走馬灯じゃないんだから。
別に死にかけたとか、そういった類いの話ではない。先週、夏の庭に何か咲かせようと、久しぶりに近くの「花木センター」に行ってきた。25年ほど前に家を建てたとき、庭に植えた木々はほとんどここで購入した。その時お世話になったHさんは、あれ以来20数年会っていなかった。
花木センターには、最近でもたまに草花の種や球根を買いに行ったりするのだが、庭木のコーナーに足を伸ばしてもHさんを見かけることはなかった。もしかしたらもうここにはいないのかも知れないな、などと思いながら育苗のためのポットなどを買い込み、今回もダメ元で庭木のコーナーに行ってみたが、やはりそれらしい人影は見当たらない。買ったものを車に積み込んで、最後にもう一回りだけ、と庭木のコーナーにとって返した。すると先ほどは気付かなかったある看板が目に入った。あれ、この店の名前、Hさんと同じだ。以前はHさん、どこぞのお店の店員だったよな。でもあれからすでに20数年。もしかして・・・?
この庭木のコーナーには複数の業者が出店していて、当時Hさんはそのなかの一店で働いていた。今日、気がついてみると、今ある店舗の一つがHさんの名字と同じ店名になっている。あの頃にはなかった店だ。ものは試しと思い、そのコーナーに入っていくと、奥の方で年老いた店員さんが木々の手入れをしていた。声をかけられても面倒だと思い、距離を取りながらハウスの中を覗いたが、他には誰もいないようだ。その時、その店員さんがこちらを振り向いた。屋外なので、彼はマスクをつけていなかった。何と、それはHさんその人だった。年老いて見えたのは白髪の混じり始めた頭髪と、彼独特の猫背のせいだったのだ。「Hさん・・・ですよね?」「はい・・・?」おっと、マスクをつけたままだった。マスクを外して名を告げると、彼もすぐに思い出してくれた。「いやあ、懐かしいなあ。あれから何年になります?」「多分20年以上ですね。」「ちっとも変わらないじゃないですか。」「いやいや、そんなことは。Hさん、独立したんですね。」「まあ、いろいろありまして・・・。」そんな会話から始まって、かれこれ1時間近く立ち話をしただろうか。話の内容は省くが、最後に僕は「いるとわかったから、またちょくちょく遊びに来ますよ。」と告げてその場をあとにした。
その日の午後、かねて懸案となっていた電話を1本かけた。下の娘が京都に一人旅をしたい、というので、僕が以前懇意にしていた旅行代理店のプランナー、Tさんを紹介すると約束していたのだ。こちらは多分10年ぶりぐらいか。僕が持っている名刺の携帯番号は営業用なので、今も当人に繋がるかどうかはわからない、という不安があったが、とりあえずかけてみた。出ない。だが10分と待たずに折り返しの着信があった。Tさんだった。「先生、お久しぶりです。」そうか、あの頃僕はまだ教員をしていたんだった。「ご無沙汰です。元気?」「おかげさまで。先生もお変わりなく?」「うん。教員は辞めたけどね。」「そうなんだ。先生と修学旅行に行ったの、懐かしいですね。」ああ、そんなこともあったなあ。彼女が添乗員を務めてくれたんだっけ。彼女の中では、僕はまだ先生なんだな。それにしても相変わらずの姉御肌というか、女性にしては珍しいしゃきしゃきしたしゃべり方が懐かしい。
ひとしきり思い出話に花が咲いた後、僕は娘の立てた旅行計画の概要を説明し、「娘の勤務予定が確定したらまた連絡するよ。」と伝えた。「わかりました。連絡、お待ちしています。」
今日1日で、10年以上連絡を取っていなかった二人の人物と、久しぶりに話すことができた。人の関わりとは不思議なもので、こうして話してみれば、過ぎた時間など存在しなかったかのようだ。おかげであの頃の記憶が幾つも思い出されてきた。今日は良い日になったなあ。
意味合いは少し違うが、僕が「走馬灯」という言葉を使ったわけは、つまりそういうことだったのですよ。