軽音、再び
その昔、僕が高校で軽音楽同好会を創設したことは以前に書いた。3月の末のある日、その創設時のメンバーが集まるので顔を出せ、との通知が、なんと葉書で届いた。僕がメールもラインもやらないものだから、苦肉の策だったのだろう。だが考えてみれば僕の電話番号を知っているヤツだっているのになあ。返事はメールでくれ、と言うので仕方なく、パソコンで「行くぜ」とメールを、多分何年かぶりに送信した。やればできるんだよ、僕だって。集まるのはこれで3度目、場所は高校の所在地で、僕の実家のある土浦市。夜は実家に泊まれば良いので気楽なものだ。
当日、指定された店に着くと、ほとんどのメンバーはすでにそろっていた。早速乾杯をして(よくある話だが誰かが着くたびに即乾杯)、昔話に花が咲いた。僕を下の名前で呼び捨てにするのは、長い人生のなかでもこのメンバーと、その取り巻きだけだ。それがとても心地よい。それにしても、四日市市から来る一番家の遠い男が監事ってどんな人選?土浦在住が何人もいるのに。でもまあ、その辺が軽音らしいところでもある。
そんな音楽好きの旧友たちが集まって、今の時代にどんな話をするかって?そりゃあ、この歳になればまずは病気自慢でしょう。特に高血圧の話は盛り上がった。いや、上がっちゃいけないんだけど、「オレ、一番高い時の値が190あってさ」「負けた!オレ160」って、何勝負してんだよ。そのあと同じ血圧の薬を僕を含めて3人が服用していることを確認して、やっと「今も演ってるのか?」という話になった。ところがそんな話題のなかでも、「最近ギター弾こうにも、指が動かなくてさ」なんてことを言うヤツがいる。「もう、『BURN』は叩けないな」と、これは僕。あの頃ディープ・パープルの「BURN」という曲の、とんでもなく手数の多いドラムを完コピ(完全コピー)していたのは、近隣では僕だけで、これは当時ちょっとした自慢のネタだった。なぜあれが叩けたのか、今ではさっぱりわからない。イアン・ペイス(ディープ・パープルのドラマー)は75歳になった今でも余裕で叩いているのになあ。何、プロと比較するなってか。
ところで、僕が最後にバンドとして演奏したのは5年前だから、一番最近まで「演っていた」ことになるようだ。フォーク部門(軽音は境界が曖昧ながらも、ロック部門とフォーク部門に分かれていた)のギタリストだったNは、昔大枚をはたいて買った愛用のギターを修理したら、買った値段以上の修理代がかかった、なんて話をしてたっけ。だって買ったの何十年前だよ。大学生の頃、そのギターを買う時にお茶の水まで一緒について行ったのがついこの間の事のようだ。でもギターは人力で運べるから良いよなあ。ドラムセットは車が無ければ運べないし、しかも普通車なら2往復だ。ドラムを選択した自分を何度呪ったか知れない。でもまあ、ドラムという楽器が好きなんだから致し方ない。
さて、宴もたけなわ。幸いにも酒癖の悪いメンバーはいないので、楽しく時間が過ぎていく。僕が振った「おでんにジャガイモを入れるか?という話題では、メンバーが二つに分かれて真っ向から対立。馬鹿だねえ。その後誰かがCSNY(クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、アメリカのフォーク・ロックバンド)の話を持ち出し、それを他の誰かがNSP(ニュー・サディスティック・ピンク、日本のフォークグループ)と勘違いして、皆に突っ込まれていた。その様子を見ながら僕はCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、アメリカのロックバンド)の話題を出そうか迷っていたが、誰かがいきなりテイラー・スウィフトを持ち出したので、話の流れはあらぬ方向へ。でもそのあとでGFR(グランド・ファンク・レイルロード、アメリカのロックバンド)に触れることができたからまあいいか・・・以前にもあったことだが、どうもこの頃の仲間のことになると、話がややこしくなっていけない。なんかゴメン。でも、仕事が関わらない酒宴は良いなあ。3時間なんてあっという間だ。
土浦組は頻繁に情報交換しているらしく、メンバーの近況については僕の知らない話題もたくさんあったけれど、そんな事は一向に気にならなかった。わからない事は聞けば良いだけだ。構える必要なんてこれっぽっちも無い。ただ、当時の話題になるとメンバーの記憶違いが露見する事も多く、過ぎた時の長さを痛感させられた。
ちょっと驚いたのは小学生の時に好きだった女の子(勿論今は女の子ではない)が、土浦に帰ってきているという話が聞けたこと。中学・高校と同じ学校に通ったのだが、最後に消息を聞いたのは何十年も前の事で、埼玉県在住だったはずだ。それが年老いた母親の介護のために単身土浦市に戻り、今も実家を維持するために滞在しているという。その子の友人だったキーボード担当のT(女子)がそれを僕に教えてくれた。死ぬ前に一度会ってみたいと思っていたので、少しだけ心がむずむずした。音楽とはまるで関係ないが、そんな話が聞けるのも軽音の、強いては高校時代の友人の集まりならではだ。ホント、良い時代だった。
不思議なもので、あれだけ文字によるコミュニケーションを否定していた僕が、今回初めてメールをもう少し活用しようかな、という気になった。この問題については歳を重ねるたびに頑迷になっていくであろうと思っていただけに、自分の事ながらちょっと意外だった。慣れ親しんでいるのはパソコン、つまりキーボードによる入力の方だが、この際スマホのメール機能も使ってみようかな。そうすればこうした集まりの連絡も、少しは楽に行えるようになるだろう。何にせよ、次の会合が楽しみだ。次回はロボの「片思いと僕」を引き合いに出してみるか。
注 ロボ「片思いと僕」は1972年に大ヒットしたアメリカンポップス。