順位の関係で、当時は結局購入せずに終わっていた。このプラモの箱絵がかっこよくて、いつかは手に入れようと思っていたんだけど、なかなかモノがない。たまたま去年ネットで見つけたものは箱が壊れていて、それでいてなぜか値が高い。そんなわけでこれは見送って、その後ずっと忘れていたんだけど、つい最近久しぶりに別の件で検索したら、そのオフ・モールとかいうショップに青天の霹靂のようにUPされていた。長いこと利用しているのに、このキットを見るのは初めてだ。何だかすごいタイミング。説明書欠損、ゴムタイヤに劣化があったが、それが故に相場より安く、箱はほぼ無事なので、思わず購入してしまった。それが今日、届いたわけだ。

 保険屋さん、始めはあきれ顔で話を聞いていたが、箱絵を見てその力量に気付いたようだ。「プラモって、こんなにリアルな絵を使ってたんですね。写真みたい。」確かに、この絵を描いたのは箱絵の第一人者、高荷義之画伯だから、鉄の質感の表現などは文句なしのレベルだ。だが正直なところを言うと、時々デッサンが狂っていることがある。僕は絵描きの端くれであるから、そういった箱絵は敬遠するのだが、この「ロングトム」に関してはとても良い出来だ。箱の平面寸法はおよそ390㎜×185㎜。わりと大きい。それが当時500円。なんて良い時代だったのだろう。ただし、このことが直ちに、当時の子どもが易々と購入できたことを意味するわけではないんだけどね。たとえば1958年生まれのあるプラモオタクライターに言わせると、小学生の時の小遣いは1日10円だったそうで、このプラモを買うには単純計算で2ヶ月弱を何も買わずに過ごさなければならないことになる。友だちづきあいを考えると、そんなことは不可能に近い。何しろ当時の小学生は外遊びの最中に駄菓子屋に寄り、きな粉棒だのよっちゃんイカだのファンタだのを購入するのが常だったからだ。そんなわけで、いかに500円といえども、結果的にクリスマスや誕生日、あるいはお正月(お年玉)を待つことになるのだった。

 保険屋さんは女性ながらプラモデル(車)を何度も作ったことがあるという変わり種の人なんだけど、このキットとの巡り合わせについて、「ホントに、滅多にお目にかかれないのに、久々に検索したら、それを待っていたかのようにそこにあったんだよね。」と話すと、「なるほど、引き寄せたんですね。」とつぶやいた。引き寄せる・・・?そうだった。この人、そっち方面にも造詣が深いんだっけ。うん、何となくニュアンスはわかる。実はこうした経験は1度や2度ではない。何年かぶりにダメもとで検索した商品が、1回でヒットして「残り1点、お早めに」だったりしたことも何度かある。そんな状況にぶち当たったときに、人は「ああ、引き寄せたな」などとつぶやくのだろう。勿論偶然なのだろうが、100回検索しても当たらない人は当たらないらしいから、「そうか、引き寄せたのか」と思って幸せな気分に浸っている方が精神衛生上も良さそうだ。だから今では、素直に「僕は多分引き寄せる力がほかの人より強いんだろう」と考えることにしている。

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 サンドイッチと鯛焼きの尻尾

 以前何かの記事で読んだんだけど、外国人観光客にはコンビニの弁当やサンドイッチが不評なんだって。「えー、サンドイッチなんて、結構美味しいのに・・・」と思いつつ読み進めていくと、どうも味の問題とかじゃなくて、たとえばサンドイッチについては「表の断面は具がいっぱい詰まって見えるのに、裏側は尻つぼみでごまかされた気分になる」ということらしい。じゃあ、弁当はどうかというと、多少上げ底になっているのが気になるんだそうだ。でもあれって、樹脂の容器に詰めた温かいご飯が冷めるにつれて出てくる水分を逃がす工夫でもあるよね?その証拠に、全面が上げ底というわけではなくて、周囲が雨樋のように余分な水を逃がす(ためる?)構造になっていたりする。昔はご飯をわっぱに詰めて、素材の木に水分を吸わせていたようだけど、樹脂の容器じゃそうはいかないもんね。要するに米が主食の文化ならではの工夫なんだろうけど、どうもパン食で合理主義の欧米人にはそのへんが理解できないらしい。サンドイッチについては説明がもっと面倒だ。

