プジョー歴
プジョー406V6という車に乗っている。セダンタイプの前期型だが、故障らしい故障もなく、乗り始めてもう21年になる。9年前に、一度オールペンしてドアの内張を貼り替えた。ついでに曇っていたヘッドライトも交換した。その他にもいろいろやって、80万円ぐらいかかった。でも当時出たばかりの407に乗り換えるより遥かに安かった。そんなわけで、知っている人が僕の車を見ると、 「綺麗な車体ですねえ。」 と、褒めてくれる。まあ、当たり前だ。
この全面改修は、そもそも10年目で買い換えようかと思っていた僕に、二人の娘が抗議の声を上げたのがきっかけだった。慣れ親しんだ車を、まだ十分走るのに買い換えるのは嫌だというのである。407シリーズのラインナップにグリーンのボデイカラーがないことも大きかった。僕の406は綺麗なグリーンで、娘たちはそのグリーンがとても気に入っていたのだ。先にも書いたように、この車を購入したのは21年前。初めて新車で購入した車だった。もうほとんど見かけないが、逆に目立っているかもしれない。なにしろ、今どき33(2桁ですぜ、2桁!)ナンバーである。ささやかな自慢のネタだ。この車が齢19歳を迎える頃、ふと考えた。あと10年は乗りたいな。だとしたら、セカンドカーが必要かな?妻に了承を得てディーラーに相談に行き、退職間際のKさんという販売員に406クーペを探して欲しいと頼んだ。実を言うと、もともと考えていたのは、次の世代の407クーペだった。セカンドカーなら新しい車体の方が適当と思われたからだ。しかし、発売してすぐに実車を見た時、デザインがあまり気に入らなかったことを思い出した。気に入らないデザインの車に、義理で乗るというのはいかがなものか。お互いに辛いものがあるのではないか。そこで、思い切って406クーペ。こいつはもとよりピニンファリーナによる素晴らしいデザインだ。だがしかし、馬鹿かお前は。21年車のセカンドカーに、どんなに新しくても14年オチの車?うーん、確かにそうだよなあ。税金だって高いし、修理だって大変だし。しかし、実は根底に、それを補って余りあるほどの大きなモチベーションが働いていたのだった。 そもそもメインとなるセダンを買う時に、クーペのことはすでに知っていた。カタログも手に入れ、そのサイドビューを眺めてはうっとりしていたものだった。ブレーキにはブレンボ、シートにはレカロが標準装備され、何よりも車体側面とダッシュボードにはピニンファリーナのバッジが(製造もピニンの工房だから)・・・。おかげで車体価格はセダンに上乗せ100万円。おまけに子ども二人のファミリーユースを考えるとどうしたって4ドアの方が使い勝手が良い。誤解されないように言っておくが、セダンはセダンでとても気に入っている。かの505から受け継がれたウエストラインの処理など、見事なものだ。下の娘なんか、クーペより美しいと言っているぐらいだ。だから、セダンはセダンでもう10年を目標に考えている。それぐらい気に入っているのだ。問題はその車齢と部品の供給だ。
プジョーというのはフランスの自動車メーカーで、平凡な車を作ってチューニングで魔法をかけてくる。チューニングが限界なら装備で性能アップ。良い実例がある。そもそも僕のプジョー歴は34年。最初に乗ったのは505GTI。デザインはピニンファリーナが担当していた。エレガントだが、504から受け継いだ吊り目のヘッドライト以外、これといった特徴の無いセダンだ。しかし、この車がすごい。詳しくは別のところで書くので割愛するが、ヨーロッパではかなりの評価を得ていて、タコ足とノンスリップ・デフが標準装備されていた。これは日本のディーラーも知らなかったことだった。何しろカタログデータには何も記載が無いのだから仕方が無い。そういうことを何食わぬ顔で普通にやってしまうのがプジョーなのだ。505シリーズはプジョー最後のFR車だったこともあって、ドライブフィーリングは群を抜いていた。カミさんの車を含めるとかなりの車種に乗ってきたが、505GTIを超える車には出会ったことがない。(家族の所有していたベンツやジャガーを含めても、だ。)ああ、今からでももう一度乗りたいなあ。
話がそれた。406である。クーペのデザインを手がけたのは、ダビデ・アルカンジェリというデザイナーで、ピニンファリーナでは若手の新進気鋭だったそうだ。残念なことに彼は406クーペを仕上げた後しばらくして急性白血病で急逝してしまった。彼は406クーペを最後まで妥協せずに、しかもほぼ一人で完成させた。当時ピニンで一緒に働いていた奥山さん(著書「フェラーリと鉄瓶」参照)に言わせると、「だからデザインにブレがない」のだそうだ。どうせ手に入れるなら、そんな曰くのある406を、と思ってブルーライオンのKさんにお願いしたのだ。何しろ希少な車で、総輸入台数で1,000台ぐらい(という記述をどこかで見た)、それが販売終了から14年たっているのだから、状態の良い車体はそう簡単には見つからないだろう。そう考えた僕は、「1年待つ覚悟で」とKさんにお願いした。すると、Kさんが言うには、たまたま紹介できる車体が今2台あるというのだ。なんというタイミングだろうか。しかも2台。しかし現実はそう甘くない。こちらの条件は前期型の 左ハンドル。ところが紹介してもらったのは前期型の右ハンドル(60,000㎞)と後期型の左ハンドル(90,000㎞)。 僕は505の時から数えると34年間左ハンドルに乗っている。今更右では左の間隔が危うい。さらに後期型はフロントのエアインテークの形状がマイナーチェンジで少々下品になっている。もっと言うと、ブレンボのブレーキシステムは前期型のみ。結論から言いましょう。両方買ってしまった。だって安かったんだもん。30万と60万。そういったわけで、後期型(こちらの方がコンディションも良かった)に前期型のフロントバンパーとブレンボのキャリパーを移植して、なんちゃって前期型の左ハンドル(程度:良)が完成したのである。しかも部品取り車のおまけ付き。それにしても今回の、このタイミングは奇跡に近いなあ。しかも後期型を購入した時はほんとに嘘みたいな状況で、見せてもらいに行った時に、もとのオーナーさんが「見てると売りたくなくなるかもしれないから、買う気なら今日持って行っちゃって」というので、持ってきてしまった。「1年待つから探して」とお願いしてからわずか1週間後のことであった。ちなみに右ハンドル車はKさん自身のコレクション。だから余計安く買うことができたわけです。
こうして406クーペはめでたくうちの車の仲間入りをした。運命を感じる出会いだったなあ。でもその後は苦労の連続で、結局その後の2年間で90万円ぐらいはかかった計算だ。救われたのは車検が交互に2年おきということ。この古さの輸入車を1年に2台ではさすがに通帳がパンクする。 ついでにエピソードをもう一つ。Kさんから購入した前記型右ハンドル。実は後期型だということがわかった。マイナーチェンジの時にほんの短期間だけ、前期型のブレンボ装備の車体に後期型エンジンを積んだ車体が販売され、希少な存在として中古市場では大人気だった。僕の手に入れたのはこの車体だったのだ。えー、もうバンパーとブレーキばらしちゃったよー。でも右ハンドルだからまあ仕方ない。シートもかなり傷んでたし(後期型のシートはほぼ無傷だった)。ちなみにこのことを知っていたらKさんは売らなかったのではなかろうか。その翌年Kさんは退職し、今は趣味の庭いじりに精を出しながら元気にやっているそうだが、会う機会にはまだ恵まれていない。もし会うことがあっても、このことは内緒にしておこうと思う。