銘酒バランタインにまつわる逸話
前にブレンド珈琲の記事で、ほんのちょっとだけ触れたブレンデッド・ウイスキー。面白い話を思い出したので書いてみる。これはウイスキー好きなら1度はその名を聞いたことがあるであろうイギリスの銘酒、「バランタイン」にまつわるお話。
まず話を理解するための基本情報だが、「バランタイン」はいわゆるスコッチウイスキー。その中でも「ブレンデッド・ウイスキー」というカテゴリーに属する。スコッチには大別して、大麦から作られるモルト・ウイスキーと、トウモロコシや小麦、ライ麦などから作られるグレーン・ウイスキーがある(※)。これらを混ぜ合わせて作られるのがブレンデッド・ウイスキーだ。実際には数十に及ぶ蒸留所のモルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーを、ブレンダーと呼ばれる専門家が、その感覚を頼りに1滴単位でブレンドして理想的なブレンデッド・ウイスキーを作り出すという、とてつもなく繊細な作業なのだ。だが珈琲同様、スコッチ通はシングルモルト、つまりウイスキーの中でも個々の蒸留所で作られたままの、混じり気なしのウイスキーを好む傾向がある。
さて、このブレンデッド・ウイスキーの「材料」の一つであるモルト・ウイスキーだが、その味と香りを決める要素がいくつかある。まずはピート、つまり泥炭だ。これはウイスキーを作る過程で麦芽を乾燥させる際の燃料として使用され、この時の煙香がそのウイスキーのフレーバーを決める大きな要素の一つとなる。次にこれに酵母と湯を加え、発酵させるのだが、水は現地の地下水や清流の水が使われ、その含有成分や硬水・軟水の違いなども味わいの重要なポイントとなる。発酵後は蒸留器にかけて蒸留し、木の樽で貯蔵して熟成させるが、この時に樽の木材に含まれる成分が溶け出し、最終的な色と香りが決まるので、その年数や、使用する樽の種類によっても味わいが変わる。ここまで宜しいですか?では、いよいよ本題。
「バランタイン」社に勤める著名なブレンダー、ジャック・ガウディーが、ある日、いつものようにブレンドの作業を始めたところ、その日使っていたモルト・ウイスキーの一つに違和感がある事に気付いた。いつもと微妙に香りが違うのだ。自分の感覚を信じるなら、微かにある種のサクラソウの香りが混じっているように思えた。しかし、そんなはずはない。その蒸留所の製品管理はきわめて厳重だし、その種のサクラソウは言わば絶滅危惧種で、見つけることすら難しく、たやすく混入するとは考えられなかったからだ。かといって、ブレンダーとしてはこの問題を放置するわけにはいかない。そこでジャックは、当時社長だったトム・スコットに相談し、その結果、直ちに調査チームが現地に派遣されることになった。しかし、思った通り蒸留所の周辺ではそのサクラソウを発見することはできなかった。そこでチームは調査範囲を蒸留所からその水源となっている湖まで広げることにした。すると、驚いたことその湖から蒸留所に到る水路の岸に、今では希少種となったそのサクラソウの新たな群生が発見されたのだ。
この話は「ザ・スコッチ バランタイン17年物語」という書物の冒頭で紹介されている。何ともすごい話ではありませんか。だって使われた水に含まれていたであろうサクラソウの香りを、幾多の工程を経て完成したモルト・ウイスキーの、つまりピートの煙や樽の成分などの入り交じった香りの中から嗅ぎ分けたってことですよ?(そもそも岸辺に咲くサクラソウの香りって、嗅ぎ分けられるほど水に含まれるものなのか?)これってもはや人間業じゃないと思う。さらにたった一人のブレンダーの、もしかしたら気のせいで片付けられたかも知れない疑問を解消するために、調査チームを派遣する会社の姿勢。いかにブレンダーを信頼し、重要視しているかがわかる逸話だ。
珈琲にせよスコッチ・ウイスキーにせよ、「ブレンド」と聞くとなぜか1ランク下のイメージがつきまとうけれど、実はこうした超人的なプロフェッショナルたちの努力によって成り立っている奥深い世界なのだ。けっして舐めてかかってはいけない。
※ モルト・ウイスキーは個々の蒸留所が一般向けに出荷しており、シングルモルト・ウイスキーと呼ばれている。個性が際立っていて、それぞれが多くのファンを獲得している。グレーン・ウイスキーは主にブレンド用に製造されており、ブレンデッド・ウイスキーに使用されるモルト・ウイスキーの個性を引き立て、さらに独特の香味を加えるといった役割を果たす。モルト・ウイスキーと違って、単品で市販されることはほとんど無い。