 日本には鯛焼きという軽食(?)があるが、大分前に「尻尾にも餡を入れるべきか?という論争があった。あの時は「最後は口直しとしてさっぱりと皮だけを食べる、そのために尻尾には餡を入れない」という考え方と、「みみっちいことは言わずに尻尾まで餡を入れた方が贅沢で良い」という考え方が真っ向からぶつかった。どう結論が出たかは定かではないが、今売られている鯛焼きを鑑みるに、「尻尾まで餡」派に軍配が上がったんだろうなあ。実を言うと僕は「尻尾は皮だけ」派なんだけど。

 「お口直し」の文化はどちらかというと感覚的で、とても日本的だと思う。たとえば寿司屋で大トロを食べた後、あがり(お茶ですね)を飲めば、魚の脂肪は融点が低いから、綺麗に洗い流されて口の中がさっぱりするし、同じような意味でガリを囓るという手もある。実はフランス料理の世界にも「口蓋洗浄」なる用語があって、これは食事の最中に新しいワインのボトルを注文したときなどに、そのワインの味を確かめるために水またはパンを飲食することで口蓋(要するに口の中)を洗浄して、前に食べたものの後味を消し去ることを言うんだな。やってることは似てるのに、どちらかというと理論的。それを考えると、ハムサンドなんかを食べた後、タマゴサンドに移る前にパンの割合が多い部分を食べることで同じような効果が期待できる・・・事も無いか。そもそもサンドイッチって、口蓋洗浄が必要なほどの料理でもなさそうだし。1パックまとめて頬ばれば、何はともあれミックスサンド、なんちゃって。何だか理屈が破綻してきたな。

 いずれにせよ、フレンチのコースディナーの後にこってりしたデザートを食べるような文化からすれば、日本の「お口直し文化」は理解できないかもしれんよなあ。でも僕なんか、コンビニのサンドイッチを食べて「ごまかしだ」と思ったことは一度もない。だいいち、今の体裁は具もこぼれず食べやすいし、手も汚さずに済む(多分それもねらいの一つ)。家で作ってもだいたいあんな感じになるし、全体のバランスで言っても、具が少ないと感じることはほとんど無いなあ。

 結論から言って、コンビニのサンドイッチや弁当のパッケージにはそれなりの工夫がなされているわけだから、文化論は置いておくとしても、ちゃんと説明した方が良いような気がする。ホント、誰か言ってやってくださいよ(テメーで言えってか?)。

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 プラモデルの箱絵

 長いことご無沙汰してしまった。昨年下の娘が就職したんだけど、これが不定期休の仕事で、クリスマスも餅つき(カミさんの実家でやる)も正月も今までとは大分勝手が違ってしまって、てんてこ舞いしてたものだから、文章を思いつく暇もなかった。やっとここに来て、一つの話題ができたので久々にペンを取った(実際にはパソコンを開いた、という感じか?)。

 昨年の夏、ひょんな事から高校時代のことを思い出して、変にセンチメンタルになってしまったことがあったが、この冬はなぜか昔のプラモデルが恋しくてしょうがない。正月といえば、お年玉を握りしめてプラモ屋さんに走るという遙か昔の記憶が、今になって鮮明に思い出されてきたのだ。そんなノスタルジックな感覚の、今回のきっかけはアニメではなく映画。「頭上の敵機(1949)」と「眼下の敵(1957)」だ。どちらも戦争映画だが、古い映画なので現代のように戦争の実体をリアルに再現するというよりは、戦争という極限状態のなかでの人間ドラマを描いている秀作だ。この2本は、なぜか僕の精神構造のルーツとなっていて、自分を取り戻したいときによく見る。今回で言えば娘たちが二人とも独り立ちしたことによって、長年続いてきた年末年始のルーティーンに変化を余儀なくされたことが、この2本の映画を引っ張り出してきた理由の一つになっていると思う。そしてさらに、このことが呼び水となって、長年ため込んだ古いプラモデルに手を出すことにもなったわけだ。ただしそれは単に「映画に出てくる爆撃機のプラモデルを作ろう」などという単純なことではなくて、「その映画を初めて見た頃のプラモデルについて調べ直そう」といった、実にマニアックな作業から始まったのだった。こうなると、一時期美術教師だった僕としては、「箱絵」に言及しないわけには行かない。

 前にも書いたように、僕は美術の専門教育を受けていて、それなりの美大に合格するだけの技能は持っていた。その技能習得の大きなきっかけを作ったのが何とプラモデルだったのだ。と言ってもプラモデルそのものではなく、その「箱絵」なんだけどね。僕は小学生の頃からその箱絵を模写するのが好きで、鉛筆画オンリーだったけど、今思えばあれは良い修行になったなあ。

