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 ベスト・ムービー

 今まで見たなかでベストの映画は?と聞かれたら、迷わず「我が谷は緑なりき」と答える。古い映画で、モノクロ作品である。監督は今は亡きジョン・フォード。出演者で名前がすぐ出てくるのはウォルター・ピジョンとモーリン・オハラぐらいか。といっても、今の若い人には全くわからないだろうなあ。子役としてはのちによく見かけるようになるロディ・マクドウォール。大人になった彼が、73年の有名なホラー映画「ヘルハウス」の主人公の一人をやっていてびっくりしたことがある。

  ジョン・フォードといえば「男を描く西部劇」というイメージだが、この映画は、イギリスはウェールズの炭鉱の村が舞台。そこに住む一家族を中心にストーリーが展開する。そして「男」というよりは「父親」が主役か。母親は名脇役といったところ。言ってしまえば「そのへんの普通の人々」なのだ。 炭鉱で栄えていた頃のふるさとの記憶と、しだいに変わっていく人の心が錯綜し、それを末息子の目を通して語っている。家族の離散や母親の病気、父の死等、翻弄されながらも力強く生きていく姿が何とも美しい。ちなみに題名の「我が谷は緑なりき」とは、「今では人の心も、あのぼた山(捨てられた石炭がらの山)に黒く覆われたふるさとのようになってしまったが、あの頃はまだ、緑に覆われた美しい谷だったんだよ」という意味。

 いつも思うのだが、ジョン・フォードの映画は、モノクロなのに記憶のなかでは総天然色、ということがままあって、この映画でも森の緑や谷に咲く水仙の黄色がすごく印象的。ジョン・フォードには「荒野の決闘」という西部劇の大傑作があるが、ラストのいよいよ決闘の日の朝まだき、指定された場所に向かうワイアット・アープ(演じているのはヘンリー・フォンダ)をあおりで撮った、その背景の空の青さったら(いや、モノクロなんだけど)・・・! 忘れられないシーンのひとつですね。

  さて、話は戻って、じゃあこの映画の何がそんなに良いのか。それは・・・よくわからない。だがそれが良い。あのシーンが良かったとか、このセリフが良かったとか、それはいくらでもあげられるのだが、この映画の魅力はそういったこまごました美点を超越したところにあるような気がする。見終わった後に残る余韻とか、登場人物への共感とか、たとえると「一緒にあの村で成長したような感じ」とか。

   ある時、僕より10歳は若いアメリカ人(これがまたすごい人で、出身がハイチ、ばあちゃんはブードゥーのまじない師だったとか言っていた。彼も映画が大好きなので、よく二人で盛り上がっていた)に、思うところあってこの映画を見せてみたところ、数日してディスクが帰ってきた。そして「すごい!こんな映画があったなんて知らなかった!間違いなく僕にとってベストワンだと思う!」てなことを英語でまくし立てていた。やっぱり映画好きにはわかるのか。それまでの彼との話題はB級SFやホラー映画ばかりだったから、ちょっと嬉しかった。そういえばこれを見た日本人の知り合いも「見る前と後では世界が違って見える感じ」と、考えようによっては、ちょっと怖くなるようなことを言っていたっけ。

   僕は90年代以降の映画には物足りなさを感じている。こうした映画がなかなか現れてこないのだ。何かこう、物足りないというか、作り物くさいというか。そんな話を長女と話していて気がついた。そうか!文学だ!

 昔の映画には文学とイコールで繋げることのできる作品がたくさんあったのだ。実際、ベスト・ムービー文学の映画化なんてざらだった。もちろんそのその全てが成功したわけではないけれど。そういう観点で見ると、今の映画はいわゆる三文小説どまり、下手をするとパルプ小説やコミックスレベルのものまである。だから、スタインベックの「怒りの葡萄」なんかをジョン・フォードが映画化したりすると、ぜんぜん格の違う名作ができあがるのは当然と言えば当然だろう。勿論人間ドラマもしっかり描かれているので、例えば「我が谷は緑なりき」の主人公たちは十分人生のお手本になり得る。だが、「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジャック・スパローは、当然人生のお手本にはならないのである。おわかり?

 日常の延長上にあって、実際に起こりうる出来事。これが大事だ。変にいじくり回して「いやー、無い無い」と思うようなことを「あったら面白い」という観点で描くと、あり得ないけど映画としては面白い作品が出来る。そう、面白いのである。これはこれで良い。僕も娯楽映画は大好きである。だが、所詮はそれだけのことだ。たまには文学的な作品が見たい。いや、見なければいけない気がする。人の心に一生残り続け、時にその人生を左右するほどの影響力を持った映画。だがちょっと待てよ。ここまで書いて気付いた。「文学的な映画」は今でも時折見受けられるが、「映画になる文学」を書く人がそもそももういないのではないか?

 今まではスタインベックやヘミングウエイやトルストイといった文豪の作品が映画化されている。じゃ、今はどうなんだろう? なんだかあやしくなってきたぞ。この続きはまた今度。

       「我が谷は緑なりき」