 当時の子どもたちにとって、箱絵は単なる完成予想図ではなく、その商品のもととなった戦車なり戦闘機なりが、往時にどんな活躍をしたかを実感させるドラマまでも描き出していた。当時箱絵の第一人者と言えば、挿絵画家の小松崎茂やその弟子である高荷義之などが代表格で、その後に上田信や大西雅美といった作家が続いた。今では「ボックス・アート」というジャンルまで生まれ、画集が出版されたり原画展が催されたりしている。いわゆる芸術作品ではないが、ある意味その枠を越えた自由な演出や揺るぎない技術力に裏打ちされた説得力は他に類を見ないものだ。僕も出版された画集はほとんどもっているが、それらに寄稿した人々が口を揃えて言及するのが、昭和という時代に生きた子どもたちがもっていた夢や憧れについてだ。文面から察するに、執筆者の誰もがあの時代を懐かしく思い、帰りたがっているように思える。欲しいものを買うためになけなしの小遣いを貯めたり、首を長くしてクリスマスや正月を待ったり・・・。勿論ついに果たせずに終わる夢もある。当時プラモ屋さんの高いところにつり下げられていて、触ることすらできなかった高額なキットもあったし、今では見つけることすら困難で、例え見つかったとしてもコレクターズアイテムとして法外な値が付けられていたりするものもある。そういった意味では昔も今も状況はあまり変わらない。

 「還暦」という言葉がある。人は歳をとると子どもに返るという。以前は「もうろくして子どもみたいになることを言ってるんだろう」ぐらいにしか思っていなかったけど、最近考えが変わってきた。近頃どうも怪しくなってきたが、少なくとも当時の僕たちは親の庇護のもと、屈託のない子ども時代を送った。そんなプラモ好きの子どもにとってもっとも身近だった美術作品こそがボックス・アートだったわけだが、ある画集に寄稿した平野克己氏(カー・マガジンライター、モデル・カーズ編集長。現在はフリー)は古いプラモデルについて「ボックス・アートは懐かしき時代への郷愁と追憶のタイムマシーン」とまで言っている。そしてまた、「人生の垢のようなものを洗い流してくれる」とも。勿論ボックス・アートが人生の垢を洗い流してくれるわけではなくて、人生の垢にまみれる前の自分を思い出させてくれる、という意味だろう。それこそが今僕の思う「還暦」の意味なのであって、ボックス・アートの作家たちも、まさか自分たちの描いたプラモデルの箱絵が、今になってこうまでクローズアップされるとは思ってもみなかったに違いない。しかも単なる美術品としてだけではなく、人の心に関わる一つの文化として捉えられているのだから。

 そんなわけで、正月明けからタミヤの1/25パンサーA(リニューアル版、1972年発売)を作り始めた。そんな古いプラモデルを作ってしまうのはもったいないって?良いんです。ラジコン搭載の復刻版だから。当時ものは別にもってるし。でもねえ、去年の夏といい、この正月といい、何だか「昔は良かった症候群」に罹っているようで、何とも先行き不安なんですけど。

 参考文献 学研「小松崎茂と昭和の絵師たち」(復刻版)  

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 どうしても毎年見ておきたい光景

 今年、3年ぶりに秋田の大曲花火大会が催された。例によってNHKが中継した。せっかくの花火大会だったが、風が無かったのか、煙に遮られてその全容をとらえるのはちょっと難しい状況だったようだ。でもね、本編とは別にどうしても見ておきたい光景があるんです。それはフィナーレのあと、客席のペンライト(あるいはスマホライト)と、川を挟んだ対岸の花火師たちが振る赤い発煙筒の「エール交換」の様子だ。いつから始まったのか、詳しくは知らないが、「見せてくれてありがとう」「見てくれてありがとう」という意味がこもっているらしい。これがなかなかに感動的。今年は3年ぶりということもあって、5分間にわたってエールの交換が行われていたが、よりによってゲストに情にもろいギバちゃん(柳葉敏郎)なんか呼んじゃったものだから、彼、涙でボロクソになっていた。でも、TVのこちら側で見ていても目頭が熱くなるんだから、現場にいたら無理もないか。

 もう一つ、紹介しておきたい。それは毎年正月に、これまたNHKが中継する「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」だ。最後のアンコールで、毎年定番の「青く美しきドナウ」と「ラデツキー行進曲」が演奏されるのだが、この時、クラシックの演奏会では考えられないことが起こる。まず「青く美しきドナウ」では、オーケストラがイントロを演奏する。すると演奏中にもかかわらず、客席から大きな拍手がわき起こる。演奏は一旦中断され、オーケストラから新年の挨拶が・・・。その後、あらためて演奏が始まる。そしてこれに続く「ラデツキー行進曲」では、さらにすごい演出が待っている。何と指揮者は登場しながら、つまり指揮台に向かって歩きながら指揮を始め、客席から演奏に合わせて手拍子が加わるのだ。指揮者は指揮者で、楽士たちをそっちのけで客席を向き、観客の手拍子のタイミングや強弱を指揮している。楽士も観客もみんな笑顔。この手拍子はその年の指揮者によってパターンが微妙に異なっていて面白い。まさに会場が一体となって盛り上がる。最後は当然のごとく全員がスタンディングオベーション。拍手が鳴り止むこと無く中継終了。長年親しんできたプログラムなので、最近はもうなんか、これだけ見られれば良いやって気もしてきた。まさに本末転倒。でも、大曲の花火大会といい、ニューイヤーコンサートといい、現場に出向いている人のなかにもそういう人っているんじゃないの?・・・そんな気がする。これはねえ、有名なデザートを食べるためにとりあえずそのレストランのフルコースをオーダーする、そんな行為と似ていると思います。つまり、「アリ!」ということで。

追記 「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」は中継だと元日の夜10時頃、多分ETVかBS。後日再放送もする。放送時間が長いので録画して見ることをお勧めします。

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 映画とクリスマス

 映画とクリスマス、といっても、いわゆるクリスマス映画はすでにネットで散々紹介されているので、ここではクリスマスがストーリーの背景であったり、クライマックスがクリスマスであったり、ついでにアメリカのTV映画であったり、そういった映画を紹介してみたい。

 まず最初に「素晴らしき哉、人生!(1946)」。人情話を撮らせたら右に出るものはいない往年の名監督、フランク・キャプラの作品。仕事で不幸に見舞われ、自殺を図った主人公(ジェームズ・スチュワート)が、下級天使の助けを借りて何とか立ち直るお話。その日がちょうどクリスマス・イヴだった。なかなか凝った作りで、名作ですね。この映画は2016年にウィル・スミスを主役にリメイクされているが、仕掛けはオリジナルの方が上だな。

 次に「めぐり逢い(1957)」。船上で出会い、結婚を約束した男女が半年間の準備期間の後、再会することを誓い合う。その場所というのがエンパイア・ステートビルの展望台。ところが運命に翻弄されて約束は叶わず、その二人が最後にやっと再会できたのがクリスマスだった、という、傑作メロドラマ。主演はケーリー・グラントとデボラ・カー。これは母が大好きだった映画で、TVの洋画劇場などで何度も見ているうちに、自然と好きになってしまった。さらに言うなら、次に紹介する「めぐり逢えたら」のネタとなった1本でもある。

 「めぐり逢えたら(1993)」は、先に述べた「めぐり逢い」が大好きで、「あんな恋がしてみたい!」と憧れていた若い女性が、あるクリスマスにひょんな事から知った男性との恋に人生を賭けるお語。存在を知ったとはいえ、会ったこともない(一度だけ目撃している)のに、気持ちばかりが高揚して、初めて会うために選んだ場所がエンパイア・ステートビルだった。女性が婚約者を放ったらかしにして駆けつけたときには展望台は閉まった直後だったが、「めぐり逢い」を知っていた老警備員の粋な計らいで無事会うことが出来た。運命の二人を演じるのはトム・ハンクスとメグ・ライアンのゴールデンコンビ。

 古いものばかりを選んでしまったが、新作にもこの手の映画は結構ある。ただし、「クリスマス映画」というよりは「クリスマスに関わる映画」と言ったほうが当たっている気がする。人間ドラマが主体なので、サンタが出てくる類いのクリスマス映画だと思って見るとがっかりしますよ、という意味だ。もっとも、「素晴らしき哉、人生!」にはオッサンの天使が出てくるけどね。言えることは、やはり欧米ではクリスマスは「何かが起こる」時なんだろう。言い換えれば、制作側にとっては何かを起こしやすい時とでも言うのかな。

 それを逆手にとって、なかにはそれがクリスマスの奇跡なのか、それともただの偶然なのかをあえて曖昧にして、見る側にその謎解きを楽しませてくれるような仕掛けの映画もある。「34丁目の奇跡(1994)」がそれで、リチャード・アッテンボローが自称サンタの老人を演じた(「ジュラシック・パーク」のハモンド社長を演じた人ですね)。この映画はそれなりに有名なので知ってる人も多いと思うけど、実はリメイク。オリジナルは1947年制作のモノクロ映画。日本ではこちらは「三十四丁目の奇跡」と漢数字で表記し、区別している(後付けのカラーバージョンあり)ようだ。ラストでニューヨーク州の法廷がなんだかんだとこじつけて、サンタの実在を宣言してしまうあたり、やっぱりアメリカだなあ、なんて思ってしまう。ただし、古き良き時代のアメリカね。

 探してみるとマイナーでも良いクリスマス映画はたくさんある。なかにはTV映画で「間違いだらけのクリスマス・キャロル」なんてのもある。これは有名なチャールズ・ディケンズの小説「クリスマス・キャロル」のパロディ。2000年代にWOWOWで1度だけ放送された。安手の作りながらなかなか良い出来だった。多分今は海外のサイトでしか見ることができない。録画しておいて良かった・・・!何しろ現代のアメリカに(ジェイコブ・)マーレーの幽霊が(ボブ・)マーリーの格好で出てくるんだから困ったもんだ。容貌の違い(ジェイコブ・マーレーはイギリス人、ボブ・マーリーは実在のレゲエ歌手でジャマイカ人)を問い正されると、「爺様が昔、外国の女性と悪さしてさ・・・わかるだろ?」だってさ。

 TV映画といえば、ピーター・フォーク(刑事コロンボですね)がサンタっぽい天使を演じた3本のシリーズも良かった。「25年目のハッピークリスマス(2003)」「天使が街にやってきた!(2004)」「最高の贈り物(2005)」というタイトルで、これも「間違いだらけのクリスマス・キャロル」と同じ頃にWOWOWで放送された。確か、「発掘シネマ」の「ハッピークリスマス特集」という枠だったと思う。どれもTV映画なので、ディスクなどは存在しない。昔のWOWOWは頑張ってたよなあ。最近は海外ドラマばっかりで、こうした粋な計らいが見られないのが残念だ。もっとも、TV離れ、映画館離れの進む現代では、こうした企画も無用の長物かもしれないけどね。

追記 「間違いだらけのクリスマス・キャロル」は原題「Karroll’s Christmas」で検索のこと。他の3本は邦題で検索。日本のウィキペディアにデータがある。

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 続 鉄道150年

 あのあとちょっと探してみたら、いやあ、出てきましたよ、当時の写真が。せっかくだから少しUPしてみたい。

1972年、羽越本線のD51。煙突から砂箱への独特な形状から、「ナメクジ」と呼ばれる。写真の保護フィルムに傷が…。
同上。重連が必要な路線でもないので、1両は多分回送?
同上。ただし1971年の1回目の時かな?
同上(ナメクジではない。これも多分1971年)。
1973年、中央西線のD51。重連ですね。
同上。
同上。
同上。
1972年、水郡線の8620型。
2014年、水郡線のC61。これだけがデジタル写真。

 せっかくだからついでに…。

羽越本線のD51101号機。1972年。これも保護フィルムが傷だらけ。
でもってその1年後、中央西線で再会した時のD51101号機。えらく立派になっちゃって…。

 1971年のころは確かコニカのレンジファインダーカメラだった。1972年以降はオリンパスM-1(のちのOM-1)を購入、親父のカメラ(アサヒペンタックスSV)にモノクロフィルムを詰めて併用したりもしたっけな。どちらのカメラもまだあるよ。

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 鉄道150年

 このところやけに鉄道がらみのTV番組が多いと思ったら、今年は鉄道150年に当たるんだそうだ。そうか、あれからもう50年経つのか・・・。何を隠そう僕は、昔鉄道ファンだったのだ。今で言う「撮り鉄」というやつだ。なぜ「昔は」なのかというと、僕の興味がSLに特化していたからだ。

 今でもSLが牽引する特別列車はあるが、綺麗に磨いてあったり、お化粧してあったりでどうも食指が動かない。あの頃はちょうど鉄道100年を迎えようとしていた時代で、地方にはまだ貨物列車などをSLが牽引している路線が残っていた。僕が小学生だった頃のことだ。

 あるとき、知り合いのおじさんが羽越本線のSLを撮りに行くというので、一緒に連れて行ってもらうことにした。当時のことだから、上越線の寝台急行で新潟県の新津まで行き、明け方羽越本線へと乗り入れる。まだ架線用の電柱も立っていない区間が多く、客車はディーゼル等の、いわゆる気動車がメインで、貨物列車をSLとディーゼル機関車が担っていた。SLが引く旅客列車もわずかに運行していて、運が良ければ乗車することができた。

 僕たちは新津からほど近い「坂町」駅周辺で朝から数時間撮影し、その後北上して「桑川」~「今川」間を線路沿いに歩きながら、通り過ぎる列車を狙った。この道は鼠ヶ関街道といって、岩山が海岸まで迫り、北上する場合右手にトンネルだらけの線路、左手には美しい日本海が拡がっていて、「笹川流れ」「眼鏡岩」といった景勝地が点在する、歩いていて飽きないルートだった。海の色は、周囲の岩山が砕けてできた黄色みがかった砂に起因するエメラルドグリーンで、太平洋側に住む僕にとっては初めて見る海の色だった。

 最終的に山形県の坂田まで足を伸ばし、そこで1泊。翌日は往路を逆にたどり、1日かけて帰ってくるという、ある意味強行軍だった。それでも僕は、まるで生き物のような息づかいを感じさせるSLにすっかり魅了されてしまった。1年後に再び羽越本線を訪れたのを皮切りに、中央西線、小海線、陸羽東線、水郡線(特別運行)、青梅線(特別運行)と矢継ぎ早に足を運んだ。その間に父親を抱き込み、写真集も買い集めた。中でも気に入っているのが、鉄道写真家である広田尚敬(ひろたなおたか)氏の「四季のSL」という写真集。これはあくまで個人的な意見だが、「四季のSL」は単なる鉄道写真というより、「SLが映り込んだ風景写真」であったり、「地域の住人とSL」といった体(てい)の作品が多く、巻末の情感溢れる解説文と相まって、完成度の高い1冊。1971年に朝日新聞社から出版された。広田尚敬氏は今も現役で、TVでもたまに見かける。昔はやせ形の長身(当時としては)で、芸能人のような容貌だったが、今は優しい笑顔が印象的な好々爺、といった感じ。まあ、ご高齢(86歳?)だから無理もないけど。

 さて、僕はといえば、最後の撮影は2014年で、水郡線での全通80周年記念の特別運行。比較的大型のC61が来るというので勇んで出かけたが、予想どおり人が多くて、とりあえず撮りました、という感じ。前回(50年前)、鉄道100年記念の特別運行を撮影したときは8620型という大正時代製の軽量なSLだったのだが、これは当時の水郡線が2級幹線であったため、大型のSLが入れなかったからだと聞いた覚えがある。いつの間にC61ほどの重量級SLが運行できるようになったのだろう。もしかすると、例の東日本大震災のあと、復興のさいに改修されたのかもしれない。水郡線(茨城県水戸駅~福島県郡山駅、非電化)は僕にとって近場なので、C61のような大型機が入れるのであれば、今後がちょっと楽しみだ。ただ、最近の一部の撮り鉄たちの暴挙を見ると、腰が引けてしまうのも事実なのだが・・・。

 尚、当日走ったC61の20号機(C6120)は、JR東日本高崎車両センター高崎支所の所属で、当時群馬県を中心に、旅客列車の牽引機として活躍するとともに、多くの出張運用も行っていて、水郡線に来たのもその一環だった。

追記 初めて行った羽越本線の坂町駅で出会ったSLのなかに、D51の101号機(D51101)がいた。2回目の時もいた。その数年後、中央西線の中津川~南木曽で再会したのには驚いた。いつの間に回されてきたんだろう。ここでは一時、「鉄道101年」に因んで、青いナンバープレートをつけて旅客列車「快速木曽路」号を牽引していた。

 今この記事を書きながらふと思いついて検索してみたら、彼女の記事は予想外に多く、昔「オオタキ」が出していたD51のプラモデルが101号機だったり、さらに今では静岡県島田市の中央小公園に静態保存されていることもわかった。画像を見ると、最近保存会ができたこともあって、状態もまあまあのようだ。懐かしいなあ。是非とも一度、会いに行きたい。

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 ちょっと悲しい

 あれから40年にもなろうかという昔、当時の仲間と奈良の斑鳩の里をレンタサイクルで回ったことがある。あの頃の斑鳩は本当に田舎然としていて、いかにも「里」という呼び名が似つかわしい佇まいだった。

 お地蔵様がいらっしゃる以外何の変哲もない道ばたに自転車を止め、一休みしたとき、その傍らに小さな物干し竿のようなものがあるのに気付いた。よく見ると干し柿を括った紐が2、3本ぶら下がっている。干し柿の大きさも、縛ってある間隔も不揃いだが、どの紐にも同じ数の干し柿が結びつけられていた。なんだろうと思ってさらによく見ると、値段を油性ペンで書いた四角い缶が石の上に置いてある。持ち上げて振ってみると、硬貨が何枚か入っているようだった。要するに、いわゆる無人販売所の類いなのだろう。しかし、いかにお地蔵様が見ているとはいえ、そこまで人を信じて良いものかと正直驚いた。僕の地元にはそのような販売形態はなかったし、当時の僕はそういった販売形態の存在すら知らなかったから。

 今では地方へ行くと野菜や果物の無人販売所をよく見かけるし、町中でも、例えば冷凍餃子の無人販売所などが増えているという。その存在が外国人には日本人の美徳と映る、という話も良く聞く。だが、最近そういった日本人の美徳が危うくなってきた。支払いをせずに品物を持ち去ることを何とも思わない輩が増え、果ては神社仏閣の賽銭まで盗み出す不届き者もいる。なぜだろう?コロナ禍による経済の停滞や、追い打ちをかけるように家計を襲った値上げラッシュにより、お金に困っている人が増えるのはわかる。だがニュースを見る限り、それだけで説明できるほど、事は単純ではない気がする。無人販売所の問題は単なる一例に過ぎず、ネットやスマホを利用した「汚い金儲け」の話は後を絶たないし、一時は外国人が中心だった悪質な「転バイヤー」も、最近では日本人の例も多い。彼らは決してお金に困っているわけではない。ただただ貪欲なだけだ。他人のことなど気にもしない。これはもう、品位とか良心とかの問題だろう。

 その昔、江戸時代末期に日本を訪れていた外国人が、江戸市中での庶民の生活を見て、「江戸の街にも貧乏人はいるが、貧困というものは存在しない」と賞賛したそうだ。長屋住まいをするような下層の人々は、自然発生的な共同体を築いて助け合っていたらしい。実際昭和の時代でも、うっかり切らした醤油や味噌の、隣同士の貸し借りはよくあった。お礼にその日のお総菜を返したり、茶菓子を届けたりしたものだ。それが今では、隣に住んでいる人の顔も知らない、といった状況が当たり前になっている。コミュニケーションの機会がなければ、助け合うことなど不可能だ。そんな中で、無人販売所の存在は良心のバロメーターでもあったはずだ。だが今では、そうした信頼関係が易々と裏切られていく。いったい日本人はどこへ行こうとしているのか。

 外国人に言わせると、こうした無人販売所は海外では成立しないそうだ。品物があっという間に盗まれるというのだ。ある意味、日本も国際社会に準ずるようになってきたということなのだろうか。でも、こんな「グローバル化」は嫌だなあ。

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 言い方

 ずっと気になっていたことがある。いや、気になっていたというよりは、むしろ不快に思っていたと言った方がいい。それはネットへの書き込みにおける「言葉の使い方」の問題だ。例えばある投稿者がいたとする。それに対してアンチ(反対論者)が何か批判的なことを言ったとして、投稿者がさらに反論するような場合、ちゃんとした議論になっていれば読む側も興味を持ったりするのだが、時に単なる個人攻撃になっていくことがある。そんな場合、使われる言葉も子供じみた乱暴なものであることが多い。これは読んでいてとても不快だ。

 この手の問答は結果的に言い争いになっていく。相手と考え方が違う場合、その論点をはっきりさせて、説得力のある言葉で自分の主張をするのならまだ良いのだが、なぜか「頭悪いんじゃないの?」などと、書いた人物を攻撃する。こうなるともはや議論ではなく、単なるなじり合いだから、文章もわざと挑発的に書き込んでくる。しかも語彙が少ないのか、稚拙で品がない。これではどちらが頭が悪いのかわからんではないか。仮に互角に張り合っているんだったら、結果的に言ってレベルは同程度って事だろうし、いちいち取りざたしない方が賢明な場合だってある。「なるほど、そういう考え方もあるんですね。憶えておきます。」それで良いじゃないか。なんでこうも勝ち負けにこだわるかねえ。そう言うと、今度は僕が「これは勝ち負けの問題じゃない!なんでわからないんだ!頭悪いんじゃないの?」なんて噛みつかれるかもしれないが、傍目には「相手」を言い負かそうとしているようにしか見えないんだから仕方がない。

 そもそも人間がたくさんいるんだから、考え方だって千差万別だ。そんな中で「自分こそが正しい!」と主張すること自体無理がある。そういう認識からスタートすれば、いちいち目くじらを立てることもない。投稿するのはかまわないが、万人の目に触れるネット空間だからこそ、もう少し品位をもってコミュニケーションして欲しいものだ。

 会話や文章には人間性が表れる。時にはその人が歩んできた人生さえ垣間見えることがある。言いたくはないが、これは事実だ。なじり合いや個人攻撃の応酬では、良識のある閲覧者は誰もその論拠を理解しようとはしないだろう。え?理解されなくてもいい?書き込めばそれだけで満足?なるほど、そういう考え方もあるんですね。憶えておきます。

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 小春日和

 人間ドックを受けてきた。人間ドック、わりと好き。何と言っても、あの非日常感がいい。変態かって?そうかもな・・・。それともう一つ。僕の利用しているメディカルセンターの立地なんだけど、○○水源とかΔΔ緑地の他にいくつかの神社を含む緑地帯に隣接していて、センターの目の前が鬱蒼とした里山みたいになっている。その道ばたで吸う検査後の、つまりその日初めての煙草が最高なんだな(※)。

 そんなわけで、その日も検査の後、いつものようにそこで一服した。前日までと打って変わって空は快晴、久しぶりの陽射しが暖かい。こういう日を「小春日和」と言うんだろう。本来ならもっと寒くなってからの用語だろうけど。字面からは意味を理解しにくいけど、言葉にしてみると何ともいい響きで、僕はこの語感、好きだなあ。

 一服した後、そのへんを何気なく歩いていたら、森の外周を成す低い土手で、鮮やかな黄色の花があちこちに咲いているのを見つけた。「えっ!タンポポ!?」そう思って近づいてよく見たら、妙に首が長く、春に見かけるタンポポとは種類が違うようだ。だがその茎を下になぞって確認したら、地に這うように拡がるロゼット(放射状に拡がる葉)は紛れもなくタンポポの類いのそれに見える。これ、もしかしたら、タンポポモドキ(ブタナ)かな?

 これにはさらにおまけがあって、陽射しの暖かさに騙されたのか、その葉の上で真っ赤なナナホシテントウが遊んでいた。僕はある意味単純なので、これだけでもう、「今日は最高の日になった・・・!」なんて思ってしまう。これなら多少肝臓の数値が高くても、まあいいか、なんてね(いやいや、それはダメなやつでしょう)。

 検査の結果、思った通り血圧と肝機能が引っ掛かった。面接で当たったのは初対面の老医師で、何だかすごいことを言われた。「血圧はねえ・・・この数値、嘘っぽいよね。病院とか、ここみたいな場所、嫌いでしょ?だから上がっちゃうんじゃない?家で計ってみた方がいいよ。うん。家で計るのが一番。あ、朝ね、おしっこした後に計るんだよ。おしっこ我慢してるだけで、パーンと跳ね上がるからね。」「肝臓はねえ、お酒やめてもう一度計って、数値が下がればお酒のせいだから。まあ飲むんなら・・・ビールだっけ?1日500㎖以下だな、500㎖。よろしくね。それで、病院行けってなってるんだけど・・・病院行く?なら紹介状書くけど。あの、すごいとこ行かなくていいからね。普通の内科で。」お酒やめてから計るって・・・やめる予定無いんですけど。行きますよ、病院。紹介状ください。

 もうちょっとこう、「病院で見てもらわないとヤバイよ」的なことを言われた方が僕もさっさと決心がつくんだが、ここの老医師たちときたら、「そんなことでいちいち騒ぐんじゃないよー」みたいなことばかり言うから、どうも緊張感に欠ける・・・そうか。このほにゃらかとしたやりとり自体、人間ドックが好きな理由の一つなのかもしれないな。でもそれって人間ドックの機能をないがしろにしているようにも思えるんだけど。こんなことじゃ、もしかしたら僕は早死にするかも・・・?

※ 勿論吸い殻は携帯灰皿や自分の車の灰皿に捨ててます。